地上にいると太陽が動いて見える

地球上で生きている私たちは、太陽が東から昇り南を通り西に沈み、周期的に昼間と夜を作り出すことを知っています。
恐らく人類誕生の早い段階から昼間と夜の違いは認識していたと思います。
経験的に気温が周期的に変化する季節の違いも認識できました。
経験的にわかったことから法則を導き出し、種まきや収穫に役立てました。
恐らく一人の天才が周期性に気づいて、カレンダーという概念を生み出し生活に役立てることを発明したおかげで農耕が容易になり、生活が豊かになったのだと思います。この頃には何故そのように周期的に昼間と夜が出来たり、周期的に季節が生まれるのかは全くわからなかったと思います。そのように行動した方がお得だと経験的に気づいたということです。理屈はわからないけど活用法・使い方を身につけたということです。
地球という概念がないため、岩を動かすだけでも苦労する人間にとって地面そのものが動いているという概念自体が想像の外だったはずなのです。
その『常識』外れの天才の名がニコラウス・コペルニクスです。
天動説がもしかして間違っているのではないかと考えるきっかけになったのが、月と惑星の動きです。他の全ての星は同じように動くのに、月と惑星は他の星とは異なる動きをしていました。惑星はその動きから惑わす星として名づけられました。月や惑星の動きに関して別々の理屈を考えて解釈しようと試みましたが、すっきりする理屈が思いつきませんでした。約2000年前にアリスタルコスにより、太陽中心説がアイディアとしては存在しましたが、検証には至りませんでした。コペルニクスが地球と惑星が太陽の周りを回っていることを検証したため地動説の創始者と言われるに至りました。
地球上で暮らしている以上、その地球の外から見るという客観的な解釈をすることが困難なのです。
人工衛星で外から地球を見ることなど想像すらできない時代、先人達は規則的に太陽が繰り返し地表を照らすことから様々なことに気づいて、もしかしてと考えることで様々なことを発見していきました。
私たちも当たり前の日常に慣れてしまうと、その当たり前を不思議に思うことはありません。
しかし当たり前にも疑問を抱き、これまでの解釈も間違っていないか疑うことも大切なようです。
もしかしてと考えること。そしてそれを検証することが大切なようです。