当たり前のことを改めて認識するには

当たり前を認識するには比較をするしかありません。当たり前が当たり前すぎて違いがわからないのです。当たり前過ぎて、当たり前の持つ価値に気づかないこともよくあります。
2人兄弟だと2人兄弟が当たり前で、一人っ子では1人子が当たり前でお互いがわからないのです。
ただし2人兄弟であれば、兄弟がいなかったらといないことを想像することは出来ますが、一人っ子はそもそもいない兄弟がもしいればということは本当の『意味』で想像がつかないのです。兄弟のいる他人を見て、初めて兄弟がいればできている当たり前のこと(例えば兄弟喧嘩)が、『無い』と認識できるのです。
認識の上では引き算は出来きます。それはあることから対比せず、『無』・存在が無いことを認識するのは非常に困難です。
しかしあるものがなければと想像してみることや、別のことと対比することで当たり前のことも実は当たり前ではないことを認識することができます。

例えば風習は地域によってことなります。その地にとどまるだけであれば、当たり前で風習がその地域限定であることは認識できません。他の地域と比較することで初めて地域限定だと認識することができるようになるのです。
他の地域の風習を取り入れるかどうかは、他の地域にどのような意味があるのかと理に適っているかどうかと取り入れて問題がないかどうかが吟味されます。取り入れることに利点があれば、取り入れるでしょう。
方言でも同じことが言えます。方言を共通語だと思い込んでいても、他の地域の人と比較しないと方言だとはわかりません。他の地域の人と比較して初めて共通語ではないことが認識できるのです。
当たり前のことを認識することは難しく、認識出来るとすれば、当たり前ではない人と比較して初めて認識できるのではないかと思います。