そもそもと考えてみる

何事ももしかしてと疑うことが大切だと書きました。
次の段階では、これまで当たり前とされていることは『そもそも』何故このようになっているのかを考えてみることです。原因がわかれば対策も立てることができます。そもそも出来た理由がなくなれば、そのものが要らなくなるはずです。
例えば、ある種のお肉を食べてはいけないという宗教があります。そもそもお肉を食べてはいけないのは何故かを考えてみました。豚肉の禁止の理由が不浄な生き物だからとしか伝わっていないため、宗教を信じている限り食べないことを続けるしかありません。豚肉の生肉や生焼けのお肉を食べることで体調を崩すことがあるため禁止すると伝わっていれば、適切に加熱することで牛肉禁止の宗教は神聖な生き物だから食べてはいけないとあります。恐らく農耕に使うから神聖とされたと思いますが、労働力に必要だから食べてはいけないと伝わっていれば、トラクターが牛の代わりをしてくれるようになった時点で食べることが出来るようになったはずです。
会社や組織の慣習もそもそもと疑うことです。
そもそも出来た理由や目的から、今も存在していても良いかどうか。今もその慣習がある方が良いのかどうかを常識にとらわれず検討してみるときではないでしょうか?
そもそも出来た目的が時代の流れとともに、必要なくなることは良くあることです。これまでの慣習だからとかこれまでの伝統を守るとか言って、良く検討することなく思考停止し、継続していることが多々あります。
そもそも本当に必要かどうか、常識にとらわれず0から論理的に考えてみましょう。