糖質回避教のすすめ 論理的宗教

糖質に関して議論するより宗教の一種である論理的宗教・糖質回避教という考え方がわかりやすいと思います。信じるか信じないかです。
正しいかどうかが議論されていますが、これまでの糖質に対する認識が間違っていたのは明らかです。
明らかなことを議論することは無意味です。糖質に関する正しい認識ができない方は、正しい情報が不足しているのか、物事を論理的に考えることができないかのいずれかだと思います。それでも反対される人はいわば異教徒です。最初から受け入れるという概念はないため、反対・否定できそうな理屈を探すことしか考えていないので、その点でも議論は無意味です。
反対する人も、いつ糖質の本当の姿に気付くかあるいは糖質の本当の姿を認めるかだと私は思います。広く受け入れられるまでの地動説と同じです。
そこで議論しないために、人それぞれが信じるか信じないかの問題にしてしまいます。
いきついた結果が、糖質回避教です。

糖質制限とか糖質制限ダイエットという言葉がはやっていますので、そのままいけば糖質制限教です。ただ私個人の印象では制限という言葉は制限速度で使われるように人に決められたことに従う印象があります。糖質を制限するすることにあまりこだわらず、自分の意思で避けるという回避という心づもりの方が適切だと思います。糖質回避・糖質回避教という考え方です。

そして糖質回避教というのは、糖質回避をするかしないかを信じるかどうかで宗教のようにとらえてはどうかと考えました。もともと宗教というのは、明らかな裏づけなく信じる信用から信仰に至っています。ただ信じるかどうかが宗教では問題です。たまに証拠を求められて奇跡が起こったと伝わっていますが、そのこと自体も本当だと信じるしかないのです。通常の宗教は死んだあとにしか真偽がわかりませんが、この糖質回避教は試してみることで真偽がわかります。宗教といってもこれまでの何となく感情的に信じるものと違うので、理屈にかなっているから信じるという論理的宗教という概念でとらえていただければと思います。この分類でいくと科学も論理的宗教といえるのかもしれません。

いったん糖質回避教を信じてみても、間違っている・自分には合わないと思われたらやめられたらよいと思います。
論理的宗教も感情的宗教も人に考えを強要しなければ争いにはなりません。
宗教戦争は信じる気がない人に自分の宗教を強要しようとして起こったのです。
本来宗教は信じた人が仲良く心豊かに生きるために生まれたもののはずです。
論理的宗教もそうです。信じる人だけが救われればよいのですから。

炭水化物を避け、タンパク質を中心に脂肪分も制限することなく好きなだけ食べていただければよいのです(ただし長期的には動物性タンパク質による病気、高脂肪食による病気の発生が懸念されます)。ダイエットと考えても空腹感を我慢する必要がないので簡単だと思います。ダイエットのあとのつきもののリバウンドもあり得ません。何故なら糖質回避教はおなか一杯食べながらダイエットができるので、リバウンドのようにダイエット後にかえって食事量が増えることがないのです。
糖質回避教 ~炭水化物を避ける知恵~のおすすめです。

炭水化物・糖質を避ける(回避する)だけでよいので簡単です。
具体的には主食であるご飯、パン、麺類を避け、おかずだけにすることです。おかずでもジャガイモやサツマイモなどのいも類と人参などは比較的多く炭水化物が含まれているため、避けるほうがよいと思います。
肉や魚、野菜を中心に食生活を楽しんでみてください。
糖質を避けるなんて無理と思われた方は無意識のうちに糖質依存に陥っている可能性が考えられます。一度その概念を確認してみてください。もし当てはまれば、自分自身の脳あるいは糖質に騙されているのです。

炭水化物(糖質)制限をされている方の中には、炭水化物を避けるように天ぷらの衣をはがして食べるほど徹底的に忌み嫌う方もおられますが、避けることができれば避けるという気楽な気持ちが長続きするコツだと思います。炭水化物・糖質を避けることすら楽しむくらいの気楽な糖質回避教がおすすめです。

糖質回避教にはお布施もありませんし、グッズ販売もありません。
論理的宗教も人に考えを押し付けるものでもありません。信じるものだけが救われるのです。
もしうまくいったら貴方も風の一部になって、他の人にも『呉からの風』を伝えてあげてみてください。

これまでの一般的な宗教(仏教やキリスト教など)との混在は全く問題ありません。
糖質回避教と大げさに言っても、いわば食べ物に対して自分で決まりを作るだけのことです。
誰に責められることもありません。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。