身体を動かすことを教えるのが下手な理由

身体を動かすことを教えることの上手・下手は物事を伝えることに通じるのですが、説明の時と同じで教える相手が身体の動きを客観視出来るか出来ないかで大きく異なります。身体の動きを客観視出来る人は、身体の位置を把握出来簡単に思い通り動かすことが出来るのでどのような教え方をしても上手にこなすことが出来ます。一方身体の動きを客観視出来ない人もいるのです。ダンスなどが苦手な人などがこれにあたると思います。自分の手足の位置が客観的に把握出来ないため、人の動きに合わせたりすることが苦手です。

身体を動かすことは誰でも出来ますが、身体の動きを客観視出来るかどうかは人によります。自分の身体の動きを他人の身体の動きのように客観視出来る人もいれば、全く出来ない人もいます。客観視出来ない人にとっては身体の動かし方を教えてもらっても、きちんと出来ているつもりだけに違いが理解出来ないのです。

そして教える側が自分と身体の動きを客観視出来ない訳がないと思っていると、教える側と教えられる側の認識の齟齬が起こります。伝えている内容の齟齬があるため、上手になれません。名選手、名監督にあらずとはこのことを表しているのです。名選手はみんな同じように身体を動かすことが出来ると思っているので、教えても普通の選手には伝わらないのです。名選手は身体の動かし方をアドバイスされればその通りに動かすことが出来るたので名選手なのです。みんなが同じように、アドバイス通りに身体を動かすことが出来ると思ったまま監督になると失敗してしまいます。

自分の身体の動きを客観視出来ない人がいることをわかっている人は教えるのが上手です。何故なら動きを客観的に伝えても理解出来ないので、具体的に身体の部分部分の動かし方を伝えます。一言で言うと客観的に伝えるのではなく、具体的に差を伝えるのです。今よりも右手を外側に5cm大きく回すなどです。それでも相手に伝わらない場合にはビデオで客観視させてあげれば良いのです。一緒にビデオで確認しながら改善点を指摘するのです。それでも伝わらなければ、理想の形を自ら実演し、これもビデオに撮って見比べることで差を明確にして伝えるのです。

自分の身体の動きを客観視出来ない人がいることを知らない人は、具体的な身体の動かし方を伝えることなく、やり方を見せて自分で汲み取るように教えます。自分の身体の動きを客観視出来る人には伝わりますが、自分の身体の動きを客観視出来ない人には理解出来ません。つまり客観視とは差を読み取ることが出来るかどうかです。そしてその通りに自分で修正出来るか出来ないかです。客観視出来ない人がいることを知らない指導者が残念なのは、教えても理解出来ないのは、教えられる側の問題だと勘違いしていることです。実は教える側の問題なのです。教えられる側は自分は身体の動きを客観視出来ないため、まさか身体の動きを客観視出来る人がいるなんて想像すらつかないので、教えてもらっても全く理解出来ません。教える側は真似するだけだと言い、教えられる側はその意味がわからず混乱します。

解決策は、身体の動かし方を具体的に理想の動きとの差として教えてあげることです。そして相手に伝わる方法で教えてあげることが大切です。場合によってはビデオなど文明の利器を活用して伝えることで時間の短縮をはかるのも有効だと思います。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。