勉強を教えるのが下手な人の心理

自分自身の勉強が出来ても教えるのが下手な人がいます。教えるとは相手のわからないことを把握し、相手のわからない部分を説明することです。

説明の下手な人にも共通することですが、教えるのが下手な人は相手のわからないことが理解出来ないのです。相手のわからないこと自体が理解出来ないのですから、相手のわかるように説明出来る訳がないのです。

自分が理解するのと、相手に説明するのとは別物なのはこのことに起因します。つまり相手のことまで考える余裕がある人は上手に教えることが出来ますが、相手のわからないことまで思い至らないと上手に教えることは出来ません。

相手がわからない部分を理解出来る方が教えるのが上手になるため、勉強に苦労して教師になった人の方が教えるのが上手な先生になるのはこのためです。逆に成績優秀だったのに教えてもらってもわかりにくいのは、わからない部分をすっ飛ばして一通り説明されるので理解しにくいのです。

勉強を教える際には相手のわからない部分を確認して、その部分を中心に教えてあげるようにしてみると良いかも知れません。

きっかけ一つで疑問が解決する場合

人は『知らねば損すらわからない』という私の考えたことわざのように、知らなければ損していることすら理解できません。

そして人は何でもわかっているつもりでいます。わからないことや知らないことは無意識のうちに無視するように過ごしているので、見聞きしても知らないことは理解出来ないのです。実は多くの人は知らないことはないという錯覚に陥っているのです。

ある人と話をしていてわかったことですが、10歳以上年の離れた人のことが理解出来ず混乱していました。最近の若い人のことが理解出来ないと悩んでいたのです。少し聞いてみると性格というよりはアスペルガー症候群の症状のようでした。本人に悪気があるわけではなく、思いつくまま振舞っているだけのようでした。その様子を見て理解出来ず混乱していたのです。ちなみにこの知人はアスペルガー症候群の存在は知っていましたが、知人にとってアスペルガー症候群はテレビや本の中の出来事で、まさかその人がアスペルガー症候群だとは思わなかったようです。エピソードを聞いただけですから確定診断できたわけではありませんが、アスペルガー症候群の症状や特性を教えてあげると様々な言動が当てはまるようです。

知人にとって理解出来なかった人の行動が、アスペルガー症候群のキーワードで読み解くことが出来たのです。これまでわからなかったことでもちょっとしたきっかけで読み解くことが出来るようになる場合があります。そのようなときには夢にも思わなかったことが答えだから理解出来ないのかも知れません。

わからないことや理解出来ないことはもしかしたら、と様々な可能性を考えることが理解出来るようになる近道かもしれません。場合によっては当たり前の常識も、もしかしたらと考えてみると、糖質の害のような画期的な発見があるのかも知れません。

糖質とダイエットの関係性

ダイエットにおいて糖質制限ダイエットが流行っています。糖質制限(私は糖質回避という言葉を提案しています)を実行された方の多くは体重が減ることを実感されます。

動物の中で人間だけが太る理由は糖質を食べ過ぎることです。一部のペットは人間と同じようなものを食べ過ぎることで太ってしまいます。動物は太ってしまうと捕食者から逃げ遅れて食べられてしまいます。太ることは動物にとって死活問題なのです。アフリカが発祥だと言われている人類も太ればライオンに食べられてしまうので太らない仕組みが備わっているはずです。その仕組みをすり抜けてしまうのが糖質依存です。つまり糖質に対して中毒状態に陥ることで糖質を食べ過ぎるのです。ちなみに糖質依存の禁断症状まであります。強い空腹感が糖質依存の禁断症状なのです。禁断症状の証拠に空腹を我慢しているとピークをこえる感覚を味わいます。禁断症状でなければ、排尿感のように排尿しない限り弱まることはないはずです。もう一つの証拠に糖質を控えることで糖質依存を脱すれば、強い空腹感が無くなり、ピークをこえた際に感じる空腹感しか感じなくなります。

糖質を減らすことで簡単に痩せるのは、他のダイエットにありがちな空腹感の我慢が無いからです。空腹感を我慢することなくタンパク質と脂質を中心にお腹いっぱい食べることが出来るので簡単なのです。

糖質を控えていると最終的には糖質依存から抜け出すことが出来るからです。糖質依存から抜け出すことが出来れば、太る原因である糖質依存による過剰摂取が無くなるため自然と痩せるのは当たり前のことです。

ちなみに糖質を控えると糖質依存から抜け出すことが出来るのは当然ですが、糖尿病で推奨される食べる順番によるダイエットが効果が期待出来るのも糖質依存の理屈で説明出来ます。御飯などの糖質から食べ始めると急激に血糖値が上昇します。一方肉・魚・野菜などのおかずから食べ始めると、胃の中で急激な糖質の吸収を妨げる働きをしてくれるため血糖値の上昇を抑えてくれます。糖質依存はブドウ糖濃度である血糖値とインシュリンの働きによる血糖値の上下が原因のようなので、その上下を抑えることが出来るので糖質依存の度合いがやわらぐのではないかと思います。血糖値の上昇がある程度抑えることが出来れば、糖質を食べながら糖質依存から抜け出すことで痩せることが出来ると思います。糖質を少しだけ食べると余計お腹がすくという不思議な感覚も糖質依存の一症状で、血糖値の上下で説明がつきます。

ダイエットとは痩せることを目的とする行為です。そもそも太る理由が糖質の食べ過ぎなのですから、糖質を食べながらダイエットするというのは矛盾した行為です。言わば糖質を食べるというアクセルを踏みながら、ダイエットというブレーキを踏んで、止まらないつまり痩せないと嘆いているようなものです。車でアクセルを踏みながらブレーキを踏んで止まらないという人がいれば呆れるでしょう。その呆れるようなこと(糖質を食べながらダイエットすること)をまだ知らないだけで、本気で行っている人がいるのです。知らねば損すらわからないという新しいことわざを考えましたが、まさに損すらわからない人がまだまだ多いのです。良かったら糖質食べながらダイエットするのは損だと教えてあげて下さい。

感情で人を動かすということ

感情で人を動かす人がいます。
私の尊敬する心理学者アドラーは感情で人を動かすことは子供のように幼稚だと切り捨てています。(参考文献:アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉
私は感情で人を動かすのは動物的だと思います。

感情とは泣いたり怒ったりして人を動かすということです。(中には笑顔で人を動かすことの出来る人もいるかもしれません)
泣くことで人を動かそうとするのと、怒ることで人を動かそうとするのは本質的には同じことです。ただ相手が自分より強ければそのままでは太刀打ちできないので泣くのです。相手が自分より弱ければ逆らえないことを見越して怒るのです。もしくは力関係を見せつけ従わせるために怒るのです。

泣くことで人を動かそうとする場合

泣いて人を動かすのは赤ちゃんの特権です。子供でも泣いて親や周囲の人達を動かすのは、赤ちゃんの頃からの育ち方として泣くことで自分の欲求を満たすことを何度も成功しているのです。希に大人でも泣くことで人を動かそうとする人がいます。人のいないところで泣いているのは本当の涙かもしれませんが、人前で泣くのはある効果を狙って目的を持って泣いているのです。(本人が自覚しているか自覚していないか。つまり意識的にか無意識かは別問題です)
貴方のせいで泣いていのよ。酷い人と暗に責めるために泣くのです。周囲には、この人に泣かされていますよ、同情して下さいという目的で泣いているのです。
泣かれることで動揺してしまうと相手の思う壺です。泣くことになれているので怯んだのを感じ取ると更に大げさに泣くようになります。泣いても思い通りにならないと察すると更に大声で泣き叫びます。これは子供でも大人でも同じです。

対策は簡単です。
悲しいことはわかった。でも泣いても事態は変わりませんし、判断は変わりません。
泣くだけ無駄だから泣き止みましょうと伝えます。
それでも大声で泣くのであれば、過去の成功体験にない思い通りにならない経験なので混乱しているのですがどうして良いかわからないのです。
泣き止んだら教えてと伝えて、その場を立ち去れば良いのです。
そうすることで泣いても動揺しないと伝えることができます。

怒ることで人を動かそうとする場合

怒ることで人を動かそうとするのも泣くことで人を動かそうとするのとよく似ています。
ただ相手が自分より弱い人間だから怒ってしまうだけのことです。
怒ることで人を動かそうとするのは動物の対処法と同じです。
自分の嫌なことをされそうだと吠える。その行動と何ら変わりありません。
動物は言葉を持ち合わせていないので仕方がありませんが、人間には言葉というコミュニケーションツールが用意されているのです。
怒る原因は、本来なら知っているべきことを知らないので責めるつもりで怒るのかもしれませんが、前もって教えていない自分の責任だということに気づけば怒ることに意味がないことに気づくことができます。特に親が子供を怒るのは、教えていないのは誰の責任かを考えることで容易に理解できます。
前に言ったのに出来ていないから怒るということを言われる方もおられますが、例え言ったつもりでもその意味や目的が伝わっていないのです。言ったつもりだが言われた覚えがないという齟齬になっているのです。つまり伝え方に問題があるのです。
確かにきちんと伝えても相手の理解力の問題やモラルの問題でこちらの意図した行動できないこともあり得ます。そのような場合には相手にとって何らかのデメリットを用意し、こちらの意図した行動を促すのです。

怒ろうと思った際に、冷静に相手に何か根本的なことが抜け落ちていないかを考えるのです。
その抜け落ちていることに気づくことができれば、怒っても意味がないことがわかります。
怒らずに相手にわかるように教えてあげれば良いのです。
ただそれだけのことです。

思い込みの罠の避け方

自分が正しいければ良いのでしょうか?
確かに自分が正しいと仮定すれば相手が間違っているので、良いのかもしれません。
しかし自分が正しいと信じて疑わないこと自体が実は間違ってしまっていても良いのでしょうか?

自分が正しいと考えていることは、実は思い込みかもしれないのです。
つまり自称正しい状態で他人から見たら正しいかどうかはわかりません。
しかし本人は正しいと信じて疑わないことがあります。

自分は正しいと思っていても勘違いしていることはよくあることです。
思い込んでいると自分が勘違いしているかもしれないという確認すらしないのです。
かつてベテランパイロットが思い込みにより燃料切れに気づかず飛行機が墜落したことがあります。
判断力に優れたパイロットでさえ、思い込みの罠にはまってしまって飛行機にとって致命的な燃料切れを避けることが出来なかったのです。
こういう思い込みによるミスを避けるためにパイロットは二人搭乗するのですが、経験年数の差があったため若い副操縦士はベテランパイロットに基本中の基本だけに燃料のことを進言できなかったことも事故の原因だったようです。

自分が正しければOK?というタイトルは、自分が正しければうまくいくはずだという思い込みを表しています。相手もきちんとするはずだからうまくいくはずだと、何の根拠もなく信じてしまうことが事故を招きます。

自分の勘違いだけではなく、相手の勘違いという二つの可能性があります。
自分が正しいと信じて疑わないし、相手も相手で正しいと信じて疑わない事態は大変危険です。
この二つの思い込みの罠に陥ってしまうと様々な事故に発展します。

例えば青信号を見て横断歩道を渡っているとします。
交通ルールの上では、信号通りに横断歩道を歩いている人が優先です。歩行者を守るように日本の交通ルールはできています。
しかしもし極度に疲れていて青信号を見間違えたとすればいかがでしょうか?
それとも横方向の信号が赤になったから、次は歩行者用が青になると思い込んで渡り始めたら他の方向にも信号があったとすれば、思い込みで歩行者用の信号が赤のまま渡り初めてしまうことはありえます。横の信号が赤になれば数秒後に歩行者の信号が赤になるはずという思い込みで渡り始めてしまうのです。
逆に車も信号が青になったと思い込んで走り始めてしまうこともありえます。
かなりまれだとは思いますが、歩行者も車もお互い信号を見間違う可能性だってわずかながらあるはずです。
ではそんな隙をなくすにはどうしたら良いのでしょうか?

思い込みの罠の避け方

一言で言えば確認することです。
思い込みで自分か相手が勘違いしている可能性があるのであれば、お互いが間違っていないことを確認するのです。

例えば横断歩道を渡る際に左右を確認するのは、自分が渡るから車は止まるということが成り立っているかどうかを確認するのです。車が近くにいなけば問題ありませんが、横断歩道を渡る際にすごいスピードで走ってくる車があっても自分が優先だからお構いなしに歩き始めるとはねられてしまうかもしれないのです。もしかしたら相手は気づかなかったかもしれません。
同じように横断歩道を歩いていても、左折車や右折車に巻き込まれてしまうかもしれないのです。自分は横断歩道を歩いているのだから正しいと考えるだけでなく、車が正しく運転されているかを確認するのです。左折車がいないか、右折車がいないか斜め後ろも確認し、車がいた場合にはひかれないように車の動きを見ておくのです。いくら自分の方が正しくても、死んでしまっては取り返しがつきません。

ちょっと確認するだけで思い込みの罠は避けることができます。
その少しのことが生死を分ける程の大きな違いとなることがあるのです。

差別する人の心理学

差別とは人種や肌の色、職業や学歴など様々な違いを元に取り扱いに差をつけることです。

一般的には負の取り扱いをする場合に差別という言葉を使います。特別扱いする場合には優遇や逆差別などという言葉を使います。

どうして差別をする人がいるのでしょうか?差別する人は自分が優れていると勘違いしているか優れていると認めて欲しいのです。差別する人は差別することで、優位性を際立たせ自分の価値を再認識する目的で差別するのです。差別される人は自分より劣っていると思いたいのです。相手が劣っていることをアピールすることで、相対的に自分の優位性を認めて欲しいのです。他の事で優位性を示すことが出来ない劣等コンプレックスの裏返しで差別するのです。

差別する概念がない人はただ単に違いを認識するだけです。差別する人は自分の優位性を示す目的で、違いを蔑むのです。恐らく自分の方が他のことでは劣っているという劣等コンプレックスから逃れたいために、人を蔑むのかも知れません。

動物に対して劣っているとか優れているとか比べるでしょうか?機械と比べて劣っているとか優れているとか考えるでしょうか?動物や機械と比較しても意味がないことは多くの人が理解していると思います。だから動物や機械に対して劣等感を抱くことはありませんし、敵意を抱くことは通常はありません。通常というのはかつて産業革命の時代、仕事を機械に奪われた労働者は機械に対して敵意を抱きました(ラッダイト運動)。通常は動物や機械と自分を比べても意味がないことを知っているので、比べないのです。

しかし同じ人間でありながら、もしかしたら同じ人間であるからこそ、人より優位に立ちたいと考える人がいるのかも知れません。人間だとは認めながら、蔑むのは私には理解出来ませんし、意味のないことだと思います。人それぞれ違うのは当たり前なのですから、違いを尊重し合えばお互い傷付けあうこともありません。

私は医師ですが、診療科による差別発言をする医師に出会ったことがあります。更に自分の診療科を自ら劣っていると発言する医師がいて驚いたことがあります。

法に触れる仕事でない限り職業に貴賎はないと私は信じています。

他の差別にも意味などありません。差別する側が差別すると都合が良いだけです。

差別する心があるかないかは、自分とは属性の異なる集団に入ってみるとわかります。蔑む心から居心地が悪いと思う人はあからさまな差別はしていなくても、差別する心が潜んでいるのかも知れません。差別する心が無ければ居心地が悪いということは無いはずです。話が合わなくて困ることはあるとは思いますが。

自分の心の中に差別の概念がないか探してみて下さい。

知らねば損すらわからない

知らないと損をすることはよくあることです。
そこで新しい諺(ことわざ)を考えてみました。
『知らねば損すらわからない』です。

『知らねば損すらわからない』とは知らないことは損することという意味です。身近な例では全く同じ商品が隣のお店で安く売られていてもそのことを知らなければ損をします。更に一歩進んで考えると、隣のお店で安く売られて損したことすら知らないと、損していることすら知らないのですから損し続けてしまいます。
損をしていることを知った時点で、次から改めるチャンスをもらったと考えれば良いのです。

知らなかった過去を振り返って悔やんでも何も生み出しません。
過去を今後にどう生かすかだけを考えるべきです。
話が少しそれましたが、知らないことは損することと同じです。

何事も知らないと損するということを知るべきです。
知らぬが仏という諺もありますが、知ったことを扱いきれない場合に言われることです。
確かに判断しきれないことを知ってしまうと、どうして良いか分からず知らぬが仏だったという状況もあるかもしれません。しかし何事も全てを知った上で判断するに越したことはありません。

私は最大の『知らねば損すらわからない』の最たるものは糖質の害だと思います。
知った上で糖質を食べるか食べないかを考えるべきであり、糖質の害を知ってしまうと食べるかどうかを悩んでしまうから糖質の害を『知らぬが仏』などと思ってはもったいないのです。
知った上で、食べるのなら覚悟して食べるのが正解だと思います。

知らねば損すらわからない。
何事も知らなければ損していることも知らないまま過ごしてしまいます。
まず何事も知ることから始めましょう。

学校で勉強する理由は、頭の使い方を知るためだと以前書きました。
知らねば損すらわからないから、知らないことを知るために学校で勉強すると付け加えても良いかもしれません。

一時の快楽が身を滅ぼす

利益は企業の為ならずの諺(ことわざ)に引き続き、新しい諺を考えました。
一時の快楽が身を滅ぼすです。

身を滅ぼすのは身体そのものを壊してしまうことと、社会的地位を失うことの両方を意味します。

一時の快楽とは様々な誘惑に負けた結果です。

例えば糖質の誘惑に負けて糖質を食べてしまうこともその一つです。一時の快楽とは糖質を食べた瞬間の満足感のことです。一時の快楽に溺れ続けると、依存状態に陥り糖質の自己抑制がきかなくなり食べ過ぎてしまうようになります。そして糖質を食べ続けるこので、肥満2型糖尿病高血圧各種アレルギーなどを引き起こしています。正に一時の快楽が身を滅ぼすのです。

他にもお酒なども一時の快楽が身を滅ぼす一例です。

一時の快楽が社会的地位を失うとは、不倫などは一時の快楽が身を滅ぼす一例といえます。他にもギャンブルで勝った瞬間の一時の快楽が忘れられず、身を滅ぼすこともあります。

冷静に身を滅ぼすほどの価値があるかどうか考えてみてください。

事柄によってはその一時の快楽を求めて、取り返しのつかない結果に結びつくこともあります。

AmazonのKindleストアの凄さ

Kindleストアで1巻無料で販売する理由を書きましたが、私自身はKindleストアに否定的なわけではありません。
何しろ本で買えば定価なのですから、安く買えるだけで充分Kindleストアで購入する価値があります。その上Kindleストアが書籍を管理してくれるのが助かります。何十冊・何百冊もの本を買うと保管する場所にも困りますし、何より本の数が多くなると探し出すのも困ります。
更にKindleストアによる書籍購入が便利なのは、スマホでも読むことができるのでいつでもどこでも読むことができることです。
スマホであれば電車で立っていても読めますし、スマホのアプリの立ち上がりが早いのでエレベーターに乗った数十秒ですら読むことができるのです。
漫画はスマホの画面の大きさでは少し読みにくいかもしれませんが、通常の文字の書籍であれば文字ん大きさも変えることができるのでスマホで読むのに最適です。
私がスマホで読んだ本は

 

 

衝動買いは避けて、欲しい本をKindleで探すとお得なのでお勧めです。

Kindleが1巻無料にする理由

Amazonの電子書籍のサービスであるKindleストアですが、画期的なサービスがあります。
通常の書籍は定価販売することしかできませんが、電子書籍は割引販売することもできるようです。通常の書籍と異なり電子書籍はデジタルでコピーが簡単で、ほとんどが管理費で通信費はかかるかもしれませんが、コピー自体にはお金がかかりません。
そのため大胆な試みが行われています。
Kindleの電子書籍では1巻が無料であったり、期間限定で1巻~3巻まで無料だったりします。無料でなくても9割引きの本もあります。

Amazonも慈善事業で無料にしているわけではありません。
当然目的があります。
一つは顧客サービスだと思いますが、もう一つの目的は続きを見てもらうことです。
いわば1巻丸々立ち読みしてもらって、お金を払ってまで見たいと興味をもってもらった人だけに続きを購入してもらうというビジネスモデルです。
面白いのは期間限定の無料サービスがあったり、電子書籍の値段が変わることです。
今はいらないからもう少し待ってみようと思っていると、値上がりしたりします。
つまり今買わないと損をする仕組みが作られているのです。

これは衝動買いの心理を巧みについた商売です。
ついつい買ってしまう人は衝動買いの心理の話を読んでみられることをお勧めします。
対策は1巻を読み終わってすぐに購入してしまわないことです。
すぐに読みたい心理に陥りますが、そこに罠があります。
1巻を読み終えた直後だと続きが知りたくて、お金を払ってでも買いたいものだと錯覚してしまうのです。お勧めなのは30分程度経ってからお金を払ってでも続きを知りたいかどうかを冷静に考えることです。
ちなみにお店で見かけた商品を衝動買いしそうになったときにもこの作戦は有効です。一度その売り場から立ち去るのです。

Kindleストアの上手な使い方は、まずほしい本を決めることです。
良い本がないかなと思いながら探していると、衝動買いしてしまうからです。
欲しい本が安くなっていれば購入することです。
特に0円になっている場合には購入します。
続きの購入は改めて考えることです。
衝動買いしないためでもありますが、残りの本も値段が上下することも理由の一つです。せっかくなら値段が下がるまで待つつもりでいると、衝動買いしてしまわなくなります。

あくまでも空想に近い予想ですが、もしかしたらAmazonはプライムビデオのように将来書籍も定額読み放題サービスをするつもりなのではないかと思います。
そうなると消費者にとってはありがたいことですが、作者は困る時代になるのかもしれません。