言い訳人間の対処法 出来る言い訳を聞く

言い訳人間は出来ない言い訳を並べます。はっきり言って時間の無駄です。何故なら実際には出来ない理由ではないからです。
出来ない理由ではなく、それらしく聞こえる言い訳だからです。

言い訳人間の対処法は出来る言い訳を聞くことです。
出来ない言い訳は論破されても、他の言い訳を探してくるだけのことです。
だから時間の無駄なのです。
○○という理由でできませんというのは、確かに本当にそういう理由で出来ないのかもしれませんが、言い訳かもしれません。○○という障害がなくなって初めて言い訳か本当の理由かが判明します。とりあえずその場しのぎで○○という理由で出来ないことにするのです。そして○○が取り除かれると出来るのかといえば、出来ないことが前提だから次に△△という理由が出てきて結局できないのです。だからこそ時間の無駄なのです。

対処法として提案する出来る言い訳とは、出来るようになるための理由を聞くことを出来る言い訳を聞くと表現しています。実際には言い訳ではありません。○○が無くなればできますというように、出来るようになることを提案してもらうのです。

出来る言い訳を聞く

ここでの問題は出来るか出来ないかを聞くと、出来ませんと言い訳されるのです。
何故出来ない?と聞くから言い訳が始まります。言い訳人間への対処法は、どうやったら出来るようになるのか?と聞くのです。
出来るか出来ないかの選択肢から、出来ないという選択肢をなくして質問するのです。
これが出来る言い訳を聞くです。
要するにネックは何で、何をクリアすれば出来るようになるのかを答えてもらうのです。
言い訳人間は出来ないことややらないことを前提に、一つのことを言い訳として提案することは得意ですが、出来るようにするには取り除くべき障害を提案することは苦手です。

どうやっても出来ませんと答えるのであれば、ただ単にやる気がないのかやる知恵がないので、他の人に頼むのが得策です。

糖質回避に最適 自宅でチーズフォンデュ

糖質回避に最適メニューがあります。
それはチーズフォンデュです。
お店で食べると高くつきますが、自宅であれば割安なメニューです。
ここで注意点はわざわざチーズフォンデュ用のチーズを購入しないことです。何故なら確かに美味しいのかもしれませんが、割高になってしまうからです。
スーパーで売っているチーズで何種類か試してみることをお勧めします。

Amazonで探すとチーズフォンデュ用の鍋は幾つもありますが、私はニトリで買ったチョコフォンデュ用の鍋が重宝しています。
ニトリのチョコフォンデュ用の鍋は実際にはチーズを溶かすには火力がかなり弱いため30分近くかかります。
前もってスイッチをいれて溶かしておくのも良いですが、時間短縮のために通常のお皿に溶かしたいピザ用のチーズをのせてチーズの2割程度の牛乳を入れ、電子レンジにかけて溶かします。電子レンジの中を見ながらチーズが解けた時点で止めます。その時点でかき混ぜてみてしっかり溶けていればチョコフォンデュのお皿に移します。やわらかいチーズフォンデュをお望みでしたら牛乳となじむまで電子レンジにかけることがおすすめです。牛乳を入れずにチーズだけで温めると焦げ付くのでご注意ください。
私は溶かすのは電子レンジに任せて、保温する目的で使っています。
ちなみにチョコフォンデュをすることもできますが、かなり時間がかかりますのでチョコも電子レンジで溶かして使う方が良いかもしれません。(ちなみに私は糖質回避教を信じていますのでチョコフォンデュはしません。)

ニトリ チョコフォンデュ
ニトリ チョコフォンデュ

ニトリのチョコフォンデュの利点は食材を周囲にのせることができることです。

ニトリ チョコフォンデュセットでチーズフォンデュ
ニトリ チョコフォンデュセットでチーズフォンデュ

その気になりさえすれば、深めのお皿にチーズと牛乳を入れて電子レンジにかければチーズが溶けるので、冷めてチーズが固くなる度に電子レンジをかけるようにすれば特殊なチーズフォンデュの鍋はいりません。最近では電子レンジにかけるだけのチーズフォンデュができるチーズも売っていますので一度お試しされても良いかもしれません。

ここでパンをチーズにつけて食べたいところですが、パンは炭水化物なのでできるだけ野菜やタンパク質豊富な食材でチーズフォンデュを楽しみましょう。
お勧めなのは値段や大きさがお手頃のベビーホタテです。
写真では厚揚げやゆでた豚肉、ベーコンで巻いたなすび、ブロッコリーや肉団子をお皿にのせています。

タンパク質・脂質が中心のチーズを多く食べることができるので、糖質回避には最適です。
お店でチーズフォンデュを食べることを考えれば、チーズフォンデュやチョコフォンデュの鍋を購入しても1回か2回で元が取れると思います。
良かったら一度お試しください。

学校で勉強するのは何のため?目的は?

学校で勉強するのは何のためか考えてみました。
私も子供の頃は勉強していました。
楽しいとは思わなかったので嫌いでしたが、何となく周りの人たちが勉強するので仕方なくしていました。
何故勉強しなければいけないかと聞かれると一言で説明することがこれまではできませんでした。

最近ふと学校で勉強するのは何のためか改めて考えてみました。
それは一言でいえば、頭の使い方を習得するためだと思います。
人は食べるや寝るといった必要最低限の行動は本能的にできますが、頭の使い方はわからないまま生まれてきます。
その頭の使い方を習得するのが勉強です。
人が他の動物と大きく異なるのは言語というコミュニケーションツールを通して、他人と考えていることを伝え合うことができるからです。その言語能力を養うのが国語や英語の言語の授業です。更に人間は文字を扱うことができることで、時間と空間を超えてコミュニケーションすることができるようになりました。そのコミュニケーション能力を養うために国語や英語を学ぶのです。

では算数や数学、社会や理科を学ぶのは何のためでしょうか?
一つは計算や日常現象の理解に役立つのですが、一番の目的は頭の使い方を学ぶことです。もしかしたら教えている学校の先生もこのことを理解していないのかもしれませんが、物事の考え方を知るために学校で勉強するのです。
学校の勉強を理解するということが頭の使い方を習得していることにつながります。
そして頭の使い方の習得度合いを測るのがテストであり、人と比べ評価するのが偏差値です。頭の使い方が上手な人は偏差値が高い傾向があるため、偏差値が高いことが頭の良さと錯覚されています。注意するべきことは学校での勉強というのは頭の使い方のごく一部しか活用していないことです。頭の使い方の習得度の確認手段であるテストで確認しているのは、一つは暗記力であり、一つはテストという暗記したもので作ったパズルのような問題を解く能力です。

現在学校の勉強の目的はテストで良い点を取ることだと誤解されていますが、頭の使い方を習得することを目的としていると考えると物事の理解が異なります。
具体的には社会生活において、自分の頭で物事を考えるようになることです。
例えば原油価格が下がるとどうなるか?新聞やテレビ、インターネットを見ればどうなるのか解説は数多くあると思いますが、自分の頭で考えるようにするのです。原油価格が下がることで原油輸入国の日本は得をすることになるでしょう。身近な例でいえばガソリンを精製して作っているガソリン価格が下がることが考えられます。原油を高コストで掘り出しているアメリカは困るのかもしれません。何故原油価格が下がっているのかを考えることも頭の使い方を鍛えることには役立ちます。学校の勉強をしっかり習得していれば、このようなことを考えていく素養が育つのです。

頭の使い方を学ぶ

学校で勉強する目的は頭の使い方を学ぶため。
頭の使い方の習得度の一つの目安が偏差値であるということです。
ちなみに競争する意味は、能力を最大限引き出すことを目的とします。
競うことで最大限努力するのです。努力させるために点数をつけて、周囲との序列を確認するために偏差値を活用しているのです。
偏差値を取ることを目的にすることに意味はありません。本来の目的は頭の使い方を習得することなのですから。
偏差値が高いことで自分が頭が良いと錯覚している人も多いのは事実ですが、人より少し暗記力が優れていて、人より少し試験問題というパズルを解く能力が高いだけのことです。
社会に出て役に立つかどうかは全く別問題です。(実際には偏差値が高い人は他の能力が高いことも多いので、ある程度の相関はあります)

頭の使い方とは、記憶力や論理的思考能力などが問われていました。
これからは記憶力ということはあまり意味がなくなります。何故なら機械が物事を正確に記録するのに適していますし、検索も容易になったからです。
これからの人間に求められる能力は論理的思考能力です。
先ほどの原油価格が下がればどうなるかを考察できるような能力が求められるのです。

我慢できない子供の心理

我慢できない子供を見かけることがあります。
病気が原因の場合もありますが、特に病気がなくでも我慢ができない子供さんもみかけます。公園で遊んでいて待つことなくいきなり「代わって」と声をかけたり、要求を押し通すためにショッピングモールで泣き叫んだりします。

我慢できない子供の心理を考えてみます。
簡単に言えば、我慢できない子供に親が育てた結果なのです。

我慢できない子供の親は他人事のように、悪びれもせず『この子は我慢ができない』と言ったりします。
自分がそのように育てたなどと夢にも思っていないのです。

我慢できない子供の心理から考えてみます。
これまでの経験で我慢せず駄々をこねていれば、親が仕方がないとして自分の要求を受け入れてくれたのです。どれだけ怒られても駄々をこねて泣き叫んでいれば、最終的に自分の要求を受け入れてくれるのですから、自分の要求を取り下げる気は全くありません。我慢できない子供は我満しないことが得する手段だと知っているから、得するように行動しているだけのことです。

親がこれまでに我慢できないように育てたのです。
子供が駄々をこねれば、子供の言いなりになっていただけのことです。言っても聞かないから仕方がないと考えているのです。
親の立場ではそんなつもりはなくても、子供が駄々をこねて我慢しようとしないのがその証拠です。子供は駄々をこね続ければどうなるかわかっているのです。自分の思い通りになると。

我満できない子供を我慢できるようにするのは簡単です。
我満させなければ良いのです。禅問答みたいですが、全く別の選択肢を用意して提案するのです。ここで大切なことは子供がいくら駄々をこねても、子供の要求は認めないことです。そして議論の余地が全くないことを伝えるのです。
○○をしたいといっても、それは駄目だけでなく、○○はしない。でも△△ならいいよ。というように全く別の選択肢を提案するのです。時と場合によっては○○はしないだけでもいいですが、押し問答になってしまうため△△という選択肢を出す方が早く解決します。
いずれにしてもいくら駄々をこねても実現しないことを宣言してしまうのです。子供の思い通りにはしないと宣言しても、結局かわいそうに思って一度でも実現させてしまえば、子供は成功体験として記憶してしまうので決してしてはいけません。

具体的にはお菓子がほしいとして泣いている子供がいるとします。
お菓子は泣いても買いませんと宣言します。
買うか買わないかで議論をしないのです。
でも本ならいいよ。という選択肢を提案するのです。
お菓子が良いと言えば。
会話は打ち切りです。
じゃあ帰ろう。

一度でも駄々をこねることで思い通りになった子供だけが、成功体験として人前で泣き叫ぶことを繰り返しているだけです。決して初めて泣き叫んでいるわけではないはずです。これまで成功した回数が多ければ多いほど買ってもらえる確信をもって、大きな声で泣き叫んでいるのです。

人前で泣き叫んでいるお子さんを見かけたらこんなことを考えながら見守ってあげてください。

アレルギー検査の目的は医者の売り上げでは?

血液検査で血液中のIgEの値を測定するアレルギー検査という検査があります。
テレビでアレルギーの原因を特定しましたという具合に取り上げるので、症状もないのに検査することが当たり前だと誤解されていることもよくあります。

アレルギー検査してわかることは血液中にアレルギーを起こすかもしれない免疫が存在するということです。IgEの値が高ければ必ずアレルギーを起こすわけではありませんし、逆に値が低ければアレルギーがないと言い切れるわけでもありません。
更にダニ・ホコリやスギ・ヒノキにアレルギーがあることがわかったところで避けることができないのであればどれだけの意味があるのでしょうか?
本来であればそのことまで考えて検査をするはずですが、結果だけ伝えて解釈の仕方・対処法を伝えない医者が多いようです。

検査で何かわかったら対策があるのですか?と質問してみましょう。
対策がないのにただ検査をするのは、探求心を満たすという意味以外は、医者の売り上げを上げる意味しかありません。
検査でわかったことで何か変わるのであれば意味があります。
例えばエビ・カニなどを食べると蕁麻疹が出る気がするが、本当だろうか?とか、リンゴや桃などを食べると症状があるため口腔アレルギー症候群が疑われるが、他の食べ物は大丈夫だろうか?という場合には結果により食べるのを避けることができるので意味があります。

対策がないのであれば知らぬが仏という諺通り、検査しないのが一番だと私は思います。

患者さんとしてアレルギーの検査を提案された場合、対策があるかどうかをまず聞いた上で検査するかどうかを考えましょう。

アレルギー検査をしているお医者さんがこれを見られた場合、アレルギー検査する意味を考えてみてださい。
対策のない検査するより、アレルギーが治る糖質回避を勧める方が誠実だと思います。

御飯を毎日食べても飽きない理由

人間には同じことを繰り返すと物事に飽きる仕組みが備わっています。飽きる仕組みの目的は様々な経験をすることです。食べ物において飽きるのは多品種食べることで本能的にリスク分散をはかるのだと思います。栄養補給だけでなく、毒物を食べてしまうリスクを分散するのです。しかし御飯は毎日3食食べても飽きないのは何故でしょうか?不思議といえば不思議です。飽きるほどの強い味がないからと説明する人もいますが理由は違います。
糖質依存状態に陥ることで更なる御飯を求めるようになるのです。飽きる仕組みよりも依存の快楽の刺激の方が強いため飽きることが出来ないのです。
そのためご飯は飽きるどころか毎日食べるように文字通り病みつきになるのです。
依存の証拠は禁断症状を見つけることで簡単に証明できます。禁断症状とは強い空腹感です。お腹がすいた状態で我慢しているとピークを越えたように空腹感をあまり感じなくなります。これこそが禁断症状の証拠です。何故なら禁断症状でなければ、排尿を我慢しているときのように排尿しない限り排尿感がなくならないのと同じように、何かを食べないと空腹感がやわらぐことの説明がつきません。むしろ糖質を少し食べると余計お腹がすくという不思議な現象まで起こるほどです。これも糖質依存の一症状のようです。

依存の仕組みを知った上で、肥満やアレルギーなどの御飯に対する依存症(糖質の食べ過ぎによる様々な病気は糖質依存症だと私は考えています。)があるのであれば御飯を避けるのが一番です。

理にかなった離乳食スプーン

赤ちゃんに離乳食をあげるスプーンはいくつか種類がありますが、このスプーンが非常に理にかなっています。
何故ならスプーンに食べ物が半分しか乗らない構造で、離乳食を赤ちゃんの口の中に置きにいくようなイメージで食べさせてあげることができるからです。

離乳食セットとして飲み口のついたものが以下のセットです。

セットでなくても、スプーンだけでもあると便利です。
ちょっとした違いですが、普通のスプーンと比べるとかなり便利です。

意外な依存症産業(タバコ、ギャンブル以外)

様々なものに依存症が存在します。
わかりやすいのはタバコです。
タバコを吸ったことのない大人や子供が常識的に考えれば、煙をお金を出してまで吸うなんて理解しがたい行動です。どうしてもやめられないのはタバコの煙の中のニコチンに対する依存が原因です。ニコチンが身体の中に入ると脳内のニコチンレセプターにニコチンが働き、ドーパミンが放出されます。このドーパミンに対する快楽が依存を誘発します。つまりタバコ産業は典型的な依存症産業といえると思います。
他にもわかりやすいのがパチンコや競艇や競輪などのギャンブルです。適度に娯楽として楽しむ程度であれば人生を豊かにしてくれるのかもしれませんが、過度にのめり込んでしまうと自分では歯止めがかからず、借金をしてまでお金を使ってしまう人も大勢います。生活に支障を来す程のめり込んでしまうとギャンブル依存とされます。そしてギャンブル依存の方々が多額のお金を消費することで業界を支えています。

他にもわかりやすいのはお酒です。お酒も適度に楽しむ範囲では手軽な娯楽ですが、自分でコントロール出来ないほど飲んでしまうと立派な依存症です。

お酒もある種依存性があり、仕事もせずに昼間から飲んでしまう程でなくても、お酒を飲むために夜が待ち遠しい程度なら多くの人に当てはまるようです。

ここまでは皆さんの予想通りだと思いますが、意外な依存症産業があります。少なくとも私は依存症にはまっていました。

意外な依存症産業とは、糖質依存糖分依存です。糖質依存は血糖値が下がると強烈にお腹がすくという禁断症状が特徴です。糖質を少しだけ食べると余計お腹がすくという不思議な現象も起こります。糖分依存とは甘いものに対する依存で、甘みという快楽に対する依存です。糖質依存と糖分依存と両方に依存していることもあります。甘みを求めるかどうかで区別がつきます。

糖質依存と糖分依存による依存症産業とは、多岐に渡ります。糖質依存症産業は主食を扱う業種全てです。具体的には牛丼やハンバーガーなどの多くのファーストフード、定食屋をはじめとした多くの外食産業が糖質依存症産業です。糖分依存とは甘みを扱う業種全てを表します。具体的にはドーナツ屋さんやケーキ屋さんなどのデザートやお菓子などの甘みを伴う業種全てが糖分依存症産業に含まれます。

糖質依存症産業・糖分依存症産業の中で私が考える最も繁栄している業種はコンビニだと思います。ご飯がメインのお弁当が主力商品ですし、甘みであるデザートも品揃え豊富です。いずれも賞味期限が短いために頻回にコンビニを訪れることにつながるため、コンビニの業績に多大な貢献をしています。さらに依存度を高めるために、最近では甘み依存を誘発するドーナツの販売に力を入れています。

他の娯楽が増えたことでギャンブル依存から抜け出す人が増えたことと同じように、もしかしたら新たな価値観が生まれることにより、糖質依存や糖分依存から抜け出す人が増えるかもしれません。もし糖質依存や糖分依存に日本人の多くが気付いて抜け出すことが出来れば、コンビニの業績は一気に悪化してしまうかもしれません。現時点ではそのような事態になる可能性は限りなくゼロに近いとは思いますが。

他にも依存症産業はあると思いますので良かったら探してみてください。

死を覚悟した際に走馬灯のように過去のことが巡る理由

死を覚悟すると過去の記憶が走馬灯のように巡ると言われています。
その理由を考えてみます。

死を覚悟するほどの経験をして生き残った方が言われる話です。
亡くなった方は証言できませんので、生き残ることができた方が言われることです。
その理由を考えてみます。

このことは人の記憶のメカニズムに起因します。
通常の頭の使い方では、過去の記憶のアクセスを制限する仕組みが備わっています。何故なら全ての記憶・情報にアクセス出来てしまうと、情報量が多すぎて処理しきれないからです。つまりお目当ての記憶が探せないことを避けるため、記憶へのアクセスが制限されているのです。いわば脳のリミッターがあるような状態です。もしかしたら全ての情報にアクセスすることができると脳がオーバーワークになるため、それを避けるためのリミッターでもあるのかもしれません。記憶へのアクセスの制限がわかる一例が、テストの際に覚えているのに思い出せないというもどかしい経験です。ちなみにテストで思い出せないのは情報が整理されていないため一度にいくつもの記憶が一度に出てこようとして干渉してしまい、テストで出題されたキーワードでは記憶が取り出せないのです。対策は似たような記憶を整理して記憶することです。

話が少しそれましたが、要点は通常の頭の使い方では全ての記憶にはアクセスできないようになっています。
死に直面した瞬間、生き残る術を必死で探すようにできているようです。
少しでも生き残る可能性を探すのです。
脳のリミッターが解除されるので、すべての記憶に一気にアクセスすることができます。死んでしまっては元も子もありませんので、脳のオーバーワークを避けるために制限している余裕はないのです。
死に直面した状況で、生き残るために役立つ情報を探すため、脳内に残っているすべての記憶に一気にアクセスするのです。これまでの経験の中からこの状況で少しでも生き残る可能性の高まる方法を探すのです。

幸いにして生き残ることができた場合、これまでにない経験の記憶へのアクセスを思い出す際に、走馬灯のように様々な記憶が沸き起こったように感じるのではないかと思います。
実は一気に情報にアクセスしてしまうのですが、脳が処理しきれないので少しずつ思い出したと錯覚してしまうのだと思います。

死を覚悟した瞬間時間が伸びた感覚になるのも、これまでにない脳の処理が原因だと思います。大量の情報を一気に処理するから、ゆっくりに感じるのだと思います。
落下実験で処理能力は変わらないという実験をみたことがありますが、下にネットが張ってある安全な実験のため、死ぬ!と思わなかったことが実験結果に影響があったのだと私は思います。

診察時間の長い医師と短い医師の違い

総合病院の医師も開業医の医師にも診察時間の長い医師と短い医師の2種類がいます。
今回はその違いを書いてみます。

一般的には診察時間が長い医師が信頼され、短い医師は待ち時間だけ長くて診察時間は短いとして非難される傾向にあります。しかし診察時間が長い理由によっては信頼できませんし、診察時間が短い理由によっては短い方が良いと考える患者さんもおられることでしょう。

診察時間が長い理由は説明が丁寧なのかもしれませんが、他にも診察時間が長くなる理由いくつかあります。
診察時間は診断する時間と説明する時間にわかれます。
診断する時間がかかるのは判断する基準がよくわかっていないまま診察しているからかもしれません。確かに滅多にない病気かもしれない場合など判断に迷う場合はありますが、多くの患者さんの診断で迷っている先生がいるのも事実です。恐らく医師自身に診断に関する基準が理解できていないのではないかと思います。その場合診断する時間がかかるのは医師が迷っている時間です。
説明する時間が長くなるのは説明が的確ではないため説明を聞いても患者さんの疑問が解消されず、説明する端から新たな質問が沸き起こり延々と疑問が解消されないため診察時間が長くなってしまうのです。あらかじめよくある質問を簡潔に説明するという配慮もしないことが多いため、診察時間が長くなってしまいます。
延々不安を聞いて解消してあげようとされる医師もおられますが、実は不安というのは何らかの目的をもって生み出すものです。治療をしたくないや医師と話をするという目的のために無意識のうちに不安を生み出しているのです。(参考:アルフレッドアドラー 人生に革命が起きる100の言葉)。不安をどのように扱うかは患者さんの問題なので、医師がその不安を背負って対応することで診察時間が長くなるのはお互いのためにならないと思います。

診察時間が短い理由は、診断時間が短く迷いがないのかもしれません。説明に関しては、要点をまとめて簡潔に伝えることができるからかもしれませんが、患者さんの質問を受け付けないから診察が早いのかもしれません。
診断時間が短いのはいい加減で速いのか、経験により診断が早いのかはわかりません。
しかし診察時間の短い医師の話がわかりやすいかわかりにくいかで、どちらのタイプかわけることができます。短い時間で患者さんからよくある質問の内容を織り込んで説明していくため、患者さんにとってはわかりやすく感じます。短い時間で切り上げようとする医師は患者さんがわからないことでもお構いなしで説明を続けます。その場合説明をして一方的に説明をして診察を打ち切るような説明をします。

診察時間が長くても短くても医師の説明がよくわからない場合は別の病院を受診してみるのが良いのかもしれません。