見知らぬ番号からの電話の対処法

見知らぬ番号から電話がありました。
見覚えのない050-5577-…という番号でした。
折り返し電話するのも気がひけるのですが、相手が気になります。
何か情報が無いかと電話番号をネット検索をしようとしたら050-5くらいまで入力すると検索予測で電話番号が出ました。
口コミ情報が掲載されていました。
勧誘の営業電話でした。

便利な世の中になりましたね。
見知らぬ番号からの電話は、折り返し電話せずまずはネット検索して情報を集めてみましょう。

相手がわかれば着信拒否も出来ますしね
ご参考まで

何でも口にする赤ちゃんの心理

何でも口にする赤ちゃんに心理を聞いて確認した訳ではありませんので、一つの仮説だと思ってください。

赤ちゃんはみんな何でも口にすると思いがちですが、何でも口にする赤ちゃんとそれ程口にしない赤ちゃんがいるようです。その違いから赤ちゃんの心理を考えてみました。

何でも口にする赤ちゃんはお腹が空いているようです。お腹が空いていることをわかってもらえないため、食べられる物がないか口にするようです。食べ物を求めて何でも口にしているだけのことかもしれません。

こんなことを書くと否定したくなる人もいるかもしれません。食事をしたすぐ後でも何でも口にするからお腹が空いているとは考えられないと。

赤ちゃんの食べる量が親の常識の範囲をこえてしまっているのかもしれません。十分な量を食べさせたつもりでも、赤ちゃんにとっては足らないのかもしれません。そのことを伝えることが目的な訳では無いとは思いますが、まだお腹が空いているので何でも口にするのです。食べ物が手に届く範囲に無いので、口に運べるものを食べることが出来るかどうか口にしているだけのようです。食べて美味しいかどうか確認しているのです。

赤ちゃんが何でも口にする場合、食べ物を口に運んでみてあげてください。まだ食べると思います。食べさせ過ぎを心配する方もおられますが、赤ちゃんにも大人と同じように満腹センサーがあるので食べ過ぎることは少ないはずです。食べ過ぎて嘔吐するのであれば加減するようにしましょう。嘔吐しなければ食べ過ぎでは無いと私は思います。

何でも口にするのは赤ちゃんなりのボディランゲージなのではないかと思います。何でも口にする赤ちゃんはまだお腹が空いているという考え方をお試しください。

この仮説が証明されれば、何でも口にするというのは食べさせ方が少ない証で、恥ずかしくて人に言えないという時代がやってくるかもしれません。

豆腐ハンバーグときんぴらの和風サラダ

コンビニで食べ物を買うと糖質回避が難しいとの話を聞きます。

そこでコンビニで糖質回避メニューを探してみました。お店で売っている物は、どうしても味付けには砂糖、増粘剤としてデンプンが使用されているので糖質をゼロにすることは非常に困難です。糖質を限りなくゼロにするという考え方より、とりあえず主食を避けるという考え方で良いと私は思います。

豆腐ハンバーグときんぴらの和風サラダ 398円
セブンイレブンの糖質回避メニュー
豆腐ハンバーグときんぴらの和風サラダ 398円

パスタなどと変わらない値段なのですが、糖質回避をするためには一つの選択肢だと思います。良かったらお試しください。

 

都知事の時間稼ぎの目的

話題の都知事が開き直っています。その目的ですが、もしかしたら5/31のボーナスをもらうことでは無いかと思います。その後辞任して追求をかわすことが目的では無いかという仮説を考えました。

もしくは辞任しなければ辞めさせられる法的根拠の確認のため、第三者である弁護士に聞いてみたのでは無いでしょうか?参議院議員選挙の影響でしばらくリコールが出来ないことを知ったので、何を言っても辞めさせられることがないため、開き直ったのかもしれません。

都民ではない私には関係は無いのですが、良く目にするので書いてみました。

ちなみに私が記者なら「自分のお金の使い方は第三者に見てもらわないとわからないようなので、都政も第三者にみてもらったらどうですか?」と質問します。決まり文句の「第三者の厳正な目で見てもらいます」と発言すれば、都政を第三者にみてもらうとは辞任を意味します。第三者の厳正な目という言い訳封じで面白い質問の仕方だと思います。

しつけと虐待の違い

しつけと称して虐待しているように見える親をたまに見かけます。

現在のところしつけと虐待の境界は曖昧な部分もあり、明確に区別出来ないことが問題です。そのため他人が介入しにくい側面があります。

私はしつけと称して手を挙げる必要は無いと思います。怒る必要などありません。そもそも子供は知らないから、してはいけない行動がわからないだけなのです。

私はしつけと虐待の違いは本質的には無いと思います。子供に危害を加えるのは全て虐待だと思います。しつけと言い訳した虐待では無いでしょうか?。そもそもしつけとは、親の一方的な言い分です。子供の立場からすれば、知らないだけで怒られても困るというものです。

賛同はなかなか得られないと思いますが、子供に怒ることすら虐待だと私は思います。何故なら子供を怒る必要など無いからです。子供はまだ大人にとっての常識を知らないだけなのです。親が怒っていること、腹を立てていることをまだ知らないだけなのです。それを怒られても困るだけなのです。しかも怒られているから、どうして良いかわからないと聞くことが出来ないのです。

このように書くと、以前にも言ったことを出来なかったら子供に怒っても仕方が無いでしょうと言われる方もおられます。何度言っても言うことを聞かないから、しつけをしても仕方がないと考える人もいるのかもしれません。言ってもわからないと考えているのは親の勝手な理屈です。親は言ったつもりだけど理解しているのか確認はしたのでしょうか?その確認も「わかった?」だけでは茶番劇です。何故なら怒られて怖いので「わからない」とは言えないからです。「わかった」としか言えない聞き方は確認とは「何故いけないかわかる?」と聞けば確認出来るのかもしれません。確認の仕方も工夫次第です。

何度言ってもわからないのは、何度言っても伝えることが出来ていないのです。誰に問題があるのでしょうか?理解出来ない子供でしょうか?説明が不十分な親でしょうか?当然わからせるべき親の問題でしょう。親が自分の説明の仕方の問題で子供が理解出来ていないことにも関わらず、子供を責めるのはおかしな話です。子供にはどうすることもできません。だからしつけと称して虐待していると私は考えるのです。

しつけと称して虐待しないために

子供を怒らないことです。怒る必要のない子育ての提案です。日頃から怒る必要が無いことを理解していれば、間違っても虐待などすることは無いからです。

子供に腹が立っても、一呼吸おいて考えてみるのです。子供は何故腹が立つような行動をしてしまうのだろう。何をまだ知らないからそのような行動が取れるのだろう?と考えてみるのです。子供はまだ知らないだけなのです。そのことを教えるのは怒ろうとしている貴方のはずです。自分が教えていないことで相手を怒るなんて、罠を仕掛けて罠にはまった相手を罵るようなものです。子供にそんな嫌な思いをさせてはいけません。

例えば片付けをしなければどうなるのか教えてあげれば良いのです。探し物がなかなか見つからないことを実際にわからせてあげれば良いのです。

怒るから怒られないことが目的になり、嘘をつくようになるのです。目的を理解させていないから誤魔化すようになるのです。

そろそろ社会全体で怒る必要のない子育てを取り入れるべき時がきたのではないかと思います。

情報の取り扱い方

以前は情報を集める前にするべきこととして書いてみましたが、今回は情報の取り扱い方について考えてみます。

情報の取り扱い方は情報を集める前に考えるべきことです。多くの場合、取り扱い方を考えることなく情報を集めてしまうので、情報に振り回されてしまうのです。情報の取り扱い方とは判断の基準を前もって考えるあるいは確認することです。

例えば血液検査は検査をする前に、結果により何がわかるのかを考えてから検査をする必要があるのです。私が耳にするのは、結果が出たけれど取り扱い方がわからなくて困っているという声です。特にアレルギーの検査で良く聞きます。本来なら検査をした医者が取り扱い方をキチンと説明するべきことです。その検査結果を判断するお金をもらっているのですから説明して当然です。しかし検査結果を渡すだけで解釈の仕方を説明していないのです。そして検査を受ける患者さんも、検査結果という情報を得ることで、結果次第でどのように取り扱うべきかを前もって知る方が良いと思います。避けることの難しいアレルギーであれば、検査をして結果がわかっても行動は変わりません。スギの花粉に対するアレルギーだとわかることで、行動が変わらなければ意味がありません。知的好奇心と医者の財布が満たされるだけのことです。スギ花粉のアレルギー検査で意味があるのは、結果によりスギの花粉を避けるために引っ越すか減感作療法を行うなどの対策を取るかどうかの判断をする場合です。引っ越しや減感作療法の判断以外では役に立ちません。行動に結びつかない情報に意味はありません。つまり検査を受ける意味はありません。スギの花粉症があるから気をつけましょうというだけです。スギの花粉が飛ぶ時期に症状があれば気をつけることと何か行動が変わるのかを考えてみてください。恐らく大して変わらないでしょう。血液検査結果で明らかなら、スギの花粉予報で対策することに自信が持てる程度でしょう。これはわざわざ検査をしなくても、スギの花粉予報と自分の症状の相関を自分で見極めればわかることです。ちなみに糖質回避をすれば血液検査などしなくてもスギの花粉症は治るので、そもそも治す手助けにならない検査の意味はありません。

他の例えでは、経営判断の際集まった情報から取り扱い方を検討することもあるようです。情報の取り扱い方に躊躇いがあり経営が右往左往することもあるようです。私なら情報を集める前に、情報の取り扱い方を具体的に決めてから情報を集めます。ワンマン社長の決断が早くブレが無いのは、こと情報の取り扱い方を理解して行動しているからです。必要な情報だけを集めて無駄な情報には見向きもしないので素早く決断できるのです。しかしワンマン社長が後継者に悩むことが多いのは、こよ経営判断を上手く他人に伝えることが出来ないのです。判断のプロセスが明確にあるのですが、他人に判断のプロセスを説明出来る程には自分自身理解しきれてはいないため後継者に上手く伝えることが出来ず一代で終わることが多いのです。経営を話し合いで決める場合、情報の取り扱い方を吟味しないまま情報を集めるため、無駄な情報も混在した状態となります。集まった情報から取り扱い方を検討するので、無駄な情報と有益な情報の混在が議論を複雑にしてしまいます。議論が無駄な情報と有益な情報の吟味から始まり、無駄な情報を有益だと考える経営陣がいると議論は迷走し、永遠に正解にはたどり着けなくなってしまいます。もしかしたら日本の会社の低迷の原因の一つは情報を集めてから取り扱い方を考えているからかもしれません。逆に経営が好調な会社は情報の取り扱い方を先に決めてから情報を集めているから、経営に無駄がないのかもしれません。

情報は取り扱い方をまず明文化出来る程考えてから、集めるようにしましょう。取り扱い方を明文化出来ないまま情報を集めると、情報の解釈の仕方がわからず混乱する元になるからです。情報の取り扱い方がわからなければ、知らない方がましなのかもしれません。知らぬが仏という考え方です。

自然淘汰と資本主義

人類は数十億年の生物の進化の歴史の集大成のような存在だと思います。

自然淘汰

様々な生物が生まれ、子孫を残すうちに誰が意図した訳でもなく偶然の積み重ねで多様性が生じました。その多様性が自然淘汰という仕組みで選別され、何らかの優れた点のあるもののみが次の世代に子孫を残すことが出来ました。ある生物が出現することで一つの種が食べ尽くされてしまうこともありました。人間が食べ尽くして絶滅してしまった種も何種類かあります。ある島にたどり着いた動物が元々島にいた動物を食べ尽くしてしまうことは十分あり得ることです。動物は遠慮なく食べるので、自然の成り行きです。こうして様々な生物が現在生き残っています。数十億年もの長い長い年月を積み重ねた結果、生き残る上で何らかの優れた能力のおかげで生き残ることが出来ているのです。優れたものだけが子孫を残し、優れている度合いによりその数を増やすことが出来ました。優れたものだけが生き残る仕組みが自然淘汰と呼ばれるものです。これを進化として捉えていますが、生物が意図して進化した訳ではありません。偶然優れた生物だけが生き残ることが出来たのです。人間は知恵により他の動物とは比較にならない程繁栄しています。意図して自分達に住みよい環境を作り出すという点で、進化しているということが出来るのかもしれません。

過去にどれだけ繁栄していたとしても、環境の変化に適応出来なければ淘汰されるのです。恐竜が滅んでしまったように、過去にどれだけ繁栄したかは現在関係ありません。一度滅んでしまうと、環境が元に戻っても恐竜が復活することは出来ないのです。環境の変化に文句を言っても仕方がありません。何故なら環境を自分達の都合良く変えることは出来ないからです。

資本主義

資本主義は今の所最も優れた考え方です。様々な商品が生み出され、市場に受け入れられなければ淘汰されていきます。他の商品より優れていれば広まり、他の商品より劣っていれば売れないので誰も作らなくなります。お金を指標にして優れているか劣っているかが比べられ、優れているものだけが生き残る市場という淘汰の仕組みによってふるいにかけられています。

一部の経営者が勘違いしているのはこの点です。生き残ることが大切なのであって、生み出すことが大切な訳ではありません。市場で生き残ることの出来る物でなければ自己満足でしかないのです。勘違いを表す言葉に「良い物を作れば売れる」という表現があります。良い物を作っても売れるとは限りません。何故なら誰にとって良い物をかという視点が抜け落ちていることが多いからです。作り手側にとっての良い物であっても使い手側にその価値が見出せなければ何の意味もありません。ましてやその見出せない価値の分値段が高ければ売れる訳が無いのです。市販する商品には「良い物を作れば売れる」という考え方は不向きです。

「良い物を作れば売れる」という考え方は美術品などの一品物の考え方には当てはまるのかもしれません。美術品は使い手の自己満足を追求したものを市場価格で買う物だからです。

「売れる物が良い物だ」という考え方が資本主義を正しく理解した考え方だと思います。何故なら資本主義では売れる物だけが生き残ることが出来るからです。資本主義では生き残ることが大切であり、自分達がいくら良い物を作ったとしても売れなければ売り続けることは出来ないのです。

資本主義と自然淘汰

人間には資本主義の考え方が理にかなっています。何故なら資本主義は自然淘汰の仕組みに似ているからです。数十億年の自然淘汰を生き残ることが出来たのは、優れたものだけが生き残る仕組みだったからです。頑張ったものだけが生き残る仕組みである資本主義が重なるのです。

資本主義では法に触れない限りどんな商品でも売り出すことが出来ます。一般的な常識からは売れるはずが無さそうな商品でも長く生き残ることがありますし、売れそうに見えてもいつの間にか消えてしまう商品があります。ちょうど様々な生物の多様性の中から自然淘汰されるように、商品が市場で淘汰されるのです。自然の生物とは異なるのは、最初から売れそうな物を作るという人間の知恵が淘汰を早めているという点です。自然界の自然淘汰では途方も無い時間を要して選別される優位性が、数年で市場で判別されるということです。その期間が非常に短くなっています。以前であれば数年の年月をかけて淘汰されていた事柄が一年から二年、早ければ数ヶ月で淘汰されてしまう程シビアな環境になってきつつあります。このことに気付いていない人達はこれから非常に苦労してしまうことでしょう。

特に危ない考え方は、利益が出ているから良いという考え方です。問題が指摘されても利益が出ているから、問題には取り組まないという考え方です。例えば自動車会社の燃費不正などもそうですし、伸び悩んでいる企業も突き詰めると利益が出ているから問題はあっても取り組まないようです。気付いた時には手遅れということが無いように、淘汰されない方法を利益が出ていても絶えず探すべきだと思います。目的は環境が変わっても生き残ることです。そのような視点で物事を考える経営者が増えるといいですね。

ステロイドが危険だと主張する人の心理

ステロイドが危険だと主張する人がいますが、2種類の心理が潜んでいます。

一つは良くわからないけれどステロイドが危険だと信じている人です。良くわからないけれど信じているという点で宗教を信じているようなものです。ステロイドに対する不安が高じて不安神経症に陥ると、自分では抜け出せなくなってしまいます。良くわからないけれどステロイドが不安で仕方なく、怖くて絶対にステロイドは使えないと考えてしまいます。宗教に妄信していることに似ています。

もう一つはステロイドの危険というのは口実で、他の目的を達成するための手段としてステロイドの危険を主張するのです。つまり大した危険は無いことはわかっていても、ステロイドの危険を主張することで何らかの利益を得ようとしている人達がいるのです。宗教での布教活動のようです。布教活動の妨げになるので、病院への受診をしないように仕向けるのが特徴です。

ステロイドの危険性は冷静な判断力があれば簡単に理解出来ます。使い方とステロイドの副作用の起こる確率、得られる効果のバランスを考えると怖くは無いはずです。冷静な判断力を奪うのも宗教の勧誘に似ていると私は思います。

ただ私は何を信じても自由だと思うので、ステロイドが危険だと信じている人の考え方を否定したりはしません。ただ冷静な判断をした方がお得なことを伝えるだけです。ステロイドの本当の姿を受け入れるか受け入れないかはその人の問題なので、私がとやかく言う問題ではありません。課題の分離という考え方です。

ただステロイドが危険だと主張する人の中には、自分の利益のために主張しているだけの人がいることを知っておいて欲しいと思います。医者の中にも自分の利益のためにステロイドが危険だと主張している者もいます。

ちなみにステロイドが必要な疾患の多くは糖質を控えることで大部分が改善しそうです。ステロイドが怖くて仕方ないなら、糖質を控えることをお勧めします。ステロイドを避けるより余程副作用は少ないと思います。ご参考まで。

糖質回避から肉食回避の結果

尿酸値が下がるかもしれないという仮説を考え、思い立って肉食回避をしてみました。厳密にしてみようと考えて卵やチーズなどの動物性たんぱく質を控えてみました。
結果は一週間で尿酸値8.4が9.9まで上がりました。動物性たんぱく質ではなくて、やはりプリン体が原因のようです。
プリン体は食事をしている限りゼロには出来ないのだ、現在はプリン体を減らす食事に切り替えて食べるようにしています。

肉食回避でわかったことがあります。コレステロールの値がいつも高いままでしたが、肉食回避で総コレステロール値が297から201へと正常化しました。卵やチーズも含めて動物性たんぱく質を控えるとコレステロールの値は簡単に下げるこもが出来そうです。(そもそもコレステロールの値は下げる必要は無いという考え方もあり、私もコレステロールの値は余り気にする必要は無いと考えています)

肉食回避でわかったことは、尿酸値ではなく総コレステロール値を下げる目的で行うと良いと思います。総コレステロール値が高くて気になる方は試しに健康診断前の一・二週間卵や牛乳なども含めて肉食を控えると良いかもしれません。残念ながら尿酸値は肉食回避では下がらないことが分かりました。

ちなみに糖質回避と肉食回避を同時に厳密にするすと食べる物に困るので、糖質は多少食べるようにしていました。プリン体をかなり減らす食事に切り替えてからは、糖質は食べ過ぎない範囲で食べるようにしています。

プリン体を減らす食事で尿酸値が下がるならば、薬は要らないのかもしれません。もう少し試してみます。

例え話 銃と機関銃について

例え話を考えてみます。想像してみてください。かつて誰も銃を見たことも聞いたこともない時代、銃を作り出し自分だけが持っている場面を。もしくは誰も見たことも聞いたこともない機関銃を開発して、自分だけが持っている場面を想像してみてください。銃が発明される以前の戦場にタイムスリップするようなイメージです。

手に剣や刀を持ち立ち向かってくる相手に、機関銃を携えて死ぬと脅す場合を想像してみてください。いくら機関銃の凄さを説明したところで、想像すら出来ない兵器なので、信じることも理解することも出来ず負けを認めることはないでしょう。実際に撃たれてみないとその威力が分からないのです。

手に剣や刀を持って戦う相手が、勝てないとわかっていても自分の体を武器に突撃する兵士だとしたら機関銃をもっている側の人間はどのように考えるでしょうか?勝てないとわかっていても全員が命を賭して死ぬまで立ち向かってくるとすれば、理解が出来ず恐怖を感じるのではないでしょうか?普通の人なら死を恐れずに戦う兵士に、恐怖を抱くのではないでしょうか?

いくら機関銃の威力を伝えても、死ぬことを恐れていない人達には通じません。既に死を覚悟して戦っているのです。死を恐れず戦う兵士に恐怖を抱き、一方的な殺戮となる機関銃を使うしかないのではないでしょうか?

何を例えているかと言えば第二次大戦の日本とアメリカ、そして原爆です。合理的な考え方をするアメリカ人から見ると勝てないとわかっていても負けを認めない日本人は全く理解不能でした。その上で神風や回天で特攻してくる日本人に恐怖を抱きました。その恐怖から脱するために原爆を使わざるを得なかったと思います。その威力を見せつけるしかなかったのです。上の例えで機関銃を使うしかないように。

それまでの常識をはるかにこえる兵器は、想像すらつきません。聞いた話では、広島の町が一発の爆弾で壊滅したことを知った人が、少し離れた呉市の人に伝えても嘘つき扱いされてしまったそうです。

私達は原爆の威力と恐ろしさを知っています。だから使わなくて済む方法を探します。しかし当時の日本もアメリカも原爆を使わなくて済む知恵を持っていなかったのです。広島、長崎の原爆の悲惨さから、2度と使ってはいけない兵器であることがはっきりしました。その結果人類は71年間原爆を使わなくて済む知恵を蓄積してきました。幸い71年間にわたり日本以外で使われることはありませんでした。

アメリカ大統領は広島、長崎は悲劇の地から新しいモラルの発信地となることを宣言しました。原爆がいけないのではありません。原爆が使われることがいけないのです。上記の例えで兵器の威力が相手に分からない場合には、抑止力としての意味はありません。

争いそのものを避ける知恵が人類に身につくといいですね。敵だと思うから争い奪い合うのです。人類は地球に生まれた仲間だと思えば、分け合うことができるのではないかと思います。そのルールがうまく作れる知恵が見つかると良いですね。