例え話 銃と機関銃について

例え話を考えてみます。想像してみてください。かつて誰も銃を見たことも聞いたこともない時代、銃を作り出し自分だけが持っている場面を。もしくは誰も見たことも聞いたこともない機関銃を開発して、自分だけが持っている場面を想像してみてください。銃が発明される以前の戦場にタイムスリップするようなイメージです。

手に剣や刀を持ち立ち向かってくる相手に、機関銃を携えて死ぬと脅す場合を想像してみてください。いくら機関銃の凄さを説明したところで、想像すら出来ない兵器なので、信じることも理解することも出来ず負けを認めることはないでしょう。実際に撃たれてみないとその威力が分からないのです。

手に剣や刀を持って戦う相手が、勝てないとわかっていても自分の体を武器に突撃する兵士だとしたら機関銃をもっている側の人間はどのように考えるでしょうか?勝てないとわかっていても全員が命を賭して死ぬまで立ち向かってくるとすれば、理解が出来ず恐怖を感じるのではないでしょうか?普通の人なら死を恐れずに戦う兵士に、恐怖を抱くのではないでしょうか?

いくら機関銃の威力を伝えても、死ぬことを恐れていない人達には通じません。既に死を覚悟して戦っているのです。死を恐れず戦う兵士に恐怖を抱き、一方的な殺戮となる機関銃を使うしかないのではないでしょうか?

何を例えているかと言えば第二次大戦の日本とアメリカ、そして原爆です。合理的な考え方をするアメリカ人から見ると勝てないとわかっていても負けを認めない日本人は全く理解不能でした。その上で神風や回天で特攻してくる日本人に恐怖を抱きました。その恐怖から脱するために原爆を使わざるを得なかったと思います。その威力を見せつけるしかなかったのです。上の例えで機関銃を使うしかないように。

それまでの常識をはるかにこえる兵器は、想像すらつきません。聞いた話では、広島の町が一発の爆弾で壊滅したことを知った人が、少し離れた呉市の人に伝えても嘘つき扱いされてしまったそうです。

私達は原爆の威力と恐ろしさを知っています。だから使わなくて済む方法を探します。しかし当時の日本もアメリカも原爆を使わなくて済む知恵を持っていなかったのです。広島、長崎の原爆の悲惨さから、2度と使ってはいけない兵器であることがはっきりしました。その結果人類は71年間原爆を使わなくて済む知恵を蓄積してきました。幸い71年間にわたり日本以外で使われることはありませんでした。

アメリカ大統領は広島、長崎は悲劇の地から新しいモラルの発信地となることを宣言しました。原爆がいけないのではありません。原爆が使われることがいけないのです。上記の例えで兵器の威力が相手に分からない場合には、抑止力としての意味はありません。

争いそのものを避ける知恵が人類に身につくといいですね。敵だと思うから争い奪い合うのです。人類は地球に生まれた仲間だと思えば、分け合うことができるのではないかと思います。そのルールがうまく作れる知恵が見つかると良いですね。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。