都知事と都民のすれ違い

私は都民ではありませんが、余りにもテレビやネットを賑わせているのでふと思ったことを書き留めておきます。以前には第三者という言い訳という書き込みをしました。要点はお得意の第三者という言葉を使って、「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」と質問することをお勧めしています。

今回は都知事と都民のすれ違いを考えてみました。都知事はやめないことが前提でやめなくて済む方法を模索しています。時間稼ぎしながらやめなくて済む方法を必死で探しています。当初ボーナスをもらうまでの時間稼ぎだと思っていましたが、どうやら何があっても何を言われてもやめないことを決めているようです。だから何を言っても馬耳東風です。

第三者にみてもらった違法性は、虚偽や架空のものがなかった、詐欺には当たらないことを確認したようです。これを胸を張って主張出来るのですから、最も「政治家」にむいている人なのかもしれません。

都知事はやめないことを決めて、やめなくて済む情報を集めています。

都民は出てきた事実を判断して都知事に相応しくないと考えています。事業主が都知事と同じような不適切なお金の使い方をしていれば脱税として摘発されるのではないかと思います。だから怒る人が多いのです。

都民は一つ一つ物事を判断してやめざるを得ないのではないかと考えます。

都知事はやめないことが前提で、都民は出てきた情報から判断している。そもそも都知事は何があっても辞める気がないので、感覚のすれ違いを生じているのです。誰かこのすれ違いを埋めて下さい。そうすればテレビやネットが静かになりますから。

第三者という言い訳

第三者という言葉がテレビを賑わせています。都知事の釈明会見が第三者という言い訳をした弁護士により行われました。第三者とは言葉だけで、報酬は都知事が支払うのですから都知事の弁護士でしかありません。だから言い訳なのです。

弁護士なのですから弁護するのが仕事です。客観的な視点ではなく、都知事を弁護する視点で依頼人の不都合なことは黙秘権と同様に開示出来ないはずです。

違法ではないが不適切だと表現するのは、完全に合法とは言えないため反省すべきところがあることを認めることで司法の判断を回避することを目的としているようです。

自分のお金の使い方を他人である第三者に見てもらわないと判断がつかない人が、税金の使い方を決めることが出来るとは思えません。私なら第三者という言い訳を逆手にとって「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」と質問を投げかけます。自分のお金の使い方がわからないくらいだから、都民のお金の使い方がわかる訳がないというポイントをつく指摘です。お得意の「第三者」という言葉を都政に使うと、それは辞任を意味するので言えないはずです。誰か取材する記者か都議会議員に「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」という質問を伝えてあげてください。多分都知事は固まると思います。

私は都民ではないのでとやかく言う立場にはありませんが、これだけテレビ・ネットで第三者という言い訳が蔓延るとコメントしてみたくなりました。

ちなみに都議会議員がこれ以上追求しなければ、自分達にも不適切な支出があるため追求出来ないことを表します。都議会議員の動向も楽しみに見守りましょう。

世の中の仕組みを知る

生きていく上で大切なことは世の中の仕組みを知るということです。仕組みには様々なものがあります。人間の作り出した法律も国の仕組みですし、重力など自然界の法則も自然の仕組みです。その仕組みを知らなくても生きていくことは出来ますが、仕組みを知らなければ、上手に利用することは出来ません。仕組みを知ることで、どのように変えることで結果が変化するかがわかります。仕組みを知らなければ、変えることによって何が起こるかわからないのです。

例えば法律の仕組みを知らなければ、いつの間にか犯罪者とはいかないまでも、思いもしないような交通違反などで捕まってしまうかもしれません。踏切などの一時停止は車やバイクの車輪の回転が完全に停止しなければ、違反となります。このことを知らないと、左右の確認が出来たからゆっくりと進むと違反とされます。一時停止の目的が左右の確認ではなく、車輪を一端止めることだという法律の仕組みを知らなければ陥る罠のようなものです。法治国家に住んでいる限り法律はみんなが守るべきものです。法律の仕組みをキチンと知らなければ、違反とされるのです。私はバイクでの一時停止は車輪が完全に停止し、片足をついた状態になるということを知りませんでした。警察官は車輪が完全に停止しているかどうかを見ているのです。

自然界の法則では黒い衣服は太陽の光を吸収するので夏には不向きですが、冬には暖かく有効です。このことも色により太陽の光の吸収具合の仕組みを知ることで、暖かい日には白い衣服、寒い日には黒い衣服の方が過ごしやすいことがわかります。

私達の周囲には様々な仕組みが隠れています。特に自然界の仕組みは人間が生まれた時点で存在するため、意識しなければ存在することにすら気付くことが出来ないのです。物が下に落ちるのが当たり前で、仕組みを考えることをしなければ重力は理解出来なかった。仕組みがわかったからこそ様々な応用が出来るようになっています。

人々が様々な仕組みを知ることが勉強です。実際には勉強という表現は適切ではありません。勉めて強いられるものではないからです。より快適に生きる目的でお得な知識を得るのです。その一つとして様々な物事の仕組みを知ることが大切です。仕組みを知らなければ損をします。損をしないために様々な仕組みを出来る限り知りましょう。

日本の労働生産性が下がった理由

日本の労働生産性が他国と比較して下がりつつあります。かつては世界を牽引する勢いだった日本経済は日に日に衰退しているようにも思います。

その理由を考えてみます。
私はその一端はサービス残業を認めているからだと思います。何故なら賃金が変わらず、労働時間が伸びるので生産性が下がります。
お金を支払う必要が無いと仕事を減らそうとは思いません。逆に賃金が変わらなければ、更に仕事を増やそうとします。必要性の有無を考えるのが面倒なのでとりあえず同じ仕事をさせようとします。どんな意味があるのかわからないからやらせるのです。どうせ賃金が変わらないのでやらせれば良いと考えるのです。賃金を支払うのであれば、無駄なことはしません。コストに跳ね返るからです。無駄は省きます。働いても賃金が変わらないのは、多くの国で失敗している社会主義と何ら変わりません。だから労働生産性が落ちるのです。当たり前といえば当たり前のことです。日本は資本主義の枠組みの中に、こっそりと社会主義を導入してしまっているのかもしれません。その結果伸び悩んでいるのではないでしょうか?そう考えると、サービス残業は誰が得をするのでしょうか?誰も得することなく、経済が衰退しているのです。一見すると企業は残業代を支給しなくて済んでいるので、得をするように見えますが、結果として損です。何故なら賃金を支払うなら絶対しないような無駄な作業が増えたにもかかわらず、削減しないからです。賃金に見合わない仕事を続けるだけで労働者の貴重な時間を奪うのです。無駄な作業に時間を奪われ疲弊し、必要な仕事に時間を割くことが出来ないのです。企業も損をして、労働者も損をする。最終的には顧客も損をする。そんな三方皆損な仕組み、早くやめさせれば良いのに、国は逆に舵を切ろうとしています。物事の仕組みを理解せず、目先の利益(実は利益にならないのですが理解できません)を優先してしまいます。ホワイトカラーエグゼンプションなどという企業の目先の利益のための法案が審議されています。更に労働生産性を下げたいようです。

日本の労働生産性を上げるためには、サービス残業は一切禁止し、全ての残業代を支払うべきです。残業代を支払うことで企業は費用対効果を考え方、無駄な仕事は削減します。そして残業の多い人の仕事は、残業の少ない人に仕事を割り振るのです。わざと残業代を稼ごうとする人の逃げ道を塞いでおくのです。残業時間ぎ多い人は労働生産性が低いのかもしれません。労働生産性の高い人に仕事を割り振る方が企業全体での生産性が向上します。

残業代を支払わないから、良く考えもせずこれまで通りの無駄な仕事を押し付けていませんか?

人が手抜きや楽をする理由

人は手抜きが出来れば手抜きを、楽が出来れば楽をします。
その理由、目的を考えてみます。
手抜きや楽は近道をするようなものなのです。

近道があるのに意味もなくわざわざ回り道をする人はいません。手抜きや楽をするのが人間本来の姿なのです。手抜きや楽をしてはいけないのであれば、近道をしてはいけない何らかの意味があるのと同じなのです。例えばマラソンのコースで近道をしてはいけないように、わざわざ回り道をすることに意味がある場合があるのです。手抜きや楽をしてはいけない場合、作法やルールを守ることに意味があるのです。もっと曖昧な話をするとモラルを守る話です。面倒だと思うことでも、モラルとして多くの人がわざわざ回り道をするようなものなのです。モラルを守らないと近道をするのと同じで早く目的を達成出来ます。では何故みんなが近道として手抜きや楽をせず、作法やルールやモラルなどを守るのでしょうか?

思いやりの心が手抜きや楽を避けさせる

人間は本来手抜きや楽をするものなのです。意味もなく回り道である面倒なことなど、わざわざしたりしません。わざわざ面倒なことをするのは、倫理観や思いやりの心です。誰かに迷惑や嫌な思いをさせないために手抜きや楽をしたりしないのです。

例えば行列に割り込むことを考えてみます。行列に割り込めば待ち時間が短縮出来るので楽です。自分は楽が出来ますが、順番を抜かされた後ろの人達は待ち時間が長くなり、嫌な思いをしてしまいます。人に嫌な思いをさせないために、ほとんどの人は行列に並ぶのです。そして自分が割り込むと他の人に割り込まれても文句が言えなくなるため、結果として秩序が崩壊してしまうきっかけを生み出してしまいます。回り回って自分も嫌な思いをするのです。

誰でも手抜きや楽をすることが頭には浮かぶのです。しかし例え話のように自分が手抜きや楽をすることが人に嫌な思いをさせることがわかる人は、わざわざ手抜きや楽をしないのです。人に嫌な思いをさせることが理解出来ない人が、手抜きや楽を平気でしてしまうようです。もしくは手抜きや楽をしてはいけない意味があるのに、そのことに気付いていないのかもしれません。

糖質を食べ過ぎるのはもったいない話

糖質を食べ過ぎるのはもったいないという考え方の提案です。

人類の歴史から見ると糖質を食べるのは当然の流れでした。糖質の代表である穀物は一年で増やすことが出来ますし、保存が出来るからです。食料の確保が問題だった人類にとって画期的な作物となりました。食料難の時代には糖質である穀物は有難い食べ物でした。しかし食料の行き渡った先進国においては、必ずしも糖質を食べることが得策とは言えなくなってきています。何故なら糖質には害があるからです。糖質の食べ過ぎという、食べ物が不足していた時代からは想像しなかったことが起こっているのです。

糖質の害

糖質の害とは糖質の食べ過ぎによります。例えば肥満は糖質依存による糖質の過量摂取による症状です。他にも2型糖尿病は糖質の過量摂取により、インスリン分泌が追いつかなくなった結果血糖値が下がらなくなることで発症します。各種アレルギーも糖質を食べ過ぎている人に発症しますし、自己免疫性疾患も糖質を食べ過ぎている人に発症するようです。高血圧は塩分の取り過ぎが原因のようですが、そもそも塩分は糖質の甘みを抑えるために身体が欲するようです。糖質を食べなければ塩気は余り必要がないため、高血圧も治る可能性があります。

糖質を食べ過ぎるのはもったいない話

糖質は他の食材と比較すると安いとはいえタダではありません。もったいないとは、わざわざお金を払って糖質を食べて病気になるからもったいないという話です。更にもったいないのは、お金をかけて糖質を食べ過ぎて病気になり、その治療に対してもお金をかけることです。お金をかけて糖質を食べ過ぎて肥満になり、ダイエットにお金をかけることです。糖質にお金をかけることをやめれば病気も良くなり、治療のお金も節約出来るからです。

糖質を食べて、食べ過ぎの治療もする。アクセル踏みながらブレーキを踏むようなもったいない話だと思います。

少なくとも糖質依存からは抜け出す方がお得だと思います。糖質回避という考え方を一度考えてみてください。

タクシーの「助けて」表示を見かけたら

タクシーの「助けて」の表示を見かけました。咄嗟にどうしたら良いかわからず戸惑う人もいるかと思い、対策を書いてみようと思いました。

タクシーの「助けて」の表示とは、「空車」「迎車」などを車外へむけて表示する案内板に、非常時だと表示する仕組みのことです。例えば運転手さんが強盗に襲われていたり、急病だったりする場合を想定して用意された機能です。たまたま見かけると慌てる人も多いと思います。今回見かけた「助けて」表示は間違いでしたので、運転手さんに伝えて終わりです。

今回間違いだと気付いたポイントは2点、お客さんが乗っていなかったことと、運転手さんが慌てていなかったことです。どうやら迎車でお客さんを探されていたので、押し間違えたようです。

「助けて」の表示を見かけたら

今回のように明らかに間違いのようであれば、運転手さんに直接伝えるのが一番です。しかし対向車線走行中などで通り過ぎてしまうことも考えられます。その場合には間違っていたとしても警察に110番通報しても良いとは思います。

私はもう一つの対策を考えてみました。犯罪や急病と確信が持てず、間違いかもしれない場合には、タクシー会社を確認しタクシー会社に電話するのです。タクシー会社には無線という確認手段がありますし、同じ会社のタクシーに確認に向かってもらうという対策があるからです。怪しいようならタクシー会社から警察へ連絡してもらうのです。

ナイフや拳銃が見えるなど明らかに脅されているのであれば迷わず110番通報をしましょう。明らかに具合が悪そうなら119番通報が良いかもしれません。

タクシー会社もわからず、どうしたら良いか自分では判断がつかない場合には、110番通報し判断を仰ぐのが一番かもしれません。

偶然遭遇した「助けて」表示からふと考えてみました。いざという時に備えて考えてみておいてください。

営業マンがいなくなる日

営業マンは色々な意味で仕事が減っています。中でも営業マンがいなくなるという考え方を提案してみます。仕事そのものが減るだけでなく、説得マンに成り下がる場合と宣伝マンに昇格することで営業マンがいなくなることを考えてみます。

理想の営業マン

営業マンの仕事は会社の商品を売ることです。売るものは品物であったりサービスであったり様々です。仕事が減っているのは、インターネットが代わりに商品を売ってくれるからです。

理想の営業マンは相手が欲しいものを売ることです。相手が欲しいものが他社製品であれば仕方ありません。最初からお客さんではない人に声をかけてしまっただけです。ただ相手がまだ知らなかった他社製品が適切であるという情報を提供出来たことを喜ぶのです。

営業マンから説得マンに

営業マンは売り上げにより仕事が評価されるので、必死に売り込みます。営業マン本来の仕事は相手の欲しいものを売ることですが、目先の売り上げを求められるため説得マンに成り下がってしまうのです。本来であればお客さんが欲しいものを提供するべきですが、売り上げが欲しいため、興味のあるお客さんを説得してしまうのです。相手を欲しい気にさせることが仕事だと錯覚しているのです。相手の欲しいものと売っているものが重なれば買ってもらえますが、重ならないのに売り上げのために説得を始めるのが説得マンです。営業マンが説得マンになってしまうので、営業マンがいなくなってしまうのです。

とにかく売り上げを上げることを求める会社は、営業マンを会社から送り出しているのではありません。説得マンを送り出しているのです。

ものが売れるのは営業マン次第だと誤解しているのです。ものが売れるのはもの次第です。だから良いものを作ることよりも、売ることに重点を置いてしまうのかもしれません。

私は時間を無駄にしたく無いので、説得マンは相手にしないことにしています。そもそも会わないようにしています。どんな説得をされても、必要が無い限り買うことは無いからです。逆に必要があれば説得などなくても買うからです。

営業マンから宣伝マンに

理想の営業マンの行動を求める会社は売り上げを評価の対象から外しました。ある製薬会社では現実に成績での評価をやめ、行動評価をはじめたそうです。売り上げばかり求められていたため、行動での評価されることに戸惑いもあるようです。現場で戸惑うのは自分が営業マンではなくなった自覚がないからなのです。

行動が評価されるようになるのは、自社のものを売ることが目的ではないからです。相手が欲しいものを売ることが目的であるため、自社のものを説明することで相手が欲しいものか確認してもらうことが仕事なのです。

相手に自分の売るものを宣伝することが仕事です。売れるかどうかは相手が欲しいと思ってくれるかどうかにかかっているのです。宣伝の仕方である行動が評価されるのです。

あくまでもものが売れるかどうかはもの次第です。売れないのは営業マンの問題ではありません。売っているものの問題だと考えるのです。

相手の欲しいものを売るという営業マンの理想に近づけば近づくほど、宣伝マンになります。この意味でも営業マンはいなくなります。

会社に利益をもたらす宣伝マンになるために

会社は営利企業なので利益が無ければ成り立ちません。決して利益を目的にする訳ではありませんが、運転資金として利益を確保する必要があるのです。利益は企業の為ならずという諺を提唱しています。会社のためにならない宣伝をしても意味がありません。

宣伝する相手は選ぶ必要があります。幼稚園児に大学入試の参考書は売れませんし、運転免許のない人に車は売れません。車を買うつもりの人であっても、軽自動車を買うつもりの人に、超高級外車の宣伝をしてもお互い時間の無駄です。相手のニーズと売りたいものとを照らし合わせ、重なる部分が無ければお互いの時間の無駄です。重なる部分が無いのに売り込むと説得マンになってしまいます。

営業マンがいなくなる日

私はもしかしたら既に営業マンはいないのでは無いかと思います。売り上げでしか評価されない営業マンは既に説得マンで、行動だけで評価されるようになった営業マンは宣伝マンだからです。

既に営業マンとは言葉だけで、説得マンと宣伝マンに分かれているのかもしれません。営業が仕事だという人の多くは、今は売り上げを求められていると思います。しかし自分が説得マンか宣伝マンのどちらのタイプに近いか考えてみてください。

糖質制限ブーム、ライスを残されて困る飲食店

糖質制限(私は糖質回避という考え方を提唱しています)ブームで、ライスを残されて困る飲食店があるようです。インターネット上にもありましたし、テレビでも放送されていました。

飲食店が本当に困っているなら単品を基本とし、わざわざライスを注文する仕組みにすれば良いだけです。それをせずライスを断る仕組みをとるのは飲食店側に基本的にはライスを注文してもらい利益が欲しいからでしょう。ライスを残されて困るのであれば、ライスを残されない仕組みを考えれば良いのでは無いでしょうか?その知恵を出さず、ライスを残されて困るでというのは、勝手に困っているように思います。

そもそも人類が糖質を食べ過ぎているのです。その食べ過ぎを本来の姿に戻す過渡期で混乱しているだけです。にもかかわらず、ライスわ残されて困るというのは、物事を考えていない飲食店だと公表するようなものです。

肥満の原因一つとっても糖質の害は明らかです。糖質回避が広がるのは当然の流れです。そもそも主食という食べ方に問題があるようです。そのことに多くの人達が気付いてきただけのことです。

ライスを断らず残すことが問題とのことですが、残す人は糖質制限していることを知られるのが恥ずかしいそうです。食べることが普通だと考えているので、恥ずかしいと思うのです。食べることで肥満をはじめ多くの病気を引き起こすことを考えれば、糖質を食べることこそが異常なのです。異常なこと(糖質を主食として食べること)を避けるのに、恥ずかしい思いをする必要はありません。主食を普通に毎日食べている人達は、糖質の害をまだ知らないだけなのです。もしくは糖質依存から抜け出せないだけです。過渡期だから混乱しているだけなのです。

糖質回避をする者としては、ライスを残されて困るのではなく、ライスを残されない仕組みを考えて欲しいものです。ライスを残されて困ると言っている飲食店は糖質回避している人達は避けるようになると思います。困ったままでいると淘汰されてしまうかもしれません。