交換条件が世の中を変える

交換条件が世の中を変えると私は思います。子育てはもちろん周囲の人との人間関係や政治までも変わると思います。

世の中でうまく物事が噛み合わないのはどちらか一方が得をする仕組みで、交換条件がないため歯止めがきかないからではないでしょうか?

子育てで困る理由

子育てにおいて子供の要求には際限がありません。ポテトチップスを食べたけどチョコレートも食べたいのです。小さなオモチャを買ってもらえば次はもっと大きいオモチャ、もっと良いオモチャが欲しいと要求するのは当たり前なのです。子供の要求に際限が無いのは何も引き換えにするものがないからです。ただで手に入るのですから、もらえればもらえるだけお得なのです。要求するのもただですからいくらでも要求するのです。大人はその都度断る手間に追われ、根負けして買い与えてしまうのです。そして子供達は苦労した結果手に入れたという成功体験として記憶するので、同じことを繰り返します。

問題の本質は親が与え、子供はただもらって当たり前という点にあるのではないでしょうか?つまり交換条件がないまま、一方的に子供の要求を受け入れるか受け入れないかの二択だから困るのです。子育てにも交換条件を取り入れると子育てが変わると私は思います。

世の中は交換条件で成り立つ

人は対価を支払う必要がなければいくらでも要求します。人の行動に歯止めをかけるのが対価あるいは交換条件です。大人社会での対価や交換条件はお金です。お金という共通のものに変換して、誰でも様々な価値のやりとりを出来るようにしているのです。物はもちろん、労働やサービスをお金を介して交換することで世の中は成り立っています。その交換条件の仕組みが機能していないところで問題が起こっています。

例えば何かをしようとすると反対する人がいます。ただ反対するだけで何も交換条件を出していません。お菓子をせがむ子供と何ら変わりません。建設反対と叫ぶ人はいますが、交換条件を提示して反対する人を見たことがありません。お金や知恵を出すから反対と言うべきではないでしょうか?

別の場面で置き換えると、民間では無謀な計画が動き出すことが少ないのは交換条件があるからです。会社そのものが倒産する交換条件が前提となっているのです。行政が無謀な計画を実行してしまうことがあるのが、失敗したとしても交換条件がないからです。議員は次の選挙で落ちるかもしれませんが、公務員は何も交換するものはありません。

交換条件が世の中を変える

私は交換条件が世の中を変えると考えます。むしろ交換条件という概念がないために混乱しているに過ぎないのです。

例えば子育てにおいての交換条件とはなんでしょう。「お菓子が欲しい」と子供がいえば、「代わりに何をするの?」とたずねるのです。お菓子に対する交換条件を求めるのです。ただ求めるのではなく、子供が何かと引き換えにする仕組みを考えるのです。交換レートはいくらでも構いません。非常に簡単なことで良いのです。交換条件があるということに意味があるのです。そして条件はその都度変えていけば良いのです。最初は簡単なことでも、次は少しハードルを上げるのです。子供が小さいうちはポストから手紙をとってくるだけでもいいですし、食事の際の箸を並べるだけでも良いでしょう。交換条件を最初から厳しくしないことです。子供にとって罰だと感じてしまうと拒絶してしまうからです。

「ゲームをしたい」「じゃあお風呂掃除だね」「もう一回ゲームしたい」「じゃあトイレ掃除もする」といった具合に、子供が手伝ってくれると助かることを交換条件にしてしまうのです。

子供の要求と交換条件が釣り合わないと思えば、交換レートを調整するのです。繰り返していると子供は無闇に要求をしなくなります。そしてどうしてもやりたい要求は前もって自分から交換条件を提示するようになります。引き換える価値があると前もって感じているのです。交換レートが妥当なら受け入れ、簡単過ぎると思えば追加すれば良いのです。

お風呂掃除と言っていても結局やらなければ、次は要求を受け入れなければ良いのです。少なくともお風呂掃除をするまでは受け入れる必要はありません。交換条件を満たしていないからです。それでもやりたいことを要求する場合には、何か別の交換条件を提示することです。例えば洗濯物を取り込むとか、料理のお手伝いをするとかです。更に以前のお風呂掃除もしなければ次は要求を受け入れないことを宣言するのです。

これまでは子育てについて書きましたが、大人も同じです。何か要求するなら交換条件が必要です。例えばお金を支払うのか、代わりに何かをしてくれるのかなどです。一方的な要求で交換条件が用意されないので、子供がお菓子をせがむのと同じで際限がなくなるのです。最たる例がサービス残業です。残業に対して残業代という交換条件があるから歯止めがかかるのに、残業代を支払うという前提がないといくらでも仕事を押し付けてしまうのです。しかも仕事の必要か不必要かを詳しく吟味することなく押し付けてしまうのです。何故なら残業代という交換条件がないので、わざわざ必要か不必要かを吟味せず押し付けてしまえば自分は困らないからです。

何か要求されたら、代わりに何をしてくれますか?と聞くのが当たり前の世の中になれば、無駄な要求が減ると私は考えます。厳密にやり過ぎるとギスギスした人間関係になるので注意は必要ですが、子供のように要求が多い相手に対しては非常に有効な考え方だと思います。

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投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。