人が死んでも商品を売ることが許される国…

日本は資本主義で比較的成功した国ですが、人が死んでも利用者の自己責任だとして商品を売ることが許される国でもあります。人が死ぬ商品とは某ゲームです。運転中にゲームをして人をはねて死なせる事故の件です。運転中ゲームをした結果の事故は、過失ではなく未必の故意の殺人事件だと私は思います。つまり事故ではなく事件なのです。そのきっかけを作り出すゲームの販売継続が許される不思議な国です。ゲーム会社に良心があれば自ら運転中のゲームを制限するはずです。しかし運転中のゲームを制限すると売り上げが減少するので、人の命より利益を追い求める企業であれば、ゲームに依存させておきながら利用者に責任を押し付けそのまま継続するのです。何件もの事故もう一つはコンニャクゼリーですが、それは別の機会に書きたいと思います。
ゲームをする人に運転中はゲームをしないように呼びかけても無意味です。何故なら運転中にゲームをする人は、ゲームに依存してしている状態だからです。依存していない人は運転中にゲームなどしません。何故なら普通の人は、ゲームという遊びで、これまで積み上げた全てを失いかねない事故を起こすような馬鹿なことをしないからです。一時の楽しさを追求してしまうのは、そもそも冷静な判断が出来る状態ではなくなっているので、自分では危険と安全の判断がつかなくなってしまっているのです。むしろ自分だけは安全だと錯覚を起こしてしまっているのです。

身体に悪いとわかっていてもお酒やタバコがやめられない人と同じです。手元にお金がないのに借金をしてまでギャンブルをする人たちと同じ心理です。

自分では良し悪しの判断がつかないので他人が事故を避ける仕組みを作ってあげるしかないのです。このゲームの場合、ゲームの運営を取りやめるか、少なくとも車での移動中には遊べなくするようにするのです。確かに遊んでいる人の責任ではありますが、その危険なサービスを提供している企業も、利用者の責任として逃げるのではなく、危険を避ける仕組みを考えるべきではないでしょうか。企業が危険を避ける仕組みを考えないとすれば、自分たちの利益を他人の命よりも優先して考えているのです。私は命よりも大切なお金があるとは、到底思いません。

企業が自主的に運転中のゲームを出来ない仕組みにしないのであれば、国民の命を守るために法律を整備するべきだと私は思います。ゲーム中に事故を起こした場合、加害者は殺人罪、ゲームメーカーも殺人幇助と設定すれば、事故を起こさない仕組みにすぐに対応するでしょう。それをしないのは、国民の命を軽んじているように私ら思います。飲酒運転も何人もの犠牲の結果、現在の仕組みになりました。某ゲームの規制、みんながゲームよりも命の方が大切と気付くにはもう少し時間がかかるのかもしれません。自分や家族が被害者にならないために、歩道も端を歩き、横断歩道では左右はもちろん斜め後ろも確認して歩くしかなさそうです。

今のところ自分の身は出来る限り自分で守るしかなさそうです。早く規制されることを祈っています。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。