女性国会議員が秘書に暴行・暴言に思う

女性国会議員が秘書に暴行・暴言で問題になっています。
録音が公開されていますし、事務所も認めているので事実のようです。
私はこの国会議員の心理を読み解いてみたいと思います。

人に対して怒るのは幼稚だと私は思います。
怒ることで人を動かそうとすることを幼稚だと思うのです。
幼稚な人が国会議員で大丈夫なのかなと私は思います。

女性国会議員の心理を一言でいえば女王様だと勘違いしてしまったのです。
自分は何をしても許されると誤解しているのだと思います。自分は特別だと勘違いする魔法にかかっていたのかもしれません。裸の王様の寓話のように進言してくれる子供が現れなかったのでしょう。少なくとも女王様の心にまで届く進言はできなかったのでしょう。
そして責められることがなかったため、正しいと勘違いし、その勘違いがエスカレートしてしまたのです。
周囲が介入しない限りいじめがエスカレートすることと似ていると私は思います。いじめをしている人の多くが自覚がないように、恐らく女性議員も自覚はなかったでしょう。

この音声が公表されてしまった瞬間、勘違いの魔法が一気に解けたことでしょう。
裸の王様の寓話では、子供が裸だよと言ってくれたのですが・・・。
今回の事件では録音データが勘違いの魔法を一気に解いてしまったのです。

本当に女性議員のことを思って行動する知恵者が周囲にいれば、暴言が発覚すると大問題になりますから控えてくださいと進言するはずです。
恐らく進言してくれた人は一人や二人はいたはずですが、これだけの事態に陥ることを本人に想像させることができなかったのでしょう。進言してくれた人(本当にいたかどうかわかりませんが・・・)からすれば、今時録音は簡単でスマホでもすぐにできることを知っているので、いつ告発されてもおかしくないと考えていたでしょう。しかし女性議員はたかをくくっていたのだと思います。これまで大丈夫だったという根拠にならない自信に裏打ちされて行動し続けたのだと思います。

これからの元秘書の方の行動に興味があります。
本当に警察に告発するのであれば、正義感からの行動だとわかります。
警察に告発しなければ、結局お金が目的だったとわかります。
傷害罪で告発して有罪となれば国会議員の資格を失うはずです。女性議員としては自分の行動の結果失うものの大きさが初めて想像できたのだと思います。
元秘書の方の目的が気になります。

私は警察に告発してほしいと思いますが、お金が目的で告発しない可能性を考えると交渉過程や金額を週刊誌に公表してもらうのが面白いと私は思います。

教育勅語の小学校や獣医学部新設、暴言・暴行議員と政治に関しても驚くことばかりです。
小学校保育園でも驚くようなことがいくつもあります。
日本の行く末が心配になるのは私だけでしょうか?
多数決の民主主義の限界が見えてきたと思うのは私だけでしょうか?

75歳保育園園長逮捕から学ぶべきこと

先日『カビ生えたパンを小学生に』からわかったことに書きましたが、教師が問題になったこととその対策を書きました。
困ったことに今度は保育園の延長が問題行動を起こしたようです。

園児を噛んだということですから、何か病的な要素があったのかもしれません。

今回のことから学ぶべきことは、先生を信頼してはいけないということのようです。多くの先生は子供達のことを一生懸命みてくださるのでしょうが、ごく一部に通常の常識では理解できないような行動をとる人が紛れ込んでしまうことがあるようです。つまり先生を信用しようということの提案をしたいと思います。信用と信頼の違いとは、裏付けをもって信じるかただ信じるかの違いです。

今回のことが問題になったのは、保護者が先生の言動がおかしいと感じたことから通報したことがきっかけのようです。先生をむやみに信頼するのではなく、信用するために先生の言動を検証した結果辻褄が合わない発言があったことから不審に思って通報することができたようです。

絶えず先生を疑うことを提案したい訳ではありません。多くの先生は常識的に子供達に接してくれているはずです。ただ常識から外れた行動をとる常軌を逸した行動をとる人間はわずかながら世の中に存在しています。その人が免許をとって子供達に接している可能性がわずかながらあることを知った上で、問題がないか子供達の様子を見守るようにしましょう。
先生を信用するために。

子供達を守ることができるのは親しかいません。嫌なことがなかったか毎日声をかけてあげてみてください。詳しい対策は『カビ生えたパンを小学生に』からわかったことをご参照ください。

先生の言動が怪しく虐待が疑われる場合、児童相談所への通報も選択肢の一つです。疑いでの通報で構わないはずです。虐待をする人が親とは限りません。保育所や小学校であっても児童相談所への通報は受けつけてくれるはずです。ただし必死で隠そうとすることが予想されるため、本気で通報する場合にはある程度証拠を集めておいてから通報することをお勧めします。

公になるのは氷山の一角のはずです。さすがに全国ニュースになるほどのことがあちこちで起こっている訳ではないと思いますが、実際にはちょっとしたおかしなことは身近にもあるはずです。ただ全国ニュースになる程の常識外れな行動ではないだけだと思います。問題となった先生達も恐らく自分の言動が常識から外れているという自覚はなかったはずです。つまり誰からも指摘されなかったことが言動をエスカレートさせて全国ニュースになるほどの行動をしまったのだと思います。先生の言動が常識から外れていないか見守ることが、子供を守ることになりますし、ひいては先生を守ることに繋がると私は思います。お子さんのおられるご家庭ではよかったら考えてみてください。

治らない医者と治してくれる医者

治らない医者と治してくれる医者、どちらの医者にかかるのが良いでしょうか?多くの患者さんにとっては病気を治してくれる医者でしょう。全員ではなく多くの患者さんと書いたのは、実は病気であることを深層心理で臨んでいる人もわずかながらおられるためです。
多くの患者さんが望む治してくれる医者を選ぶべきですが、多くの病気は治らないと公言する医者も多くいます。治らない病気だから薬で誤魔化し続けましょうというのです。ただ単に勉強不足で治し方を知らないだけか経営のためにわざと治さない医者も大勢いるんです。専門医は病気を治さない?治せない?に書きましたが、専門医は過去の治療法や常識に捉われ過ぎているため、単純で画期的は方法があっても受け入れようとはしません。何故ならこれまでの自分を否定された心境になるからです。

多くの病気が食べ物を選ぶ食べ方で治すことができる時代になってきました。
例えば2型糖尿病です。糖質を食べないことができれば治癒することがわかりました(現在治療中の方は低血糖を生じる恐れがあるため、突然糖質をやめないようにしてください。主治医の先生と相談の上糖質を減らすようにしましょう)。糖尿病は上がってしまった血糖値を下げることができなくなる病気です。食べ物であるタンパク質・脂質・糖質の中で、血糖値を直接押し上げるのは糖質だけですから、その糖質を食べなければそもそも血糖値が上昇しないから下げる必要がなくなるという非常に単純な理屈です。
各種アレルギーも病気を避ける理想の食べ方で治すことができますし、自己免疫反応の攻撃対象が異なるだけの自己免疫性疾患も同じように治すことができます。
例えば世間一般では治らないことが常識とされる花粉症も糖質の食べ方一つで簡単に治ります。治らないのは糖質を食べているからです。糖質を食べながら花粉症の治療していることは、アクセルを踏みながらブレーキを踏んで止まらないと言っていることに似ています。抑えることができても薬がなければ症状が出るのは当たり前です。
ニキビ(尋常性ざ瘡)イボ(尋常性疣贅)などの慢性感染症も食べ方で改善が期待できます。
ニキビ痕肥厚性瘢痕、ケロイドなどの傷痕も食べ方で治せる時代になってきました。
まだ研究段階ですはありますが、癌も食べ方が関係していると私は考えています。癌には糖質と塩分とビタミンが関係していると私は確信しています。他にももう一つ関係があるものがあるのかもしれませんし、糖質と塩分とビタミンが全てなのかもしれません。その点を検証しているところです。現在明らかになっているのは子宮頸がんの発症には糖質が関与していることです。

これまで受診している先生を信頼する気持ちもわかりますが、治してくれるはずと考えて信頼しているのではないでしょうか?治してくれたという実績・裏付けのある信用ではなく、ただ信じているだけではないでしょうか?
しばらく通院して治らないのであれば、別の病院を受診してみることをお勧めします。何故なら勉強不足で知らないだけではなく、あえて治さない医者も大勢いるからです。患者さんが治ってしまっては外車に乗れなくなるからです。勉強不足にしろ外車のためにしろ、治らないことに変わりはありません。
病気を治してくれる医者を探してみることをお勧めします。

肥厚性瘢痕・ケロイドを治す方法

肥厚性瘢痕・ケロイドは簡単に治ります。実は病院に行く必要はありません。何故なら原因は食べ物ではなく食べ方です。その証拠に食べ方を変えるだけで治ります。治らないあるいは治りにくいという医者に何度受診しても、どれだけ長く通院しても意味はありません。答えは食事にあるからです。

簡単に言えば糖質の食べ方に気を付けるだけです。具体的な食べ方は病気を避ける理想の食べ方をご参照ください。以前も肥厚性瘢痕・ケロイドは糖質回避で治る肥厚性瘢痕・ケロイドの違いとその原因と治し方で書いてみましたが、検索で『肥厚性瘢痕』でヒットしていたことがわかりました。肥厚性瘢痕の検索順位が104位と決して上位ではありませんでしたが、当サイトにアクセスして頂いたので悩まれている方が多いと考え、改めて書いてみることにします。

肥厚性瘢痕・ケロイドの病態

病態(病気の起こる過程)は他の自己免疫反応と同じです。本来なら身体に浸入した細菌やウイルスを攻撃する免疫は、自分の身体は攻撃しない仕組みが備わっています。その仕組みが誤作動を起こしてしまい、本来なら攻撃してはいけない自分の細胞を攻撃してしまうのです。糖質を沢山食べることで免疫システムが誤作動を起こし、自己免疫反応を引き起こすようです。自己免疫反応のターゲットが鼻や目の粘膜であれば花粉症、気管支粘膜であれば気管支喘息、皮膚であればアトピー性皮膚炎を引き起こすに過ぎません。他の対外に露出していない細胞が自己免疫反応のターゲットの場合には膠原病と言われていますが、その病態は同じです。引き金は糖質がひいているのです。その詳しい病態は分かってはいませんが、糖化産物が発症に関わっている仮説を考えています。いずれ解明されるでしょう。
肥厚性瘢痕・ケロイドは創傷治癒細胞に対する自己免疫反応によるものです。肥厚性瘢痕とケロイドの違いは自己免疫反応の強さの違いです。肥厚性瘢痕とケロイドは違う病気だと分類している人達もいますが、残念なことに糖質による自己免疫反応を知らない人達が治療にあたっているからでしょう。糖質を一度にたくさん食べれ続ければケロイドを発症し、糖質をそれ程食べなければ肥厚性瘢痕で済むようです。

恐らく肥厚性瘢痕・ケロイドも糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種です。血糖値の一時的な上昇を引き金として自己免疫反応が起こるようです。一回だけ糖質を一度に摂り過ぎることで発症する狭義の糖質一度に摂り過ぎ症候群ではなく、糖質を一度に摂り過ぎることを何度も繰り返すことで発症する広義の糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種のようです。

肥厚性瘢痕・ケロイドの治し方

肥厚性瘢痕・ケロイドの病態は創傷治癒細胞に対する自己免疫反応のため、治療には免疫抑制剤であるステロイドがある程度有効です。外用はそれ程効果は期待出来ませんが、局所注射は炎症反応をある程度抑えてくれるため、それなりに効果はあります。しかし原因である糖質を控える糖質回避以外の治療法は対象療法に過ぎません。自己免疫反応とステロイドによる免疫抑制の綱引きになるためすっきりと治らないのです。いわばアクセル(糖質)を緩めず、ブレーキ(治療)だけ踏んでいる状態のようなものです。

医者によっては肥厚性瘢痕とケロイドを区別していますが、反応の程度が違うだけで病態は同じです。区別する時点で病気の本質を見誤っています。区別に意味はありません。肥厚性瘢痕は傷痕が盛り上がるだけで元々の傷痕の範囲をこえないものをいいます。傷痕の範囲をこえて盛り上がりが広がってしまうものをケロイドと呼んでいるに過ぎません。

ただケロイドを発症する方は傷痕の反応性が激しいため、気付かない程の小さなニキビなどの小さい傷でも傷痕が増大してしまうようです。ケロイドは遺伝性が認められるため、ケロイド体質という言葉もあります。このことから創傷治癒細胞に対する自己免疫反応の起こりやすさに遺伝性があることがわかります。

ケロイド体質であれば自己免疫反応の反応性が激しいため、糖質の食べ方を特に気を付ける方が良いようです。特にケロイドが現在進行形で増大しているのであれば、主食をやめてしまうのが良いと私は思います。ただし糖尿病や肝臓疾患や腎臓疾患などで治療中の方は糖質の控え方と食べ方を主治医の先生に相談してください。特に糖尿病で治療中の方が突然糖質を控えると低血糖を生じることがあるため危険を伴います。

基礎疾患のない方の場合、肥厚性瘢痕やケロイドを治すためには主食として糖質を食べないことをお勧めします。何故なら早く治るからです。糖質を食べるのであればオカズから食べる、一度にたくさん食べない、小分けで食べるという病気を避ける理想の食べ方をご参照下さい。

『カビ生えたパンを小学生に』からわかったこと

驚くようなニュースが流れています。
小学校の担任教師が小学1年生に対してカビの生えたパンを食べさせていたそうです。

報道からは先生に病的な素因があった可能性が考えられます。
私は専門ではありありませんし、想像で物事を判断しても意味がありません。
そこで報道からわかったことを書いてみたいと思います。

問題があったのは昨年の話です。偶然カビの生えたパンを食べさせられたお子さんが、テレビ番組でカビの特集を見て『カビを見たことがある!』と発言したことから発覚したそうです。
このことからわかるのは、小学1年生であれば善悪・物事の良し悪しの判断がつかないため先生の言うことを疑うことができなかったのでしょう。そして当たり前だと錯覚しているので、その時点ではお母さんにわざわざ言わなかったことが考えられるのです。

通常の先生であればこのような行いは当然しませんが、中には病的な行動をとってしまう先生が紛れ込んでしまう可能性があることがこの事実からわかりました。
ということは自分の子供を守るための対策を考える必要があると私は思います。念のため子供達を守るために、その対策をとるべきだとわかりました。その対策を書いてみます。

対策

子供達から話を聞くことです。それしかありません。学校であったことを一つ一つ聞いてあげることです。どんなことが嬉しかったのか、どんなことが悲しかったのか、そしてどんなことが嫌だったのかを聞いてあげるのです。積極的に学校に苦情を言うべきと主張したい訳ではありません。子供の勘違いで悲しんだり嫌な思いをしているかもしれません。もしかしたら先生の勘違いで怒られたりすることもあるかもしれません。当然子供自身が悪くて怒られたということもあるでしょう。それらを聞き出して客観的に解説をしてあげるようにするのです。
親として自分の子供をかばいたい気持ちをぐっと抑えて、客観的に時には先生や友達の立場に立って子供に説明してあげるようにするのです。
日頃からそのように子供の話を聞くことしか、このような親の常識から逸脱した行動をとる先生から子供達を守る術は私には思いつきません。ただ先生を見張る目的で子供達の話を聞くことを提案するわけではなく、子供の感じていることや考えていることを知る目的で行い、おまけとして先生が逸脱していないかを念のため確認するようにすることをお勧めします。何故なら普通の先生はわざわざカビの生えたパンを食べさせたりはしないからです。多くの先生は一生懸命子供達をみてくださっている訳ですから、本来なら見張る必要などないはずです。ただ念のために子供達から話を聞いて、先生が突飛な考え方や行動をされていないかを確認することを提案します。

恐らく問題となった先生は誰からも注意されることがなかったので、自分の行動に問題があったとは思っていなかったはずです。つまりこれだけ問題にされる自覚はなかったのです。丁度自覚がないままイジメがエスカレートすることに似ています。大問題になる程行動がエスカレートする前に誰かが軌道修正出来る仕組みを作るしかありません。その一つの手段として子供達から話を聞いて問題がないかをチェックするしかないのではないかと私は思います。先生を信頼しているからこそ、通常そのようなチェックをすることはないでしょう。しかし先生を信用するために念のための問題行動の有無のチェックをすることを提案します。先生を信頼ではなく信用できるように気を付けましょう。まさか先生が非常識な行動をとらないだろうという信頼という思い込みにより、今回のことが見過ごされていたことです。

何より怖いと私が感じたのは今回のことがカビを生徒がテレビ番組で見たことで偶然発覚したという事実です。見ていなければ子供達が嫌な思いをしただけで終わり、誰も知らずに済んでしまったかもしれないことです。もしくは死亡事故が起こった後で発覚するかもしれなかったことです(アレルギーの食材を無理やり食べさせたという証言もあるようなので、亡くなっていれば殺人となっていたかもしれません)。

子供達の話を聞くことが子供達を守ることに繋がると私は思います。
いじめにあっていることを早く見つけることができるかもしれませんし、自分の子供がいじめをしていることに気付くかもしれません。もしかしたら先生から体罰を受けていることがわかるかもしれません。逆に子供の勘違いにより問題行動をしていることに気付くことができるかもしれません。子供の感じていることを聞いてみる。様々な利点があると私は考えます。

今時わざわざ消毒する医者の心理

夏井先生が傷口の消毒をしないことを提案していただいたおかげで、傷口は消毒しない方が明らかに早く治ることが知られていますが、今時患者さんに痛い思いをさせてまでしてわざわざ傷口を消毒する医者がいます。その理由と心理を考えてみます。

傷口を消毒すると治りが悪いことは試してみるとすぐにわかります。消毒しないことと比較するだけですぐに実感することができます。患者さんで試すことには抵抗があっても、自分や家族が怪我をした際に消毒をしない治療を試してみればその差は明らかです。

傷口を消毒しない医者には2種類います。一つは消毒しない方が早く治ることを知らない勉強不足の医者と、知っていてもわざと消毒する儲け主義の医者です。

知らない医者

今時傷口を消毒する医者はもしかしたら傷口を消毒しない方が治りが早いことを知らない勉強不足の医者なのかもしれません。知らないから躊躇うことなく傷口の消毒をすることができるのです。消毒しない方が早く傷が治ることを知らない医者の心理は、消毒しないという選択肢を知らないのですから何も考えていません。

傷口を消毒しない方が早く治ることを聞いても、自分の常識と照らし合わせてあり得ない考え方としてシャットアウトしてしまうのです。頭が堅い医者という表現がわかりやすいのかもしれません。

自分のプライドが邪魔をして受け入れられない医者もいるのかもしれません。

知っていても消毒する医者

消毒しない方が早く治ることは知っていても、あえて消毒する医者もいるようです。
わざわざ消毒する医者の心理は、自分のことしか考えておらず、儲けのために消毒をするのです。
何故なら消毒しない方が早く治ってしまうため、儲からないのです。そんな医者がいないことを祈っていますが、自分の儲けのためにわざと治りにくくして、長く治療するために患者さんに痛い思いをさせてまでして消毒をしているのです。
治りが悪い方が通院回数が増えるため、儲かるのです。そして消毒と称して何度も通院を促すことができるのです。

この点では抗生物質を処方しない医者の心理に似ているのかもしれません。

消毒は二重の負担

消毒は痛みを伴います。痛みを伴う治療であっても治すために仕方がないと思うからこそ患者さんは痛みに耐えるのです。しかし現実には消毒は痛みを強いるだけで治るのは遅くなります。治りを遅くするためにわざわざ消毒をするのです。知らないだけなら仕方がないかもしれませんが、治りが遅くなることを知っていてわざと消毒する医者はたちが悪いと思います。何故なら治りが悪いため経済的負担も強いることになります。痛みという負担を強いるだけでなく、治りが遅くなり通院回数が増えることで経済的負担を強いることになるのです。その目的が医者の儲けとわかっていても、わざわざ消毒に通う患者さんはいないでしょう。

消毒をしない方が早く治ることを知らない無知なだけの医者であっても、勉強不足で二重に負担を強いられる必要はないと私は思います。

今時傷口を消毒する医者は、勉強不足か儲け主義のため出来れば避けることをお勧めします。近くに消毒しない医者がいないがいないのであれば仕方がありませんが、近くに消毒をしない医者がいれば、消毒をする医者を選ばない方が二重にお得だと私は思います。痛みがない上に早く治ります。

臭い匂いに慣れる仕組みとその理由と目的

人間には臭い匂いに慣れる仕組みがあります。その理由と目的を考えてみます。
臭い匂いに慣れる仕組みは、一言でいえば匂いの0点設定をするようなものです。その時点の長く続いている匂いを0とする仕組みのようです。これは自分自身の匂いが臭いか臭くないか判断が出来ないことと似ています。自分自身の匂いを臭いと感じ続けていると、他の匂いを感じることができなくなってしまうからです。仕組みとしては人が物事に飽きる仕組みと同じような仕組みが働いていることが考えられます。同じ刺激が繰り返されると匂いを感じることに飽きてしまうのかもしれません。新しい匂いには比較的反応するものの、強烈であっても同じ匂いが継続されていると匂いを感じにくくなる仕組みのようです。

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臭い匂いに慣れる理由は、自分の匂いを臭いと感じてしまうと他の匂いがマスクされてしまうからです。意味ある臭い匂いなのか、元々の匂いなのかわからなくなってしまうことを避けるために元々の匂いは感じなくするような仕組みが備わっているようです。いわば雑音なのか意味のある音なのかわからなくなるため、元々ある音を雑音としてカットするようなものです。

人間が目的をもってわざわざ匂いを感じ取る感覚を身につけた訳ではないとは思いますが、臭い匂いに慣れる目的は匂いの変化を鋭敏に感じ取るためです。臭い匂いを感じ続けてしまうと他のかすかな匂いの変化を感じ取ることが出来ないのです。臭い匂いに慣れる仕組みがあれば、臭い匂いを感じなくなるためかすかな匂いの変化を感じ取ることができるようになります。

自然淘汰の歴史においては臭い匂いに慣れることのできなかった人類の祖先は、かすかな匂いの変化に気付くことができず淘汰されてしまったのでしょう。

子育ての極意 交換条件

様々な物事の解決策には交換条件が適切だと思います。特に子育ての極意は交換条件だと思います。何故なら子供の要求には交換条件がないから、親が諦めるまで無制限に要求するのです。子供の要求に交換条件を求めると、無駄なやり取りがなくなります。少なくともかなり減ると思います。交換条件なしを認めていると、子供の要求には際限がありません。無料だからです。
タダで貰うものは誰だって欲しいです。大人だってそうです。お金という交換条件が無いから、タダで貰うということは別の制限が必要となります。例えば無料配布などは、通常は個数の制限をするのです。

多くの子供のお願いは交換条件無しにお願いしているように思います。お菓子買って!おもちゃ買って!と、交換条件が無いから止め処もなく要求がエスカレートしてしまうのです。というよりもダメ元でお願いしてみるのです。何しろ交換条件というリスクがないのですから、少しでも欲しければとりあえず要求しておかないと損なのです。
お願いされる側も交換条件無しに要求されるので、一度要求を受け入れるとどこまで要求されるようになるかわからないので、頑なに拒否するようになります。

交換条件のないやり取りはお互い時間の無駄です。少なくとも子供のためにはなりません。際限ない要求をして子供は怒られたとしても、要求を実現することと引き換えにする我慢だと思うのです。もしかしたら無意識のうちに怒られるという嫌なことを我慢するというお仕事の結果、要求が認められると考えているかもしれません。交換条件のないやり取りは、子供と親の我慢比べになってしまいます。子供は欲求を満たすために、実現するまで要求し続けるはずです。親が諦めるまで。

子育てに交換条件を持ち込むことが、子育ての極意だと思います。
何故なら、子供の欲求を交換条件により制限できるからです。
例えばゲームセンターでゲームがしたいと子供に言われたら、お風呂掃除を1回。2回ゲームをしたいと言われればお風呂掃除を2回してもらうのです。
お菓子がほしいと言われれば、お皿洗いを1回などと提案するのです。
交換条件はお手伝いに限りません。お手伝いよりも勉強をさせたいと思えば、計算問題を100問でも構いません。
交換条件の対象と相場(何回行うか)は状況により変えていけばいいのです。
前もってある程度決めておけば、ゲームを本当にしたい場合子供の側から『お風呂掃除を3回するからゲームをさせてください』と言ってくるようになります。逆にお風呂掃除をしてまではやりたくないゲームの場合、親にゲームを求めることがなくなります。少しやりたい程度だとお風呂掃除という交換条件では割に合わないと自分で考えるのです。この交換条件がなければダメ元でゲームしたいと言い出すことでしょう。

交換条件が子育ての極意だと考えるのは、子供が自分で考えるように導くことができるからです。考えるきっかけを与えることができるからです。
子育てに交換条件を持ち込んでみましょう。

相次ぐ金塊密輸に思う

相次ぐ金塊密輸事件に思います。法律で売買を禁止されている訳ではない金塊をわざわざ密輸する目的は消費税です。密輸に成功すれば消費税分得をするのです。密輸に失敗しても金塊の大半は返却されるのでリスクをおかす輩がいるのです。

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脱税の際に提案した、脱税した額を全て没収し、更に悪質であれば罰金を課す仕組みと同じで密輸した金塊は没収にすべきです。何故なら金塊密輸に旨味があるからです。摘発のリスクを犯しても、成功すれば丸儲け、失敗してもペナルティーが多少あるだけだと考えているからです。損得を考えて、金塊の密輸がトータルで損な仕組みにしてしまえば馬鹿らしくて誰もやらなくなります。

脱税も金塊密輸もトータルで損する仕組みにしてしまえば良いはずです。何故しないのでしょうか?そこまで深く考えていないだけならこれから考えてもらうとして、もしかしたら政治家や支援者が脱税の可能性があるから逃げ道を残しているのなら悲しいですね。

これまでは罰則として刑罰を課すことで、犯罪の抑止力としていました。刑罰を受けないために犯罪を犯さないはずだという視点に立って法律が作られています。これは元々犯罪を犯さないつもりの人達にとっては非常に有効な仕組みです。しかし犯罪者は犯罪で得られる利益と見つかった際に受ける刑罰とのバランスを考えて、得だと思うと犯罪を犯してしまうのです。得られる利益に対して罰則が軽ければダメ元で犯罪を犯そうとする輩がいるのです。
犯罪の抑止が刑罰では行えないことは、死刑にしてほしくて人を殺してしまう人がいることからもわかります。少なくとも経済犯罪は見つかったら利得を全て没収し、更に罰金という刑罰にすれば、損得が分かる人間であれば行わないでしょう。つまり犯罪により期待される収支をマイナスにしてしまうのです。犯罪に成功すれば利益が得られても、失敗すれば大損ししかも犯罪者という仕組みにすればかなりの経済犯罪は予防できるでしょう。

何故しないのでしょうか?
刑罰以外の犯罪を防止する仕組みをそろそろ考えても良い時代ではないでしょうか?

怒るのは幼稚な証拠

人は思い通りにならないと怒る生き物のようです。0歳児でも思い通りにならなければ怒り出します。0歳児が思い通りにならないと怒るのは本能なのかもしれません。しかし大人が他人に対して怒るのは、赤ちゃんのように幼稚な証拠だと私は思います。若い頃に怒ることをやめたアドラーが作り上げた心理学によると怒りは感情であり、感情をコントロールすることは無意味だそうです。怒りを幼稚と捉えたり無意味だお捉えたりするのは、一見矛盾するようですが矛盾しません。何故なら怒る前に認知という作業があるからです。同じ事柄でも人によって捉え方が異なるのです。人によっては嬉しく思うことでも、他の人にとっては腹立たしく思うこと、悲しく感じることがあるのです。

不快だと感じることは仕方がないかもしれませんが、それを怒りと表現するか、悲しみと表現するかは考え方次第です。

例えば子供が片づけをしない事実を見て、怒りだす親がいたとします。
しかし片づけを出来ないことを悲しむ親がいても良いのではないでしょうか?自分が片づけの仕方や意味を教えていないと反省し悲しむ親がいても良いと思うのです。
同じ子供が片づけをしないという事実に対して、怒る人もいれば悲しむ人もいるし反省する人もいるのです。
相手が自分を怒らせるから自分が怒ることは仕方がないと考えている人もいますが、それは自分が絶対正しいという自分中心的な考え方です。その意味で自分が世界の中心である幼い子供と変わらないのです。そのような視点で怒るのは幼稚だと私は考えています。認知に自分の思い込みという問題があるからです。
自分が至らないところがあって、相手が自分の思い通りに動いていないに過ぎません。自分の思い通りに行動しないことを怒るのが幼稚だというのです。特に何度も同じことを言ったのに行動が変わらないとして怒る場合もありますが、言ったつもりということはよくあることです。

怒るのは犬が吠えるのと同じです。
怒ることで相手に伝わるのは不快だと感じていることだけです。
そもそも怒られている側は何に対して怒られているかわからないのですから、怒ること自体が無意味です。
我々は言葉が使える人間なのですから、怒ることで不快を伝えず言葉で不快に感じていることを伝えれば良いのではないでしょうか?そしてお互いで解決策を話し合えば争いはなくなるのではないでしょうか?

怒るのは自分が正しいと思い込んでいる幼稚な証拠だと私は思います。
怒っている人を見ると、自分は絶対正しいと勘違いしているんだろうなと思ってしまいます。逆に絶対正しいのであれば、怒らず教えてあげれば相手が恐縮するはずです。自分が正しいとは信じているけど、相手にわからせる自信がないから怒る勢いで自分の正当性を認めさせたいだけではないでしょうか?クレーマーなどは怒ることで相手を圧倒して、不当な要求をつきつけます。場合によっては相手が恐縮することを目的に言いがかりをつけてきますので、延々クレームを聞かされてしまいます。

怒るのはこれまで自分の思い通りに導くことができた成功体験が行動させるのでしょう。怒ることが幼稚だと理解する人が増えれば増える程、世の中から争いが減ると私は思います。全ての人が怒ることが幼稚だと理解することができれば、争いのない世の中がやってくるのかもしれません。私が生きている間に争いのない世の中がくることを祈っています。少なくとも1人でも多くの人が怒るのは幼稚だと気付くことを祈っています。

まずは病気で困って受診している患者さんを怒る医者に、怒ることが幼稚な証拠だと早く気付いて欲しいと考えています。そのためには患者さんの方から怒るような医者を避ける世の中になってほしいと考えています。