モリ・カケ問題から学ぶべきこと

一時国会を賑わせたモリ・カケ問題ですが、衆議院議員解散という奇策により有耶無耶になりそうです。そして自民党圧勝という結果によりモリ・カケ問題など最初から無かったという結論で終わってしまいそうです。モリ問題は根拠が不十分として議論されてはいますが、カケ問題は結局認可されてしまいました。

追求する側は証拠を揃えなければいけませんが、追求される側は証拠を極力残さないようにしているので決め手に欠けるのが現状です。

追求する側は相手に非を認めさせ、自分達の要求を正当化するために必死ですが、余程のことがなければ非を認めざるを得ないような証拠は残してはいないでしょう。非を認めさせるという視点だから話が前に進まないのではないでしょうか?

視点を再発防止のために追求するという具合に軸足を移すと解決策が見えてくると思います。このような場合も目的論で考えてみるのです。過去にこだわる原因を追求してもやましいところのある人達は必死で隠そうとします。目的で話し合うことで再発防止を図ることが出来るため、建設的です。責任追求という目的は、自分達を立場上有利にするというより深い真の目的が隠れています。私利私欲で行動してもなかなか賛同は得られません。再発防止という目的であれば、私利私欲からの行動ではなく、少なくとも同じことは起こり得ない仕組みを作ることが出来ます。

モリ・カケ問題解決の一案

責任追求と再発防止を切り分けることです。責任追求を前面に押し出してしまうと誰しも責任を取りたくないため、必死で隠そうとしてしまいます。嘘も付くかも知れません。その嘘を暴くという無駄な時間を要してしまいます。

まず再発防止のためにはどうするべきかを政権に投げ掛けるのです。その答えを再発防止の視点で議論するべきです。

例えば決定の過程を文書で残していなければ、誰の責任か曖昧にしないために、その時点の責任者がその時点まで遡って降格あるいは減俸、場合によっては懲戒免職というルールを作るのです。もっと過激な方法では、決定過程の文書を作成しなければ犯罪という法律を作ってしまうのも一案かもしれません。つまり忖度をするなら誰が誰の為にしたのか、証拠を残すのです。後で責任を追及される可能性がある証拠に残せない忖度は自然と消え去るという仕組みです。

モリ・カケ問題から学ぶべきこと

モリ・カケ問題から学ぶべきことは、有無を言わせない決定的な証拠が無ければ追求は時間の無駄ということです。合理的に考えておかしなことが多々ありますが、相手が惚けてしまえば決定的な証拠が無ければ議論は噛み合いません。

少なくとも決定的な証拠が見つかるまでは、今後に備えて再発防止策を話し合うべきです。再発防止策を話し合うことをせずに決定的な証拠なしで責任追求をしようとするから時間だけが過ぎてしまうのです。

民主主義が優れているのは間違った政策を取ると選挙で淘汰されることです。人民の集合知により間違いを炙り出すことが出来ることです。

しかし今のままでは同じことが起こり得ます。何故ならおかしなことがあっても誰も責任をとらず、再発防止策も作られてはいないからです。政治家の中に『目的論』で物事を考えることのできる傑出した人物が登場することを心から望んでいます。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。