子供を闇雲に褒めて育ててはいけない理由

世間一般では子供は褒めて育てようという風潮がありますが、私は子供を褒めて育ててはいけないと考えています。絶対に褒めてはいけないというような極端なことを言いたい訳ではありません。わざわざ褒めるところを探してでも褒める育て方は勿体無いと考えているのです。その理由を書いていきたいと思います。

褒めるとは?

そもそも褒めるとは出来ないと思っていること、つまり出来ると期待していないことが出来た際に賞賛することです。つまり褒めるのは相手が出来ないと思っていた現れなのです。だから目下の者が目上の者を褒めると違和感を感じるのです。

凄いですねと褒められれば、この人は自分に期待していなかったと理解すべきなのです。褒められたら本当は残念がらなければいけないのです。褒められて喜ぶのは自分も出来ないと思っていた場合です。自分にとって当たり前のことをして褒められても大して嬉しくないのは、出来て当然だと考えているからです。

闇雲に褒めて育ててはいけない理由

闇雲に褒めて育ててはいけない理由は、闇雲に褒めて育てていると子供や人が褒められないと行動しなくなるからです。褒められることが目的と勘違いしてしまい、褒められるために行動するようになるのです。いわば褒められることに心理的に依存するのです。褒める側からみても褒められている人は喜びます。その褒められた人が喜ぶから褒めるという依存に陥る、お互い共依存の状態に陥ることもあるのです。

子離れ出来ない親や、親離れ出来ない子供は褒めて褒められの共依存状態なのかもしれません。

親が子供を一生褒め続けることは不可能です。だから闇雲に褒めて育ててはいけないのです。親に闇雲に褒められて育てられた人は、自分が行動すれば褒められることが当然だと勘違いしています。褒められるためにわざわざ行動しているのに、期待通り褒められないとやる気をなくしてしまうのです。歪んだ心理が潜んでいると、自分は努力しているのに正当に評価してくれない相手に対して敵意を抱いてしまいます。

つまり目的を勘違いしてしまうから褒めて育ててはいけないのです。本来の目的を知らず、褒められることが目的なので、ズルをしてでも褒められようとしてしまいます。

褒めて育てていては自立出来ない子供に育ててしまうのです。自立出来なくても良ければ闇雲に褒めて育てると良いと思います。

褒めて育てているつもりが、闇雲に褒めて自立心を摘み取ってしまっているのかもしれません。勿体無い褒め方です。

褒め方の提案

闇雲に褒めてはいけないのは上記の通りです。闇雲に褒めてはいけないだけで、褒め方に気をつければ褒めても構わないと思います。その褒め方を提案したいと思います。

出来なかったこと、出来ないと思っていたことに対してだけ褒めるようにしましょう。いつも出来ることを闇雲に褒めるのは、自分の意思で頑張る力を削いでしまう勿体無い褒め方です。

褒める際に出来ないと思っていたかどうかを考えて、褒めるかどうか決めるのです。出来ないと思っていたのであれば素直に褒めれば良いと思います。出来ると思っていたのであれば、日頃の努力の賜物なので出来ると思っていたよと笑顔で伝えてあげれば良いのです。

ちなみに「学力」の経済学によると褒めるのは結果ではなく、過程が良いそうです。何故なら結果は偶然や様々な要因によって左右されてしまうため、必ずしも自分だけの要因ではないからです。どのようにすれば同じ結果が得られるか自分でもわからないため、再現性がないからです。その点努力の過程を褒めると、自分が努力すれば良いだけです。他の要因に左右される紛れがありません。結果は残せなくても努力することを褒めると、次の努力を厭わなくなるのです。

適切に褒めましょう

何でもかんでも闇雲に褒めると褒められることが目的になってしまいます。

絶対に褒めてはいけない訳ではありません。適切に褒めるようにしましょう。

出来ないと思っていたことが初めて出来たのであれば褒めるべきだと思います。逆に出来ると思っていたことが当たり前に出来ても褒めるべきではないと思います。

結果が伴わなくても特段の努力をしたのであれば、努力を認めてあげるべきだと思います。努力を認めてあげるだけで、次の努力が出来るようになります。

子供や人の褒め方、一度考えてみてあげてください。

子育ての極意 交換条件

様々な物事の解決策には交換条件が適切だと思います。特に子育ての極意は交換条件だと思います。何故なら子供の要求に交換条件がないから、無制限に親が諦めるまで要求するのです。子供の要求に交換条件を求めると、無駄なやり取りがなくなります。少なくともかなり減ると思います。交換条件なしを認めていると、子供の要求に際限がありません。無料だからです。
タダで貰うものは誰だって欲しいです。お金という交換条件が無いから、タダで貰うということは別の制限が必要となり、無料配布などの場合など通常は個数の制限をするのです。

多くの子供のお願いは交換条件無しにお願いしているように思います。お菓子買って!おもちゃ買って!と、交換条件が無いから止め処もなく要求がエスカレートしてしまうのです。というよりもダメ元お願いしてみるのです。何しろ交換条件というリスクがないのですから、少しでも欲しければとりあえず要求しておかないと損なのです。
お願いされる側も交換条件無しに要求されるので、一度要求を受け入れるとどこまで要求されるようになるかわからないので、頑なに拒否するようになります。

交換条件のないやり取りはお互い時間の無駄です。少なくとも子供のためにはなりません。際限ない要求をして子供は怒られたとしても、要求を実現することと引き換えにする我慢だと思うのです。交換条件のないやり取りは、子供と親の我慢比べになってしまいます。子供は欲求を満たすために、実現するまで要求し続けるはずです。親が諦めるまで。

子育てに交換条件を持ち込むことが、子育ての極意だと思います。
何故なら、子供の欲求を交換条件により制限できるからです。
例えばゲームセンターでゲームがしたいと子供に言われたら、お風呂掃除を1回。2回ゲームをしたいと言われればお風呂掃除を2回してもらうのです。
お菓子がほしいと言われれば、お皿洗いを1回などと提案するのです。
交換条件はお手伝いに限りません。お手伝いよりも勉強をさせたいと思えば、計算問題を100問でも構いません。
交換条件の対象と相場(何回行うか)は状況により変えていけばいいのです。
前もってある程度決めておけば、ゲームを本当にしたい場合子供の側から『お風呂掃除を3回するからゲームをさせてください』と言ってくるようになります。逆にお風呂掃除をしてまではやりたくないゲームの場合、親にゲームを求めることがなくなります。少しやりたい程度だとお風呂掃除という交換条件では割に合わないと自分で考えるのです。この交換条件がなければダメ元でゲームしたいと言い出すことでしょう。

交換条件が子育ての極意だと考えるのは、子供が自分で考えるように導くことができるからです。考えるきっかけを与えることができるからです。
子育てに交換条件を持ち込んでみましょう。

スマホ育児アンケートに思う

スマホ育児とは小さい子供にスマホを見せることで静かに待たせる育児の仕方のことです。アンケート結果によると賛否両論あるようです。アンケートそのものに意味がないと私は思いますが、私の考える私論を書いてみたいと思います。

まず子供が興味を持って真剣に見るスマホを否定する必要がありません。興味を持つ時点で子供にとって何がしかの得るものがあるから見ているのです。スマホ育児を否定する人達はスマホが悪いと根拠なく一種の宗教のように信じているか、自分が子育てした際に苦労したから内心羨ましいのです。もしくはスマホを否定することで自分の存在意義を示したい人達だと私は思います。

テレビが一般家庭に行き渡った時代、子供はテレビばかり見てはいけませんと言われていたのと何ら変わりません。テレビを見て育った子供が今親になっているのです。確かに現在様々な問題がありますが、テレビのせいだとは思えません。そう考えれば、スマホも後で考えれば問題だったということは考えにくいと思います。アンケートにより新しい物を受け入れられない人達がいることがわかるだけではないでしょうか?

公共の場で泣き叫ぶ子供と、スマホを見て静かにしている子供。どちらが子供にとって快適なのでしょうか?少なくとも嫌な場所で我慢させられるよりも、興味のあるスマホを見る方が、子供にとって余程楽しいし得るものがあると思います。ただしスマホで見せる内容は吟味しても良いのかもしれません。

スマホ育児の是非を問うことに意味はありません。スマホ育児で何を見せるかの議論にこそ意味があるのではないでしょうか?そもそも意味がないスマホ育児のアンケートをする目的自体が、スマホを見て欲しくないテレビ局や新聞社など旧来のメディアが意図的に行うのではないかと思います。少しでもテレビやを見てもらう目的で、スマホ育児を否定したいためにあえてアンケートをとったのではないかと思います。そして一見同一に扱うように見せかけて、スマホ育児を否定するように仕向けているように思います。

スマホはあるのですから否定しても仕方がありません。今でもスマホを使いこなさない人もいるのですから、スマホを使う使わないは自由です。スマホを育児に使う使わないは自由です。他人が口出しするのは越権行為です。スマホ育児の是非ではなく、何を見せると良いのかを議論することに意味があると私は思いますが如何でしょうか?

少なくともスマホでの情報が子供達に刺激を与えることは間違いない事実です。どんな刺激を与えると子供のためになるのかを議論しましょう。

乳児湿疹の原因解明 (ミルクの場合)

ミルク栄養の場合の乳児湿疹の原因を解明しました。当初はミルクのメーカーの問題だと思っていましたが、ミルクの成分によって生じる訳ではありませんでした。ミルクの溶き方の問題でした。乳児湿疹を生じるのは、ミルクの溶き方が濃い場合が多いようです。乳児湿疹の赤ちゃん8人中、6人がミルクの溶き方が濃かった覚えがあるとのことでした。濃い方が美味しいと思って濃い目に溶いた方もおられましたし、夜間暗い中で適当に作ったという方もおられました。お話をお伺いしていると、濃い溶き方といっても5〜10%程お湯が少ない程度です。またはスプーンにすり切りにするところを山盛りにしている程度です。そんな些細なことで乳児湿疹を生じるお子さんがおられるようです。

全員がミルクの溶き方を以前より薄くすることで再発しなくなりました。お母さんはこれまで何度も繰り返していた乳児湿疹があっさり治って症状が再発しなくなるので非常に驚かれます。体重増加の心配をされる方には、ミルクの回数を増やすことで補うように提案しています。

ミルク栄養で乳児湿疹にお悩み場合、試しにミルクを少し薄くしてみて下さい。

交換条件が世の中を変える

交換条件が世の中を変えると私は思います。子育てはもちろん周囲の人との人間関係や政治までも変わると思います。

世の中でうまく物事が噛み合わないのはどちらか一方が得をする仕組みで、交換条件がないため歯止めがきかないからではないでしょうか?

子育てで困る理由

子育てにおいて子供の要求には際限がありません。ポテトチップスを食べたけどチョコレートも食べたいのです。小さなオモチャを買ってもらえば次はもっと大きいオモチャ、もっと良いオモチャが欲しいと要求するのは当たり前なのです。子供の要求に際限が無いのは何も引き換えにするものがないからです。ただで手に入るのですから、もらえればもらえるだけお得なのです。要求するのもただですからいくらでも要求するのです。大人はその都度断る手間に追われ、根負けして買い与えてしまうのです。そして子供達は苦労した結果手に入れたという成功体験として記憶するので、同じことを繰り返します。

問題の本質は親が与え、子供はただもらって当たり前という点にあるのではないでしょうか?つまり交換条件がないまま、一方的に子供の要求を受け入れるか受け入れないかの二択だから困るのです。子育てにも交換条件を取り入れると子育てが変わると私は思います。

世の中は交換条件で成り立つ

人は対価を支払う必要がなければいくらでも要求します。人の行動に歯止めをかけるのが対価あるいは交換条件です。大人社会での対価や交換条件はお金です。お金という共通のものに変換して、誰でも様々な価値のやりとりを出来るようにしているのです。物はもちろん、労働やサービスをお金を介して交換することで世の中は成り立っています。その交換条件の仕組みが機能していないところで問題が起こっています。

例えば何かをしようとすると反対する人がいます。ただ反対するだけで何も交換条件を出していません。お菓子をせがむ子供と何ら変わりません。建設反対と叫ぶ人はいますが、交換条件を提示して反対する人を見たことがありません。お金や知恵を出すから反対と言うべきではないでしょうか?

別の場面で置き換えると、民間では無謀な計画が動き出すことが少ないのは交換条件があるからです。会社そのものが倒産する交換条件が前提となっているのです。行政が無謀な計画を実行してしまうことがあるのが、失敗したとしても交換条件がないからです。議員は次の選挙で落ちるかもしれませんが、公務員は何も交換するものはありません。

交換条件が世の中を変える

私は交換条件が世の中を変えると考えます。むしろ交換条件という概念がないために混乱しているに過ぎないのです。

例えば子育てにおいての交換条件とはなんでしょう。「お菓子が欲しい」と子供がいえば、「代わりに何をするの?」とたずねるのです。お菓子に対する交換条件を求めるのです。ただ求めるのではなく、子供が何かと引き換えにする仕組みを考えるのです。交換レートはいくらでも構いません。非常に簡単なことで良いのです。交換条件があるということに意味があるのです。そして条件はその都度変えていけば良いのです。最初は簡単なことでも、次は少しハードルを上げるのです。子供が小さいうちはポストから手紙をとってくるだけでもいいですし、食事の際の箸を並べるだけでも良いでしょう。交換条件を最初から厳しくしないことです。子供にとって罰だと感じてしまうと拒絶してしまうからです。

「ゲームをしたい」「じゃあお風呂掃除だね」「もう一回ゲームしたい」「じゃあトイレ掃除もする」といった具合に、子供が手伝ってくれると助かることを交換条件にしてしまうのです。

子供の要求と交換条件が釣り合わないと思えば、交換レートを調整するのです。繰り返していると子供は無闇に要求をしなくなります。そしてどうしてもやりたい要求は前もって自分から交換条件を提示するようになります。引き換える価値があると前もって感じているのです。交換レートが妥当なら受け入れ、簡単過ぎると思えば追加すれば良いのです。

お風呂掃除と言っていても結局やらなければ、次は要求を受け入れなければ良いのです。少なくともお風呂掃除をするまでは受け入れる必要はありません。交換条件を満たしていないからです。それでもやりたいことを要求する場合には、何か別の交換条件を提示することです。例えば洗濯物を取り込むとか、料理のお手伝いをするとかです。更に以前のお風呂掃除もしなければ次は要求を受け入れないことを宣言するのです。

これまでは子育てについて書きましたが、大人も同じです。何か要求するなら交換条件が必要です。例えばお金を支払うのか、代わりに何かをしてくれるのかなどです。一方的な要求で交換条件が用意されないので、子供がお菓子をせがむのと同じで際限がなくなるのです。最たる例がサービス残業です。残業に対して残業代という交換条件があるから歯止めがかかるのに、残業代を支払うという前提がないといくらでも仕事を押し付けてしまうのです。しかも仕事の必要か不必要かを詳しく吟味することなく押し付けてしまうのです。何故なら残業代という交換条件がないので、わざわざ必要か不必要かを吟味せず押し付けてしまえば自分は困らないからです。

何か要求されたら、代わりに何をしてくれますか?と聞くのが当たり前の世の中になれば、無駄な要求が減ると私は考えます。厳密にやり過ぎるとギスギスした人間関係になるので注意は必要ですが、子供のように要求が多い相手に対しては非常に有効な考え方だと思います。

良かったらご活用ください

赤ちゃんに濃い味を食べさせない理由

赤ちゃんに濃い味付けのものを食べさせると、濃い味付けに慣れてしまって薄味を食べなくなると聞いたことがあります。だから濃い味付けを食べさせてはいけないと言われているようです。

わざわざ赤ちゃんに濃い味付けを食べさせる必要は無いとは思いますが、何故いけないのか客観的に考えてみます。

一言で言えば塩分依存に陥るからです。人類が高血圧になる理由と同じです。塩分依存とは塩味に依存してしまい、塩気がやめられなくなるのです。薄味だと満足出来なくなるのです。

赤ちゃんに濃い味付けの物を食べさせていると塩分依存に陥ることがあるのです。塩分依存に陥ると薄味では満足出来ないので、薄味の物を食べてくれなくなるのです。昔の人達は理屈はともかく経験的に赤ちゃんに濃い味付けを食べさせていると薄味を食べなくなることを知っていたようです。

塩分依存の考え方からすれば、依存に至らなければ濃い味付けを時折食べても問題はないのかも知れません。ただ繰り返していると塩分依存に陥るので連続で濃い味付けを食べさせるのは問題があると思います。赤ちゃんを塩分依存にさせないために濃い味付けを続けて食べさせない方がお得だと思います。

ちなみに大人でも濃い味付けを好むのは塩分依存に陥っているだけなのかも知れません。高血圧の人が塩分を制限すると良いことを知っていても、なかなか塩分を減らすことが出来ないのは塩分依存だからなのかも知れません。

塩分依存は糖質依存との共依存の可能性が高いので、まず糖質回避により糖質依存から抜け出すと塩分依存からも抜け出すことが出来ると思います。

怒る意味 怒る必要のない子育て

怒る必要のない子育てを提案しています。

今回は怒る意味を考えてみます。怒るのは感情なので仕方ないと考えている人も多いかもしれませんが、アドラーの心理学によると認知の仕方により同じ物事を喜びとして捉えることが出来るかもしれないのです。

例えばすれ違った女の人が自分の顔を見て笑ったように見えたとします。嘲笑われたと認知すれば、怒りを感じるでしょう。微笑んでくれたと認知すれば好意を持ってくれていると感じることが出来るでしょう。怒りの前に認知という作業があるので、アドラーは認知を修正することで怒る必要などないことを提唱しています。ちなみにアドラーはそのことに気付いたので、若い頃に怒るのをやめたそうです。

怒る意味。犬が吠えるのと変わらない

人は意識しているか無意識かは別にして、必ず目的を持って行動しています(目的論)。では人が怒る目的は何でしょうか?相手を支配することです。通常人が人を怒る場合、立場の強い者が立場の弱い者を怒ります。怒るのとでその立場の違いを明確にし、従わせることを目的に怒るに過ぎません。

相手の行動を変えるために怒ると誤解している人がいますが、怒れても人の行動は通常変わりません。何故なら怒られている人には、怒られている理由がよくわからないからです。

怒ることで伝わるのは不快な思いをしているということだけです。言い換えると犬が吠えているのと何ら変わりません。犬が吠えていれば怒っているのはわかります。しかし何を怒っているのか想像するしかありません。何故なら犬とは会話出来ないからです。怒っている人が犬が吠えるのと同じというのは、怒る理由を相手にわかるように説明しないからです。怒っていることしか伝わらず、何をどのように怒っているのかわからないのです。

 

怒るのは感情をぶつけているに過ぎないのです。感情をぶつけられても、他人には感情は理解出来ないのです。人が怒るのは、相手も共通の認識を持っているはずなのにその認識を持っていないからです。しかし多くの場合相手も共通の認識をしているはずだと誤解していることが原因です。相手も知っているはずだと思い込んでいるので、知らないことが想像出来ないのです。

認識の齟齬があるにも関わらず、共通の認識を前提に怒るのです。認識の齟齬をお互いで修正しなければ怒るのは犬が吠えているのと変わりません。認識の齟齬が修正されないのですから、同じことを繰り返すのは当然です。

怒らない対策

散々怒り散らされた後で、「わかった?」と聞かれて、「怒られている意味がわかりません」とは怖くて言えないでしょう。次は「わかったと言ったのにどうして出来ないの!」と責め立てる情景が目に浮かびます。片手に思い込んで何がわかったのか確認もせずに、「わかった?」と聞くのは客観的に見ればズレ漫才のように滑稽です。怒る目的が相手を支配することなので、「わかった」と言わせると満足出来るのです。相手の行動を変えることが目的であれば、何がわかったのか気になって仕方ないと私は思います。認識の齟齬が修正されたかどうか確認するために、「何がわかった?」と聞いてあげてください。

人を育てるのに怒る必要などありません。相手が知らなければ教えてあげれば良いだけです。いくら自分は常識だと思い込んでいても、相手が知らなければ仕方がありません。怒るのではなく、教えてあげれば良いだけです。もし相手が子供ならその常識を身につけさせてあげるべきなのは誰なのでしょうか?誰のせいで子供は常識を身につけていないのでしょうか?それなのに子供を怒るのは子供が二重の意味で可哀想だと私は思います。常識を身につけてくれない上に、更に怒られるのですから悲惨です。しかし子供が知らないことを親が認識出来ないのも仕方がありません。何故ならいつの間にか常識は身につけたので、自分は人に教えてもらったことを忘れたのです。常識は教えなくても自然に身につくと思い込んでいるのです。子供に常識などありません。親がその都度教えてあげなくては常識は生まれつき身についているなどあり得ないのです。何度言ってもなおらないと言う人もいますが、伝え方に問題があるに過ぎません。一方的に伝えたつもりになっているだけです。物事が伝わったかどうか確認しなければ伝わったかどうかわからないはずです。この文章を読まれた方の子育ての考え方が変わることを私は祈っています。

感情で人を動かそうとするのは幼稚です。何故なら言葉の通じない動物と変わらないからです。人は言葉という魔法を使うことが出来るのですから、言葉で認識の齟齬をなくしましょう。認識の齟齬が無くなれば怒る必要などありません。

赤ちゃんのヨダレはお腹が空いている証拠

ヨダレの多い赤ちゃんと少ない赤ちゃんがいます。体質だと誤解されているかもしれませんが、ただ単にお腹が空いているだけかもしれません。1日3食という親の常識にとらわれていると、ヨダレとお腹が空いていることが結びつかないようです。赤ちゃんは胃が小さいのでこまめに食べる必要があるようです。ヨダレを垂らしているのであれば、胃が空になってお腹が空いていることをアピールするボディランゲージなのかもしれません。泣くほどお腹が空いてはいないけど、胃は空っぽなのかもしれません。

赤ちゃんも3食で十分だと思い込んでいると、食べてすぐにお腹が空く訳がないと思いがちです。お腹が空いていると疑う発想がなければ、ヨダレを垂らしていても、お腹が空いているとは想像すら出来ないのです。

ヨダレを垂らしているのであれば、食べさせようとしてみましょう。お腹が空いていなければ口を開けないはずです。お腹が空いていれば口を開けるでしょう。

「この子ヨダレが多いの」とは間違っても人に言わないことです。何故なら食べさせ方が足らないことを人に言うと恥ずかしいからです。

ヨダレを垂らしている赤ちゃんを見かけたら、お腹空いているんだなと思ってあげましょう。泣く前に食べさせてあげましょう。

子育ての仕方 自分で考えさせる

子育ての仕方を考えています。
私は子育てにおいて子供を怒る必要はないと考えています。親が子を怒るのは、感情で子供をしたい表れに過ぎないからです。怒ることなどしなくても子供に物事を伝えることは出来るはずです。むしろ笑顔を引き出しながら育てられないか模索しています。

子育ての一つの指針は子供自身が考えることが出来るようにすることです。勉強は出来るにこしたことはありませんが、必ずしも勉強はできなくても良いかもしれません。何故なら学校の試験の成績は、学校の教科書を使ったパズルを解く能力の良し悪しをはかっているに過ぎないからです。

考えることは必ず必要となる能力です。特にこれまでにないアイデアを出すことは今のコンピュータには出来ません。人工知能が発達したとしても新しいアイデアを考えることが出来るようになるのは当分先の話でしょう。逆に今あることを処理するだけであれば、処理の仕方をプログラムするだけで今の機械ですら簡単にこなしてしまいます。つまり学校の試験を解くことは、処理の仕方に過ぎないので機械が出来る作業でしかなくなるのです。私達が苦労して解いた試験の『意味』がなくなる時代がすぐそこまできているのです。

今学校に通う子達は自らの意思で考えることが出来るようになるべきです。自ら考えることが出来なければ、機械には到底勝てません。もしかしたら機械と競っていることを意識すらさせてもらえないかもしれません。就職し働いている仕事が機械に置き換わると、機械に仕事を奪われたと実感出来るかもしれませんが、そもそも機械に仕事を奪われて就職出来なければ実感出来ないのです。

考えるとは、まず行動の目的を意識するだけでも違います。

何故高校に進学するのか?何を目的に高校に進学するのか?大学に進学するための学歴を取得するためであれば、大倹でも良いはずなのに何故高校に通うのか?何故大学に進学するのか?など当たり前に思っていることでさえも、考え始めればいくらでもネタはあります。

周囲の大人は考えるきっかけを与えてあげるしか出来ないのです。逆に考えるきっかけを上手く与えることが出来れば、その一言が人生の転換点になるかもしれないのです。

考えること。それが唯一21世紀を生き残る手段だと私は思います。

子供が時間を守らない時は?

久しぶりに怒らない子育ての話です。
怒らないと言っても放置する訳ではありません。知恵を使うことで怒る必要がない子育て法の提案です。

子供が時間を守らないのは、時間を守る『意味』を知らないのです。そして時間を守らなくても子供が困らないから時間を守らないことを繰り返します。もしくは時間を守るための具体的な方法を知らないのです。

時間を守る『意味』

時間は人間だけが持つ概念です。時間とは人間が快適に生活するために編み出された概念です。人間社会において社会生活をするために期限を区切る目的で作り出されたのでしょう。

時間という決まりがなければ、みんなが好き勝手な時に行動をすることになります。みんながバラバラなタイミングで行動をするので、非常に非効率的です。人間同士の活動の効率を高めるために時間という概念によりタイミングを合わせて行動せるのです。

時間を守る『意味』とは、お互いのタイミングを合わせることです。タイミングを逃してしまうと、効率が悪くなるので全体的にみると損をするのです。だから損をしないために時間を守るのです。

困る仕組みを作る

時間を守らなくても困ることがなければ、誰も時間を守ろうとはしません。国によっては時間とは大雑把な目安に過ぎず、誰もが時間通りに行動することを期待していません。誰も困らなければ、時間を守る動機が無いのです。

子供でも大人でも時間を守らなくても困らなければ、いくら怒られたところで時間を守ろうとはしません。怒られた直後には怒られないために、何とか時間を守ろうとはしても長続きはしません。何故なら怒られないことが目的なので、怒られない時点で気が緩むからです。

時間を守らなけば本人が困る仕組みを作ると、自分自身が困らないために時間を守るようになります。

例えば出発時間に間に合わなければ置いていくのです。置いて行かれると、自分で辿り着くのは大変だと教えることです。自分で考えて電車やバスを乗り継いで行くように仕向けるのです。時間に遅れると、自分が考えて行動しなければいけないことを教えてあげると良いと思います。最初からいきなり置いて、先に目的地までいくのではなく、段階を追って教えてあげると良いと思います。

例えば先に出発して少し行った先で待っておいてあげるのです。置いて行かれることはないと安心し切っていると、なかなか行動しようとしません。そこで本当に置いて行かれることを理解させることです。そして自分で考えなければいけない分、大変だと教えてあげるのです。

そして何度か置いていっても時間通りに行動しようとしない場合、完全に置いていくことを警告しておくのです。いきなり置いていくと虐待と区別がつかなくなります。あくまでも時間通りに行動しなければいけないことを理解してもらうことが目的だから、段階を追って教えてあげるのです。

他に時間通りに行動しなければ損する仕組みとしては、時間に遅れた分遊びや楽しむ時間を削ることです。終了時間を先に設定して説明しておくのです。時間に遅れると、その分時間が減るので、時間を守る大切さを身をもって実感してもらうのです。

相手が困る仕組みのメリット

相手が困る仕組みを設定するメリットは、わざわざ怒る必要がないことです。相手が時間に遅れると、勝手に相手が困るのですから、怒る必要などありません。自分自身が時間を守らなければ損するのですから、次第に時間を守るようになるでしょう。