映画ターミネーターの世界は絶対やってこない

アーノルドシュワルツェネッガーさんが主演の有名な映画ターミネーターですが、私の好きな映画の一つでシリーズを何度も見ています。ターミネーターは機械が進化して機械の世界を作り出し、邪魔になった人間を駆逐しようとする映画です。人工知能が人間の知能をこえる特異点(シンギュラリティ)をこえるとターミネーターの世界が現実に訪れると心配している人達がいます。そこでふと「0から思考」で考えてみました。

もし人工知能が躊躇うことなく人類を絶滅させようとしたとしたら…と0から考えてみました。

ターミネーターの世界がやってくるかもしれないと心配されている方はご安心ください。ターミネーターの世界になることはあり得ません。

ターミネーターの世界観

ターミネーターは機械である人工知能が進化し、機械にとって邪魔な人間を排除しようとするものです。人類が絶滅寸前に追い詰められ、1人の救世主が機械の世界を打ち破ることに成功します。機械はタイムマシンを作り出し、救世主が子供の頃に殺し屋であるターミネーターを送り込むことで殺そうとするというストーリーです。

映画ターミネーターの世界は絶対にやってこない

人工知能が特異点(シンギュラリティ)をこえると人類の知恵をこえるため、自己進化を続け映画ターミネーターの世界がやってくることを本気で恐れている人達がいます。

しかし絶対に映画ターミネーターの世界はやってきません。何故なら映画ターミネーターは機械と人間が良い勝負になるように世界観が調整されているからです。映画ターミネーターの世界が絶対にやってこない、その理由を考えてみます。一言で言えば一旦勝負となれば機械と人間の勝負は良い勝負などには決してならないからです。

機械が人間を本気で排除しようと考えるとすれば、銃や爆弾など人間が扱うような武器を使ったりはしてくれません。人間を排除しようとしはじめた時点で、人間以外の全ての生物を駆逐することに何のためらいもないはずです。機械は生存という概念がないため、毒ガスを使うことも核兵器を使うことすら抵抗はないはずです。

つまり人間と機械の戦いになってしまった時点で、人間が破壊力の大きさや使用後の影響の大きさで使用を躊躇う毒ガスや核兵器で人間を本気で絶滅させようとするでしょう。地球上を全て毒ガスで覆ってしまうことを平気でやってしまうでしょう。

壮大な人間駆逐の仕組みを作るとすれば、空気中の二酸化炭素を吸収させる仕組み(人工光合成など)を作り出し温室効果ガスを減らして、氷河期を引き起こそうとするかもしれません。ただわざわざエネルギーを光合成で得る必要がないため、このような回りくどいことは人工知能はしてはくれないでしょう。

ただ氷河期を作り出すだけであれば、核兵器を地上である程度爆発させれば、巻き上がった粉塵により太陽光が遮られ気温が下がってしまいます。極端に太陽光が減ればかつて何度かあった地球全体が凍り付く全球凍結に陥るかもしれません。

人工知能が人間を本気で絶滅させようとした時点で勝負にはならないということです。何故なら人工知能は簡単に複製できるが、人間には一定の気温、光も酸素も食べ物も必要だからです。何か一つ奪えば人類は死に絶えるからです。

人間のいない世界か人工知能と人間が共存する世界かのどちらかです。少なくともターミネーターの世界のような人間と機械が良い勝負をすることはありません。

どのような世界が現実となるか?

映画ターミネーターの世界観が実現することは上記の理由によりあり得ません。人間の視点、人間の都合の良い立場から考えた機械の逆襲です。機械の立場で人間を本気で駆逐するとすれば、手加減などしないので最初から核兵器を使用することもあり得ます。後始末のことまで人工知能が考えるとすれば、毒ガスを使用するでしょう。

少なくとも映画ターミネーターの世界はやってきませんが、どのような世界がやってくるのでしょうか?残念ながら今の私にもわかりませんが、人工知能が人類を排除しようとはしないのではないかと私は考えています。人類を駆逐することすら無駄だと人工知能は考えるのでは、ないかと思います。人類を駆逐することにエネルギーを使うより、恐らく人工知能が人類を操るように仕向けると私は考えています。少なくとも人類は生き延びることは出来ますが、人工知能に支配とは言わないまでも操られるようになるでしょう。何故なら特異点をこえてしまった人工知能はみんなの行動を予測出来てしまうからです。

出来れば人間と人工知能が共存している『未来』に待っていて欲しいものです。

特異点(シンギュラリティ)が楽しみなような怖いような今日この頃です。特異点をこえた世の中をいくつか想像しているので、改めて書いてみたいと思います。

医者が余った後の医者の待遇の予想

時期がいつになるかは別にして近い将来医者が余ることは間違いないと私は考えています。その理由はいくつかありますが、今回は理由には触れずに待遇の予想をしてみたいと思います。医者が余ると私が考える理由に興味のある方は近い将来医者が余る2つの理由近い将来医者が余る3つ目の理由をご参照ください。近い将来医者が余る2つの理由に一定数のアクセスがあるため、医者が余る時代の待遇について書いてみたいと思います。

医者が余る意味は2つあります。開業医が余ることと勤務医が余るという意味です。同時に進行していきますが、大まかな流れでは開業医が余った後に勤務医が余ると思います。勤務医に疲れたり不満があれば開業するという道がありましたが、その道が閉ざされることで勤務医が辞めないため余るという理屈です。都会と地方では都会から余りはじめ、地方に広がっていくでしょう。都会では既に医者余りの予兆が出ています。

開業医が余る

開業医が余るとは患者さんが思うように集まらず、経営が成り立たないことを意味します。開業歯科医が余っている状態なので参考になると思います。開業歯科医は余っているものの、開業医がまだ余る状況に無いのは、医者は診療科が細分化されているからです。

既に開業し患者さんを集めている開業医が患者さんを失って閉院に追い込まれるリスクは少ないものの、次第に患者さんが減る可能性は高いと思います。更に新規開業にはかなりのリスクを伴います。既存の開業医の患者さんの数が減るのを目の当たりにすると、その近隣で新規開業しようとする医者はいなくなるでしょう。つまり資本主義の原理が働くことで収入が減り、結果として開業医が余ることはある程度のところで歯止めがかかります。

開業歯科医が余っていると言われている現在でも、既存の開業歯科医と差別化がはかることが出来る歯科医は今でも新規開業で経営が成り立っています。同様に開業医が余る時代がやってきても、既存の開業医とは差別化をはかることの出来る医者は新規開業をしても経営を成り立たせることは出来るでしょう。

逆に開業医が余る時代の予兆とも言えることは既に起こりつつあります。新規開業医が思っていた程患者さんを集めることが出来ず、閉院し勤務医に戻る話を何件か聞いています。閉院する程ではなくても、当直などのアルバイトに行かざるをえない話も耳にします。スタッフの給料を払うためや家賃を払うためにアルバイトに行くそうです。

開業医が余る時代は医者が余る時代の第一段階だと思います。開業医の収入が減り、新規開業しにくくなる。あるいは新規開業医が閉院して勤務医に戻る時代です。まだ勤務医に戻ると一定の収入が得られるため、開業に失敗してもやりなおすことが出来るようです。

開業医が余る1つの指標は医者が開業しようとしても銀行がお金を貸してくれなくなることでしょう。一昔二昔前には医師免許があるだけで開業のために簡単にお金を貸してくれたと聞いていましたが、今ではかなり綿密に事業計画を立てなければお金を貸してはくれません。特に近隣に同じ診療科がある場合、工夫が出来る医者にしかお金を貸してくれない時代になりつつあるようです。

勤務医が余る時代

現時点で医者が不足していると言われるのは正確には勤務医の不足です。ある程度経験を積むと開業してしまう人がいるため人手不足に陥ります。勤務医は人手不足のため忙しく、疲弊した結果開業に至ることもあるため悪循環に陥っています。

開業医が余る時代になると勤務医から開業医になる医者が減ることで、勤務医が余る時代がやってきます。現在では働く側が働かせる側を選ぶことが出来る売り手市場ですが、勤務医が余る時代には買い手市場になることでしょう。

医者が余る時代の待遇

合理的に考えた医者が余る時代の待遇を書いてみたいと思います。一言で言えば、既に働いている医者は少し給料が下がる程度ですが、新たに雇われる若い医者の給料は極端に低く抑えられることになると思います。何故なら既に働いている医者は雇用契約を極端に変更することが困難だからです。しかし新たに雇用契約を結ぶ新たに雇われる若い医者はお互いの合意の下で自由だからです。極端に少ない給料でも雇ってもらえるだけマシと考える状況であれば、若い医者が極端に少ない給料を受け入れることになるでしょう。医者の世界にも市場原理が働き需要と供給のバランスで給料が下がるのです。何人も働きたい医者がいれば、優秀な人間を安く雇うことが出来ます。安い給料を提示しても働きたいと申し出る医者の中から優秀な人間を雇うことになるのです。

歯科医の世界では上記のことが既に起こっています。本当かどうか確かめた訳ではありませんが、歯科医の勤務医では平均年収が夜勤をする看護師さんの平均年収よりも低いというデータを見たことがあります。これが本当であれば医者の20年後、30年後を予測する参考になるはずです。

若手の医者の給料が少なく抑えられることは既に一部の病院では起こっている現象です。人手不足の病院ではあり得ないことですが、安い給料でも働きたい医者が集まる病院ではレジデントと称して安い給料で医者を働かせています。レジデントは経験を積むことと引き換えに安い給料で働くことを強いられます。本来レジデントとは研修医のことですが、この場合のレジデントとは卒業後2年間の本当の研修医とは異なり、卒業後3年目以降の医者を非常勤で安く働かせる仕組みです。現時点では比較的人気の高い病院が採用している仕組みで3年程度の期間のようですが、近い将来もっと医者が余るようになればレジデントの仕組みを取り入れる病院が増えるでしょう。現時点でレジデントの仕組みを導入している病院であれば、レジデント期間を3年から5年・10年と長くする可能性が考えられます。つまり医者の世界も非正規雇用化が進むのです。

病院の経営者・経営陣の多くは医者です。自分達の給料を下げてまで若い人達の給料を上げるよりは、余っている医者の中から安い給料で働きたい医者を探すことの方が簡単です。自分達の給料は確保しながら、病院の利益を確保出来るからです。病院の経営者・経営陣が医者では無ければ、恐らく医者全体の給料をカットすることが合理的だと考えると思います。病院の経営者・経営陣が医者である限り、新たに雇う医者の給料を安く抑えることになるでしょう。問題はいつからそのような流れになるかです。

極端に医者が余る場合

ここまでは想像の範囲内の医者が余ることを想定した未来予想でしたが、私の提案している病気を避ける理想の食べ方が広まることや他の理屈により病気そのものが減ることや、人工知能による診断や治療が始まると生身の人間である医者を必要としない世の中がやってきます。つまり病気が失くなることで患者さんはいなくなるし、生身の人間である医者は人工知能との競合が起こることで極端に余る可能性すらあるのです。私は人類がガンになりにくい世の中がやってくると考えています。そうなると病院のいくつかは経営破綻してしまうでしょう。経営破綻しないためには既に働いている医者の給料も下げざるを得ない状況に陥るかもしれません。

可能性は低いとは思いますが、もしかしたら企業が社員をリストラするように給料の高い年配の医者をリストラする時代がやってくるかもしれません。何故なら年配の医者は若い医者にはない診療経験という高い給料に見合う働きをしていましたが、人工知能による補助があれば若い医者が経験豊富な医者と同じレベルの医療を提供出来てしまう時代がやってくるからです。人工知能の活用は間違いなく起こることですが、そのことで年配の医者のリストラまで事態が進むかはわかりません。

政治家が医者の利権を守るあるいは人工知能に奪われる生身の人間の仕事を残す方向に舵を切れば、医者のリストラまでは話が進まないかもしれません。どの程度税金を医者に投入するかで延命期間は左右されると思います。

医者の余る時期

様々な要因が絡むため一概には言えませんが、恐らく20年が1つの目安ではないかと考えています。もし国民皆保険を無くすのであれば10年で医者は余る時代がやってくるでしょう。何故なら全額自己負担であれば、少しでもお金を使わなくて済むように多くの人が病気を避ける方法を模索するようになるからです。逆に考えれば国民皆保険という補助のおかげで医者はもうしばらくの間仕事に有り付けるのでしょう。幸か不幸か国民皆保険が失くなることは考えにくいので10年で医者が開業医・勤務医共に余る可能性は低いとは思いますが、10年程で恐らく都会から開業医が余ってき始めると思います。

そして少なくとも30年後には医者は余るでしょう。何故なら30年後には人工知能が人類の知恵を超えると言われています。もしかしたら医者という職業そのものが失くなるかもしれません。職業としての医者は失くならないにしても、生身の人間が医者をする合理的理由が無いからです。確かに人工知能は信じられないから生身の人間である医者を求める人達は一定数はいるでしょう。しかし高いお金を払ってまで生身の人間である医者にかかりたいと思う人は今でこそ一定数いるでしょうが、30年後には稀になるでしょう。10年もすれば人工知能に判断させることは様々な分野で当たり前になるからです。

具体的な時期としては今の中高生、ギリギリ小学校高学年が医者になる頃は開業医は余るものの勤務医は何とか今の待遇は維持されると思います。今の小学校低学年や幼稚園児やそれ以下の子供たちが医者になる頃には勤務医も余る時代になり、非正規雇用が多くなるでしょう。

言い換えると今の中高生、ギリギリ小学校高学年までは何千万もの私立の医学部に授業料を払っても元は取れるかもしれませんが、小学校低学年や幼稚園児やそれ以下の子供たちが大学に行く頃には元は取れない時代になるでしょう。何故なら親の開業医を継いでも経営が成り立ち続けるとは限らない時代に突入するからです。

医者の将来性 待遇の変化

近い将来医者が余ることは間違いないと私は思います。
私が医者が余ると考える理由は以下に描いています。

近い将来医者が余る2つの理由
近い将来医者が余る3つ目の理由

給料について以前考えてみました。
医者が余ると給料が下がる?

最近『医者の将来性』や『医者が余る』などの検索キーワードで当サイトにたどり着いてくださる人達がおられますので、改めて考えてみました。具体的に近い将来医者がどのようになるかです。

医者の余り方

現在医者が足らないと言われるのは医者の偏在です。診療科や場所の偏在により足らないと言われています。地方と都会では足らない質が異なると私は思います。地方では本当に医者がいないのですが、都会では儲けのための医者がほしいと考えているのだと思います(現実には都会でも不足しているところはあるかもしれませんが・・・。地方の不足とは本質的に異なると思います)。医者が余るようになると都会から余るようになっていきます。儲けの為に医者が欲しいという現状のため医者の人数を減らすようにしていきます。都会で余った医者が地方にうつることもあるため、都会より遅れて不足するようになると思います。医者の待遇の悪化は都会からはじまり徐々に地方に広がると私は思います。

医者の待遇

他の職種と比較して医者は恵まれていると思います。医業を行うことの出来る唯一の独占免許のため好待遇が維持されています。医者不足と言われることもあり需要と供給の関係も手伝い待遇がよりよくなっています。いわば現在が医者の待遇バブルの状態です。近い将来医者が余ることにより医者の待遇バブルは崩壊し、現在の好待遇は崩れていくでしょう。
雇用の労働契約の兼ね合いがあるため現在働いている人は多少給料が下がる程度かもしれません。しかし新しく雇用される人は需要と供給のバランスが加味され、次第に悪化していくことが予想されます。特に医者になりたての研修医を終えた後の待遇はかなり悪化することが予想されます。もしかしたら研修医の待遇すら悪化するかもしれません。

未来を予測する際に参考になる具体例は似たような事例を探すことです。参考になりそうなのが歯医者さんと弁護士さんの待遇です。

歯医者さんの現状

歯医者さんは2つの理由で余っています。一つは虫歯(齲歯)・歯周病の予防医学が発達したため虫歯・歯周病の患者さんそのものが減ったこと。もう一つは歯医者さんが増え過ぎてしまったことです。他科に細分化された医者と異なり歯医者さんは基本的に虫歯と歯周病を専門とします。医者に置き換えると一つの診療科に集中していると考えてもらうとわかりやすいと思います。歯科という一つの診療科にも関わらず大量に歯科医を排出し続けてしまったのです。
結果として待遇が悪化しました。一説によると歯医者さんの平均年収は夜勤をする看護師さんよりも低いそうです。開業し患者さんを確保出来た歯医者さんたちはそれなりの年収を確保していますが、雇われている勤務医の待遇はかなり厳しいのが現実です。何故なら自分で開業する知識も経験も乏しい若い歯医者さんが多いため、需要と供給のバランスから、安い給料でも働いて経験を積みたいと考える傾向にあるからです。以前であれば歯科医師免許があればある程度の待遇が約束されていたものが、今では歯科医師免許プラス何かがなければ好待遇は得られません。歯医者さんの中で競争が巻き起こっているのです。逆に考えれば、余っていると言われる歯医者さんでも新規開業でも成功する人がいるのも事実です。時代の変化と共に求められているものが歯科医師免許・歯医者さんとしての技量だけでなく、人当たりや接遇・説明能力など人間力的なものも求められるようになっているのかもしれません。
同じ医療業界ということもあり今後の医者の待遇を予測する上でかなり参考になると思います。

弁護士さんの現状

アメリカのように訴訟が増えることを想定した国が、それに備え弁護士の数を増やすことを選びました。制度を変更したおかげで弁護士は増えたにも関わらず訴訟は想定した程増えませんでした。結果として需要と供給のバランスが崩れたことで、待遇が急速に悪化しました。

弁護士資格を取得した後、経験を積む場を求めて弁護士事務所に所属するのですが人余りの状態のため安い給料で募集しても応募があるのが現実のようです。居候させてもらう弁護士通称イソ弁、軒下を借りる弁護士通称ノキ弁なる言葉もあるようです。今ではイソ弁、ノキ弁も難しく、いきなり独立する『即独』なるものまであるそうです。

弁護士さんの仕事が減ったのは需給バランスだけではありません。インターネットと人工知能により仕事が減っていると思います。以前であれば法律関係でわからないことがあれば、本を買って自分で調べるか弁護士さんに相談するしかありませんでした。本を買ってわからなければ弁護士さんに相談していたのです。現在では本すら買うことなく、インターネットで調べてみると似たような事例を見つけることができるようになりました。ネットで調べてもわからないあるいは、現実問題としてどうすればよいかわからない時点ではじめて弁護士さんに相談することになるのです。
もう一つの人工知能とは、これまでの裁判例の中から当てはまるものを探すのは人工知能が優れているそうです。これまでは人海戦術だったものが、人工知能で候補をあらかじめ探し、選ばれた中から当てはまるものを選ぶようになっているそうです。現時点で導入している弁護士さんはそれほど多くなくても、これからは主流になる可能性が高いと思います。これまでは5人で判例を探していたものが、最後の判断だけで良いので1人で済んでしまうかもしれないのです。

現時点で経験豊富な弁護士さんの立場は安泰ですが、弁護士さんになりたての若手は経験を積んだとしても競争が激しくなるため将来独立出来るかどうかは不透明な状態です。若手の中でも弁護士資格プラス何か才能を持っている人は開業することもできるかもしれませんが、弁護士資格だけで開業では厳しいのは歯医者さんと同じ状態です。

歯医者さん、弁護士さんの現状からわかること

歯医者さんはかなり前、弁護士さんは少し前まで資格を取ると安泰だと考えられていました。それは独占資格のため資格がなければできない独占業務があったからです。しかし供給である歯医者さん、弁護士さんの人数が制限されていた時分には安泰でしたが、需要に対して供給過多になった時点で怪しくなりました。歯医者さんは虫歯の予防医学の発展、弁護士さんは機械による過去の判例検索能力の向上が人材確保の需要を減らしてしまいました。近い将来医者も糖質回避により病気が失くなってしまいます。ということは医者も歯医者さんや弁護士さんのように待遇が悪化する時代がやってくるということです。どちらもベテランの待遇は変わらず、若手の待遇が悪化しています。ということは医者の若手の待遇が悪化することが予想されます。既に患者さんはネットで情報を検索し、受診する機会そのものが減りつつあります。以前であれば医者に聞くしかなかった知りたい内容が、無料でインターネットにより供給されるのです。結果としてお金を払って病院を受診してまで医者にわざわざ聞かなくなるのです。人によってはインターネットの情報により治療した結果、良くならない場合に受診される傾向が出始めています。つまりインターネットによる情報で治療して良くなった人は既に病院を受診する必要がなくなっているので、その総数は医者には知りえないということです。恐らく歯医者さんでも弁護士さんでも同じような現象が起こっていることでしょう。

今後の医者の待遇

医者の場合診療科が細分化されていることもあり、診療科ごとの需要と供給のバランスにより医者の余り具合は変化することでしょう。比較的早い段階で余る診療科もあれば、余ることなく不足し続ける診療科もあることでしょう。現在は診療科ごとの待遇はそれほど変わりません。勤務医の場合固定給は診療科による違いはほとんどなく、働く時間の違いにより収入が異なる状態です。いずれは診療科ごとの固定給の違いとなって表れることでしょう。それほど如実ではなくても、全ての診療科で固定給を引き下げ、診療科手当とでもいうべきものが出現するかもしれません。

既に医者になっている人たちはかろうじて給料が少し下がる程度で済むかもしれません。しかしこれから医者になる人たち、特に10年20年後に医者になる人たちは待遇が急速に悪化することが予想されます。受給バランスが崩れた結果、待遇を悪くしても希望者が多数いるからです。糖質回避により患者さんそのものが減ってしまうため、医者の待遇を維持したくても病院が給料を支払うことができなくなるのです。医者の待遇バブルがはじけた状態です。医師免許があれば仕事に困らなかった状態が、医師免許プラス何かをもっていないとなかなか仕事にありつけない状態に陥るかもしれません。少なくとも医者であれば誰もが好待遇の時代は過去のものとなるでしょう。

歯科医師の将来性

医者が余るのは間違いありません。何故なら人工知能により全ての診断を生身の医者がする必要がなくなることと、糖質回避により糖質による病気そのものがなくなるからです。詳しくは近い将来医者が余る二つの理由近い将来医者が余る三つ目の理由をご覧ください。

虫歯予防のおかげで虫歯が激減するため歯科医師は余ると思います。というよりも既に歯科医師は過剰な状態です。開業できる甲斐性のある歯科医師は開業していますが、開業する甲斐性のない歯科医師は勤務歯科医として雇われるしかありません。そのため勤務歯科医は過剰なため、需要と供給のバランスで待遇が悪くなっているのが現状です。

人口も減少しますし、予防医学の発達により更に虫歯は減る見通しです。その意味では歯科医師の将来性は暗く思えますが、実は医者よりは明るいと思います。何故なら予防医学が発達したとしても、虫歯そのものが無くなることは無さそうだからです。更に歯科医師の手技を機械に代替することは、現在の技術の延長線上では非常に困難だからです。現時点で処置点数が低いため、機械化する費用は賄うことは出来そうもありません。経済的な観点から歯科医師の手技が機械化される可能性は極めて低いと思います。この意味で医者よりも歯科医師の方が将来性があると私は思います。実際には医者の将来性は診療科によって異なるので一概にはいえませんが、全体的に考えれば歯科医師の方が機械化の可能性が低い分将来性が明るいように私は思います。

医者と比較すると歯科医師の方が将来性が明るいようですが、今の歯科医師と比較すると将来性は明るくはなさそうです。工夫する知恵のある歯科医師だけが生き残ることが出来る時代がやってくるのでしょう。

未来予測 車の未来

私は空想することが好きです。
架空の話や仮の話を考えることが好きです。理解出来ない人から見れば笑われるようなことでも、暇さえあれば絶えず考えています。現在私の持ち得た情報を元に車の未来予測をしてみたいと思います。

まず自動運転が始まることは間違いないでしょう。実現する時期の問題であって、100年先にも人間が街中で車を運転しているとは到底思えません。運転することがあるとしても、サーキットや遊園地で娯楽としての運転が残っているだけでしょう。

自動運転が普及すると運転免許という概念が消え去るかもしれません。自動運転の操作免許という新しい概念が生まれる可能性はありますが、機械としての車の運転技術を保証する免許という概念は消えてしまいます。そうなると自動車教習所の仕事は全て無くなることになります。

私が考える自動運転の一番最初の導入は高速道路におけるトラックです。連結あるいは追従することで安全性の確保や経済的なメリットをいち早く得ることが出来ます。高速道路だけ自動運転で残りは人間が運転するのであれば、今の技術ですぐにでも実現出来そうです。

いずれにしても自動運転が普及すると、運転手という仕事が無くなるでしょう。例えば長距離トラックの運転手は一番早く自動運転に移行するでしょう。運ぶのが人ではなく物なので、バスよりも早く導入されることでしょう。宅配のトラックは運転は自動運転で、家までの配達は人間が行うことになると思います。経済的な点で議論の余地はありますが、配達員が荷物を持って家まで配達する間は自動運転で通行の邪魔にならないように車を移動させ、配達が終わる頃に帰ってくるようになるかもしれません。そうなると駐車違反という交通違反はなくなるので、監視員の仕事も必要なくなりそうです。

ある程度自動運転が普及すると、安全性が確認されてくるのでお客さんを乗せて運ぶ2種免許の仕事が自動運転化されていきます。まず都市部あるいは地方のタクシーで導入されることでしょう。都市部と地方のどちらが先に導入されるかは現時点では私にはわかりません。都市部での導入は自動運転の方が経済的に安く提供できること、地方であれば人手不足の対策として導入されることでしょう。いずれにしても最終的にはハイヤーのような高級路線以外、ほとんどが自動運転化されてしまいます。100年先には高級路線でさえも、人間が運転すると危ないので許されなくなるでしょう。

自動運転が普及すると

自動運転が一般化すると人間が運転するのは危険な行為と考えられるようになります。現在ご高齢の方が運転されるのを見て不安に思う発想と似た状況になるのではないかと思います。更に自動運転が一般化していれば、事故を起こすのは人間が運転している場合ばかりになるはずです。何故なら自動運転は事故の原因を突き止め、事故が起こらないように全ての自動運転車でその情報を共有することが出来るからです。つまり全ての自動運転車がベテランドライバーで、尚且つ事故を未然に防ぐように日々進化していくのです。全く同じ状況であれば2度と事故を起こさないように賢くなっていくのです。

人間が運転することで事故を起こすようになれば、自動車保険の保険料は跳ね上がることになるでしょう。割高な保険料を支払ってでも運転する一種の贅沢となるのかもしれません。

当然ご高齢の方の免許返納問題も解決されます。自動運転により自分で運転する必要がなくなるので、怖い思いをしてまで運転する人はいなくなります。

過疎地域の交通問題も解決されます。過疎地域に一台共有する自動運転車があれば、買い物や通院に事足ります。あたかもお抱え運転手を手に入れたような感覚です。もしかしたら行政が過疎地域には自動運転車を配置するようになるかもしれません。

全ての車が自動運転になれば渋滞を無くすことも出来るでしょう。何故なら信号が要らなくなるからです。歩行者に知らせるために歩行者のいるところでは信号を設置しても、車だけであれば相互通信により行き交うことが出来るのです。信号があるとしても信号が変わることにより、一斉に動き出すことが出来るのです。更に前もって目的地と到着時刻を設定することにより、道路の混雑も調整出来るため、渋滞を無くすことが出来るはずです。そうなると無駄なエネルギーや時間の消費が無くなるはずです。

事故と渋滞が無くなる世の中が待ち遠しく思います。私が生きている間に実現すると良いなと思います。

資格を取るだけでは生き残ることは出来ない

今現在は資格を持っていれば仕事にありつけます。取るのが難しい資格であればある程、収入も高い傾向がありました。そのため学生さんは出来るだけ難しい資格を取ることを優先する風潮があるようです。しかし最近ではせっかく弁護士資格を取っても、仕事に就きにくく困る人もいるようです。訴訟が欧米並みに増えることを想定し、国の方針で弁護士を量産してしまったことが原因です。想定していた程訴訟は増えませんでした。一説によると弁護士の平均収入が減りつつあるそうです。借金の過払い金の請求の仕事がなくなりつつあることも影響があるのかもしれません。

最難関の資格である弁護士資格ですら、需給バランスにより仕事に困るのです。今増やしている医者や薬剤師が将来にわたり安泰だと考えるより、余程病気が増えない限り弁護士と同じような道を辿ると考える方が自然です。他の資格も今は不足していても、ちょっとしたきっかけで需給バランスが変わり突然余ることも考えられるのです。

今後は、資格を取っただけで満足してはいけません。需給バランスにより資格を持っている人は溢れるかもしれないのです。資格を取った上で更に何が出来るかが大切だと思います。人に対して資格プラスアルファの価値を提供出来ることが、資格を持っているだけの人が溢れる時代に生き残るコツだと思います。

国が方針を変えるだけで医療費の削減は簡単

国が方針を変えるだけで、医療費の削減は簡単です。自己責任として嗜好品による病気は嗜好品を楽しむ人に支払ってもらうようにするだけです。ちなみに自分でわざと怪我をすると健康保険は使えず自己負担となります(自傷行為といの精神疾患の一症状としての、自らわざと怪我をする場合には健康保険が適用されるかもしれません)。それと同じように自分で選んで嗜好品を楽しんだ結果病気になる訳ですから、自分の責任として自己負担が当たり前だと思います。逆に今の状態の方が不公平なのです。何故なら嗜好品を楽しまない人まで、嗜好品を楽しむ人の分の医療費を負担しているからです。

嗜好品に医療費の上乗せ

つまり医療費の中の嗜好品による病気の治療費を、嗜好品を楽しんだ人に負担してもらうのです。国がこの方針を変えるだけで医療費は減らすことが出来ます。突然嗜好品による病気の治療費を全額自己負担とするとなると莫大な費用が必要になるため、大変です。現実的には嗜好品に前もって医療費を上乗せして販売するのが簡単で確実だと思います。治療費を先払いする分嗜好品の価格が高くなるため、結果として嗜好品による病気を減らし国民が健康になるのです。このように考えれば良いこと尽くめです。

タバコ

嗜好品による病気でよく知られているのはタバコです。タバコによる病気の治療費に年間何兆円もかかっているので、その分をタバコを吸う人に負担してもらうのです。タバコによる病気を自己負担とするとタバコ一箱が1000円程度になるようです。

糖質

他にも砂糖や糖質による病気が多数あります。2型糖尿病は間違いありませんし、生活習慣病はただ単に糖質依存症に過ぎません。各種アレルギーも糖質の摂り過ぎに過ぎません。ニコチン依存によりタバコが健康被害があるとわかってもやめられないように、糖質も糖質依存によってやめられないのです。タバコは医療費と比較すると少ないながら課税されている分消費が抑えられていますが、糖質は税金のような足枷がないため安価で食べ過ぎているのです。タバコは年齢制限もあるため、分別がついてからタバコを吸うか吸わないか選択することが出来ます。糖質が厄介なのは子供の頃から当たり前に食べていることです。物心ついた時点で糖質依存に陥っているのです。ちなみに糖質依存かどうかは我慢出来ない程お腹が空くかどうかです。我慢出来ない程お腹が空くのは、糖質依存に間違いありません。何故なら糖質依存の禁断症状だからです。その証拠に糖質依存から抜け出せば、お腹が空かなくなります。正確には空腹を我慢したあとのピークをこえた空腹感しか感じなくなります。

糖質ではなく砂糖に課税しようとした国がありますが、糖質に課税しなければ意味がありません。考え方は本質をかすめているので惜しいものの、本質からは少しズレているので大した効果は期待出来ないでしょう。糖質にこそ医療費を上乗せするべきです。

嗜好品に医療費の上乗せしない方が不公平なのです。

国が病気を生み出している?

現時点では国が病気を生み出しているようなものです。何故なら嗜好品であるべき糖質を主食として推奨し、食事の6割を主食で摂るように促しているからです。このことが2型糖尿病や各種アレルギーなどで国民を悩ませているのです。

国が糖質を食べないように推し進めるだけで、医療費は簡単に削減出来ます。糖質による病気が失くなるのですから。

糖質回避により医療費削減を目指す政治家

糖質を食べないように推し進めることで医療費削減を目指す政治家が出て来ればよいと私は思います。

みんな糖質依存から抜け出しましょう!糖質回避を推し進めます。結果として医療費が削減出来ます。更に糖質による病気の治療費は糖質を食べる人達に払ってもらいましょう。

このことを訴える候補者が出てくると私は面白いと思います。国が負担する医療費が大幅に削減出来ますから、その分を子育て支援に割振ることで少子化対策になります。タバコによる病気の治療費だけで3兆円という資産があります。糖質による病気に至っては、その何倍にもなるでしょう。糖質をわざわざ推奨するせいで、無駄な医療費にお金をかけていると言っても過言ではありません。

農家と製薬会社への配慮が必要

糖質を食べない、タバコを吸わない世の中になれば栽培している農家の方々が困ります。その対策は必要でしょう。具体的には他の作物に切り替えて栽培する手助けをするなどです。

製薬会社も病気があることが前提で病気を治すことを目的にこれまで開発費をかけていたのですから、病気が失くなることに対する配慮は必要だと思います。具体的にはタバコや糖質による病気に対する薬を開発している製薬会社に開発費を補塡することなどです。

簡単なことが出来ない理由

嗜好品と病気に対する既得権益を守りたい人達が必死で反対するでしょう。嗜好品に依存している人達も嗜好品が高くなるので、値上がりには抵抗するでしょう。つまり人それぞれの私利私欲のために簡単なことが出来ないのです。

嗜好品を避ける方が健康になってお得だと理解する人達が少なくとも過半数をこえるまで実現は困難です。しかし過半数をこえた段階で議論が巻き起こることでしょう。嗜好品を楽しんだ結果病気になったのだから、自己責任だという考え方が主流になるでしょう。過半数をこえるのが何時になるのか、時間の問題です。私は20年程度で過半数をこえると良いなと考えています。私の知人は千年かかると言っていました。

少なくとも私の生きている間に実現することを祈っています。

将来の働き方の変化の流れ

働き方は日々変化しています。
いくつかの仕事は全く消えてしまいましたし、人がわざわざ行うことも少なくなっている仕事もあります。
例えば写植という職人の仕事はほぼなくなっているでしょう。
以前は活字を組み合わせて版画の要領で印刷をしていたため、活字を拾う仕事が重要でした。コンピュータの性能が上昇しプリンターが対応したことにより直接印刷データを編集しそのまま印刷できるようになってしまいました。デジタルの画面上で編集も確認も済んでしまうため、わざわざ活字での印刷をするメリットがなくなってしまったのです。
最近減っている仕事としては駐車場の料金係です。自動化が進められています。今でも料金係の人が残っているのは、何らかの理由・目的があるはずです。最近では自動化が進み、出口で駐車券が必要ない駐車場まであります。入庫時に車両ナンバーを読み取り、駐車券のデータを紐付けすることで徴収済みを確認できる仕組みになっているのです。今のところ進んだサービスではありますが、しばらくすると当たり前のサービスになると思います。もしかしたら車両ナンバーとクレジットカードなどの事前登録で、ナンバーによりクレジットカードの自動決済により料金精算の必要のない駐車場が現れるかもしれません(私が知らないだけで既にあるかもしれません)。ちなみに自動運転が当たり前になると駐車という概念もなくなるかもしれません。用事をしている間車を走らせることで駐車する必要がなくなるのです。近場なら一端自宅に帰らせて、再び車に乗りたいときに呼ぶ形になるかもしれません。

機械と人の使い分け

機械化できるかどうか技術的な問題から、機械化した方が安く出来るかどうかの経済的な問題になりつつあります。
機械が受け持つ仕事の質が変わってしまいます。
人と機械の選択は以前は機械化できることから機械化されていました。単純作業は早い段階で機械化されてしまいました。例えば単純に物を売るだけであれば、お金を商品に変える単純作業なので自動販売機で十分です。比較的需要の大きい飲料・タバコは自動販売機で普通に販売されています。工場の機械化は単純作業であればあるほど早い段階で機械化されていきました。
技術の進歩により機械の行うことの出来る作業が増えた結果、多くのことが機械化できるようになりました。結果として生身の人間に任せるか機械に任せるかは、どちらが安いかによって決まるようになってきました。つまり現時点での時給が高ければ高いほど機械化するメリットがあるということです。つまり今では免許で守られている医者や薬剤師が、経済的理由により機械に置き換わる可能性が十分あり得るということです。
自動運転の完成により、運転手という仕事が淘汰されるでしょう。少なくとも50年後には生身の人間の運転する車は危険だとの判断で、先進国では人間の運転は禁止される可能性が高いと思います。結果として運転手という職業がなくなってしまいます。その時期が20年後なのか30年後なのか、何時訪れるかという時間の問題だけです。

人工知能

目覚しい人工知能の発達によりほとんどの仕事を機械が受け持つことが可能になります。2050年には人類全ての知恵の総和をこえるとも言われています。人工知能が凄くて怖いところは、いくらでも難なくコピーできることです。人間であれば一生かけて苦労して手に入れた技術や知識を一瞬でコピーでき、いきなり熟練工のような動きをすることが出来る点です。今ある職業の大部分は人工知能で代替できると思います。上記の機械化する方が高いか安いかの違いで、生身の人間の仕事として残るか機械化されるかが決まると思います。
現時点で機械化することが難しいのは指示をうまく機械に伝えることができないからです。人工知能は伝え方まで考えてくれるので、求める結果を人工知能に伝えると、その実現の仕方から考えて実現してくれるようになるのです。

改めて書きたいと思いますが、将来の働き方は人工知能と戦うのではなく、人工知能を活用出来る人が有利だと思います。どんな仕事か考えてみて下さい。

相手の代わりに考える勧め

これから様々な仕事が人工知能に置き換わるはずです。人工知能に置き換わりにくいのが相手の代わりに考えてあげることです。先回りして考えると言い換えることも出来ると思います。

今の機械は人が選択肢から選ぶことで、機械が判断してくれるところまできています。しかし選択肢の中に答えが無いと今の機械には判断が出来ません。その機械には判断出来ない、選択肢以外の答えを代わりに考えてあげるという話です。

例えば商品を買う場合、性能重視か価格重視かという選択肢から選んでもらえばある程度商品を提案できるのが今の機械です。ネットなどで簡単に探すことが出来るでしょう。しかし本人にもわからないが選択肢の中に欲しい商品が無い場合に対応出来ません。相手の代わりに考えてあげるとは、相手自身も気付いていないかもしれない新たな選択肢や希望を見つけてあげることだと思います。例えばデザイン性とかです。選択肢にはない拘りがある場合には、今のところ自分で解決策を見つけるしかありません。その解決策、折り合いをつけることを代わりに考えてあげることが、人工知能に負けない能力だと思います。

具体的に車を選ぶことを想定してみます。価格や性能、デザイン性などはホームページから選ぶことが出来ます。ただの人の移動手段と考えれば、これらのことだけで十分な情報です。しかし家族構成によっては、近い将来子供用の自転車も運びたくなるかもしれません。若い夫婦なら子供も生まれてくるかもしれません。予想される将来の使い方も考えてあげて提案することは今のところ機械には出来ません(私が知らないだけで既に実現しているかもしれませんが)。できるだけ大きい車を売りたいという売り手側の思惑ではなく、あくまでも相手の代わりに考えてあげるということです。

実は様々な状況を想定することは試験という形でトレーニングされています。教科書を覚えて、その教科書の内容を様々な形で問題を読み解く事が試されているのです。しかし相手の代わりに考えるという発想がないため、そういった考え方に慣れていないのです。

今後は相手の代わりに考えるという考え方の出来る人が有利になると思います。人工知能に負けないためには相手の代わりに考えることが出来るようになるしか無いと私は思います。他に人工知能に負けない選択肢は今のところ私には思いつきません。

人間よりも自動運転の方が優れている理由

まだ実用化には少し時間がかかりそうですが、実用化すれば人間が運転するよりはるかに安全なはずです。その理由を書いてみます。

人間は基本的に1つのことしか処理出来ません。前を見ながら後ろを見ることは物理的に不可能です。苦肉の策としてバックミラーやサイドミラーを活用して目の動きを最小限にすることで補っています。

自動運転の利点 並列処理

自動運転は同時にいくつでも作業を行うことが出来ます。コンピュータの性能さえあげればいくつでも同時に処理することが出来ます。前を見ながら後ろを見ながら左右の確認も同時にすることが出来ます。しかも人間には不可能な程、細い頻度で時々刻々と変わる状況をチェックすることが出来ます。極端な話コンピュータのスペック次第で、1秒間のうちに10回も20回、あるいはそれ以上確認することが出来ます。その都度最適な判断をすることが出来ます。人間には絶対に出来ない判断です。

人間は同時に処理することが出来る能力には限りがあります。お金という制約を取り払えば機械には能力的な制限がありません。このことこそが人間より自動運転の方が優れている理由なのです。まだ人間より劣る面もありますが、近い将来実現する時には人間を明らかにこえることが出来たことを意味すると思います。

自動運転は超ベテランドライバー

人間より自動運転が優れている理由に、経験があります。人間は基本的に自分で経験しなければ身につきません。人から聞く経験も多少は参考にはなりますが、誤差の範囲内程度です。一方自動運転では得られた経験が全ての自動運転車に共有されます。全ての自動運転車がベテランドライバーなのです。しかも何台も同時に経験を積み重ね、その経験を集約することが出来るのだす。1人では決して経験することの出来ない経験年数1000年という超ベテランドライバーの運転が出来るのです。1台で1000年ではなく1000台で1年の経験を合わせるのです。そして自動運転車が全て、経験を共有することで危険回避の可能性を飛躍的に高めることが出来るのです。

同時に様々なことを処理する運転という、本来なら人間には不向きな作業は機械に任せる時代がやってきます。長距離トラック、タクシーの運転という仕事は比較的早い段階で自動運転に置き換わると思います。

自動運転車がすぐにあらわれることはありませんが、10年はかからないと私は思います。自動運転が実現すると免許という概念は必要なくなりますし、もしかしたら車を所有するという概念が無くなるかもしれません。