例え話が理解を深める理由

例え話を使うと理解が一気に深まることは誰しも経験があることでしょう。今回はその理由を考えてみます。

人は考えたこともないこと、つまり概念がないことは言葉だけでは想像できません。概念がないことを理解するためには方法は二つしかないのです。二つの物事を指し示しその延長線上に存在することを想像してもらう方法と、似た物から類推してもらう方法の二つです。

例え話は似た物事から類推してもらうことで理解を深めることができるのです。例え話は新しい概念がどの類のものかを大まかに形作る上で非常に役立つのです。新しいカテゴリを作る作業で、どのカテゴリの近くに置くかを表すようなものです。

概念のないものは人は理解できませんし想像すらできません。そこで似たことから類推してもらうのです。例え話は大まかに捉える手助けをしてくれるから、理解が深まるのです。

例えば相手が見たことも聞いたこともない動物を説明する際、一つ一つ大きさや特徴を描写してもなかなか伝わりません。そこで似た動物を例え話にして、その例えた動物との差を説明することで理解が深まります。ライオンに似た動物で、少し小さいとか、形は馬にに似た動物だけど凄く小さくて柴犬くらいの大きさとかです。

例えば相手が見たことも聞いたこともない魚を説明する場合、ヒラメのように平たい魚とかウナギのような細長い魚で、という具合に説明するだけで何となく頭の中にイメージをすることができるのです。

例え話はイメージをする足がかりになるから理解が深まるのです。

ただし例え話の選び方を間違うと、かえって訳がわからなくなるので、注意が必要です。

科学と宗教みたいな話

ふと思い立って科学と宗教みたいな話について書いてみたいと思います。何故科学と宗教みたいな話を書く気になったかと言えば、根拠に乏しい(少なくとも私にはあり得ないと思えるような…)『理屈』を言われる患者さんがおられますが、信じ切っておられるため『宗教』みたいだなと思ったからです。友人や知人から聞いて信じているならまだましで、酷い場合には他院で医者から私には根拠に乏しいと思われる『理屈』を言われた方までおられます。その根拠に乏しい『理屈』を信じている姿があたかも『宗教』のように私には思えるので書いてみようと思った次第です。根拠に乏しい(と私には思える)『理屈』と『科学』の違いを患者さんに伝える際に、それは言った人が信じている『宗教』のようなものですねとお伝えすると意味を一瞬で理解してもらえます。

『科学』と『宗教』の違い

私にとっては『科学』は現実で、『宗教』は空想の世界のような捉え方をしています。『科学』と『宗教』の違いは一言で言えば再現性だと思います。

『科学』は誰でも同じ結果になるという再現性があるため、多くの人に信じられています。その『科学』を使って様々な製品が生み出され、人々の生活を快適なものにしてくれています。結果を予測出来るのが特徴です。車のエンジンのスイッチを入れればエンジンがかかり、車を動かすことが出来るのは様々な『科学』の再現性の上に成り立っています。

『宗教』のはただ信じるだけで、結果を求めません。同じ状況であっても再現性がありません。

医学は『科学』?

医学は本来であれば再現性が担保される『科学』であるべきですが、まだまだ発展途上段階のため、物理科学のように数式で表すことの出来るような普遍の真理は見出されてはいません。しかしこれからの医学は再現性があるかないかで議論されるべきだと私は考えています。これまでは因果関係といえるまで突き詰めて原因を見出せないため、止むを得ず有意差で議論されていますが、有意差は答えに多少近づいているに過ぎないと思います。人間の身体は複雑な要素が絡まっているため治せないと思い込んでいるのかもしれません。1つ1つ再現性のある『理屈』を医学でも取り入れていけば、医学も『科学』に近づくと私は考えています。残念ながら今の医学は『宗教』に近いところが多々あるようです。

医学においては医学書や論文が正解とされていますが、現時点の最適解に過ぎません。その証拠に、物理科学のように証明された普遍の真理のようなものは全く見つかってはいません。手探りに近い状態で答えを探している状態です。

物理科学の公式のような普遍の真理が見つかっていないだけに、様々な理論や理屈が囁かれ、否定することも難しいため『宗教』のような話が広まってしまう余地があるのです。

医学における『宗教』の具体例

他院で言われたという驚くべき『宗教』のような教えはアトピー性皮膚炎などの皮膚病の場合、お風呂で石鹸を使ってはいけないという医者もいますし、お風呂そのものがいけないという医者までいます。その理由は石鹸は皮脂を過剰に取り除いてしまうから、お風呂そのものがいけないという医者は、アフリカではアトピー性皮膚炎がないが、その理由がお風呂に入っていないからという『理屈』らしいです。他に驚いたのは陥入爪という爪に感染を来す疾患で、体育の授業を休むように言われたそうです。

これら3人の医者は石鹸が悪い、お風呂が悪い、運動が悪いと信じているのです。あたかも『宗教』のように…。石鹸を使った場合、お風呂に入った場合、運動をした場合の違い、つまり結果には目を向けようとはしないのです。石鹸を使ったからといって悪化しなかったそうですし、お風呂に入ったからといって悪化したりましませんし、運動しても悪化したりはしませんでした。

まだ証明出来た訳ではありませんが、野菜から食べるという話も『宗教』のような話かもしれません。何故なら野菜から食べるよりも同時に食べる方が血糖値が上がりにくいかもしれないからです(参考:野菜サラダの食べ方による血糖値の違い)。少なくとも私の行った実験では、野菜サラダから食べるよりも同時に食べる方が血糖値は上がりにくかったですし、他の実験でも同時に食べる方が血糖値は上がりにくいようです。どうやら胃の中で混ざると思い込んでいた食べ物が実は混ざらないようです。

『宗教』のような話を実践する意味

『宗教』のような話を実践する意味は、一言で言えば気が済むだけです。しなければただ気が済まないただ信じているだけで違い・結果を求めないのです。

私自身は『宗教』を信じてはいませんが、否定もしません。何故ならわからないからです。ただ『宗教』を信じる『意味』は、気がすむというだけだと私は思います。時間毎にお祈りする『宗教』もありますが、お祈りしないからといって何か違う訳ではありません。ただ本人の気が済まないだけです。

上記の『宗教』のような話も、実践しなくても違いがありません。事実お風呂に入っても、石鹸を使っても悪化したりはしません。運動したからといって悪化もしません。つまり因果関係はないと判断して良さそうです。

『宗教』のような話も違いが出るかもしれませんので、実践してみても良いとは思いますが、因果関係がなければ気が済むという『意味』しかないため、やめてみても良いのではないでしょうか?

『宗教』のような話をする医者に直接聞いたことはありませんが、ただ闇雲に思いついたことを信じているに過ぎないのかもしれません。本来なら科学者であるべき医者が因果関係を確かめることなく、『宗教』のような話をさも当たり前のように広めているとすれば悲しい話です。

『宗教』のような話が『科学』のように因果関係があるかどうかを確かめるようにしてみましょう。

良い失敗と悪い失敗

良い失敗と悪い失敗について考えてみます。
実は良い失敗などありません。失敗はすべて悪い失敗です。と書くと当たり前のことで目新しいことはないでしょう。

私の中で失敗とは思い通りうまくいかないことではなく、うまくいかないことで諦めることが失敗です。
思い通りうまくいかないことは失敗ではありません。そんなことはいくらでもあるでしょう。うまくいかないことは失敗でもなんでもなく、成功の途中経過に過ぎないのです。

改めて良い失敗と悪い失敗を定義すれば、良い失敗とはうまくいかなくてもうまくいかない理由を知り、次にどのようにすればうまくいくかがわかることです。うまくいかないだけで私は失敗とは思っていません。悪い失敗とはうまくいかないことで何も学ばないことです。これこそが失敗なのです。

思い通りうまくいかなくてもあきらめなければ失敗ではありません。諦めた時点で失敗なのです。

言い換えると良い失敗とは成功の途中経過、悪い失敗とは諦めることです。

そして最終的にうまくいかなくて諦めたとしても、うまくいかない理由を知り、次にどうすればうまくいくかを学ぶことが出来れば無駄ではありません。つまり悪い失敗にはならないのです。そのように考えると今はまだうまくいかないだけという状態、つまり成功の途中として置いておくことが出来るのです。

何も学ぶことなく諦めてしまうことが悪い失敗です。
諦めたとしても何か学ぶことが出来れば良い失敗です。

例えば多くの人が経験する受験一つとっても、志望校に入ることが目的であれば志望校に合格できなければ失敗です。しかし人生の目的は志望校に入ることではありません。思い通りうまくいかなかっただけです。勉強の仕方に問題があったのか、志望校に問題があったのかを学び、これからの人生に生かせば決して失敗ではありません。ただ単に志望校に縁がなかっただけです。
うまくいかなかった時点でやり直しのきくことであれば再チャレンジしてみることも良いでしょうし、やり直しがきかなければ別の目標に対して戦略を立てるとよいでしょう。

良い失敗の考え方には人によって異なるかもしれませんが、少なくとも悪い失敗とは何も学ばず諦めてしまうことです。
悪い失敗は出来るだけ避けるようにしたいですね。

何を言いたいのかわからない人の対処法

話をしていて何を言いたいのかわからない話し方をする人がおられます。色々お話はされるのですが、一向に何を言いたいのかわからない方がおられます。

当初は何を言いたいのかわからないことがわからなかったため、わからないながらもお話を最後まで聞いていました。結局御自身がどうしたら良いのかどうしたいのか、自分ではわからないまま話をされておられる方が多いことに気付きました。どうしたら良いのか漠然とした答えを求めて話をされるのですが、御自身が何のために受診したのか、こちらにうまく伝わらない話し方をされる方がおられます。何を言いたいのかわからない話し方をされるのは、ご自身の頭の中が漠然としていて整理されていないことが多いようです。

こちらが判断するためには、自分の頭の中にあることは全て伝えなければいけないと思い込んでおられる方が次々と脈絡もない話をされておられます。自分のする話の中から意味のある話を探してもらうつもりなのです。

ご自身が話の目的が定まっていないのですから、聞き手がわかるはずがありません。頭の中が整理されていないことと何を伝えたいかが定まっていないために、話の論点が途中で変わってしまうのです。

ただ何を言いたいのかわからない話し方をされる方も悪気がある訳ではありません。論理的な話の展開が苦手な方なだけです。そして相手に必要な情報が何かがわかっておられないだけです。こちらから論理的な話の展開になるように、情報を引き出して差し上げる方が、情報交換がスムーズでお互いの対処法に繋がると思います。

対処法

何を言いたいのかわからない話し方をされる方は、そのままいくら話を聞いてもこちらに求めていことははっきりしません。何のために会話をしているのか、何を期待されているのか自分では明確に出来ないのです。(参考:話が回りくどい人の心理とその滞在話が回りくどいと言われた時の対処法)

そこで話をしていて何を言いたいのかわからないと混乱した場合の対処法は、「今のお話の目的は何ですか?」とたずねることです。明確に答えて頂けない場合には、「何についてどうしたいのですか?」と質問をしなおしましょう。

再び曖昧な話し方がはじまれば、まず何に関する話かを明確にしましょう。そしてそのことに関する質問なのか、相談なのか、報告なのか、会話の目的をお伺いしましょう。

まず話の対象を絞り込んで、次にその話の対象に対して何を求めているのか読み取ることで、質問・相談・報告などの選択肢を提案し、選んでもらうことで話を前に進めることをお勧めします。

何を言いたいのかわからない話し方をされる人との会話は、こちらが質問を投げかけて答えてもらう形で進める方がスムーズに情報が伝わります。もし良かったらお試しください。

私が糖尿病の方に行っている食事指導

私は糖尿病を専門に診ている訳ではありませんので、積極的に糖尿病の方に食事指導を行ってはいませんが、私の元を受診された方で偶然糖尿病を合併している方に食事指導を行っています。

糖尿病に関わらず、アトピー性皮膚炎やニキビなどの他の病気も同じ食事指導を行っています。というよりもこれらの病気を治すために行き着いた食事の仕方が糖尿病にも有効なのです。糖質を控えると改善する病気の原因が血糖値の一時的な上昇である可能性を考えて、食事指導をしてみると明らかに良くなるのです。そして糖尿病を合併している患者さんの数値も改善します。その食事指導を書いてみます。

糖尿病の方への食事指導

炭水化物だけ食べない

私が提案している食事はおにぎりだけ、素うどんだけ、パンだけという炭水化物だけ食べる食べ方を避けるようにお伝えしています。糖質の急速な吸収を邪魔してくれるタンパク質や脂質を食べないのですから血糖値の急上昇は仕方のないことです。

根拠は私がおにぎりだけ食べると血糖値が急上昇しますし、食パンだけ食べると血糖値が急上昇しますし、カップラーメンだけ食べると血糖値が急上昇するからです。唐揚げやゆで卵、チャーシューなどと一緒に食べるだけで血糖値が上がりにくくなります。

おにぎりと唐揚げの食べ方による血糖値の違い
カップラーメンと唐揚げの食べ方による血糖値の違い
おにぎり1個とゆで卵の血糖値の違い
尾道ラーメンとカップラーメンの食後血糖値の違い
カップラーメンと牛皿を交互に食べた食後血糖値

食事の前後でお菓子や果物を食べない

食事の前後でお菓子や果物をデザートとして食べておられる方が多くて驚きます。何故なら糖質を含む食事の前後に食べると食事とデザートの糖質の足し算になってしまうからです。食事の前に食べると良いと信じておられる方もおられますが、1+2も2+1も同じようにお菓子や果物は食事の前で食べても後で食べても同じことです。正解は時間をあけて食べることのようです。(食事の際に糖質を食べられないのであれば、食事の前後に食べる方が血糖値は上がりにくいです)

糖質を30分以内に追加して食べると血糖値は上がりますが、60分時間をあけて食べるとそれほど上がらないのです(参考:おにぎりを分けて食べた食後血糖値)。お菓子や果物を食べる場合、食後出来れば2時間少なくとも1時間以上間をあけて食べることをお勧めしています。

小分けで食べる

一度に糖質をたくさん食べるから食後血糖値が上がります。いくらタンパク質や脂質を一緒に食べても糖質の量が多いと食後血糖値は上がってしまいます。

一回に食べる糖質の量が少なければ血糖値は上がりません。少量を繰り返して食べれば、食後血糖値は上がりにくくなります。小分けして食べる食べ方は、食後のお菓子や果物を1・2時間あけて食べることと同じです。

同じ量の糖質でも1時間以上間をあけて小分けして食べると血糖値は上がりにくくなります(参考:おにぎり1個を分けて食べた食後血糖値)

糖尿病の一つの原因は3食食べるという常識なのかもしれません。同じ量の食事を5食6食で食べることをお勧めしています。その方が血糖値が上がりにくく糖尿病を発症しにくいと私は考えています。と言っても難しい話ではありません。食後お菓子や果物を食べている方対象に上記の食べ方を小分けして食べると言いかたを変えて提案しています。食後食べていたお菓子や果物を1時間以上間をあけて1回食べるだけで3食が4食になり、2回行えば5食、3回行えば6食になるだけです。

注意点

患者さんによっては糖質を控えると2型糖尿病が治ること(参考:2型糖尿病が薬無しで治りました)をお伝えすることもありますが、糖尿病の方の多くが薬を飲まれているため糖質をいきなりゼロにはしないようにお伝えしています。

逆に健康診断で血糖値が高いと言われた方で薬を飲んでおられない方は、糖質をやめてしまえば上記のように2型糖尿病は治る可能性が高いと思います。何故なら糖質の摂り過ぎに膵臓が耐えきれなくなった状態が2型糖尿病だからです。原因を取り除けば治るのは当然といえば当然です。

 

話し方のコツ 結論から話す話し方

話し方において検討から話せと言われることが良くあります。特に時間が差し迫っているビジネスの場面では結論から話すことが求められます。しかし結論から話すと言う話し方に慣れていないため、具体的にどのように話したらいいのかよくわからない人が多いようです。そこで具体的に結論から話す話し方を提案してみたいと思います。

話す内容の件名(タイトル)を伝える

一言で言えばメールの件名のように、今から話すことの件名(タイトル)をまず伝えて話し始めることを提案します。件名が結論・これから話す内容の本質だからです。

話の内容の結論と言われても結論と言う視点で物事を考えていないため見つけられないのです。そこでメールの件名タイトルをつけるように、話す内容を一言でまとめてみるのです。メールであればなんとタイトルをつけるのかと言うように、まず話す内容を一文でまとめるのです。

件名(タイトル)の付け方

相手に伝わる範囲内で最も詳しく説明するべきです。言い換えると相手に伝わるキーワードに凝縮するという意味です。事前に話し合っている内容であれば、最初から詳しい件名で構いません。初めて話し合う内容であれば、相手に分かる漠然とした範囲から絞り込むべきです。

ポイントは相手に何の話をしているのか即座に理解してもらえるように伝えることです。初めて話す内容をいきなり細かな枝葉から伝えてもなかなか伝わりませんし、話の詰めの最終段階で大雑把な幹の話をしても時間の無駄です。そこで相手に伝わるキーワードで、相手に即座に何に対することかイメージしてもらうのです。

例えば9/18にお互い会うことが決まっていれば、

9/18の面会の日時の変更のお願いです。

という具合に9/18という日付と、面会という2つのキーワードで何に対する話題か即座に伝えることが出来ます。上記の一文の結論は「お願い」です。その「お願い」が何に対する「お願い」なのかを絞り込んでいるに過ぎません。

別の例えであれば9/18でも最悪構わないが、出来れば別の日に変更してもらえないかという場合

9/18の面会の日時の変更のご相談です。

とすると、都合によっては9/18で構わないが、変更出来るか相手の都合を伺う目的が伝わるのです。

話を戻して名刺交換したのみでほぼ初対面に近い状態で、これから面会の約束を取り付けるのであれば、

〇〇の件で面会のお願いです。

何について話をするのか先に情報を提供するのです。相手が興味のない内容を押し売りしても意味がないからです。要件を伝えることなく、何とか相手に会うこと目指す営業マンがいますが、実は営業マンではありません。会って相手を話術によって説得する説得マンなのです。

他の例えであれば、以前話した食事に関することの疑問について話そうとすれば、

糖質の食べ方について質問です。

という具合に、食事の中でも具体的に何についての疑問があり、その疑問の解消を目的に質問したいことを伝えるのです。

何故結論から話すのか?

結論から話せという人も、何故結論から話すように求めてしまうのか理解できていない人もおられます。しかも具体的な結論から話す方法を説明出来ないので空回りしているのです。

何故結論から話すのかという質問に対する答えは、結論から話す方が情報を早く伝えることが出来るからです。日本語の仕組みが、最後の語尾で意味を反対に出来るから、最後まで聞かなければ流れがどちらに転ぶかわからないのです。賛成なのか反対なのか最後までわからないからイライラするのです。だから賛成、反対を先に表明しろというのです。

日本語は日本人によって培われた言語です。多くの日本人は日本国内において大して移動することもなく、長年にわたり同じ地で周囲と和をもって仲良くしていました。喧嘩や諍いがあっても隣人が変わらないし変えられないため、出来るだけ最初から喧嘩や諍いを避ける知恵が蓄積されたのです。だからこそ話をしている最中に相手の顔色により、話す内容を変化させるのです。

私は反対だけど、話をしているうちに相手の顔色が怒りに変わってきたので、渋々賛成にしておこう。その場の空気を読むという言い方で表現される妥協をするのです。

和することを目的に言語が発達したため、素早い情報伝達には不向きな言語になってしまったのです。その解決策が「結論から話す」なのです。ただ「結論から話す」目的と具体的な方法を提案しないので、言われた側は意味がわからないのです。

ちなみに英語を社内公用語にしようとする企業もありますが、英語は誰が何をするという内容が明確だからです。最初から賛成か反対かわかるから自然と結論から話す仕組みになっているのです。英語が母国語の人達を相手に商売するのであれば、社内公用語を英語にする意味がありますが、日本語の会話の仕組みを嫌って英語を使うのは勿体無いと思います。何故なら日本語の使い方を工夫する方が、わざわざ英語を習得するより遥かに簡単だからです。

会話にも件名(タイトル)を

メールを送る場合、文章を打ち込む際に時間をかけて件名(タイトル)を考える余裕があります。会話をはじめる際にも、まず話す内容を一文にまとめる作業、つまり会話にも件名(タイトル)をつける話し方を提案します。

私は素早く情報伝達する日本語の話し方を多くの人が身につけると良いと考えています。

件名(タイトル)の具体例

  • お願い
  • 相談
  • 報告
  • 質問
  • 提案・情報提供
  • 雑談

他にもあるかもしれませんが、多くの場合はこれらに分類出来ると思います。

件名(タイトル)を伝える目的

件名(タイトル)を伝える目的は、相手にこれから話す内容をイメージしてもらうことです。更に相手に聞く気があるか聞く気がないか、あるいは今話す内容かどうか判断してもらうことが出来るのです。その気が全くないにも関わらず話をしてもお互いの時間の無駄ですし、他に差し迫ったことがあれば今話す必要がないか判断できるからです。

話すことに慣れた相手であれば、話す内容の要点を飛ばし飛ばし情報伝達することで事足ります。質問と先に表明していれば、答えが素早くかえってくるのです。報告と先に表明すれば、後で聞くと言われるかもしれません。もしかしたら報告と先に表明していれば、大丈夫だった?と聞かれ、大丈夫と答えれば、OKの返事で情報伝達・報告は終わりに出来るでしょう。

もし良かったら会話にもメールの件名(タイトル)のように、件名(タイトル)先に付けてから話し始めてみてください。単位時間当たりの情報伝達出来る内容が格段に増えるはずです。

今度から気をつけますの意味すること

怒られた場合や失敗を謝る場合、「今度から気をつけます」ということが良くあります。その『意味』を指摘してみたいと思います。

2つの意味があります。1つはこれまでは気をつけていなかったという告白。もう1つは反省した振りをするだけで何もしないということです。

気をつけていなかった場合

これまで気をつけていなかった場合、これからは気をつけることで改善が期待出来るかもしれません。

しかし気をつけるか気をつけないかで起こってしまったことは、気をつけないだけで再度同じことを起こしてしまいます。

余裕があれば気をつけることは出来るかもしれませんが、人間が失敗することなく常に気をつけ続けることは不可能です。つまりいずれは同じことを繰り返すことは容易に予想出来るのです。

これまでも気をつけていた場合

これまでも気をつけていた場合には、これから気をつけてま同じことを繰り返すでしょう。何故ならこれまでと何も変わらないからです。

今度から気をつけますとは、反省した振りをするだけで何も変わらないのです。

気をつけますとは努力目標に過ぎず、これまでと変わりません。

対策は?

「今度から気をつけます」と言われた場合の対策を考えてみます。

気をつけていなかったんですか?と質問します。気をつけていましたと言われれば、何も変わりませんね。気をつけていませんでしたと言われれば、気をつけなかったのは何故?と質問します。

いずれにしても「今度から気をつけます」は気をつけるから同じことが起こっても許してねということに過ぎません。反省した振りをするだけで何もしませんと同じなので、具体的な対策を教えて下さいとお願いしましょう。

「どうすれば同じことが起こらないように出来ますか?」と質問します。再発防止の対策を考えてもらうのです。

例えば1人で作業をした結果間違いがおこつたのであれば、2人で確認して作業をするなどです。時間と手間とお金といる制約はあると思いますが、制約の範囲内で再発防止の対策を考えてもらうのです。

「今度から気をつけます」で許してしまえば、必ず同じことをしてしまいます。つまり同じことで自分の時間を奪われてしまうのです。時間が勿体無いので再発防止の対策を考えてもらいましょう。

物事を理解しているかどうかの見分け方

私が見つけた物事を理解しているかどうかの見分け方を書いてみたいと思います。一言で説明すれば、言い換えることが出来るかどうかです。

それはどう言う『意味』ですか?と質問し、相手が別の言い方で言い換えることが出来れば理解しているでしょう。逆に相手にとって自分の言葉で言い換えることが出来なければ、恐らく理解出来てはいないのでしょう。中でも説明の上手な人であれば相手が理解出来る言葉で言い換えることが出来ます。

本来であれば学校の授業の理解度の確認は、どういう『意味』ですか?という質問にするべきです。何故なら理解していれば自分の言葉で説明出来るはずだからです。現在は手間と労力の問題で筆記試験で理解度を確認していますが、対面で質問すれば理解出来ているかは一瞬でわかります。

会話においても大切なキーワードがわかりますか?と質問し、相手が言い換えることが出来れば会話の意図が伝わっていることが確認出来ます。

親が子供に伝える場合や上司が部下を叱る場合、「わかった?」という質問をすることが良くあると思います。特に怒っている場合などは強い口調で「わかったの!!?」と聞くことは良くある光景でしょう。YES、NOで答える質問で、しかもNOとは非常に言いにくい状況では本当にわかっているかどうかの確認はできません。この時も相手が言い換えることが出来るかどうかの確認をすることです。

「どうわかったの?」と質問することです。キーワードが出てくれば理解しているでしょうし、何も答えられなければ理解出来ていないことがわかります。理解出来ていなければ当然うまく行動することは出来ません。つまり期待出来ないことが前もってわかります。言い方を変えて再度説明するか、諦めるかを選択することが出来ます。

騙される人と騙されない人の違い

世の中には騙される人と騙されない人がいます。当然誰もが自分は騙されないと思っているのですが、残念ながら騙される人がいるのが現実です。騙される人と騙されない人の違いを考えてみます。

騙されるとは?

騙されるとは、相手が自分が利する目的をもって錯誤により損をすることです。多くの場合お金を損しますが、場合によっては時間を失ったり立場を失ったりします。

騙される人と騙されない人の違い

欲の有無

騙される人と騙されない人の違いは一言で言えば欲があるかどうかです。欲の無い人は基本的に騙されたりはしません。欲といってもお金を求める金銭欲だけとは限りません。地位や名誉を求める名誉欲もありますし、食欲や性欲なども利用されることもあります。儲け話による詐欺が典型的な騙しです。名誉欲を刺激する話では、架空の引き抜きの話を用意し部長や役員に取り立てるなどの騙しの手口があるようです。

騙そうとする人達が厄介なのは、困っている人を助けようとする欲を利用する輩までいることです。善意の心を持っている人を騙すのですから、タチが悪いと私は思います。

概念の有無

別の要素は騙されるかもしれないと知っているか知っていないかです。騙す人がいるという概念を持っている人は騙される可能性が極めて低くなります。何故なら騙されるかもしれないから、騙されていないかチェックするからです。それでも巧妙な手口だと騙されてしまいますが、全く知らない人と比べると騙されにくくなります。

振り込め詐欺という概念のない人に対して啓発しているのは、振り込め詐欺という犯罪があると知ってもらうことで騙されにくくするのです。騙す人が電話を使って接触してくるということを知ってもらうことに意味があるのです。

知識不足

知らないことを鵜呑みにしてしまう人は騙されてしまいます。何故なら知識不足だと物事が正しいかどうか判断がつかないからです。知識不足だと物事の整合性が検証出来ないのです。

騙されないために

騙されないためには欲を失くすことが一番です。欲が無ければ基本的に騙されたりはしないでしょう。しかし実際には欲を捨てる悟りの境地に達することは困難です。そのためには欲を刺激するような不自然に得する話には警戒することです。現実的な対策は欲をかかないことです。儲け話には裏があると肝に銘じることです。私は不自然に得する話は、その仕組みを確認するようにしています。その仕組みが納得出来るものであれば騙しではないでしょうが、その仕組みが曖昧だとどこかに騙しの手口が仕込んであるとわかります。

騙す人がどこにでも潜んでいることを理解しておくことです。どれだけ信用している人でも、もしかしたら騙そうとしているかもしれないと気をつけることです。

他に出来る対策は出来るだけ知識を深めることです。とはいえ世の中の全てのことを知ることなど不可能です。現実的な対策は知らないことには手を出さないことです。

これらに気をつけるだけで、騙される人から騙されにくい人に変わることが出来ます。

勉強ができる人が上手に教えるとは限らない理由

勉強ができる人が上手に教えることが出来るとは限りません。
その理由を解説してみたいと思います。

勉強が出来ない人が教えることが出来るはずはありませんが、勉強ができるからといって人に上手に教えることが出来るとは限らないのです。
一言でいえば、自分では答えの出し方はわかっているものの、人に解説出来る程深く理解出来ていないのです。別の表現をすると、客観的に説明できないのです。

物事の理解には解釈の土台となる基礎知識が必要です。その基礎知識が人によって異なるため、人に教える際には相手の基礎知識に合わせて説明の仕方を変える必要があります。勉強ができる人は相手の基礎知識に合わせることが苦手です。誰でも自分と同じ基礎知識があるはずだと思い込んでいるため、自分の解説で理解できないと相手が悪いと勘違いしてしまうのです。理解してもらうためには説明する側が情報を工夫するべきなのですが、その視点がないため理解出来ないのは説明を受ける人が悪いと考えてしまうのです。言い方を変えると優秀過ぎて、基礎知識がないことが想像できないのです。想像できたとしても基礎知識を身につけていないことを怠慢だとして切り捨ててしまうため、上手に教えることが出来ないのです。
自分自身が『一を聞いて十を知る』ことが出来るので、わざわざ間の二、三、四と説明しなければいけないこと自体が理解できないのです。そしてその途中経過である二、三、四は勉強ができる人は無意識に処理しているので、人にわかるように説明できないのです。

勉強ができる人でも教えることが上手な人は、相手の基礎知識を推し量り、説明の仕方を上手に変えていきます。理解のために必要な基礎知識が不足していれば、その基礎知識から説明することが出来るのです。
本当に教えることが上手な人は教えているうちに相手に概念がないことも理解し、概念から説明することが出来るようです。
自分自身は『一を聞いて十を知る』ことが出来ても、『一から十まで』教えてもらわないとわからない人がいることを理解しているのです。そのため相手の理解の程度によって一、二、三、四と解説することが出来るのです。本当に教えることが上手な人は1.1、1.2、1.3、1.4、1.5と更に詳しく説明することが出来ます。相手の基礎知識量に合わせて情報を圧縮したり引き延ばしたりできるのです。

上記の理由によりいくら偏差値が高くても教えることが上手とは限りません。
別の表現をすると勉強ができることと人に教えることは別の能力が必要だからです。勉強ができるとは教科書を暗記し、テストというパズルを上手に解ける人です。暗記力が高く、パズルを解く能力が高い人が勉強ができると言われます。一方人に上手に教えるためには相手の基礎知識の把握と、説明能力が必要です。必要な能力が一致しないため勉強ができる人でも教えることが上手とはいえない人がいるのです。高学歴の親が勉強を教えようとすると子供が混乱することがあるのはこのためです。

偏差値が高くても仕事が出来ない人がいることに似ています。これも求められる能力が異なるからです。
勉強ができるかどうかは仕事が出来るかどうかに相関はなさそうですが、勉強を教えることが上手かどうかは仕事が出来るかどうかに相関がありそうに私は思います。ほとんどの仕事に、教えることと共通する説明能力が求められるからです。

人工知能が人間の仕事を奪うこれからの時代に求められるのは、人に教える能力なのかもしれません。実はこの人に教える能力も相手に合わせて千差万別に変化することのできる人工知能が得意とするところなので、最低限求められる能力のように思います。勉強ができても人に教えるのが苦手であれば、何故教えるのが苦手なのか、何故相手にわかってもらえないのか考えてみるとよいと私は思います。