多くの医者が病気を治せない理由

何故薬で誤魔化すことは出来ても、病気を治せないのでしょうか?

私を含め多くの医者が病気を治せない理由が理解出来ました。
一言で言えば多くの病気の原因が食べ物であり、食べ方にもあるからです。統計を取った訳ではありませんが、糖質をやめるだけで治る可能性のある2型糖尿病はもちろん、アレルギーや各種自己免疫疾患の原因も食べ方のようです。他にも慢性感染症、良性腫瘍だけでなく悪性腫瘍も食べ方が原因として特定の免疫不全を引き起こした結果、発症してしまうようです(参考:アレルギーなど自己免疫と免疫不全のメカニズム良性腫瘍と悪性腫瘍の違い)。

逆に言えば治せないとされている病気は、食べ方のせいで免疫の誤作動を引き起こした結果発症しているだけのようです。多くの方が気づきつつある糖質がかなり多くの病気を引き起こしているようです。特に一時的な高血糖が多くの病気を引き起こすようです。更に現在糖質以外の他の原因である様々な証拠を集めているところです。時期が来れば詳細を発表しようとは思いますが、差し当たり治らない病気でお悩みの方は病気を避ける理想の食べ方を参考にしていただくと治る可能性が十分あります。他には減塩と水分摂取・マルチビタミン摂取にもお気をつけ頂くとかなりの確率で治ると思います。

冒頭に私を含め多くの医者が治せないと書いたのは、本人が食べ方を理解し実践してもらわなければ治らないからです。

もしかしたら自分が悩んでいる病気が食べ方のせいだとしたらと考えてみてください。医者には治すことは出来ないのも当然です。医者が家まで行って食事を見張るということが非現実的だからです。食べ物や食べ方で病気が起こっているかもしれないと考えてみてください。だから薬で誤魔化すことは出来ても、医者には治せないのかもしれません。

人工甘味料は危険?

人工甘味料が危険と考える人達がいます。私は一種の宗教のようなものだと思います。はっきりと安全だというは答えは無いからです。安全だという保証がないから危険だと疑っているのです。何かいるかも知れないから暗闇を闇雲に怖がることに似ています。

正直なところ人工甘味料が絶対安全だと保証出来るだけの情報を持ってはいません。しかし明らかな健康被害をもたらす程危険だとは思えません。それよりも糖質の方が余程危険だと私は思います。何故なら糖質は様々な病気を明らかに引き起こすからです。

一つ人工甘味料が害が無いと私が推測する根拠があります。それは人工甘味料がどれだけプールの中にあるか調べた結果についてです。人工甘味料がプールの中で検出されることがあるそうです。実は排尿の際に人工甘味料はそのまま排出されるため、プールの中の人工甘味料は排尿を表すそうです。ということは人間の身体を素通りすることを意味すると思います。素通りするものがそれ程悪さをするようには思えません。

かといって人工甘味料は絶対安全と証明されている訳ではありませんので、証明されるまでは摂り過ぎに気をつけながら上手に付き合う方が良いのでは無いかと思います。根拠も無く恐れるのは宗教変わりませんので、人にも恐れるように強要はしないことです。人の問題に立ち入らなければ、争いは起きないからです。

人間の身体を素通りする人工甘味料を恐れる宗教を信じるか、恐れない宗教を信じるかのどちらかです。私は身体を素通りする人工甘味料を恐れない宗教を信じています。砂糖には明らかな健康被害がありますから、人工甘味料の方が余程安全だと今のところ考えています。

物事の考え方の参考になれば幸いです。

医学雑誌は科学ではなくなりつつある

医学雑誌は科学的であるべきです。最新の医学的な知見を載せるべきですし、科学とはそういうもののはずです。しかし最近聞いた話では医学雑誌は科学的に正しいかどうかではないところで、掲載・不掲載が判断されることがあるそうです。教えてくれた人に迷惑がかかってはいけないので詳しくは書けませんが、手軽に治せる治療法が最近投稿されるようになっても掲載しないそうです。不掲載の目的が手軽に治せる治療法が広まると開業医の経営が成り立たなくなるため掲載しないことが多いそうです。医学雑誌の掲載・不掲載を審査する医者がいるのですが、知人がその人から聞いたという話です。

本来医学は患者さんを治すために新しい知見を検証すべきです。医学雑誌は病気を治す手軽な手段が見つかれば積極的に掲載し、患者さんの利益になることを広く伝えるべきです。患者さんのためになると思って投稿した医者も、まさか他の儲かる治療法が廃れてしまうから掲載してもらえないなど夢にも思わず投稿していることでしょう。

スポンサーの利益のためになる情報を掲載する市販の情報誌のようにと同じように、医学雑誌が会費を払ってくれる医者の利益にならない情報を掲載しないのは悲しいことだと私は思います。

医学が科学であれば、病気を治す方法があれば掲載すべきです。誰かの不利益になるからという経済的観点から掲載を見送ることがあってはいけないはずです。しかし現実には手軽に治す方法の掲載は見送られてしまうという対応が現実にあるそうです。伝聞なので確かかどうかはわかりませんが、事実だとすれば志の低い医者が多いことを表していると私は思います。

医者の目的

医学雑誌が簡単に治る治療法の掲載を見送る目的は、これまでの治療法の儲けを損なわないことです。

新しい簡単な治療法を投稿する医者の目的は、患者さんの病気を治すことです。
掲載を見送るように働きかける医者の目的は治療そのものです。治療しなければお金にならないため、治療をしたいのです。簡単に治ってしまっては治療できないため、困ると考えるのです。
私は決してそのようなことはありませんが、多くの医者がこのように考えてしまうのかもしれません。
病気を治すことが目的という志のある医者だけが適切な治療を行い、治療そのものが目的の医者は延々と治療を続けるのかもしれません。

私がこのサイトの内容を論文投稿しない理由

何人かの患者さんから論文投稿を勧められましたが、私はこのサイトの内容を論文投稿する気がありません。論文の体裁を整えて投稿することが苦手だからなのですが、論文の体裁、つまり医学雑誌の作法に従って投稿する意味がないと考えています。私は正しいと信じていることなので、他人に審査してほしくはないのです。読んだ人が各自判断して受け入れてもらえれば良いのです。一種の宗教のようなもの(論理的宗教)です。信じるものが救われれば良いと思いますし、このサイトの理屈が真実なので、受け入れるか受け入れないかの問題ではなくいつ受け入れるのかという問題でしかないのです。

投稿しない最大の理由は、多くの医者が自分たちの利権を失うため受け入れないだろうと考えているからです。このサイトに掲載していることは、医者にかからなくても病気が治ってしまうからです。自分たちの存在意義を失ってしまう内容なので到底受け入れることはできないでしょう。ましてや治療もせずに食べ方で病気が治ってしまう理屈など、上記の内容をはるかに凌ぐ話です。投稿しても恐らく受け入れられることはないだろうと考えていたため、最初から投稿する気はありませんでしたが、私が予想したことを裏付けるエピソードを聞くことができました。

もう一つ論文投稿しない理由があります。それは医者に教えてあげる必要がないことです。患者さんに食べ方を直接伝えてしまえばよいからです。通常病気を治療するのは医者の仕事です。薬や手術により治すしか方法がありませんでした。だからその選択肢の一つとして医者に理解してもらう、あるいは医者を説得する必要があったのです。治療法という情報と治療法を医者が独占していたため、少し前までは医者に従うしかなかったのです。
しかしこれからは違います。インターネットの発達により治療法という情報が医者も患者さんもアクセスしやすくなりました。治療法といっても玉石混交で怪しい情報もあるため取捨選択が必要ではありますが、少し前よりは遥かに簡単に治療法という情報を手に入れることができるようになりました。わざわざ手間をかけて医者を説得しなくても、食べ方を患者さんに伝えるだけで、医者にかかることなく病気が治ってしまうのです。その一つが私が治した2型糖尿病です。私は糖質を控えると治るという情報を整理してわかりやすく伝えただけで、薬を一切使うことなく治してしまいました。血液検査をさせてもらいデータは取りはしましたが、完全に糖質をやめることができれば1か月ごとの検査すら必要がなくなります。半年後に念のため血液検査で確認する程度で済んでしまいます。糖質を控えるあるいは病気を避ける理想の食べ方によりアトピー性皮膚炎ニキビ、円形脱毛症などが治ってしまいます。

そもそも医者が科学者ではないのかもしれない・・・

私は医者は科学者の端くれであるべきだと思いますが、残念ながら多くの医者は科学者ではないのかもしれません。何故なら病気を治すことが目的ではなく、治療(お金)が目的の医者が多くいるからです。経営があるから治さず治療を継続することを優先する医者もいるようです。
医者の利権を守るために科学的な情報を掲載しない医学雑誌が存在するのですから、その医学雑誌を読む医者も科学者とは言えない状態なのかもしれません。

病気の治療をすることが目的ではなく、病気を治すことが目的の医者を見極めて医者を選ぶべき時代がやってくるのかもしれません。

どうやったら治せるのか医者に聞いてみることです。実践できるかできないかは別にして治し方の道筋を提案してくれる医者は病気を治すことが目的の医者かもしれません。しかし最初から治す気のない医者がいることも確かです。現代の医学では治せない病気があることは仕方がありませんが、もしかしたら治療を継続したいがためにあえて治さないのかもしれません。長年治らない病気でお悩みでも、医者を変えるとあっさりと治る病気もいくつかあります。

医者を選ぶのも寿命のうち

誰かから聞いた話です。悲しいことですが、事実のようです。

 

GI値(グリセミック指数)の意味と問題点

低GIダイエットなる言葉まであるようなので、GI値(グリセミック指数)の意味と問題点をまとめてみたいと思います。

ウイキペディアによると

グリセミック指数 (glycemic index) とは、食品ごとの血糖値の上昇度合いを間接的に表現する数値である。食品の炭水化物50グラムを摂取した際の血糖値上昇の度合いを、ブドウ糖(グルコース)を100とした場合の相対値で表す。血糖値の時間変化をグラフに描き、その曲線が描く面積によってGI値を計算する。

だそうです。食品に含まれる糖質の量をブドウ糖と揃えて比較し、消化・吸収・インスリンの反応性を相対的に表すものです。

食品に含まれる炭水化物を50g摂取した際の血糖値の上昇具合を比較しています。つまり食品によって炭水化物を含む割合が異なるため、食品の摂取量が異なるものを比較した結果です。

問題点

学問的には比較するためには糖質の量を揃える必要があったのでしょう。しかし現実的には比較試料に含まれる炭水化物・糖質の量が同じになるためには、比較試料の重量が異なる状態での比較データということになります。

ウィキペディアによると

GI値は一食分あたりではなく「炭水化物50gあたり」の試料で比較するため、比較試料の重量にも気を付けるべきである。具体的には、ウドン約88g、ソバ約70g、砂糖50g、スイカ約660gを比較する事になる。炭水化物の非常に少ない肉類などは実質的に測定不可能である。例えば豚モモ肉は100gあたり炭水化物量が0.2gのため、およそ25kg摂取しなければ測定できない。絹ごし豆腐は100gあたり炭水化物が2gなので、おおそ2.5kg摂取しなければ測定できない。

一般的な認識からすると違う重さの食品を食べた状態での血糖値の上昇具合を比べても意味はないと思います。糖質が多く含まれていないものは、糖質が同じになるまで沢山食べて、比較することに意味を見出せません。

意味を持たせることが出来るとすれば、食品50gを食べた状態とブドウ糖50gを食べた状態とを比較して、血糖値の上昇具合を相対的に表すことだと思います。BS(血糖値)上昇指数とでもするべきです。

食べ物の量が異なるにも関わらず、食べ物の中に含まれている糖質の量だけをとらえて比較することが実生活に意味を見いだせるとは私は思いません。

GI値は糖質を多く含むお米やパンなどでは多少は参考になるかもしれませんが、元々糖質を含む量が少ない肉などでは全く意味のない数値となります。つまりGI値を見る際に元々の糖質の含有率を別に調べないと意味の判断がつかないのです。別の情報がなければ判断できない値に振り回される必要はないと思います。

GI値の目的はある食べ物がどれだけ血糖値を押し上げるかを知ることだと想像しますが、それならば食べ物の中で血糖値を直接押し上げるのは糖質だけなのですから糖質の量だけを参考にすればよいことです。GI値などという小難しい考え方など私は必要ないと考えます。糖質の含有量あるいは含有率を参考に血糖値の上昇しやすさを判断し、食べ方を検討することが合理的だと考えます。

GI値ではなく炭水化物・糖質の含有率を参考にするようにしましょう。糖質の含有量は多くの食品に記載されています。タンパク質・脂質との割合の高いものは血糖値を素早く押し上げます。逆に炭水化物・糖質の含まれる割合の低いものは血糖値を緩やかに上昇させます。それだけのことです。

人間の髪の毛が伸び続ける理由

人間の髪の毛が伸び続ける理由を考えてみました。以前から考えてはいたのですが、髪の毛が伸び続けることで自然淘汰を生き残った答えを見つけることが出来ませんでした。今回ふと思いつきました。

現在の人間の身体は自然淘汰を生き残った結果です。今となっては必要ない身体の仕組みであっても、人類の進化の歴史において生き残りに有利な環境を生き延びたのです。逆に考えると現在の人間の身体から生き延びた環境を想像することが出来ます。例えば顔面にある副鼻腔は脳を保護する緩衝エリアです。丁度運転席を守るために衝突時に壊れる車のバンパーと同じような仕組みです。副鼻腔がバンパーのような役割をして脳を保護したのです。逆に考えるとそれだけ頭部への強い衝撃が日常茶飯事だった環境を生き延びたことがわかります。

人間は頭部の髪の毛が伸び続けます。人間に近いお猿さんの体毛は一定で伸び続けることはありません。つまり人類の進化の歴史において、お猿さんから分岐して頭部の髪の毛が伸び続けることが出来た種族だけが生き残ったのです。頭部の髪の毛が伸びない種族は淘汰され死に絶えた環境を考えなければいけません。髪の毛が伸び続けることが生存に有利だった環境が思いつきませんでしたが、ふと思いついたヒントになったのはネズミの歯が伸び続けることです。ネズミは絶えず何かをかじっているので歯がすり減ってしまいます。すり減る分歯が伸び続けないと物を噛むことが出来ないのです。もしかしたら人間の祖先は頭の毛が擦り切れるような環境だったのではないかと考えました。副鼻腔程の確信はありませんが、一つの仮説として成り立つと思います。人間の身体の体毛が産毛になったのは、体毛が多いと暑いので熱を逃がすために産毛の人間が生き延びたのでしょう。頭部の髪の毛は伸び続けることで生き残ることが出来たのです。頭の髪の毛が擦り切れる環境とは頭を何処かに競ってこじ入れるような動きを繰り返していたのではないかと思います。競って頭をこじ入れることで生き残るとすれば、食料の確保しか思いつきません。祖先達が仕留めた獲物に一斉に襲い掛かり、頭をこじ入れることに長けた身体を持った祖先だけが生き残ることが出来たのだと思います。頭をこじ入れる程競う必要があるので、何人かで狩りをしていた可能性が高いと思います。人間が狩りをするために言葉を発達させたとされていることに合致します。頭をこじ入れることを繰り返していると、頭の髪の毛が擦り切れてしまいます。伸び続けない祖先は頭部の皮膚が剥き出しになってしまったことで、頭をこじ入れる際に滑らず不利だったのです。髪の毛が擦り切れても無理に頭をこじ入れようとすると頭を怪我してしまい感染症で命を落とした可能性があります。頭の髪の毛が伸び続ける祖先が偶然にも生まれたことで、頭の髪の毛が伸び続けない祖先を圧倒し淘汰してしまったのです。

頭の髪の毛が擦り切れる程何かをしていたため、髪の毛が伸び続ける方が生存に有利だったはずです。髪の毛が伸び続ける方が圧倒しているので、その有利さも圧倒的だったことが予想出来ます。頭が擦り切れるほど頭を擦り付けるのは、狩りの獲物を競って食べることしか私には思いつきません。恐らく刃物などの道具を使うはるか以前の祖先の話だと思います。髪の毛が伸び続ける理由で、人類の進化の歴史において祖先が生き延びた環境で、更に合理的なことを思いついたら改めて書きたいと思います。

追記:頭をこじ入れて食べ物を漁る動物をテレビで見る機会がありました。ハゲタカは逆に邪魔になる羽を無くした方が餌にありつきやすかったようです。そしてハゲタカは頭部への外傷を外傷を受ける可能性が低いので頭を丸めたのでしょう。人間は頭をこじ入れる際に髪の毛が擦り切れ、頭部が剥き出しになると都合が悪いのでしょう。それだけ頭部への外傷が多かったことを物語っていると思います。食べ物の奪い合いで人間同士で頭を攻撃することもあったでしょう。だから頭を守るためにネズミの歯のようにずっと伸び続ける種族が生き延びたのだと思います。

 

勉強は自己トレーニング法を見つけるための手段

以前学校で勉強する目的は何のためと書きましたが改めて考えてみたいと思います。学校で学ぶ勉強は本来一般常識を身につけるためのものです。基本的な学力を身につけることで、更に様々なことを学ぶ基礎となるのです。

その勉強が社会に出て役立つことはほとんどありません。では何のために勉強などするのでしょうか?勉強は知らないことを知るための手段の習得が目的です。より効率的な知識の吸収の仕方、自己トレーニング方法を探すために勉強するのです。上手な習得方法を見つけることが出来れば、その後の知識の吸収は格段に効率的になります。

つまり学校での勉強は必要な知識を吸収するための効率的な習得方法を身につけるために行うのです。一般的に勉強で必要な知識は学校の教科書として事前に準備されています。事前に準備された内容を理解し知識として吸収することが求められます。ルールは教科書とし準備してもらってあるのです。教科書というルールの中で作られた試験問題というパズルを解く能力を競うのがテストです。習得度合いを教科書の理解度としてテストするのです。いかに効率的な習得の仕方を身につけるかが競わされているのです。

学校の勉強では教科書というルールがあるので、そのルール内で理解出来ていないところを探して理解していくことが求められます。自分に足らない知識を探し出し、そのことを習得するようにするのです。この自己トレーニング方法を身につけるために勉強をするのです。勉強そのものに大した意味はありません。自己トレーニングの手段なのですから。筋力トレーニングの手段であるバーベルやダンベルが日常生活で役立つことが無いように、勉強の手段である教科書に大した意味は無いのです(教科書の中には日常生活に役立つこともありますが)。バーベルやダンベルは効率的な筋力トレーニングの方法を身につけるための手段でしかないのです。バーベルやダンベルはどのようにすれば効率的な筋力アップが出来るか試すための手段なのです。学校の勉強もどのようにすれば、自分の頭の使い方が効率的な考え方が身につくか探すための手段なのです。

例えば三角比など知らなくても日常生活は出来ますし、逆に今の日常生活で三角比を使う場面は思いつかないでしょう。しかし頭の使い方を学ぶために勉強するのです。そんな視点で勉強について考えてみましょう。

不倫するのは先祖返り?

何かと不倫が話題になる昨今ですが、不倫するのは先祖返りなのかもしれません。

人類の多くは一夫一婦制を採用しています。他の動物ではゴリラのように一夫多妻であったり、パートナーを決めない乱行型のボノボだったり様々です。動物によってそれぞれ特有の夫婦の形があるようです。進化の過程においてそれぞれ合理的な理由があって今の形に落ち着いています。かつての日本でも一夫多妻制を認めていましたが、今では一夫一婦制を採用しています。

人類が一夫一婦制を採用しているのは、一夫一婦制の方が子孫を残すために有利だからです。詳しくは学術的な見解を含めて記載しています人類が一夫一婦制を採用している理由をご参照ください。人間は他の動物に比べて非常に未熟な状態で生まれます。だから夫婦二人で子育てをするように進化しました。女性は子育てに専念し、男性は子育ての間食料を集めてくることで家族が成り立ちます。夫婦になった時点で他のパートナーを探す必要がなくなるので、子育てや食料確保に専念できるので効率的です。そして独身者は既婚者を相手にしないことで無駄な労力を使わないようにする仕組みです。結婚指輪という仕組みは理にかなった仕組みであるといえます。配偶者がいるのぇパートナーの候補にしないで下さいという印になるからです。

結婚は長い年月をかけて培った一夫一婦制という仕組みを法律によって定めたものです。太古の昔には夫婦は常に一緒に行動していたため結婚というルールは必要ありませんでした。社会ぎ複雑になるに従って、夫婦が別々に行動するようになったため結婚という考え方が生まれました。そのルールを破るのが不倫です。

長い人類の進化の歴史の中で辿り着いた一夫一婦制を脅かすので、不倫が忌み嫌われるのです。一夫一婦制は子育ての際に最も効率的に子孫を残すことの出来る仕組みのようです。

一夫一婦制ではパートナーが変わらないことが前提なので、他の仕組みよりも維持するのが容易だというメリットがあります。一夫一婦制の最大のメリットはパートナーをめぐる争いが無いことです。その最大のメリットを脅かすのが不倫だから非難されるのです。

不倫をする前に、結婚の意味そして人類の多くが一夫一婦制を採用している意味を考えてみると良いかもしれません。

そして不倫してしまうのは一時の快楽に負けてしまったのか、後先を考える人としての知恵が足らないのかもしれません。もしかしたら結婚という概念のない、浮気が当たり前のお猿さんのように先祖返りをしてしまうからかもしれません。

大腸ガンの原因も糖化産物?(仮説)

かつては大腸ガンは欧米に多く日本では少ないガンでした。最近では日本では増える傾向にありアメリカでは減る傾向にあるそうです。日本で大腸ガンが増えているのは食の欧米化だと言われ、アメリカで大腸ガンが減っているのは野菜食の啓蒙活動の結果と言われています。

確かに肉食との関連はありそうです。しかし肉の主成分はタンパク質であり、消化されればアミノ酸となります。植物にもタンパク質は含まれていますが植物性タンパク質の食べ過ぎで病気になるとは聞いたことがありません。素朴な疑問です。肉の何が発ガンを促すのかです。

何が違うのかゼロから考えてみました。あくまでも仮説ですが、私はタンパク質と糖が熱で結合するメイラード反応による糖化産物が原因ではないかと考えています。

体内で生じる糖化産物が病気を引き起こす仮説を立てていますが、その延長で体外で生じた糖化産物が病気を引き起こす仮説を考えてみました。実は体外で生じる糖化産物は良く見かけています。それは肉を焼いた際の焼き色のことです。この反応のことをメイラード反応といいます。つまり肉を焼いて焼き色がついた状態で食べると自然と糖化産物を食べているこのになります。

私は肉食が問題ではなく、糖化産物の食べ過ぎで大腸ガンを生じるのではないかと考えています。いわゆる焼き色ですから高温で肉を調理することが大腸ガンの原因ではないかと考えています。つまりステーキや焼肉が問題で、茹でたお肉は大腸ガンには関係ないのではないかという仮説を考えています。何故大腸ガンに関連が考えられるのは、糖化産物がそのまま消化・吸収されず大腸に到達する可能性が考えられるからです。もしかしたら糖化産物が腸内細菌と反応することで大腸ガンを誘発している可能性も考えられます。

中には実際に動物実験で発ガン性が認められている糖化産物が見つかっています。

お肉の焼き色は確かに美味しそうには見えるのですが、この糖化産物の心配を勝手にしていますので、ステーキや焼肉は焼き過ぎに注意してあまり食べないようにしています。いわば私が焼き色のついたお肉は避けることが出来れば避けるという、怪しく緩い戒律の宗教を信じているのようなものです。状況証拠から私が勝手に疑っているだけのことです。

疫学調査で焼いたお肉を好むか茹でたお肉を好むかで大腸ガンの罹患率が異なることがわかれば、この仮説が証明されるかもしれません。他に考えられる糖化産物は植物性で、具体的にはパンの焼き色です。同じ小麦製品でもパン好きと麺好きかによって大腸ガンの罹患率が異なると、植物性の糖化産物でもガンになる可能性が示唆されます。もし差が無ければ大腸ガンには無関係であることがわかります。

大変興味はありますが、私はこれらの疫学調査をする能力がないので誰かが興味を持って調べてもらえると良いですね。

 

新幹線で倒した座席はそのままが合理的

新幹線や特急では座席にリクライニング機能がついているため、座席を倒すことが出来ます。駅に着く際に車内アナウンスでは倒した座席は元に戻すように呼びかけでいます。そこでふと思いました。

座席は戻さないことが合理的

次に座る人のために座席を戻すことを呼びかけていると思われますが、次に座る方が倒すのであれば、マナーとして改めて後ろの方に声をかけなければなりません。席に着く際に座席が最初から倒されていれば、声をかける必要がありません。またリクライニングさせないことを好まれる方が来られたとしても、後ろの方に声をかけることなく戻すことが出来ますので、最初から倒されている状態で次に座る方が自由に選ぶことが出来る方が合理的だと思います。

恐らく元に戻すことを促すアナウンスは、元に戻すのが当たり前という固定概念にとらわれているためではないでしょうか?

倒されていても元に戻すのは周囲に気を使う必要がない、倒すことには後ろの方に気を使う必要がある。であればわざわざ元に戻さず、倒されているままの状態で受け渡しする方が合理的だと思います。

少なくとも座席を元に戻すアナウンスはやめても良いのではないかと私は思います。

忘れないことを忘れる場合の対策

忘れないことを忘れてしまうことがあるのが人間です。というか少なくとも私には忘れないことを忘れることが良くあります。

忘れてはいけないから覚えておこうとしたこと自体を忘れてしまうのです。

人は物事を思い出す際、何かをきっかけにして思い出すようです。そのきっかけを上手く思い出せるようにセット出来る人は、物事を忘れにくく記憶を取り出すことが得意となります。何か行動する必要がある場合には、その行動のきっかけになることを忘れない方法でセット出来る人とセットがしにくい人がいます。

思い出すきっかけをセットする

私は行動のきっかけを覚えて置くのが苦手なので、工夫するようにしています。

例えばゴミ出しを忘れそうなら、忘れないように覚えておくだけではなく、必ず思い出す仕組みを作ります。ゴミ出しであれば玄関の靴の側にゴミを置いて出掛ける際に思い出す仕組みにします。

必ず持って行く必要があるもので持って行くことを忘れそうなら、靴の上に置いておきます。

他には再々目につく目立つところに忘れてはいけないものを置いておいて、その都度思い出すのも一つの方法です。これは受験勉強などどうしても覚えたいことがある場合にも有効な対策です。人間何度も見返していれば覚えるものです。

それでも忘れそうなら

二重三重に思い出す仕組みをセットしておきます。締め切りのあることに対して、簡単な対策は携帯のスケジュール機能です。携帯のスケジュール機能に忘れては困る内容をメモしておきます。そうすることでスケジュールの時間を忘れない仕組みを作ることができます。

他には忘れてはいけないことの数を数えておく方法です。今日は2つ、明日は3つなどその数の物事を思い出すことができるかどうかを確認します。内容はともかく数だけ抜き出して記憶しておく方法です。

この数のチェックは小学生が登校の際の忘れ物チェックなどには有効な手段です。ハンカチ、ティッシュ、水筒、帽子、名札、帽子の六個とかですね。

私の場合は大したことはありませんが、財布、携帯、鍵の3つを持たないと外出しない癖をつけています。だから私のチェック項目ら3です。

良かったらお試し下さい。