魔法の言葉 気にして下さってありがとう

私は魔法の言葉という考え方を提案しています。
余計な心配をしてくれた人には『心配してくれてありがとう』という考え方を提案しています。

今回は奥様が亡くなられた後で1日に十数回ブログを更新していることを回数が多いと歌舞伎俳優さん非難されたことを知って思ったことです。明らかに心配している訳ではないため、『気にして下さってありがとう』という考え方に思い至りました。

奥様を早くに亡くされて悲しみの中にあり、その悲しみの癒し方は人それぞれです。その悲しみの癒し方を迷惑を被っている訳でもない他人がとやかく言うのは越権行為で、一言でいえば余計なお世話です。しかし相手に直接余計なお世話と言えば角が立ちますし、同じレベルに降りていって相手にしてあげる必要はありません。

余計なお世話だと思った際には心穏やかに魔法の言葉をお返ししましょう。

気にして下さってありがとうございます。

様々な情報が人々の行動を変える

様々な情報が人々の行動を変えています。
最近実感するのは病院を受診する際に前もって病気のことを調べてから受診される人が増えています。ということは受診するかどうか悩んだ際に自分で調べ、受診する必要がないと判断した人も大勢いると予測できます。少し前まではインターネットの情報は整理されていないため、間違った病名をあげられる方が多かったのですが、最近ではインターネットで事前に調べた方の多くが正しい病名をあげるようになりました。インターネット上の情報が整理されてきた証拠だと思います。その情報により人々の行動が変わります。

病院を受診されるのは本人が調べた結果必要があると判断した場合のみです。自分で調べて情報を取得し、放置しても大丈夫だと考えれば受診しない選択をしている可能性が高いと思います。
つまりインターネット上の情報により、受診する必要がなくなった方が一定数おられるはずです。これからもその数は急速に増えていくでしょう。
少し前までは病気のちょっとした情報を知るためだけに病院を受診していました。治療が必要かどうかわからないから、その情報を得るために病院を受診していたのです。今では受診が必要な病気か、放置しても大丈夫かの判断がある程度つくような情報を得ることができるようになっているのです。

この情報が人々の行動を変えるということは、弁護士さんの業界でも起こっていると思います。法律関連で具体的にどのようにすれば良いのかわからない場合、少し前まではお金を払って弁護士さんに相談するしかありませんでした。しかし今ではインターネットで検索することで似たような事例を探すことができるようになりました。似たような事例が見つからなければ弁護士さんに相談するしかないのは以前と同じですが、似たような事例を見つけることができれば弁護士さんへの相談する必要がなくなっているのです。これも情報が弁護士さんに相談するか相談しないかという行動を変えていると思います。

簡単な話でいえば、スーパーの特売などお得な情報です。あるものが特定の日・時間に安い値段で売られているという情報が、人々を集めます。特にお店の開店セールの情報で、多くの人が朝早くから集まります。

他のことでいえば、糖質回避病気を避ける理想の食べ方という情報が人々の食べ方という行動を変えます。そして世の中から病気を失くしています。既に数百人が糖質の食べ方を気を付けることで、薬がいらなくなっています。数百人が糖質回避という情報により、行動を変えています。

最先端の情報は塩分を控えることと、マルチビタミン剤を飲むことをお勧めします。
何らかの病気でお悩みでしたら、糖質を控えることはもちろん、塩分を控え、マルチビタミンを飲んでみてください。私はこの3つのパーツで多くの病気が治ると考えています。

情報の多くは抽象化された言葉です。
その言葉が人々の行動を変え、そして違う未来を切り開くのです。
私は様々な情報が人々の行動を変えるのは、魔法だと考えて良いと思います。
何故なら一言で人間は行動を変えることができるのです。
たった一言の情報で命が救われるかもしれないのです。
例えば『危ない!』の一言で立ち止まり、車に轢かれずに済むかもしれません。

人々の行動を変える情報を発信できるようになりたいと思います。

言葉で病気が治る魔法のような話

言葉で病気が治るとしたら魔法のような話です。

これまで治らないことが常識だった病気が言葉一つで治るとすれば、魔法のような話と表現しても良いのではないかと思います。

実際に言葉一つで患者さんの考え方が変わり、不治の病とされてきた2型糖尿病が薬無しで治りました。正確には薬は使っていないので病気が失くなりました。

アトピー性皮膚炎やニキビなど他の病気でも、糖質回避を言葉で伝えることで患者さんの食生活が変わり様々な病気が治ります。これらの病気は薬を使うことで症状を改善し、再発防止に糖質を控えるのです。

言葉により糖質を避ける知恵をつけるだけで病気が失くなるのです。正に言葉の魔法です。

糖質回避という言葉の魔法により、他にも様々な病気の改善が期待出来ます。原因不明の病気で治す方法が無いのであれば、糖質回避はダメ元で一度試してみても良い治療法ではないかと思います。

自己免疫性疾患など免疫機能が関与する病気には効果が期待出来ると思います。人によって異なる免疫抑制も生じるようなので、もしかしたらガンも糖質回避により改善が期待出来るかもしれません。少なくともウイルス感染が関与する子宮頸癌には効果が期待出来ます。

〇〇するのは勿体無いですよ。

今回は魔法の言葉です。
魔法の言葉とは短い言葉で真意を一瞬で伝える言葉のことです。

誰でも魔法の言葉を使うことが出来ますが、1日に何回も説明する機会のある医師にこそ魔法の言葉を習得するお得ではないかと思います。

以前は病気が治らないことを一言で伝える魔法の言葉を書きました。現代の医学で病気が治らないはずが無いと思い込んでおられる方には、言葉で病気が治りませんと伝えてもなかなか理解してもらえません。一言で「そんな魔法みたいな治療はないんですよ」と伝えると一瞬で御理解いただけます。

今回の魔法の言葉は「〇〇するのは勿体無いですよ」です。医師は余り使わない言葉遣いですが、効果は絶大です。

具体的な使い方は抗アレルギー剤の使い方です。痒みがあれば抗アレルギー剤の内服を行い、痒みが無ければ抗アレルギー剤を内服する必要はありません。ちなみに抗アレルギー剤を内服を継続した方が、効果が高いという論文はありますが、製薬会社がスポンサーとして研究した論文のようです。その論文を根拠に抗アレルギー剤を処方すると製薬会社も医者も儲かるので、都合が良いようです。

痒みは間違った免疫反応によって引き起こされます。抗アレルギー剤の内服はこの間違った免疫反応を止めることを目的とします。間違った免疫反応が起こっていなければ飲む必要はないはずです。痒みが治れば内服しなくて、良いですよとお伝えします。患者さんとしては内服は必要は無いと言われて、副作用があるから本当は出来れば飲まない方が良いのかと心配されることがあります。または飲まないと痒くなるのが不安だから飲みたいという心理になる方もおられるようです。

そこで魔法の言葉の登場です。「抗アレルギー剤は痒みを抑えているだけなので、痒くないのに抗アレルギー剤を飲むのは勿体無いですよ」とお伝えすると、一瞬で納得してもらえます。そもそも痒みは糖質を食べ過ぎて数時間で出るので、糖質を控えると痒みは改善しますので抗アレルギー剤なんて必要無くなります。そのことを一言で伝える魔法の言葉が「勿体無いですよ」です。

この「勿体無い」という言葉には、危険な訳ではありませんが無駄になりますよという誰にでもわかるニュアンスが含まれています。良かったらお使いください。

 

魔法の言葉 心配してくれてありがとう

私は言葉の魔法の力を信じています。
その一つに

心配してくれてありがとう

があります。同義語は余計なお世話です。余計なお世話ですと言いかえせばその場はもしかしたらスッキリするかも知れませんが、角が立ちます。

言われた側にとっては余計なお世話以外の何物でもありませんが、言う側はせっかく心配してあげたのにと考えます。だからこそ、それを逆手にとって心配してくれてありがとうと伝えるのです。ありがとうと言われて怒る訳にもいきませんし、心配しているつもりなので皮肉だと言う意味は理解できません。理解出来ないからこそ皮肉の意味を込めても、皮肉を込めなくても角は立ちません。

ありがとうと言われている訳ですから、心配してないとも言えませんし、心配を口実にそれ以上口にすることも避けることが出来ます。

不快に思ったり余計なお世話だなと感じることを言われたら、『余計なお世話です』と言う言葉を飲み込んで『心配してくれてありがとう』と伝えるとそれ以上お互い嫌な思いをすることなく会話を打ち切ることが出来ます。

魔法の言葉、心配してくれてありがとう。

余計な一言を言う人にも有効ですが、興味本位で根掘り葉掘り聞く人にも最適な一言です。

人類が言葉を獲得した理由

人類は言葉を獲得したことで急速に進化しました。

ネアンデルタール人も言葉を使ったかも知れませんが、ここまで複雑な意思の疎通は無理だったようです。そして環境に適応し切れず絶滅してしまいました。

人類が言葉を獲得した目的

人類の進化の歴史において狩りをしていたのは確かなようです。化石や石器からもわかりますし、他の霊長類と比較して肩関節が物を投げることに適した可動域を持つのがその証拠のようです。イルカやクジラでも集団で狩りをするので、恐らく人類の祖先も集団で狩りをしていたことが考えられます。

言葉を獲得した目的

人類は必要に迫られて言葉を獲得したのではないでしょうか?動物でも行う狩りの合図は鳴き声一つで問題ありません。複雑な言葉をどのように使ったのでしょうか?当時の人類にとって大切なことは食料の確保と外敵からの身の安全です。

一説によると狩りの反省や改善点の相談に活用されたそうです。言葉を活用することで狩りの精度が増したため、人類は生き延びることが出来たそうです。

元々言葉は反省する・改善点を探すために獲得したと考えると、非を認めて反省できない言い訳人間はお猿さんに近い先祖がえりなのかも知れませんね。

人類は言葉を使って改善点を探すことで発展出来た

人類は言葉を使うことで様々な改善点を話し合うことが出来た。その結果このような人類の飛躍的な発展が出来た。もし人類が言葉を獲得していなければ、まだ石器を使っているのかもしれないと考えると非常に面白いですね。

怒ると叱る、諭すの違い

怒る・叱る・諭すという言葉があります。それらの違いを考えてみます。

怒るより叱る方が良いと思っていましたが、それよりも諭すのがベストだと私は思います。

怒る

怒るは感情を相手にぶつけているだけのことです。相手に伝わるのは怒っている・不快な思いをしているということだけです。怒る場合感情に任せて怒るので、相手に何故怒っているのか伝わりません。

怒っている人は、当たり前だと思っていることが相手に抜け落ちているので、怒っているだけのことが多くあります。しかし相手に当たり前という感覚が無いので、怒っても全く伝わりません。怒られても意味がわからないのです。

叱る

辞書によると目下のものの良くない点を指摘して強く咎めることのようです。

相手を責め立てるニュアンスが含まれています。感情に任せて怒るよりはましですが、相手が悪いことが前提なのが私には抵抗があります。ただ知らないだけのことを責めるのは可哀想にも思います。もしかしたら自分が教えるべきことなのて、そのことを知らないとして叱ってはいないでしょうか?教えるべき人が教えていないことを叱るのはルール違反だと私は思います。

諭す

辞書によると目下のものにわかるように説明して、納得するように教え導くことだそうです。

諭すには責め立てる意味合いは込められていませんので、相手が知らないだけのことを教えてあげるのですから私は最適な言葉だと思います。相手が知らないことは仕方のないこととして受け入れ、知らないことを責めずただ教えてあげる、諭すという言葉。無駄な争いを無くす魔法の言葉だと思います。

怒る、叱る、諭すの違いのまとめ

怒るは感情で責め立て、叱るは感情はないものの責め立て、諭すは責めず教え導く。

怒るよりも叱るよりも諭すを心掛けてみませんか?

一つの言葉や事柄に多くの意味があります

人は無意識のうちに数多くの意味の中から一つの意味を特定して理解しています。
幾つもの意味があることに気付かず、自分の知っていることだけで判断してしまうと思わぬトラブルに発展することもあります。人と人の諍いの多くはこの言葉や事柄の意味の取り違えが原因です。意味の取り違えを実感できることを書いていきます。
私は言葉や事柄に含まれる多くの意味を『言葉の揺れ』と表現します。
そして人がどのようにしてその意味を捉えているのかを書いていきます。

言葉の含む多くの意味

家族四人で最後の食事。
この言葉にも多くの意味が含まれます
育った環境や今おかれている状況から、一つの状況しか思い浮かばない人もいます。
少し考えてみてください。

大きく分けて二つに分かれます。
家族が増えるから四人での食事が最後かもしれませんし、家族が減るから四人での食事が最後なのかもしれません。人は自然にその中から話をしている相手の状況から適切な言葉の意味を読み取ります。
楽しそうに言えば家族が増えるのでしょう。
悲しそうに言えば家族が減るのでしょう。
うれしいのにわざと悲しそうに伝え、減ると思わせて実は増えることを伝えると笑いにつながります。

楽しそうに話せば、4人で最後というのは赤ちゃんが生まれる期待を意味するのかもしれません。
悲しそうに話せば、4人で最後というのは離婚前を意味するのかもしれませんし、誰か命にかかわるような病気なのかもしれません。
特定されていなければ、良い意味も悪い意味も含むのです。

人は多くの意味の中から適切なものを選んでいる

あまり知られていないようですが、人は無意識のうちに言葉や事柄に含まれる多くの意味の中から、適切なものを選び出す能力を身に着けています。
話の早い人は多くのことを知っていることに加え、この言葉に含まれる多くの意味の中から適切なものを選び出す能力に長けていると表現できると思います。
まれに一つの言葉が多くの意味を含んでいることを知らず、相手に誤解を与えてしまう人がいます。いくつもの受け取り方ができる言葉を使いながら、話す人が一つの意味しかないと思い込んでいると意図せぬ受け取り方で誤解されてしまうのです。
政治家の失言が繰り返されるのはこれが理由です。
本人に悪気はありません。指摘されても意味がわからないと思います。

言葉の揺れ

言葉に様々な意味が含まれていることを言葉の揺れと表現しますが、言葉の揺れにより日常会話でも様々な誤解を生じる可能性があります。
言葉の揺れによる誤解を避けるためには、言葉の揺れの中で特定できるように限定していくことです。
この言葉の揺れの中から、間違いなく伝えたい一つのことに絞り込むように言葉を追加することが大切です。
言葉の揺れがあるにも関わらず、曖昧な受け取り方ができる状態で会話していると、聞いている人は言葉の揺れの中でどれか迷いながら会話することになります。
聞き手に余計な負担をかけないことと、誤解される隙を失くすために言葉の揺れは極力避けるほうが良いと思います。

進化できるのは人間だけ? ~新進化論~

進化という言葉があります。
多くの人のとらえ方は、古いものが新しいものに入れ替わること、単純なものから複雑なものに変化していくことだと思います。

タイトルの進化できるのは人間だけ?というのはやや大袈裟な表現ですが、その意味を説明していきます。

宗教的に信じていない方もおられますが、多くの方が理解している通りダーウィンの進化論で明らかになりましたように、様々な生物が進化して今の形態になりました。
この進化論で誤解を生じている人が多くいます。

生物が意思をもって進化したと、人間的にとらえていることです。
生物は遺伝子によって後の世代・子孫に情報を伝えます。伝える情報に意図的に変化をもたらしたり、偶然傷ができて損傷してしまうことで子孫に様々な変化をもたらします。その様々な変化が生存に有利に働くと子孫をより多く残すことができ、不利に働くと子孫を残すことなく死に絶えます。

淘汰の生き残り

優れたものを選んで作り出した印象を受ける進化という言葉ですが、実は偶然生まれた多様性(様々な性質・特徴のこと)の中で、適したものが環境というフルイにかけられて生き残っているだけのことなのです。進化というより淘汰の生き残りと表現する方が適切だと思います。
ダーウィンが見つけた進化論というのは画期的な理屈でしたが、実は淘汰の生き残りを歴史を遡って解釈したということです。進化論という言葉は、生物があたかも優れた性質を考えて勝ち取り、生存競争に生き残ったという錯覚を起こしてしまいました。

動物は意図的に優れた性質を狙った進化ではなく、淘汰の生き残りの結果ということです。
実際には高度な知恵のある動物も存在するので、それらは自ら考えて進化していると表現できるかもしれません。具体的には仲間で合図をしていて狩りをするイルカや、道具を使うチンパンジーなどは進化しているといえると思います。しかし積極的に合図や道具の工夫はしないのが人間との大きな違いです。

進化とは

ここでいう進化とは、単純なものから複雑なもの、難しいものから簡単なもの、古いものから新しいものに意図的に改善していくことです。
仕事でも物事でも、自分自身のことでもよりよく改善する変化を進化と表現することができます。
人間は様々な改善策を探して、どんどん進化していくことができます。
物や技術を発展させることで、人々は一昔前では考えられないような魔法のような生活を送っています。
魔法のような生活の獲得も進化といえるのかもしれません。

そして言葉一つで行動を変えることができる、魔法使いのような存在は人間だけです。
そもそも一部の動物にみられる簡単な合図ではなく、複雑な言語を使うことができるのは人間だけですから当たり前といえば当たり前です。

究極の進化

この言葉一つで行動を変えることが、究極の進化ではないでしょうか?
人間は言葉一つ・きっかけ一つで考え方を変え、行動を変えることで、進化することができる生き物なのです。

そういう意味で、意図的に進化できるのは人間だけだと思います。
具体的には言葉一つで糖質をやめることで、糖尿病を失くしてしまった患者さん。
病気を失くしたのですから、すでに患者さんでもなくなりました。
彼は言葉一つで一段上のステージに進化できたのだと思います。

人間は言葉の魔法一つで進化できます。
言葉にそんな魔力が秘められているなんて考えたことがありますか?
これから書いていくそんな言葉の使い方の話が、新進化論です。

『病気が治る』を改め『病気を失くす』

2型糖尿病肥満高血圧などが治ると表現していましたが、間違っていました。

治るのでは無いです。

病気が無くなる。

そもそも2型糖尿病や肥満は糖質に対する認識が原因で引き起こされた疾患というよりは状態です。

原因である糖質を摂り過ぎなければ、そもそも2型糖尿病や肥満の状態にはなりません。

糖質を控えることで改善すれば、2型糖尿病や肥満は治るのではありません。2型糖尿病や肥満は失くなるのです。表現を間違えていました。

病気を失くす

歴史を振り返ると、知識不足による食べ物の選択ミスによる病気がありました。ビタミンという概念が無かったためにビタミンが含まれた玄米をビタミンを削ぎ落として白米にして食べたために生じた何万人もの死人を出した脚気のように、現代にも食べ物による病気が蔓延しています。現代の脚気とも言える様々な病気を治すのではなく、失くしてしまいましょう。

幸いかつての脚気は先人の『知恵』により日本ではほぼ無くなりました。

次は2型糖尿病、肥満、高血圧を失くしてしまいましょう。アレルギーも恐らく失くなると思います。

病気を治すのではなく、失くす。無になるのではなく、病気を失ってしまう『意味』を込めて病気を失くす。当て字ですが表現としてぴったりだと思います。