常識とは? 2つの意味がある?

常識とは?
常識には2つの『意味』があります。一つは人がお互いに快適に生活するためでもう一つは人間の脳の能力の節約をするためです。
常識を身につけたもの同士がお互いに快適な生活をするために常識があるということは、価値観が共有できるということを意味します。同じ常識が共有されていれば相手が不快に感じるであろうことがお互い理解できるため、極力相手を不快にさせることを避けることができるからです。万が一常識を身に着けていないと非常識であると認識され、阻害されることが多く、不便な生活を強いられることになります。例えば会社同士の商談の場に普段着のラフな格好で訪れた人が、商談を成功させることができるでしょうか?通常商談をまとめることは無理だと思います。何故ならサラリーマンがスーツを着るのは、スーツを着ることでサラリーマンとしてのビジネスマナー・常識を身につけていることを表すためです。常識は考え方であり、身なりであり、身のこなしでもあります。同じ常識を共有している人同士であれば、価値観が似ているため快適に受け答えができます。常識を当たり前として受け止め、みんなが共有していると思っています。しかし育った環境や学んだものや学歴・学校・職場・職業により様々な常識が存在します。一人の人が属する集団ごとに異なる常識を共有することになるので、常識は無数にあるといっても過言であありません。当たり前だと思い込んでいるため、誰しも皆がそのことを常識として当たり前に認識していると思い込んでいることがあります。お互いが当たり前だと思い込んでいるからこそ確認せず、認識の齟齬(勘違い・思い違い)を生じ争いに発展することもあります。
認識の齟齬による争いは、第三者から見ればズレ漫才を見ているかのようです。
実は常識にはもう一つの意味があります。人間の脳の能力の節約です。考えても無駄な常識に外れたことを最初から排除することで、限られた人間の脳の能力を節約することにより速やかな判断ができます。常識の範囲内での検索が当たり前のことであり、常識を外れた選択肢はありえないので、通常は検討する意味・必要がありません。
人間の脳はありえない無駄な選択肢を省くことにより、限られた人間の能力を有効活用し、速やかに常識の範囲内の回答を探すように使い方が制限されています。常識に外れたことを探しても結局無駄に終わるので、常識の範囲内しか考えないことに慣れきってしまっているのです。無意識のうちに常識に外れたことを選択肢から省く癖が染み付いているため、新しい発想を求められても常識の範囲内しか検索することができません。稀に常識の範囲内を超えた検索できる人がいます。天才と呼ばれる人達です。
ちなみに子供が考えるのに時間がかかるのはまだ常識を身に着けていないために、ありとあらゆる大人からみると非常識なことも含めて考えるからです。大人のように無駄を省くことができないのです。だからこそ子供は天才だともいわれるのです。
ゆで卵を机に立てるという課題をだされみんなが四苦八苦する中、コロンブスはゆで卵を強く机に打ち付け入れた上の下をつぶして立てました。単純なことですが思いつかないとできないことのたとえとして使われています。ゆで卵をそのまま立てると思い込んだ、常識の範囲内での検索しか出来なかったため、思考の枠の外だったのです。
新しいものを生み出す際、常識ほど無駄な概念はありません。何故なら常識の中には新しいものはないからです。常識の枠の外も探すことのできる人だけが常識革命を起こすことができ、革新的な何かを生み出すことができるのです。
人はいかに常識にとらわれて生きているか、そのことを改めて実感してもらいながら新しい『常識革命』の起こし方を見ていきたいと思います。