いちいち言われないと行動しない人の心理

いちいち言われないと行動しない人がいます。今日はその心理を考えてみます。

言われれば行動するのですが、いちいち言わなければ行動しない人がいるのです。自分で考えて行動する人からみると、サボっているように見えてしまうため、苛立たしく思ってしまいます。言われても出来ないのであれば能力的な問題なので諦めもつくのですが、言えば出来るだけに腹が立つのです。

言われないと行動しない人の心理は、自分のすることあるいはすべきことが理解出来ていないのです。受け身の人生だったのでしょう。恐らく自分で考えて行動することが無かったのだと思います。あらかじめすべきことを念入りに伝えたとしても、行動しはじめるタイミングがわからないのです。そもそも自分で何とかするという概念が乏しいようです。概念そのものがないのですから、自分で考えて行動するように言ったところで全く理解出来ないのです。

恐らく言葉で説明しても、自分で考えて行動するようにはなりません。対策は自分で考えて行動しなければ、その人が困る状況を設定してあげることです。自分で何とかしなければ、状況が変わらないことを理解させるのです。これまで周囲の人達が説明しても理解出来ないので、面倒になってあれこれ指示してしまったのでしょう。自分で考える必要がないので、ますます自分で考えることができなくなってしまうのです。そして指示を待っている方が楽なので、ますます自分で考えて行動しようとはしません。

困るような状況作られたとしても、行動が変わらない場合には、明確なルール作りをすることしかないでしょう。つまりマニアルを作成するのです。様々な状況を想定し、決まった行動取れるようにルール作りをするのです。機械に作業を指示するようなものです。機械の能力が高ければ曖昧な私でも機会が作動しますが、機械の能力が低ければ事細かな指示が必要となります。人間でも同じです。能力が高ければ曖昧な指示でも意図・目的を読み取り、適切な行動が取れますが、能力が低ければ明確な指示があっても適切な行動が取れないのです。

どうしてもいちいち言わなければ行動出来ないのであれば、目的を明確にしておくことだと思います。例えばお客さんを待たせないことを目的として、どうすれば良いかを考えるように指示するのです。コンビニではもっと明確に指示がなされており、お客さんが2人以上並べば新しくレジを開けると言う具体的なルールになっているようです。

いちいち言わなければ行動できない人は悪気があって行動しないのではありません。ただ本当に気づかないいちいち言わなければ行動できない人は悪気があって行動しないのではありません。ただ本当に気づかないのです。目的を伝えたとしても行動が変わらないのであれば、残念ながら適性がないのかもしれません。のです。配置替えや別の作業をしてもらうほうがお互いが得かもしれません。

人を褒めて育てるのは間違い

世間一般では子供にしろ部下にしろ褒めて育てることが持て囃されていますが、残念ながら間違っています。何故なら褒めるのは出来ないと思っていることが前提だからです。人は相手が出来ると思っていることに対して褒めたりはしないのです。人から褒められた場合、ただ喜ぶだけでなく相手は出来ないと思っていたことを理解すべきです。

褒めて育てることが間違っているのは、褒めることが相手に期待していなかったことを暗に伝えてしまうからです。そして褒めて育てていると、相手が褒められることに依存してしまうからです。褒められるために行動するようになることが一番の問題なのです。褒められないと行動出来ない心理に陥ってしまうのです。更に厄介なのは、頑張ったにも関わらず褒めてもらえないと、褒めてくれない人に対して敵意を抱く場合があることです。褒めて育てていると、褒めてもらうためだけに行動することになり、自立出来ない心理に追い込んでしまうのです。

褒めて育てないのであればどうすれば良いのでしょうか?結果ではなく、途中経過の努力を認めてあげるのです。そして出来ないと思っていたことが初めて出来た場合などは、一緒に良かったねと喜んであげるのです。褒めるという上下関係ではなく、相手のことを認めるという対等な関係が望ましいと思います。

闇雲に褒めて育てていると、褒められることに依存した人間になってしまいます。そうならないように気をつけて育てましょう。

現代人が近眼になる理由(仮説)

現代人が近眼になる理由を見つけました。まだ仮説に過ぎませんが、恐らく間違いないと思います。

今でも大自然に住む人たちの中には視力が6.0と驚異的な目の持ち主もいます。いつも遠くを見るからだと解釈されていますが、私は別の合理的な理由を見つけました。その反対の行動を取る現代人の視力が悪くなる理由もわかりました。

理由は眼球を取り囲む筋肉の違いです。大自然で生活する人は眼球を取り囲む筋肉が発達するため、眼球が小さくなり焦点(ピント)が遠くで合うようになります。大自然の中で生活していることで、命の危険を避けるために動物や敵に襲われないように絶えず目を動かして注意を払う必要があったのです。恐らく人類の進化の歴史において、眼球は眼球を取り囲む筋肉に押し潰されないように出来る限り大きくなるように進化したのだと思います。

一方現代人は治安にもよりますが、命を守るために絶えず目を動かすことはほとんどありません。むしろ本やテレビ、スマホなどを注視することも多く、目を動かすことはほとんどありません。眼球を取り囲む筋肉が眼球を締め付けることがないため眼球が膨らんでしまうため、焦点距離が長くなるため近視になってしまうのです。

近視を治すという眼球運動を勧める人もいますが、眼球を取り囲む筋肉を鍛えて眼球を縮めることで近視を治すようです。恐らく眼球が大きく成長する小学生くらいなら、眼球の増大を抑えるために眼球周囲の筋肉を鍛える『意味』があると思います。

テレビや本を読むから目が悪くなると考えるのは、あながち間違ってはいないようです。ただし焦点が近いから近視になる訳ではなく、眼球運動が少ないことで眼球周囲の筋肉が少なく眼球が大きくなることが原因のようです。ご参考まで

人が死んでも商品を売ることが許される国…

日本は資本主義で比較的成功した国ですが、人が死んでも利用者の自己責任だとして商品を売ることが許される国でもあります。人が死ぬ商品とは某ゲームです。運転中にゲームをして人をはねて死なせる事故の件です。運転中ゲームをした結果の事故は、過失ではなく未必の故意の殺人事件だと私は思います。つまり事故ではなく事件なのです。そのきっかけを作り出すゲームの販売継続が許される不思議な国です。ゲーム会社に良心があれば自ら運転中のゲームを制限するはずです。しかし運転中のゲームを制限すると売り上げが減少するので、人の命より利益を追い求める企業であれば、ゲームに依存させておきながら利用者に責任を押し付けそのまま継続するのです。何件もの事故もう一つはコンニャクゼリーですが、それは別の機会に書きたいと思います。
ゲームをする人に運転中はゲームをしないように呼びかけても無意味です。何故なら運転中にゲームをする人は、ゲームに依存してしている状態だからです。依存していない人は運転中にゲームなどしません。何故なら普通の人は、ゲームという遊びで、これまで積み上げた全てを失いかねない事故を起こすような馬鹿なことをしないからです。一時の楽しさを追求してしまうのは、そもそも冷静な判断が出来る状態ではなくなっているので、自分では危険と安全の判断がつかなくなってしまっているのです。むしろ自分だけは安全だと錯覚を起こしてしまっているのです。

身体に悪いとわかっていてもお酒やタバコがやめられない人と同じです。手元にお金がないのに借金をしてまでギャンブルをする人たちと同じ心理です。

自分では良し悪しの判断がつかないので他人が事故を避ける仕組みを作ってあげるしかないのです。このゲームの場合、ゲームの運営を取りやめるか、少なくとも車での移動中には遊べなくするようにするのです。確かに遊んでいる人の責任ではありますが、その危険なサービスを提供している企業も、利用者の責任として逃げるのではなく、危険を避ける仕組みを考えるべきではないでしょうか。企業が危険を避ける仕組みを考えないとすれば、自分たちの利益を他人の命よりも優先して考えているのです。私は命よりも大切なお金があるとは、到底思いません。

企業が自主的に運転中のゲームを出来ない仕組みにしないのであれば、国民の命を守るために法律を整備するべきだと私は思います。ゲーム中に事故を起こした場合、加害者は殺人罪、ゲームメーカーも殺人幇助と設定すれば、事故を起こさない仕組みにすぐに対応するでしょう。それをしないのは、国民の命を軽んじているように私ら思います。飲酒運転も何人もの犠牲の結果、現在の仕組みになりました。某ゲームの規制、みんながゲームよりも命の方が大切と気付くにはもう少し時間がかかるのかもしれません。自分や家族が被害者にならないために、歩道も端を歩き、横断歩道では左右はもちろん斜め後ろも確認して歩くしかなさそうです。

今のところ自分の身は出来る限り自分で守るしかなさそうです。早く規制されることを祈っています。

日本の生産性が上がらない理由その2 残業

かつては生産性が高かった日本の生産性が上がらない理由その1 サービス残業を以前書きました。今回はその2として残業を取り上げたいと思います。

私は以前書いたサービス残業だけでなく、残業という制度そのものが日本の生産性を蝕んでいると思います。その理由を書いてみます。サービス残業では残業をしても残業代を支払わないので、企業側が残業をする方向に仕向けます。残業に対する対価を支払わないため、躊躇することなく残業させるのです。

では残業代を支払う場合に何が起こっているかというと、わざとゆっくり仕事をする輩がいるのです。目的は残業代を稼ぐことです。現在の仕組みでは手を抜けば手を抜くほど収入が増えるのですから、わざわざ急ぐ理由などありません。急いでいるふりだけすればいいのです。上司の仕事は急いでいるふりを見ることです。真剣に働いているかどうかを見抜くのが本来の仕事のはずです。

ちなみに本人はゆっくり仕事をしているつもりは全くありません。真剣に仕事をしているつもりになっているのです。つもりということがポイントです。真剣に仕事をしているつもりのため、真剣に仕事をしろと言われても、真剣にしていると言い返すのです。残業する本人たちは仕事の量が多いと不平を言いながら残業しますが、その実仕事の仕方が問題なのです。わざとゆっくり仕事をする人と、仕事の量が多くて止むを得ず残業になる人の区別がつかないからです。仕事が早くて定時で帰ることの出来る人の方が、仕事が遅く残業代をもらえる人より収入が少なくなるのです。それでも仕事を早くしようと考えるでしょうか?

ゆっくり仕事をする方が収入が増える仕組みを誰も訂正しないことが、日本の生産性が上がらない理由だと思います。問題は途中で仕事の質を判定せず、最後まで同じ人が同じ仕事をすることです。

対策

残業代が長時間労働を生むで書いたように残業代を目的にゆっくり仕事をしてしまいます。かといって残業代を支払わないサービス残業とすると前回書いたような問題が生じます。ではどうしたら良いのでしょうか?

残業代を支払わない訳にはいきませんが、かといって残業代を支払うと残業代を目的にしてしまうことが問題です。残業の仕方を変えるのです。わざとゆっくり仕事を出来ないように、仕事が残った時点で仕事の早い人に引き継ぎ、仕事の早い人が残業するのです。そうすれば仕事の早い人に残業代が支払われるため、能率も上がりますし、残業代が無駄にはなりません。残業を人に任せる場合、引き継ぎ出来ないという人がいますが、人に引き継ぎ出来ない時点で仕事の段取りに問題があるのです。もしくは自分の仕事を人に説明出来るほど理解出来ていないのです。自分の仕事を理解出来ていない人間に残業代を支払うので、ますます生産性が上がらないのです。

引き継ぎが出来ない場合、仕事の目的・到達点と現状を伝えることで代用するしかありません。目的・到達点すら伝えることが出来ないのであれば、そもそもの采配ミスなのかもしれません。采配ミスを炙り出すことが出来るのも、残業を人に引き継ぐ利点です。

当然残業する人の評価が高まり、残業を人にこなしてもらう人の評価は下がります。生産性の低い人と生産性の高い人を見分けることが出来るのです。生産性の低い人は、適材適所の考え方で、適正のある働き方を探す方が良いのかもしれません。人に残業してもらうことになると評価が下がるため、定時で仕事が終わるように全力を尽くすようになると私は思います。つまりゆっくり仕事をする人と、真剣に仕事をする人を見分ける必要がなくなるのが一番のメリットです。

日本の生産性が上がらない理由その1 サービス残業

日本の生産性は他の先進国と比較して高かったにも関わらず、最近では相対的に低迷しています。他の先進国では生産性が向上しいても日本の生産性は向上していないのです。その理由を考えてみます。一言で言えばサービス残業が最大の理由だと考えます。

サービス残業という愚

サービス残業とは残業しているにも関わらず、対価としての残業代が支払われない残業のことです。サービスといっても会社に対して従業員の方がサービスするという滅茶苦茶な理屈です。一見すると会社がタダで従業員を使うので会社が得をしているようにみえます。しかし実はサービス残業をさせるのは愚かなことです。何故なら結局会社が損をしているからです。その理由は本来の残業代が支払われる環境なら当然行われるはずの、労力の取捨選択することなく無駄な作業に時間を費やしてしまうからです。残業代が支払われるのであれば、生産性の低い労働は排除し、生産性の高い労働のみに労力を費やすはずです。わざわざ残業代を支払ってまで生産性の低い労働をさせる経営者はいません。

本当に必要な作業かどうか吟味する労力を惜しみ、無駄かもしれない生産性の低い作業を強いるのです。というよりも労働させる側の視点で考えると、サービス残業は生産性抜群です。何故なら実質人件費がゼロで労働が得られるからです。労働させる側からすれば、一見生産性は無限大になります。対価を支払うことなく労働の成果を搾取出来るからです。

労働者の視点からみると生産性はゼロです。どれだけ成果を出しても対価が支払われないからです。いわば強制されたボランティアです。自発的ではない強制ボランティアなのですから、積極的に急いで働くことはありません。仕事を早く終わらせると次の仕事を与えられる可能性が高いので、むしろゆっくり働きます。

サービス残業では労働することで対価を得るという目的を失っているため、労働する意欲がわかないのです。人間の心理としてどれだけ働いても報酬が支払われなければ、出来る限り手を抜こうとしてしまうのです。つまりダラダラ働くことになるのです。サービス残業を続ける限り日本の生産性が高まることはなさそうです。ただ日本の生産性が高くならないのはサービス残業だけが問題ではありません。実はサービス残業だけではなく、残業そのものが問題だと私は思います。残業の問題は次の機会で改めて書いてみようと思います。