安物買わぬは銭失い

新しい諺を考えました。安物買いの銭失いを元に安物買わぬは銭失いです。

安物買いの銭失いは安い物は安いなりの物でしかないので、結局損をするという意味です。この諺が出来たのがいつの時代だったかは定かではありませんが、確かについ最近まで安物は安物でしかありませんでした。物を作り出す労力が大きいため、多くの物を作り出すことは出来ませんでした。売るために良い物と安物の二極化が進みました。安物は安物に過ぎないものの、情報が人と人との間でしかやり取りされなかったため、それなりに売ることが出来ました。

今では状況が大きく変わりました。様々な知恵の蓄積により、物を作り出すことに以前程労力を必要としなくなりました。良い物を安く作り出すことが出来るようになりました。つまり安物の意味が変わったのです。安くて安いだけの物が安物だったのですが、安くて良い物が安物になったのです。

もう一つ変わったことは情報です。今では安物は2種類あります。以前からの安物である安くて安いだけの物と、最近の安物である安くて良い物の2種類です。この2種類が情報により振り分けられるのです。ただ安いだけの安物は情報により淘汰されてしまいます。安いけど値段相応か値段以下という情報が広まることで、いくら安くても誰にも相手にされなくなるのです。逆に安くて良い物である安物は情報により一気に広まります。少し前までは新聞やテレビやラジオなどのメディアに認められるというハードルをこえないとなかなか情報発信することは困難でした。しかし今では誰でも簡単に情報発信することが出来るので、安くて良い安物は広まるのです。

情報により、ただ安いだけの安物は淘汰され、安くて良い安物が生き残ることになります。結果として安物を買わぬは銭失いとなるのです。

この諺は安物の意味合いが今と昔では変わったことを表します。

仕事を見て覚えろはただの怠慢

一昔前までは仕事を見て覚えろと言われていました。いちいち細かいことまで説明されずとも見よう見真似で覚えていました。伝統的に自分が見て覚えたから、人にも同じことを要求することが長年続いていたのです。昔はそれで問題ありませんでした。何故なら競合は少なく時間だけはあったからです。時間の流れが非常に緩やかだったので、長年かけて見て覚えたとしても問題なかったのです。むしろ使う側にとっては、見て覚えろという方が3つの意味で都合が良かったのです。一つ目は細かく説明する面倒さがないこと、二つ目は技術の習得を餌に安い労働力を確保出来ることです。三つ目は素早く技術を習得してしまうと、教えた人間にとってライバルになるので、教えたくはなかったのです。一言で言うならば教えない方が、お得だったのです。だから見て覚えろと言って説明を避けていたに過ぎません。

言い訳

見て覚えろというのは、上手く説明出来ない言い訳に過ぎないと私は思います。自分では出来ても人に説明出来る程には理解出来てはいないのです。人に説明するには、自分の行動の目的や調整方法を細かく言語化して説明する必要があります。この言語化という作業が出来ないことを隠すために、見て覚えろと言うのです。

私は的確な説明スキルを持ち合わせていないという意味で、怠慢だと思います。その上で情報を教えたくない言い訳をしているように思います。

見て覚える時代は終わりつつある

見て覚える時代は終わりつつあります。見て覚えるしか選択肢の無かった時代には、選択肢がないので見て覚えていました。今では説明が上手な人も増え、見るだけではなくコツも含めて早く習得出来るように説明してくれるようになってきています。

情報が増えていることもあり、見て覚える以外の選択肢が出てきました。コツややり方そのものの解説をネットで見つけることが出来るかもしれませんし、そもそも見て覚えろと言われる人から逃げ出すことも容易になりつつあるのです。

見て覚えろという情報の出し惜しみをしていると、相手にされなくなってしまうかもしれません。事実職人さんが人を集めにくくなっている原因の1つは見て覚えろという昔気質の考え方かもしれません。

子育ての仕方 自分で考えさせる

子育ての仕方を考えています。
私は子育てにおいて子供を怒る必要はないと考えています。親が子を怒るのは、感情で子供をしたい表れに過ぎないからです。怒ることなどしなくても子供に物事を伝えることは出来るはずです。むしろ笑顔を引き出しながら育てられないか模索しています。

子育ての一つの指針は子供自身が考えることが出来るようにすることです。勉強は出来るにこしたことはありませんが、必ずしも勉強はできなくても良いかもしれません。何故なら学校の試験の成績は、学校の教科書を使ったパズルを解く能力の良し悪しをはかっているに過ぎないからです。

考えることは必ず必要となる能力です。特にこれまでにないアイデアを出すことは今のコンピュータには出来ません。人工知能が発達したとしても新しいアイデアを考えることが出来るようになるのは当分先の話でしょう。逆に今あることを処理するだけであれば、処理の仕方をプログラムするだけで今の機械ですら簡単にこなしてしまいます。つまり学校の試験を解くことは、処理の仕方に過ぎないので機械が出来る作業でしかなくなるのです。私達が苦労して解いた試験の『意味』がなくなる時代がすぐそこまできているのです。

今学校に通う子達は自らの意思で考えることが出来るようになるべきです。自ら考えることが出来なければ、機械には到底勝てません。もしかしたら機械と競っていることを意識すらさせてもらえないかもしれません。就職し働いている仕事が機械に置き換わると、機械に仕事を奪われたと実感出来るかもしれませんが、そもそも機械に仕事を奪われて就職出来なければ実感出来ないのです。

考えるとは、まず行動の目的を意識するだけでも違います。

何故高校に進学するのか?何を目的に高校に進学するのか?大学に進学するための学歴を取得するためであれば、大倹でも良いはずなのに何故高校に通うのか?何故大学に進学するのか?など当たり前に思っていることでさえも、考え始めればいくらでもネタはあります。

周囲の大人は考えるきっかけを与えてあげるしか出来ないのです。逆に考えるきっかけを上手く与えることが出来れば、その一言が人生の転換点になるかもしれないのです。

考えること。それが唯一21世紀を生き残る手段だと私は思います。

進化とは生き残った環境を知る手がかり

進化とは生き残る確率が高まる形質のことで、生き残った結果を進化として認識します。そのため
逆に考えれば何十億年もの進化の結果残っている形質は、様々な環境において生き残るために有利に働いたはずです。不利な形質は淘汰されるからです。
しかしその形質が未来永劫生き残るために、有利に働くとは限りません。何故なら環境は絶えず変化しているからです。その環境では偶々生き残るために有利に働いて生き残ることが出来ても、環境が変われば不利になるかもしれません。

人間の体毛

例えばお猿さんから進化した人類は、暑さ対策に体毛を産毛に変化させました。体毛を産毛にすることが出来た者だけが生き残ることが出来たのでしょう。体毛か産毛になった者は、放熱に適し長時間の連続した移動が可能だったはずです。このことが食料の確保に直結したのではないでしょうか?しかし氷河期に突入すると一転し、体毛が無いことは非常に不利に働きました。衣服を身にまとう知恵が無ければ、暑い時期には有利に働いた体毛がないことで間違いなく人類は淘汰されていたことでしょう。

ちなみに頭髪が伸び続けるのは絶えず刺激を受ける頭を守るために伸びるのではないかと思います。硬いものを噛み続けるげっ歯類の歯が伸び続けるのと同じ理屈です。

進化から生き抜いた環境を見極める

現在持っている形質は何らかの進化(様々な環境において生き残るために有利に働いた形質)の結果なのです。逆に考えると進化の起こりえた環境を逆算することが出来ます。進化とは、ある環境において生存率が変わる形質のことですから、その環境を想像することが出来るのです。例えば副鼻腔の存在理由ですが、頭部に衝撃を受ける機会が多く、脳を守るためのバンパーだったはずです。今では想像がつかない程、頭部に外傷を受ける機会が多く、副鼻腔の有無が生死を分けたのでしょう。今からでは想像しにくくなったのは、剣や銃が発明されたからです。剣や銃では副鼻腔の有無にかかわらず脳にダメージを与えてしまうため、副鼻腔が意味をなさなくなってしまったのです。現代の兵器が強力になり過ぎて、副鼻腔では脳へのダメージを防ぐことが出来なくなってしいました。そのため本来の目的に思い至ることが出来ないのです。副鼻腔は存在するのですから、存在した方が有利な環境を生き抜いたのです。そしてその後副鼻腔が存在しない方が有利な環境は無かったということがわかります。

生き抜いた環境の見極め方

現在の形質から生き抜いた環境の見極め方を考えてみます。現在の形質とは備えている能力のことです。個体差はありますが種として持ち合わせている能力は、何らかの進化の過程で自然淘汰を生き抜いた環境により選ばれたものです。

その生き抜いた環境と形質の考え方は、その形質の有無により生き残る確率が変わる環境を考えてみることです。暑かったのか寒かったのか、敵が多かったのか食料が少なかったのかなど様々な環境を考えてみます。その上で生死を分ける環境や状況があれば、その環境や状況を生き抜いたのでしょう。その形質の有無が生死を分ける環境を想像してみましょう。

例えば黒人と白人の違いは、色素細胞の働き方の違いです。色素細胞は紫外線を遮るために存在します。色素細胞が働く方が生存に有利なのは紫外線が強い地域です。人類はアフリカで生まれたらしいので色素細胞が働くのが基本だったはずです。では白人は色素細胞の働きを抑えていますが、色素細胞が働かない方が生存に有利な環境を考えてみます。紫外線が弱い地域に住むことで紫外線から身を守る必要がなくなったのです。ただしそれだけであれば白くなる必要はありません。日本人のように黄色人種程度の色合いで良いはずです。肌が白い方が生存に有利な環境があるはずです。人は紫外線に当たることでビタミンDを作り出すことが出来ます。紫外線に当たらないことでビタミンDの違いが出たのでしょう。出来るだけ紫外線に当たる方が生存に有利な程紫外線の弱い地域で生活したことを意味します。紫外線により多く当たる方が生存に有利なため、色素細胞を働かないように進化した人だけが子孫を残すことが出来たのです。

腋毛や陰毛も存在するのですから、かつて命に関わった存在理由があるはずです。このことは改めて書いてみたいと思います。良かったら考えてみてください。

薬の副作用恐怖症

薬の副作用恐怖症とは、薬の副作用を過度に恐れることをさしたものです。もしかしたら不安神経症の一つの症状なのかもしれません。

薬とは病気を治す、あるいは症状を軽減する目的で使うものです。副作用ももちろんありますが、得られる効果と副作用のバランスにより使用するか使用しないかを判断します。その役目は長い間医者が担っていました。患者さんと医者のもつ情報のアンバランスさを解消するために、インフォームドコンセントという概念が提唱されました。多くの医者は得られる効果と副作用の程度、起こる頻度のバランスを考えて治療法を考えます。

一部の患者さんは、薬を使うことにより生じる副作用を過度に恐れることにより薬を使うことが怖くて仕方ない状態に陥ります。何故なら薬を使わなければ副作用は絶対に起こらないからです。医者は頻度・確率を考えて治療法を選びますが、過度に恐れる方は頻度や確率が抜け落ちて、あたかも必ず副作用が起こると錯覚してしまうようです。

ほぼ確実に得られる薬の効果と、副作用のバランスを見極めることがお得だと私は思います。ただ薬を過度に怖く感じること自体が不安神経症という病気の一つの症状かもしれません。薬を過度に怖く感じることから抜け出す良い手立てがないのが現状です。

私が薬が怖くて仕方ない人へアドバイスするのは、万が一起こった場合の副作用の深刻さとその頻度をお伝えすることです。万が一起こる副作用が後遺症などの不可逆的な結果を招くのであれば、慎重にならざるを得ません。しかし万が一起こるとしても薬をやめることで改善する副作用であれば、過度に恐れる必要はないことを提案しています。

それでも怖くて仕方ない方を説得するのは難しいので、ゆっくり考えてもらうようにしています。何故ならこれこそがインフォームドコンセントの本質だからです。そして薬を使わないことで困るのはあくまでも患者さんだからです。いくら症状があっても患者さん自身が薬を使いたくないにもかかわらず、薬を使うように説得するのは越権行為だと私は思うからです。薬を使うか使わないかはあくまでも患者さんの問題です。

医者に出来るのは、薬を使うことで得られる効果と、考えられる副作用の頻度と程度を説明して理解してもらうことだけだと私は思います。

丁度宗教の改宗に似ています。薬を使いたくないと恐れているのがある宗教を信じている状態で、薬を使うというのが別の宗教を新たに信じることに似ているように思います。これまで信じていたことを捨てて、新しい考え方を取り入れるには頭を整理する時間が必要だと思います。

ただ薬に関しては、得られる効果と副作用のバランスが問題です。物事を論理的に考えることで解決すると私は思います。

ちなみに私は、薬を使うことに心理的に抵抗のある患者さんには、「得られる効果と副作用のバランスから、薬を使う方がお得だと思いますよ」とお伝しています。良かったら参考にしてみてください。

借金なのにお金が増えたと錯覚する心理

お金を借りた際に、お金が増えたと錯覚してしまう人がいます。
あたかもお金を借りる際の面倒な手続きを労働と錯覚し、その対価にお金が支払われたように誤解するのです。目先のお金に惑わされて、金利という余分なお金を払わされることがわかりにくくなるのです。

物事を論理的に考えることが出来れば、借金をすることで金利分使えるお金が減ることは容易に想像することが出来ます。しかし心理学では将来もらえるお金よりも目先のお金の方が価値があると錯覚してしまうことがいわれています。心理的に目減りしてしまう錯覚があるので、借金することで得をした錯覚に陥ります。現実には金利の分明らかに損をするにもかかわらず、目先のお金に惑わされるのです。

借金することでお金が増えたと錯覚する不思議な心理を理解しておくと、借金を重ねる人の心の闇が理解出来るかもしれません。そして自分自身が借金してしまう危険性を少しでも下げることが出来ると思います。

借金することでお金が増えたと一度錯覚してしまうと、お金が借りられなくなるまで借金を重ねてしまいます。悲惨な結末が待ち構えるので、借金は借金でお金が増えた訳ではないことを理解しておきましょう。当たり前のことですが、借金を重ねる時には本当にわからなくなってしまいます。

ちなみにこの心理をうまく利用するのが、金利0円の様々なキャンペーンです。金利がかからないからお得ですとうたうキャンペーンは、実は借金することでお金が増えたと錯覚させることに目的があると私は思います。仕組みを知った上で上手に使いましょう。

病気が怖い理由

人が物事を恐れるには訳があります。一言で言えばわからないことを恐れるのです。人は理解・予測出来ないことを恐れるのです。

人が事故を恐れるのはいつ起こるかわからないからです。事故が起こることが事前に予測出来るのであれば、事故を恐れることはありません。当然予測出来るのであれば対策をとると思います。結果として予測出来る事故は起こらないことになります。つまり予測出来る事故は未然に防ぐので、予測不能なものだけが事故として顕在化するのです。故意に起こさない限り、事故をあらかじめ予測出来ないことが人を恐れさせるのです。

人が事故を恐れるもう一つの理由はどれだけの被害があるかわからないからです。昨日まで元気だった人が、突然命を落としてしまうことまであるので怖いのです。事故も擦り傷程度にしかならないとあらかじめわかっていれば怖くはないのです。

病気も同じです。いつ病気になるのか、病気が命に関わるのかどうかわからないから怖いのです。病気が予測出来れば恐れる必要はありません。ましてや意図的に避けることが出来れば、そもそも病気にならなくて済むのです。予測出来ないから怖いと言われるかもしれませんが、いくつかの病気は恐れる必要はなくなひました。例えば2型糖尿病です。2型糖尿病は糖質を食べ続けることで上がった血糖値が下がらなくなる病気です。そもそも糖質を食べなければ、血糖値は上がりませんから2型糖尿病にはなれません。逆に血糖値が上がっているのに同じように糖質を食べ続けていれば、更に血糖値が上がるのは予測出来る自然な成り行きです。アトピー性皮膚炎やニキビも糖質を食べるとすぐに悪化します。同じ調子で糖質を食べ続ければ、薬で一時改善しても再燃するのは当たり前のことなのです。逆に糖質を控えることで再燃を避けることが出来るので、恐れる必要はありません。糖質を食べて悪化するのも、水が高い所から低い所へ流れるがごとく自然な流れです。

いつこの事実を受け入れるかです。

糖質が原因の病気は多々あります。因果関係が明らかなものから糖質を控えることをお勧めします。糖質を控えることで改善する病気を恐れる必要はありません。何故なら理解出来るからです。

人々は少し前まで自然の仕組みを全く知りませんでした。物が腐る仕組みすらわからなかったのです。もう少し前までは星々が地球の周りをグルグル回っていると思っていたのです。皆既日食が起きた時にはこの世の終わりだとさぞ怖かったことでしょう。仕組みが理解出来れば怖くなくなるのです。少なくとも糖質が原因の病気は恐れる必要はなくなります。そんな時代がすぐそこまでやってきています。早く広まるといいですね。

万引き防止 テレビの報道の仕方

万引き防止について考えてみます。
万引きの現行犯逮捕のドキュメント番組を見ていると視聴者に誤解を与えると思います。もしかしたらドキュメント番組の制作者も誤解しているのかもしれません。何故なら万引きは商品を占有した時点で成立します。つまり商品をポケットに隠した時点で成立するのです。しかし捕まえる際にレジで支払いをするつもりだったと言い訳をされると面倒なので言い訳出来ない状況、お店を出るまで待っているに過ぎません。万引き犯は犯罪者に過ぎませんが、あくまでもお客さんという立場を尊重し店を出るまで待っているだけです。

万引きのドキュメント番組を見ているとお店を出なければ犯罪が成立していない印象を受けてしまいます。万引き犯への警告を込めて商品を隠した時点で万引きが成立することをテレビで報道するべきでしょう。捕まえる基準をお店を出た時点とするのは各店舗がトラブルを避けるための判断に過ぎないことを伝えるだけで、万引きの抑止効果が多少は期待出来ると思います。

私が調べた情報によると、かなり古い判例ですが商品を隠した時点でお店を出ていなくても立件された実例があるようです。

例えばドキュメント番組で商品を隠した時点で、犯罪成立と宣言してテロップで万引きは商品を隠した時点で成立しますと流すことです。お店を出るまでは捕まらないとタカをくくっている万引きする人を動揺させる効果が期待出来るのではないかと思います。

何故このような報道の仕方をしないのか不思議です。犯罪抑止につながるので、万引きされるお店はもちろん、万引きする人も減るので、みんなの役にも立つと思うので是非このような報道をして欲しいものです。

私がテレビ局の社外取締役ならすぐにでもこのような視点でのドキュメント番組の制作を進言します。

人気チケットはオークション販売しては?

日本は資本主義の国です。様々な物事をお金に変換して取り引きを行います。資本主義は競争により発展してきました。
クライマックスシリーズや日本シリーズ・プロ野球をはじめコンサート・イベントの人気チケットなどは興行主によるオークション販売が適切だと私は思います。定価という頭打ちの金額設定の方が一見良心的に思えますが、本来の資本主義の原理からすれば需要と供給の兼ね合いにより金額が決まるはずです。様々な要因により需要と供給のバランスから乖離した金額設定されることにより、購入希望者が殺到して混乱してしまいます。

お金を持っている人が有利でずるいという人もいるかもしれませんが、多くの事柄は需要と供給のバランスから金額が設定されています。どんな金額になっても良いからどうしても欲しい人がいるからダフ屋という商売が成り立つのです。ダフ屋対策にもオークションは有効です。

全てオークションにすると管理が大変だと思いますので、一部の席を興行主がオークションで募集すると私は良いと思います。経済の流れに沿った仕組みだと思います。

オークションの売り上げの一部を優秀選手にプレゼントするのも面白い企画だと思います。

私自身はお金を出してまで見ようとは思いませんので関係ない話ですが、ファンにとってはお金で済むなら何万円でも出したい人も多いことでしょう。

新しい仕組みが出来ると面白いですね。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の心理

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員に腹の立つこともよくあります。満席でお客さんが待っているにも関わらず、ダラダラ・ゆっくりと行動する店員さんの心理はお客側からすると理解しがたいものです。店員さんは一生懸命やっているつもりなのです。ダラダラしてちるつもりも、ゆっくりと行動しているつもりもありません。自覚出来ないのですから改善のしようがありません。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の目的

人の行動には必ず目的があります。ダラダラ・ゆっくりと行動する店員さんの目的は、新規のお客さんを入れないことです。お客さんが席についてしまうと注文や配膳で忙しくなってしまいます。ダラダラ・ゆっくりと行動し、お客さんを席に着けなければこれ以上忙しくなることはありません。お客さんが席に着けなければ、呼ばれることもないのですから出来るだけ席に着いて欲しくないのです。そのため周囲の人からまるとダラダラ・ゆっくりと行動しているように見えるのです。そして仕事をしている振りをしながら時間が過ぎるのを待っているのです。

ダラダラ・ゆっくりと行動しているのが経営者や管理者なら、お店は潰れるでしょう。正社員でも無意識のうちにダラダラ・ゆっくりと行動してしまうのであれば、客商売に適正がないのです。

通常は経営者や管理者がダラダラ・ゆっくりと行動する店員を指導し、素早く動くことができるように導きます。素早く動く方が何事もスムーズに進むため、待ち時間も少なく回転率も高まります。経営者と店員の利害が相反するのです。そのため経営者がしっかりと見張っていなければ店員はダラダラ・ゆっくりと行動するものなのです。誰からも注意されなければ、素早く動くより楽だからでしょう。素早く動くことが好きな店員は、経営者が支持しなくても自然とこなしていくことができるのです。自然と素早く動くことができる人が、ダラダラ・ゆっくりと行動する店員に支持できる体制にするだけで全く違うお店になるでしょう。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の対策

仕事をしたくない店員が野放しのお店は出来れば避けたいものです。しかし立地や値段などの兼ね合いで通いたいのであれば、経営者に伝えてあげましょう。お客の側からみてダラダラ・ゆっくりと行動しているので、仕事をしたくないように見える行いがありますよと。お客さんの待ち時間を減らす仕事をして頂けるようご指導下さいと。

経営者公認でダラダラ・ゆっくりと行動しているのであれば、諦めて他のお店を探しましょう。