人に対して腹が立つ理由

人に対して腹が立つ理由を考えてみます。

腹が立つ理由は色々考えられますが、一つは期待を裏切られるからです。期待していなければ腹が立つことはないでしょう。赤ちゃんが後片付けをしないからといって腹を立てても仕方のないことです。相手が後片付け出来るはずだと期待しているから腹が立つのです。後片付けのやり方がわからない人に対して、勝手に期待して腹を立てても、お互い嫌な思いをするだけ損です。

相手が大人でも腹が立つのは何らかの期待をしているからです。相手に期待していなければ腹が立つことはないでしょう。

適切な期待をしているか、勝手な期待をしているかは時と場合によるでしょう。もしかしたら勝手に期待して、勝手に腹を立てているだけかもしれません。例えば恋人に対して腹が立つのは、自分のことを好きなら当然このように行動してくれるはずだと期待するからかもしれません。その期待は人によって異なりますが、勝手に期待して勝手に腹を立てているだけかもしれません。独り善がりで腹を立てているだけかもしれないのです。

人に対して腹が立つ場合、適切な期待か過度の期待ではないかを客観的に振り返ってみても良いのかもしれません。出来れば腹が立つ場合には人にも過度の期待ではないかを聞いてみると良いのかもしれません。

人に対して腹が立つのは期待しているから。勝手に期待して腹を立てていないか考えてみましょう。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司はお皿にのせたお寿司を回転レーンに流して、好きなお寿司をお客さんがとって食べるというビジネスモデルです。元々は回転寿司のチェーン店でしたが、最近では回転しないお寿司屋さんが出てきました。無駄なことは削ぎ落とされていますが、回転レーンが無駄だったことに気付いたチェーン店が出てきたようです。
以前は高い食べ物の代名詞の一つだったお寿司を、注文の前に作るという工夫により誰でも食べることの出来る食べ物に変えた仕組みでした。

注文される前に作るという仕組みが、値段を下げることに役立ちましたが、回転していないお寿司を注文するスタイルが広まりました。そうなってくると回転レーンで干からびたお寿司を食べてくれるお客さんは次第に減ってしまいます。最初から回転レーンを見ないお客さんも多くなります。

回転寿司が生まれた当時は注文する前にお寿司が出来ているのは画期的でした。これ以上ないファーストフードです。安くて早くて美味いのですから、これまで時価で得体の知れない食べ物だったお寿司のイメージを一新しました。多くの回らないお寿司屋さんを閉店に追い込みました。回らないお寿司屋さんの味がいくら良くても、回転寿司の早くて安いお寿司と勝負にはならなかったのです。

回転寿司は非常に競争の激しい業種です。競争が激しいだけに無駄なことをしていては淘汰されてしまいます。今回は回転レーンが無駄だと気付いたのです。恐らく多くの飲食店でこの形に行き着くでしょう。タッチパネルで注文して機械に配膳してもらうか、自分で取りにいくセルフ式かです。

一回の注文で終了し追加注文がなければ、自分で席まで運ぶのが合理的です。牛丼屋さんなどはタッチパネルで注文しお金を支払い、品物を持って自分で席に運ぶのが無駄のないスタイルでしょう。

お寿司のように次々追加注文する場合には、機械に配膳してもらう方が合理的です。ファミリーレストランもいずれは機械によって配膳されるお店が出てくるでしょう。少なくともファミリーレストランでもタッチパネルで注文するようになるでしょう。

無駄を省くことが合理的です。何故なら無駄とは本来なら不要なものだからです。無駄に気付かなかっただけか、技術的に改善策が見出せなかったため無駄ではあっても仕方なかったのです。

少し前までは無駄を省くことが、有利に商売を進める知恵でした。無駄を省くと有利だったのです。これからは違います。無駄を省くのは当たり前で、如何に素早く無駄を省くことが出来るかが問われます。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司から回転レーンが無くなると、何寿司と呼ぶようになるのか楽しみです。最初に呼び方を考える寿司チェーンが、飲食店の未来を切り開くかもしれませんね。

生き残るか淘汰されるかは比較によります。回らないお寿司屋さんと比較すると回転寿司は圧勝でした。回転レーンのある回転寿司と回転レーンを無くしたお寿司屋さんがあれば、廃棄ロスの生じる回転レーンは無駄でしかありません。廃棄ロスの分割高な物を食べることになるのです。金額は変わらなくても質の劣るものを食べることになるのです。

無駄の排除

競合が無ければすぐに淘汰されることはないかもしれません。しかし無駄のない他のチェーンにいくことでがっかりしてしまいます。比較することで違いが浮き彫りになるのです。

今は回転寿司チェーン毎に無駄な物が散在しています。削り落としているところもあれば、無駄が残っているところもあります。どのチェーンが何を削り落としているか観察してみてください。全ての無駄を一番に無くしたチェーンが勝者です。

思いつく回転寿司の無駄は

  • 回転レーン(注文品が回転レーンで届くのは論外)
  • 注文を聞く店員(タッチパネルで不要)
  • 配膳する店員(飲み物もセルフ・自動配膳で対応)
  • 下げ膳する店員(専用レーンに流し入れるだけで洗浄する)
  • 待ち時間(予約システムで改善)
  • 座席(ネットオーダーで持ち帰り対応。お店で食べることが無駄という考え方。待ち時間短縮に繋がる)
  • シャリ(糖質が不要だという糖質回避の考え方です。このことについては改めて書きます)

私の知る限り全てを突き詰め兼ね備えたチェーン店はないようです。これらの無駄を全て削ぎ落とした企業が他を圧倒すると思います。どの企業が一番乗りするのか楽しみです。回転寿司から新しい名前を生み出す企業に注目です。

リオ パラリンピック閉幕に思う

リオ パラリンピックが閉幕を迎えました。
幸い大きな問題なく閉幕を迎えることが出来たようです。

次の4年後は東京で開催される予定です。そこでふと思います。パラリンピックが先に開催するべきではないか?と。どうしてもパラリンピックはオリンピック程の盛り上がりに欠けます。

そこで東京ではオリンピックの前にパラリンピックを先に開催することを提案します。オリンピックのついでに開催するのではなく、オリンピックの開催に先立ち宣伝・盛り上げることを目的に先に開催すると良いと私は思います。障害のある人々はもちろん、全ての人達を大切にすることを世界にアピール出来ると私は思います。

障害のある人達が幕を開き、障害のない人達にバトンを渡し、一緒に幕を閉じるパラリンピック・オリンピックになると良いなと思います。

パラリンピックの閉幕を見て残念だったのは、閉幕式のショーです。ショーが必要かどうかの議論はさておい、ショーをするなら障害のある人達のショー、あるいは健常者とのショーが見たいと私は思います。スポーツとは別の、障害のある人達の晴れ舞台としてパラリンピックの閉幕ショーへよ出演という目標を生み出してはいかがでしょうか?

今生きている人間は、奇跡のような偶然の結果同じ瞬間に共に生きている仲間なのですから。争うなんてもったいない。如何にみんなが共に楽しく生きていくのか、知恵を持ち寄りたいですね。

私は東京ではパラリンピックから開催されることを祈っています。

変化することが当たり前な理由

世の中には変化を嫌がる人がいますが、残念ながら怠慢過ぎません。変化するのが当たり前だからです。何故なら変化する必要がない完璧ということになりますが、何事も完璧はありません。完璧でなければより良い方向に変化するしかないのです。変化したくないと抵抗したところで、対応しきれなければ生き残ることが出来ず淘汰されてしまうだけです。

仮にある時点では完璧だったとしても、様々な環境の変化により完璧ではなくなるのです。つまり環境が不変にならない限り、永遠に完璧などあり得ないのです。

何事においても変化するのは当たり前なのです。完璧なわけがないのですから。変化を怠れば淘汰されるだけですが、淘汰されふことを理解していない人が変化を拒むのです。変化しなくてもまだ生き残ることができると誤解しているのです。今までは変化しなくても生き残ることが出来たので、今からも生き残ることが出来ると錯覚しているに過ぎません。

変化しなくても生き残ることが出来たなら、人類は今でも石器を使っているでしょう。本当に変化しなくても生き残ることが出来るなら、未だに石器すら使えないかもしれません。

変化する必要があればするのではありません。変化する余地・隙があれば変化するのです。変化しないよりはましですが、変化する必要に迫られた時に変化するのでは遅いのです。余裕のあるうちにより良い方向にあらかじめ変化しておくのです。そのように備えておけば環境が悪化しても生き残ることが出来るのです。幸運にも環境が悪化しなければ、周囲の人よりも有利に立つことが出来るのですから変化しておく方がお得です。

現状に満足せず、完璧になるまで更に上を目指して変化し続ける方が私はお得だと思います。自称最善で満足せず、絶対最善を尽くすのです。

変化するのは当然です。変化するかしないかは問題ではありません。いつどのように変化するかが問題です。環境は絶えず変化しているのですから、自分達も変化するのです。この変化により生き残ることが出来たとしたら、後世の人達が変化を進化として受け止めてくれるのです。

進化に至る変化をしましょう。

今時わざわざ消毒する医者のブラックな目的

少し前まで傷口の消毒は常識でした。消毒の痛みを我慢することで早く治ると信じられていたのです。当時の私も信じて疑うことはありませんでした。しかし今となっては消毒は百害あって一利なしは多くの人達が知るところとなりました。消毒の害を発見された夏井先生の啓蒙活動のおかげだと思います(参考:さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す)。消毒するか消毒しないかを比較してみれば一目瞭然です。消毒をすればなかなか治らず、消毒をしなければ速やかに治ります。私の印象では約2倍早く治るイメージです。

消毒しない方が傷が早く治るのですから、消毒する理由などありません。その上消毒は痛いのですからわざわざ患者さんに痛い思いをさせてまで治りを遅くするのは誠実ではありません。

ただ単に消毒しない方が傷口の治りが早いことを知らないだけかもしれませんが、不勉強としか言いようがありません。

消毒のブラックな目的とは、儲けのためにわざと消毒しているのです。目的は治りを遅らせることです。わざわざ傷口の消毒を行う方が治りが悪いことを知った上で消毒しているのではないかということです。何故なら治りが悪い方が通院回数が多くなるため病院としては儲かるからです。水道水で洗い流すだけなら何度も通院する必要はないので、儲からないのです。消毒の害を知らなければ仕方がありませんが、害を知っていても自分の儲けのために消毒している医者がいるのではないかと思います。勤務医は収入に関係ないのでただの不勉強だと思いますが、開業医で消毒していれば儲けのためだと思います。

知らずに消毒しているだけなのか、わざわざ治さないために消毒しているのかはわかりません。問い質したところで白状しないでしょう。今時消毒する医者は、不勉強か儲け主義かのいずれかなのですから、近寄らないことをお勧めします。

治さない医者の方が儲かる仕組みに問題がありますが、患者さんが知恵をつけて儲け主義の医者を避けるしかありません。

子供が時間を守らない時は?

久しぶりに怒らない子育ての話です。
怒らないと言っても放置する訳ではありません。知恵を使うことで怒る必要がない子育て法の提案です。

子供が時間を守らないのは、時間を守る『意味』を知らないのです。そして時間を守らなくても子供が困らないから時間を守らないことを繰り返します。もしくは時間を守るための具体的な方法を知らないのです。

時間を守る『意味』

時間は人間だけが持つ概念です。時間とは人間が快適に生活するために編み出された概念です。人間社会において社会生活をするために期限を区切る目的で作り出されたのでしょう。

時間という決まりがなければ、みんなが好き勝手な時に行動をすることになります。みんながバラバラなタイミングで行動をするので、非常に非効率的です。人間同士の活動の効率を高めるために時間という概念によりタイミングを合わせて行動せるのです。

時間を守る『意味』とは、お互いのタイミングを合わせることです。タイミングを逃してしまうと、効率が悪くなるので全体的にみると損をするのです。だから損をしないために時間を守るのです。

困る仕組みを作る

時間を守らなくても困ることがなければ、誰も時間を守ろうとはしません。国によっては時間とは大雑把な目安に過ぎず、誰もが時間通りに行動することを期待していません。誰も困らなければ、時間を守る動機が無いのです。

子供でも大人でも時間を守らなくても困らなければ、いくら怒られたところで時間を守ろうとはしません。怒られた直後には怒られないために、何とか時間を守ろうとはしても長続きはしません。何故なら怒られないことが目的なので、怒られない時点で気が緩むからです。

時間を守らなけば本人が困る仕組みを作ると、自分自身が困らないために時間を守るようになります。

例えば出発時間に間に合わなければ置いていくのです。置いて行かれると、自分で辿り着くのは大変だと教えることです。自分で考えて電車やバスを乗り継いで行くように仕向けるのです。時間に遅れると、自分が考えて行動しなければいけないことを教えてあげると良いと思います。最初からいきなり置いて、先に目的地までいくのではなく、段階を追って教えてあげると良いと思います。

例えば先に出発して少し行った先で待っておいてあげるのです。置いて行かれることはないと安心し切っていると、なかなか行動しようとしません。そこで本当に置いて行かれることを理解させることです。そして自分で考えなければいけない分、大変だと教えてあげるのです。

そして何度か置いていっても時間通りに行動しようとしない場合、完全に置いていくことを警告しておくのです。いきなり置いていくと虐待と区別がつかなくなります。あくまでも時間通りに行動しなければいけないことを理解してもらうことが目的だから、段階を追って教えてあげるのです。

他に時間通りに行動しなければ損する仕組みとしては、時間に遅れた分遊びや楽しむ時間を削ることです。終了時間を先に設定して説明しておくのです。時間に遅れると、その分時間が減るので、時間を守る大切さを身をもって実感してもらうのです。

相手が困る仕組みのメリット

相手が困る仕組みを設定するメリットは、わざわざ怒る必要がないことです。相手が時間に遅れると、勝手に相手が困るのですから、怒る必要などありません。自分自身が時間を守らなければ損するのですから、次第に時間を守るようになるでしょう。

借金してまで生活する『意味』

借金して生活する『意味』を考えてみます。

本来なら借金は突発的に収入が減ることや突発的な支出に対して行うものです。日常の生活費が足らないために借金することは、いずれ破綻してしまいます。生活費が足らなくなるのは、収入に対して生活レベルが高過ぎるのです。お金を借りることが出来た時点で、お金が増えたと錯覚してしまうのです。利息を支払う分、明らかに負担が増えるのですが返済が長期に渡ると月々の返済が少なくなるので得した錯覚に陥ります。

日頃の生活費が足らない時点で、生活レベルを見直すべきです。貯蓄には無駄を省くより生活レベルを見直すことと同じ発想です。予想外のことが起こった際の借金は仕方ないかもしれませんが、借金をしなければ生活費が足らないのは生活レベルの設定ミスです。先日は高額所得者が経済的に困窮か破産する話を書きましたが、誰でも生活レベルの設定ミスにより経済的に破綻する可能性があるのです。「衝動買いの心理」により錯覚を起こし、どうしても欲しくなるのです。「衝動買いの心理」を我慢しなくて済む仕組みの一つが借金という仕組みです。通常人は手元にお金が無くなった時点でお金を使うことが出来なくなります。使うことの出来るお金に制限があるので、「衝動買いの心理」に打ち勝ち買い過ぎないように気をつけます。その当たり前の仕組みを借金がすり抜けてしまうのです。手持ちのお金という制限を取り払ってしまうので、歯止めがきかなくなり使い続けてしまうのです。生活レベルを見直さない限り、借金出来なくなるまで使い続けてしまうのです。

いわば借金への依存した状態に陥っています。客観的に見れば生活レベルの設定ミスが明らかですが、本人は借金が異常な状態だと気付くことが出来ないのです。気付いたとしても生活レベルを見直すという発想には思い至らないので破綻が避けられなくなってしまいます。

対策は少しでも早く生活レベルを見直すことです。現時点で贅沢している訳ではないので、1人で見直すことは無理です。そもそも当たり前だと考えている生活レベルの設定ミスだからです。誰かに生活レベルの設定方法を改めて相談するしかありません。

大きな借金

大きな借金が今回の本題です。大きな借金とは国の借金です。上記の借金の主を国に置き換えてみてください。毎年国債により借金し予算を組んでいる状態です。客観的にみれば生活レベルが高過ぎるのです。借金の分無理をしている状態です。先程の話同様自ら正すことは出来ません。借金で生活するのが当たり前で、贅沢している自覚がないからです。

このままでは借金出来なくなるまで使い続けてしまうでしょう。税収が増え借金をかえすことが出来る奇跡が起こるか、大混乱しない程度の国の破綻の仕方を祈るばかりです。それとも財政を立て直すことの出来る魔法のような知恵を持つ政治家が現れ、生活レベルの見直しをしてくれることを祈ります。

残業代が長時間労働を生む

残業代が長時間労働を生むきっかけになっているという話です。

残業代が長時間労働を生み出す

残業代は割り増しになるので、労働者にとってお得です。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をする労働者も大勢いることでしょう。今の所上司が仕事振りを見極めるしかありません。上司の目が節穴なら残業代は貰い放題でしょう。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をすることに対して悪気はありません。わざとゆっくり仕事をしている自覚すらない人も大勢います。他人から見ると今する必要のないことをわざわざして仕事をしている振りをしています。人は無意識のうちに損得で動いているという損得主義の考え方からすれば、ゆっくり仕事をすればする程残業代が増えるのですから、労働者が得をするための当たり前の行動です。

仕事の能率に関わらず残業代が支払われる仕組みに問題があります。

サービス残業が更に長時間労働を生み出す

もっと長時間労働を生み出すのは、サービス残業です。いくら仕事をさせてもコストが増えないのですから、労働者にどの仕事をさせるかさせないかの吟味がないまま全ての仕事をさせるようになります。この仕組みが労働生産性を引き下げ、長時間労働を強いることにつながります。

労働者の仕事の量がどれだけ増えても経営者が困らない仕組みに問題があります。

長時間労働の対策

まず大前提として、仕事を無尽蔵に増やさないために残業代は支払うべきです。残業代を支払わない時点で、仕事を取捨選択する動機がなくなるからです。不必要でもコストがかからなければ、念のためやっておくことになるからです。不必要な無駄なことを念のためにすることを避けるために、適切な残業代を支払い仕事をするべきです。

しかしいくら取捨選択して仕事を吟味しても、無尽蔵に残業代を支払うのではわざとゆっくり仕事をする輩を排除出来ません。そこで一つの対策は定時の時点で仕事の終わった人に、定時で仕事が終わっていない人の仕事を割り振るのです。そもそも定時に仕事が終わらない人は能率が悪い可能性があるので、能率の悪い人に割り増しの残業代を支払うのは経済的ではないからです。ゆっくりしても定時で人に引き継ぐことになるため、自分は得にはなりません。

結果として残業代を受け取る人は仕事の能率が良いことがわかりますし、定時で帰る人は能率が悪いことがわかります。

万が一リストラとなった場合、客観的にみて定時に仕事が終わらず他人に後始末してもらうことが続く人が一番の候補になるでしょう。異動の際も他の部署でなら効率良く働くことが出来るかもしれないので、早目に候補に上がるでしょう。

わざとゆっくり仕事をする人と、目一杯仕事をする人との区別出来る効果的な方法だと私は思います。

定時の時点で残りの仕事を引き継ぐことが出来ないと言い出す人がいますが、終わった仕事と残りの仕事を明確に区別出来ないだけです。

このような仕組みにすると面倒なことは他人に任せようとする人も出てきますが、そのような人は仕事に向いていないのでいずれ職場から消える運命でしょう。残業出来る人と、人に残業させる人という具合に仕事振りが区別出来るようになるのがわかりやすい会社だと私は思います。

もし万が一みんなの仕事が定時に終わらないのであれば、そもそも労働者の数き対して仕事の量が多過ぎるのではないかと思います。本当に必要な仕事かどうか、念のための無駄な仕事が含まれていないか考えるべきだと私は思います。

マンションに児童相談所を作る問題について

ある都市でマンションに児童相談所が入ることが計画され問題になっているようです。構造上は同じ建物ではあるが、入り口は別なので別の施設という言い訳をしているようです。

住人の方は不安を口にされていますが、不安は反対するための言い訳に過ぎません。ただマンションに児童相談所が入るのは初めてのことなので何が起こり得るのか予測出来ないので不安に感じるのも仕方ないことです。不安を理由にしても行政側は相手にしてはくれないでしょう。

そこで私が住人ならどうするかを考えてみました。前もって起こり得ることを住人側が最悪のことも含めて想定し話し合うことです。行政側がそんなことは起こり得ないといえば、万が一起こった場合に備えて公正証書を作成してもらうのです。最悪の場合は我慢出来ず転居せざるを得ないことでしょう。そうなればマンションの購入費用、転居費用、慰謝料を前もって試算し公正証書にしておくのです。行政側が本当に起こり得ないと考えていれば高額な慰謝料をあらかじめ設定してくれるでしょうし、実は起こるかもしれないと考えていれば出来るだけ慰謝料は少なめに設定しようとするはずです。その時点でどのように想定しているかが透けて見えてきます。

行政側の良くいう問題ないから大丈夫に対抗して、問題ないなら口だけではなく公正証書で前もって保障を確定しておいてください。と切り返すのです。このままでは計画を止めることは困難でしょう。もし賠償額が最悪の場合何億円にもなるとわかれば、議員達も立ち止まって考えるでしょう。

最悪の場合はこのように保障させていただきますので、見守ってくださいといずれにしても損得のない状態にするしか円満な解決策はないと私は思います。

私は児童相談所は必要だと思いますし、大変なお仕事をされていると思います。しかし街中のマンションにわざわざ入所する合理的な理由があるとはそれ程思えません。更に移転を決めてから、移転するために理屈を後付けしているようにしか思えません。その証拠に既に予算がついているそうです。

空いているから手っ取り早く使ってしまおう。万が一後で問題になれば、誰か他の人間が後始末するだろうという思惑が透けて見えてきます。その後で問題になる前に、今公正証書で保障してもらうのが一案だと私は思いますがいかがでしょうか?

誰にも未来は予測出来ないのですが、人間の知恵によりどのようになっても困らないように前もって保障の仕組みを作るのが公平な考え方だと私は思います。

授業中につい話してしまう人の心理

授業中につい話してしまう人の心理を考えてみます。多くの人は授業中に話すことは良くないことだとは理解しています。理解してはいますが、つい話してしまうのです。

授業中に話をするのは生徒だけとは限りません。授業参観に来た父兄も同じです。授業を見に来たはずの父兄が授業そっちのけで話をするのを見ると日本の将来は不安になります。何故なら親に常識がないのですから子供に常識が身につく訳がないからです。

授業中に話をしてはいけないと知らない人

授業中に話をしてはいけないことを知らない人も中にはいます。人に迷惑をかける行動をとってはいけないという人間社会における基本的な常識が欠落している人がいるのです。授業中に話をすることで、その話し声により授業が聞こえなくなる人達に迷惑がかかることが想像出来ないのです。

授業中に話をしてはいけないことを知らないのですから怒っても仕方ありません。話をしてはいけないことを教えてあげましょう。効果的な対策は話す相手を引き離すことです。何故なら話すためにはお互い相手が必要だからです。

自分だけは許されると錯覚する人

授業中に話をしてはいけないけど、自分だけは特別な存在だから許されると錯覚している人がいます。話をしても誰からも注意されないから許されていると誤解している人もいます。あらかじめ注意されないように気をつける発想はなく、注意されるまでは許されたと考える人がいるのです。

怒られるから行動する人や行動しないようにするという発想の人に多い考え方なのかもしれません。

授業中つい話してしまう人の心理

授業中話をしてはいけないことを知ってはいますがつい話してしまう人もいます。その根底には「衝動買いの心理」が潜んでいます。何か物が欲しくなった状態を我慢出来なくなってつい買ってしまうのが「衝動買いの心理」です。この場合、話をしたくなって我慢出来なくなってしまうのです。今話したい話題を忘れないうちに人に話したいのです。そもそも時間が経つと忘れてしまうような内容に、わざわざ授業中にどうしても話さなければいけない意味はありません。

しかし「衝動買いの心理」の仕組みにより、今どうしても話したいというよりも、今話さなければいけないと錯覚してしまうのです。どうしても今話さなければいけないと思い込んだ時点で話しはじめてしまうのです。

自分が授業中に話をしたくなってしまった場合、「衝動買いの心理」の対策と同じで10分で話したくなくなります。10分我慢すれば良いのですが、10分我慢することだけ考えると大変です。他のことを考えるのです。どうしても話したければ、後で思い出せるようにキーワードをメモするようにしましょう。

授業中に話をしてしまう人

「衝動買いの心理」に振り回されてしまう傾向があるので、物事を論理的に考えるのは苦手な傾向があると思います。物事を論理的に考える癖をつけて、「衝動買いの心理」に振り回されないようにする方がお得です。