文章と漫画とアニメの違い

文章と漫画の違いを考えてみます。最近では少し変わりつつありますが、一般的に文章を読むことは推奨され、漫画を読むことは余り勧められません。その理由を含めて考えてみます。

文章とは?

文章とは文字だけで物事を表現するものです。言葉を書き留めた文字を使って理解してもらうのです。文字から頭の中で映像を組み立てる必要があります。同じ文章を読んでも頭の中に描いている映像は人によって異なります。更に書いた人が思い描いていることを文章に変換する時点で様々な解釈が出来る可能性が生まれます。小説で名作といわれるものは、読み方により解釈の仕方が幾通りもあるものでした。解釈の幅があるため、読み返すと何度も気づきがあるため読むほど楽しむことが出来るのです。

小説であれば解釈の仕方が異なっていても全く問題はありません。理解して頭の中で楽しむものだからです。しかし物事を伝えようとする論文では相手に正確に情報を伝えることが目的なので、解釈の幅があると困るのです。そのため誤解を生じにくい書き方が求められます。

話が少し逸れましたが、文章には解釈の幅があるのは仕方ないことでした。何故なら文章に変換する時点で作者の思い描いている情報が削ぎ落とされ、文字として圧縮されてしまうからです。その圧縮された状態を頭の中で復元する作業に手間取るのです。情報のやり取りは必要最低限のことしか行うことはできません。

漫画とは?

漫画は文章から頭の中で組み立てる作業を作者が絵で置き換えてくれているのです。作者が絵に変換する手間をかけてくれるおかげで情報を絵に盛り込むことが出来るのです。

百聞は一見にしかず

という諺通り、言葉での情報は100集まっても1枚の絵の情報には負けてしまうのです。

漫画は読み手が一瞬で様々な情報を受け取ることが出来るのです。その絵の積み重ねにより物事を伝えるので、同じ内容であれば文章よりも漫画の方が圧倒的に情報伝達の点で有利です。更に作者の発想力により漫画には無限の可能性があります。紙とペンにより過去から現在・未来はもちろん、何処にもあり得ない世界を描き出すことが出来ます。更に誰も見たことも聞いたこともない世界を描き出すことすら出来てしまうのです。誰も見たことがない世界を表現するのですから、文章だけで頭の中に正確に描くことが出来ないのです。

だから私は漫画で情報を得ることもよくあります。何故なら文章を読むよりも早く内容を把握することが出来るからです。当然フィクションもあるものの、身の回りにいる人からは聞けないような全く知らない情報も漫画の中にはわかりやすく解説されているので楽しみながら知識を身につけることが出来るのです。そんな視点で漫画を読んでみると面白いと思います。

アニメは?

更に情報伝達が有利になるのがアニメです。目で漫画の中の文字を読む、絵と絵の間の映像を想像するという作業すらアニメの中に組み込むことが出来るので、アニメの方が情報伝達しやすくなります。アニメは漫画のようにセリフを読む必要もないため受け身でいることが出来ます。そのため漫画のセリフを読めない小さなお子さんでも楽しむことが出来ます。

ただし漫画をアニメ化するには大変な費用と労力がかかるため、人気漫画しかアニメ化されることはありません。

文章と漫画とアニメの違い

文章に情報を足して絵にしたのが漫画です。漫画の絵に動きとセリフや音をつけたのがアニメです。様々な情報を付け足すので、読み手や見る人が解釈しやすくなります。作り手が知恵や労力を費やすことで、情報を受け取りやすく加工してくれているのです。わざわざ解釈しやすく加工してもらってある情報があるのに、文章で読むことに拘るのは勿体無いと私は思います。

情報取得ではなくて、文章を頭の中で組み立てる読むという作業そのものを楽しむのであれば文章をあえて読むことに意味はあります。しかし情報取得が目的であれば、漫画やアニメがあるのに文章をわざわざ読むのは時間が勿体無いと私は思います。

漫画に対して否定的な方は一度考えてみられると良いと私は思います。

悪い利益と良い利益

実は利益には悪い利益と良い利益があります。悪い利益とは暴利を貪る利益のことで、事業の目的そのものです。悪い利益は利益が事業の目的そのものなので、とにかく利益を追い求めます。良い利益とは適切な利益のことで、事業を継続するための必要経費のようなものです。

一昔前までは全ての企業が悪い利益を追求していました。というよりも良い利益という概念が無かったので、利益を目的として追い求めることは資本主義では当たり前と考えられていました。今でも良い利益という概念を知らなければ、利益といえば当たり前に悪い利益のことを表します。

悪い利益

悪い利益とは周りのことを全く考えず、自分だけの利益を追求することです。仕入れをする取引先のことはもちろん、お客さんのことも利益を追求するための手段としか考えていません。そこまで極端ではなくても、取引先やお客さんよりも利益を優先するのが悪い利益です。

とにかく利益を上げることが目的なので、なりふり構わず利益を追い求めていました。少しでも売るためにお客さんに誤解させてでも有りましたし、場合によっては嘘をついてまで売っていたのです。悪い利益を追い求めた結果食品産地偽装や、燃費の偽装などが行われたのです。悪い利益を追い求めているとお客さんのことが後回しになってしまいます。お客さんを蔑ろにしていることが発覚すると、お客さんに相手をされなくなるので淘汰されてきました。

利益を生み出す仕組みを考えるのですが、企業の利益とお客さんの利益が相反してしまいます。上手な仕組みを考えなければ、お客さんの利益を損なってしまいます。一時的な利益を得ることは出来ても継続出来ない企業が多いのは、企業の利益とお客さんの利益という相反する利益の手加減が難しいからです。企業のことしか考えていない悪い利益は、いずれお客さんにわかってしまいます。利益を生み出す仕組みがお客さんの思惑とズレてしまうと、突然利益を生み出すことが出来なくなります。

悪い利益を継続して生み出すことは非常に困難ですが、極々稀に企業の利益とお客さんの利益の手加減が出来る天才的な経営者がいます。残念ながら天才的な経営者から引き継いだ人が上手く経営出来ないことが多いのは、その時その時で絶えず変化する状況に合わせて利益の手加減を変えることが普通の人には出来ないからです。代がわりの際に悪い利益の手加減の調整が出来ない時点で、良い利益の得方に変えることが出来るかどうかです。初代経営者が天才だと2代目、3代目が苦労するのは、悪い利益を追い求める手加減の仕方がわからないからです。

企業の方針が利益が出るかどうかで判断しています。全てを間違うことなく当てることが非常に困難なのは周知の通りです。

悪い利益を追い求める人達はどうすれば儲かるかを考えています。お金が目的ですからお金のことしか考えられないのです。お金を得ることに知恵を絞ります。そしてお金が全ての判断基準であり、お金のことしか考えられない人達の集まりになってしまいます。いわばお金の魔法に取り憑かれてしまった考え方なのかもしれません。

利益が出なければ誰かが責任を取らなければならなくなります。だから余計利益を追い求める悪循環に陥ります。

良い利益

賢い企業は良い利益に既に気付いています。お客さんの利益になるような仕組みを考えるのです。当然企業も経営していく上で利益は必要です。この場合の利益は経営を継続するための必要経費のような位置付けです。

良い利益とは目的ではなく、継続するための手段としての利益です。

良い利益を表す諺を提唱しています。

利益は企業の為ならず

利益を追い求めることは企業の為にはなりません。利益は企業のためにあるのではなく、お客さんのためにあるべきなのです。

このように考えることの出来る企業は経営がブレることがありません。企業の方針は利益が出るか出ないかではありません。お客さんのためになるかならないかです。お客さんのためになるなら行う、お客さんのためにならなければ行わないのでブレることがないのです。お客さんのためになることの中から、如何にして利益を生み出す仕組みを作り出すことに知恵を絞るのです。

もし利益が出なければ継続が出来ないだけです。少なくともお客さんの利益にはなっているので、継続出来ないことが残念なだけです。お客さんの利益によりお客さんさんを喜ばせることが出来たという結果が残るのです。

良い利益とは継続するための必要経費としての利益と、お客さんの利益という二つの『意味』を合わせ持ちます。

この二つの『意味』に気付いた企業は無敵になることが出来ます。まだ数は少ないのですが、確実にいくつかあります。良い利益を追い求める企業がどこなのか考えてみて下さい。

病気を治すつもりのない医者

医者の中には病気を治すつもりのない医者がいます。
厄介なのは病気を治すつもりのない医者同士が集まって、病気を治さなくてすむ方法を模索していることです。更に問題なのは製薬会社と結託して病気を治さないように仕向けることです。医者と患者さんの間には情報の格差があるため、患者さんにはこれらのことがわかりにくいのが現実です。

病気を治すつもりのない医者は、出来高制の診療報酬を稼ぐ目的に治さないのです。治してしまうと診療報酬はもらえなくなるのです。治さず延々通い続けてもらえば収入が増えるのです。患者さんに逃げられない程度に加減して治療を引きずるのです。そのさじ加減を医者同士で情報共有するのです。

特にそのような医者達が気にしているのは、病気が治るかどうかよりも保険で切られるかどうかです。悲しいことですが、むしろ治さないように気をつけるのです。それらの情報交換が行われるのが一部の学会や製薬会社主催の勉強会です。

患者さんは薬がなくても済む健康な状態を望みます。一部の医者は薬で症状を抑え続けることを望みます。何故なら薬が必要ない状態に治してしまうと診療報酬がもらえなくなるからです。

患者さんのおくすり手帳を見てみると、必要の無い薬を延々と処方し続ける医者が確かにいることがわかります。明らかに必要なさそうな薬を処方しているのであれば医者を変わることをお勧めしています。

確かに全ての病気が治る訳ではありませんが、しばらくしても症状が変わらなければ他の医者を受診してみても良いのかもしれません。何故ならその医者が病気を治す気のある医者なのか、病気を治す気のない医者なのか判断がつきにくいからです。改善しなければ試しに変わってみるのが一番です。

患者さんの立場からすると信じがたいでしょうが、病気を治す気のない医者が確かにいるのです。しかも病気を治す気のない医者の方が稼いでいるのです。病気を治さない方が医者が儲かる出来高制である国民皆保険の限界なのかもしれません。

漫画・雑誌・テレビの中毒性

漫画や雑誌、テレビには中毒性があります。当然病的な中毒性ではありませんが、次を知りたいと思わせるように作るのです。

次を見たくなる仕組みが中毒性を生み出すのです。次を見たくなる欲求は「衝動買いの心理」が作用するようです。次に用意されているものが凄く魅力的に感じる錯覚を起こすのです。そもそも「衝動買いの心理」がエスカレートして中毒を引き起こすので、これらのことに中毒性があってもおかしくはありません。

漫画や雑誌の発売日やテレビの放送日が待ち遠しくて仕方ない人は中毒になっているのかもしれません。コアなファンのほとんどはもしかしたら中毒なのかもしれません。

漫画や雑誌はお金を目的に中毒性のある作り方をしますし、テレビであればコマーシャルになってもチャンネルを変えられないようにするするに中毒性のある作り方をするようです。

中毒性を表すのが、連続で見なければいけないという脅迫観念に近いような感覚に陥ることです。見ることをやめるとしばらくイライラしますが、「衝動買いの心理」と同じで、過ぎ去ります。中毒性から抜け出した後で振り返って考えると、何故あれほど続けて見ていたかわからないこともある程です。

本来の魅力で見ているなら良いですが、「衝動買いの心理」を駆使した中毒性は気をつけた方が良さそうです。

 

混乱の解決策 目的を明確にする

会議や話し合いなど様々な事柄において事態の収拾がつかず混乱することがあります。話していることが迷走し、何を話しているかわからなくなってしまうのです。今回は混乱の解決策を考えてみます。

混乱している時には目的を明確にすると迷走することがなくなります。目的に沿っていればそのまま押し進めれば良いですし、目的から外れていれば目的に合わせて修正するのです。

会議や話し合いの目的を明確にすることで方向が定まります。そもそも会議や話し合いの目的が曖昧なまま話し合ったところで、時間ばかりが経過してしまいます。何を決め何を話し合えば良いのか誰にもわからないからです。

逆に目的が明確にされていれば、話が目的から外れた時点で打ち切ることが出来るのです。

混乱の解決策は目的を明確にし、目的に沿って物事を整理することです。特に話し合いにおいて理由について議論しても時間の無駄です。理由にはもっともらしい言い訳が含まれているからです。

まず目的を明確にし、次に目的に沿っているかどうかを話し合いましょう。会話や会議が混乱した場合の簡単な解決策です。

大腸ポリープの原因は糖質・糖化産物?

糖質が様々な病気を引き起こすのは間違いないようです。糖質が引き起こす病気には糖質そのものが障害を引き起こす2型糖尿病や、何らかの免疫異常を起こす病態や、糖質依存に伴い引き続いて起こされる塩分依存による高血圧など様々です。

今回私が気付いたのは大腸ポリープです。糖質回避により一部の皮膚腫瘍が改善します。ということは大腸ポリープも糖質回避により改善するのではないかという仮説です。逆に糖質の摂り過ぎによりポリープを生じているのではないかという仮説です。ポリープを生み出すのは糖化産物、駆逐する邪魔をするのが糖質にやる免疫抑制という考え方です。

大腸ポリープが出来る原因

私の仮説ではポリープを生み出すのは糖質とタンパク質が熱で反応するメイラード反応により生じた糖化産物ではないかと疑っています。アメリカ人にポリープが育つ事で生じる大腸ガンが多いのは肉を焼く事で生じる糖化産物が原因ではないかと私は考えています。つまり肉食が問題ではなく、焼いた肉食が問題だという考え方です。茹でた肉を食べる分には、メイラード反応が起こらないので糖化産物が出来ないため問題ないと私は思います。糖化産物で一つ心配なのは揚げ物です。トンカツやコロッケなどパン粉を揚げた際のキツネ色はメイラード反応によるものなので、焼いたお肉と同じようにポリープを生み出す可能性が考えられます。もし揚げ物を好んで食べる人に大腸ガンが多いというデータが見つかれば、私の仮説を裏付ける結果となります。

ポリープを消す仕組み

ポリープなどの異形細胞はかなり高い頻度で生み出されています。しかし大半は肉眼で見える程大きくなる前に、免疫反応により消し去られてしまいす。多くの異形細胞はその免疫に捕まるので、肉眼で見える程の腫瘍は珍しいのです。もし腫瘍に対する免疫が働かなければ、人間の身体は腫瘍だらけになる事でしょう。

一説によると人間の身体全体で良性悪性を含め1日に5000個程の異形細胞が生み出されているそうです。通常はその全てを免疫で駆逐するので滅多に問題にはならないのです。

逆に発生した異形細胞がこの仕組みをすり抜けてしまうとポリープとして肉眼で見えるようになるのです。

糖質による免疫抑制

糖質を一定量をこえて食べると限定的な免疫抑制がかかるようです。1日に5000個生じる異形細胞はいつもは駆逐出来ても、たまたま身体に発生した異形細胞に対する免疫が抑制状態だと駆逐出来ないのです。免疫が異形細胞に対して、働かないため異形細胞を駆逐することが出来ず、育ってしまいます。結果としてポリープとして認識されるのです。特にいくつものポリープを生じる人は、ポリープに対する免疫抑制が何種類にも渡り同時に生じている可能性があります。一つの異形細胞に対して何種類もの免疫が働くはずですが、一二種類の免疫抑制であればポリープは稀に出来る程度で、同時に異形細胞に対する免疫が数種類に渡って抑制されているといくつものポリープを生じてしまうのかもしれません。

限定的な免疫抑制のためまだみんな知らないようです。糖尿病の方が易感染性があるとされているのは、糖質による限定的な免疫抑制がいくつも組み合わさるため積算され易感染性として認識されるのだと思います。実は似たような感染症を繰り返すのは、糖質による限定的な免疫抑制の結果なのかもしれないのです。

限定的な免疫抑制が腫瘍細胞に対して起こってしまうも腫瘍を発症するのです。

糖質を控えることで免疫抑制が解除されるので、腫瘍がなくなる可能性があります。少なくとも皮膚腫瘍では糖質回避により改善している患者さんが何人かおられます。

イメージとしてはガードマンが休んでしまうようなものです。腫瘍細胞担当のガードマンが休んでいるので腫瘍細胞が好き勝手に増えてしまっているのです。そして糖質回避により腫瘍細胞担当のガードマンが復活するようなイメージです。

腫瘍という『意味』ではガンも同じ機序・仕組みだと思います。しかしガンが進行していると別の免疫抑制の仕組みが働いてしまう(長く身体にあるものは自分の正常な細胞だと勘違いしてしまう)ので、糖質回避の効果はないかもしれません。しかし糖質回避には抗ガン剤のような副作用がないため、糖尿病や腎臓病・肝臓病などでタンパク質制限などの食事制限がなければ、一度試しても良いのではないかと私は考えています。

食べ方の提案

ポリープが多くてお悩みでしたら、糖質を控えることをお勧めします。糖質の摂り過ぎは糖質の一回の糖質量が多いと発症するようです。そして瞬間的な高血糖が問題のようです。糖質以外のオカズから食べると発症が抑えられる可能性があります。

実際に出来るかどうかは別にして、3食で食べている量を6食に分けて食べると症状は起こりにくいようです。

禁断症状を伴う糖質依存の状態であれば、糖質の量を減らすより一食抜く方が楽に糖質を減らすことが出来ます。

1円購入から駐車無料サービスの目的

店舗の駐車場のサービスで、1円でも買うと何時間か無料にしてくれるサービスをするお店があります。その仕組みと目的を考えてみます。

1円でも買うと何時間か無料になるので、駐車場代を支払うことを考えれば何も買わずに駐車場代を支払うより何かを買う方がお得です。ただお客の立場からすれば、1円以上から買わなくても駐車券サービスをしてくれると良いのにと考えてしまいます。実は1円でも買ってもらうことに目的があるのです。全く買う気が無い状態と、何かを買う目的で買う物を探すのでは買う意欲が全く異なります。一度何かを買うと決めるとついでにあれもこれもと欲しくなってしまうのです。購入に対する心理的なハードルを下げることが出来るのです。最初から1時間無料より、1円でも購入してもらうようにする方が遥かにお店にとってお得なのです。1000円以上購入で駐車券サービスよりも良心的にみえるのも心理的な落とし穴が用意されています。全体的に売っているものの単価が家電量販店などはお店にきてもらって「衝動買いの心理」をついて、つい買ってもらうことが目的です。

1円でも買うと駐車券サービスがあると、それ程必要ではない物でもつい買ってしまうものです。家電量販店であれば必ず使うリモコンの電池などを購入するのがお得です。

そして1000円以上買うと駐車券サービスよりも、1円以上買うと駐車券サービスの方が何かを買えば良いのでお客の立場からは気軽に立ち寄ることが出来ます。立ち寄るかどうかの判断の際に、心理的なハードルがかなり下がります。

様々な心理学を駆使して1円以上買うと駐車券サービスという仕組みが成り立っています。罠とまでは言わないまでもお金を使ってしまうカラクリが仕組まれているので、気をつけるようにしましょう。

いじめを学校が隠蔽する理由

いじめを学校が隠蔽しようとすることが散見されます。その理由を考えてみます。いじめはあってはならないものなので、いじめが発覚すると学校が責められることが原因のようです。人の行動には必ず目的があります(目的論)。いじめを隠蔽する目的は責められることを避けるためです。決していじめを無くす目的で隠蔽する訳ではありません。ましてやいじめられた子供を守るために隠蔽する訳でもありません。学校側の自己保身を目的に隠蔽するのです。

今のままでは隠蔽しようとするのは仕方ありません。何故ならいじめがあったことを責められるからです。人間の心理として責められたくないので隠すのです。隠そうとする嘘つきの嘘を暴く必要に迫られるため、その分無駄な労力を費やします。

いじめの隠蔽を無くすために

野生動物でもいじめをするのですから、動物の一種でもある人間が放っておくといじめをしてしまうのは、ある意味では仕方がないことです。人間がいじめをする野生動物と違うのは、人を思いやる心を持っていることです。人を思いやることをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人のことを尊重することをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人を思いやること・人を尊重することをまだ知らない人がいることを認め、いじめを無くす知恵を絞るべきだと私は思います。

いじめを無くすためには、いじめが起こり得ることを受け入れ、その上で対策を取るべきです。いじめはあってはならないものという考え方から、いじめがあるのは当たり前だから大事に至る前に対策するという考え方を変えるのです。

このような考え方に変われば、いじめを見つけ対応したことを誇りに思うようになるでしょう。いじめを無くすのが理想ですが、無くす前の段階として早く見つけ対応するのです。いじめがあったことを責めるのではなく、大事に至らなかったことを評価するのです。そうすることでいじめを成果として積極的に公表するようになるでしょう。

いじめを隠しても問題を先送りするだけです。隠さず再発しないための知恵をみんなで絞るのです。人間には他の動物が持たない言葉という魔法を使うことが出来るのですから、最終的にいじめをなくすことくらい出来るはずです。

糖質買いの銭失い

新しい諺を考えました。

安物買いの銭失い

を変えてみました。

糖質買いの銭失い

当然糖質を買うこと全てが銭失いではありません。糖質によって害があるにも関わらず買うことを指しています。具体的には糖質を買うことで害を生じ、その害を治すためにお金を使うことを指します。

具体的には糖質を買うことで太り、ダイエットにお金をかけることを糖質買いの銭失いと表現するのです。糖質を食べ過ぎた結果を打ち消すためにダイエットに更にお金をかけることを銭失いと表現するのです。何故なら糖質を食べ過ぎなければ必要のないお金だからです。

他の例え話では糖質を買って食べ過ぎた結果、2型糖尿病やアトピー性皮膚炎やニキビを悪化させ、治すために病院で治療費を支払うことです。糖質をわざわざお金を出して買い、病気を引き起こして治療にわざわざお金をかける。糖質を食べ過ぎなければ必要ない治療費です。

糖質を食べ過ぎる理由

糖質を食べ過ぎると病気になることを知らない人もいますが、知っていてもやめられない人もいます。その理由は糖質依存です。タバコを吸う人がタバコをやめられないニコチン依存やお酒をやめられないアルコール依存と同じような心理です。依存の心理により糖質をやめられないのです。

糖質依存から抜け出す一つのきっかけが、糖質買いの銭失いという考え方です。糖質をわざわざお金を出して買って、わざわざ病気になるのは勿体無いと冷静に考えるのです。

糖質買いの銭失いにならないために

糖質買いの銭失いとは糖質を買って食べ過ぎることで何らかの不都合が起こります。不都合を避けるためには糖質回避がお勧めです。

少なくとも糖質による不都合を生じない程度に糖質を回避することです。

特に糖質依存の状態であれば、少なくとも糖質依存からは抜け出すことをお勧めします。

赤ちゃんに濃い味を食べさせない理由

赤ちゃんに濃い味付けのものを食べさせると、濃い味付けに慣れてしまって薄味を食べなくなると聞いたことがあります。だから濃い味付けを食べさせてはいけないと言われているようです。

わざわざ赤ちゃんに濃い味付けを食べさせる必要は無いとは思いますが、何故いけないのか客観的に考えてみます。

一言で言えば塩分依存に陥るからです。人類が高血圧になる理由と同じです。塩分依存とは塩味に依存してしまい、塩気がやめられなくなるのです。薄味だと満足出来なくなるのです。

赤ちゃんに濃い味付けの物を食べさせていると塩分依存に陥ることがあるのです。塩分依存に陥ると薄味では満足出来ないので、薄味の物を食べてくれなくなるのです。昔の人達は理屈はともかく経験的に赤ちゃんに濃い味付けを食べさせていると薄味を食べなくなることを知っていたようです。

塩分依存の考え方からすれば、依存に至らなければ濃い味付けを時折食べても問題はないのかも知れません。ただ繰り返していると塩分依存に陥るので連続で濃い味付けを食べさせるのは問題があると思います。赤ちゃんを塩分依存にさせないために濃い味付けを続けて食べさせない方がお得だと思います。

ちなみに大人でも濃い味付けを好むのは塩分依存に陥っているだけなのかも知れません。高血圧の人が塩分を制限すると良いことを知っていても、なかなか塩分を減らすことが出来ないのは塩分依存だからなのかも知れません。

塩分依存は糖質依存との共依存の可能性が高いので、まず糖質回避により糖質依存から抜け出すと塩分依存からも抜け出すことが出来ると思います。