営業を継続するパチンコ店に思う

再三にわたる休業要請の中、千葉県で営業を続けているパチンコ店があるそうです。
これだけ自粛ムードが高まっている中で営業を決断されたのですから、お客さんが来られる限り休止されることはないと思います。
実は営業を継続するのは目先の利益だけでなく、将来にわたる利益に影響があるとわかっていて継続していると思います。

ギャンブル依存という病気

というのもパチンコファンの一定数は「ギャンブル依存症」だと思います。パチンコ店を休んでしまうとパチンコファンのうちの「ギャンブル依存症」の人たちが依存の心理から抜け出してしまうから続けたいのです。依存とは依存対象によって脳が錯覚を起こして騙されている状態です。
ギャンブル依存症はいわばギャンブルに脳が騙されている状態で、ギャンブルが必要以上に魅力的に錯覚を起こしてしまいます。

言い換えるとギャンブルという魔法にでもかかっている印象で、しばらくギャンブルできないとどうしてギャンブルしたかったのか自分でもわからなくなってしまいます。ちょうどギャンブルという魔法が解けたような状態です。魔法が解けると何故そこまで固執していたのか自分でも不思議に思うほどギャンブルをしたいとは思わなくなってしまいます。
依存の心理が怖いのは脳が騙されているので自己判断できないことです。冷静に考えればギャンブルで勝つことはできない(何故ならお店が儲けないと運営できないから)ことはわかっていても、勝った時の高揚感を味わいたくて何度も訪れてしまいます。

パチンコ店が営業を続ける目的

もちろん目先のお金・利益も大切ですが、コアなパチンコファンである「ギャンブル依存症」の方が依存から抜け出さないようにするために営業を続けたいのです。
一度依存から抜け出してしまうとわざわざ戻ってくる人はまれです。射幸心を煽るという理由で出玉の多いパチンコ機種は認められなくなっています。その影響もあってパチンコをする人がどんどん減っています。いわば出玉が多いパチンコがなくなったことで魔法が解けたような印象です。
これ以上「ギャンブル依存」という魔法が解けてしまうとパチンコ業界自体の存続が危ぶまれることを理解している経営者が営業を継続しているのでしょう。

対策は?

自治体は何度も営業を自粛するように要請していますが、罰則もないため営業を継続すると腹を括った経営者の心に響くことはないと思います。いわば生活がかかっているので必死です。

私が自治体側の人間でで営業休止を呼びかけるのであれば、2つの案があります。

換金の禁止

一つは換金の制限です。パチンコはギャンブルだと思いますが、法的にはギャンブルとはいえないようです。何故なら日本では賭博は明確に禁止されていますが、実際には営業されているからです。いわゆる3店方式という仕組みを利用し、換金を実現しています。この3店方式の換金の仕組み、古物商の免許を取り消してしまうことです。(法的には可能だと思います。何故なら1万円以上の買取の場合、相手の住所氏名を確認する必要があるらしいのですが、住所氏名の確認をしていない場合、6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金の刑事罰となるそうです。確認していないとすると、この点をつけば営業停止にできるのではないかと思います。少なくとも私がパチンコをしていた時代には一度も住所氏名を確認されたことはありませんでした。)

「ギャンブル依存症」の啓もう

お店に働きかけても営業を自粛してもらえそうにはありません。この状況でもパチンコ店に通ってしまうお客さんに対して「ギャンブル依存症」の可能性がありますとアナウンスをします。病院にいくと治療できますと専門医一覧を印刷したものを並んでいるお客さんに対して手渡し、「ギャンブル依存症」の疾患概念(自分自身でコントロールできないこと。周囲に嘘をついてまでギャンブルを続けてしまうこと。借金してでもギャンブルを続けてしまうこと)を伝え(依存症の診断基準はこちら、糖質依存のことを代表として診断基準と比較しています)、病気であることを投げかけます。
特に借金で困っている人は間違いなく「ギャンブル依存」であり、周囲に嘘をついてパチンコをしに来た人も限りなく「ギャンブル依存」の可能性が高いです。そのことを並んでいる人に対して拡声器で呼びかけるようにします。
あとで営業妨害として裁判を起こされる可能性はありますが、目的が感染予防なので裁判で負けたとしても名誉なことでしょう。

パチンコについて思うこと

パチンコは間違いなくギャンブルだと思いますし、若いころには自分自身がギャンブル依存でした。自分で判断できないのです。ちょっとした時間があるとパチンコにいってしまいました。予算を決めていくのに財布にあるお金をどんどん使ってしまいますし、酷い時にはお金を下ろしにいってまでパチンコをしてしまっていました。
ふとパチンコで勝ったとしても人生が変わるわけでもなく、勝ったとしても5~10万円です(大金ではありますが、負ける可能性のあるギャンブルでの勝ちにしては小さい)から割にあいません。
いわば魔法が解けた瞬間でした。

あとでわかったことですが、「ギャンブル依存」は脳の錯覚による病的状態でありなかなか自分で抜け出すことはできません。
ただ自分が「ギャンブル依存」という病的状態であることを教えてもらえれば、立ち止まって冷静に考えることができたのかもしれません。だからこの状況でパチンコ店に並んでいる人に教えてあげたいのです。もしかしたら今あなたがやろうとしているのは本当に自分がやりたいことではなく、「ギャンブル」に騙された脳がやらせようとしているに違いないという考え方を伝えてあげたいのです。

私は偶然抜け出すことができましたが、自分で抜け出すことは難しいと思います。そのきっかけにこのパチンコ店の大規模自粛がなりえると思うのです。

依存の抜け出し方は知識さえあれば簡単です。
依存対象をやめることです。少しにするというのが一番やめにくくする方法です。適度に楽しむことが出来ないのが「依存」の怖さです。
お酒で失敗する人が一口飲むと止まらなくなるように、煙草をやめたいのに1本吸うと一箱吸ってしまうのと同じです。パチンコを3千円だけと思って訪れてもやめられなくなってしまうのです。だからきっぱりやめることがお勧めです。少しずつダラダラするのではなく、やる日とやらない日を決めて、やらない日を増やすことがお勧めです。(これは依存全てにいえる対処法です)

短距離走が突然マラソンになるような話・・・

短距離走が突然マラソンになるような話・・・。
政府から出されている非常事態宣言の話です。
5/6まで非常事態宣言を出します。ご協力お願いします。という話でスタートしました。
(小学校・中学校も春休みまでお休みですでスタートして、ゴールデンウィークまでとなったので似たような話です)

飲食店などは20時まで営業することが許されているのでまだましかもしれませんが、お客さんも少ないため営業を自粛され休業されているところも多いと思います。

5/7になれば営業できると期待されていたところも多いと思いますが、残念ながら非常事態宣言の延長に伴い県ごとに異なりますが休業要請が延長されてしまいました。段階的に自粛要請は緩めるようではありますが、突然の延長はタイトルのようにゴールが先延ばしされてしまったようなものです。
せめて補償とセットであれば納得できるものの、休業要請を決めただけで補償の話が出てこないため困る方も多いと思います。

短距離なので水分を摂らずにスタートしたのに、突然マラソンに切り替わったようなものです。でも給水はなし(補償はなし)で頑張ってくださいといわれているのが私のイメージです。マラソンの準備をせずに突然長距離走らされるわけですから、熱中症で倒れる(資金繰りで行き詰まる)人が続出すると思います。しかも本人たちの同意なく突然ですからたまったものではありません。

正直休業要請された業者の方は気の毒には思いますが、今の状況は仕方ないのかもしれません。(反省すべき点は多々あると思いますが、反省は落ち着いた後でどうすべきだったか専門家を交えて当事者同士で話し合ってもらいましょう)
感染は少し下火になっているようではありますが、都会では人と会うことが多いためいつ間にか知らない間に感染していてもおかしくはありません。ということはいつ再び感染者数が急上昇してもおかしくはないと思います。

一日も早く感染をコントロールし、今後同じような新型の感染症に振り回されることのないように問題点を話し合ってよりよい仕組みを作ってほしいですね。

新型コロナウイルスのPCR検査について思うこと・・・

新型コロナウイルスのPCRに関して何となくモヤモヤしていることを文章にしてみようと思います。

PCRに関して方針が一貫していないためモヤモヤしてしまうように思います。

PCR検査がしてもらえない

まず当初は新型コロナウイルスのPCRはなかなかしてもらえませんでした。武漢に関連のある方との接触歴がないとそもそも対象ではないとされたことです。当初は中国からの旅行者が多数おられ、その旅行者との接触歴がわからずいつの間にか発症している人もおられれば、感染はしていても発症していない人がおられるため、知らないうちに感染してしまうことがあるにも関わらず武漢や中国だけにこだわっていたこと自体に疑問がありました。

発熱や風邪症状があれば自己隔離を

発熱があっても軽症であれば極力家で自己隔離をして様子をみるように提案された時期もありました。この時点で封じ込めは諦め蔓延を覚悟したことになります。少なくとも私はそう理解しました。PCRで診断が確定しないグレー状態でも、この時期の発熱や風邪症状は新型コロナウイルスとして人にうつさないように自己隔離が推奨されました。言い換えるとそれだけ新型コロナウイルスが身近なものになってしまうことを意味します。そしてそれが現実となりました。今は比較的新型コロナウイルスのPCR検査を行うようになってきています。(といってもあくまでも2月・3月に比較するとという意味で、海外と比べると格段に少ないのが現状です。)

今は無症状でも濃厚接触者に検査

みんながモヤモヤするのは、以前は発熱が持続するという新型コロナウイルスの感染が疑わしい状況であっても検査してもらえなかったものが、今は家族が感染していると症状がなくても検査をすることです(芸能人や有名人も・・・)。片や検査を渋り、片や症状がなくても犯罪者でも探すかのように積極的に検査をするという検査の対象に対して一貫性がないことが理解できないため、釈然としません。このような状況なのに、芸能人や有名人は比較的症状が軽くても検査をしてもらっている印象もあるため、余計釈然としないものになっています。
確かに感染した方の家族など濃厚接触者であれば感染の可能性はあるとは思いますが、これまでは接触歴がないという理由で検査をしなかったときとの整合性が保たれません。あたかも封じ込めが成功していて接触歴がなければ絶対に感染しないと考えているかのようです。逆に感染者が見つかれば、その周辺の感染者も症状がなくても洗いざらい見つけようとしているかのようです。
あたかも感染が疑わしくても感染を確定させたくはないが、一旦確定したら仕方ないので周囲の感染の疑わしい人への感染を封じ込めをしようとしているようです。

封じ込めをするのであれば、誰もが簡単にわかる理屈で当初から手当たり次第検査をすることです。検査をするから医療崩壊をするのではなく、感染が広がるから医療崩壊するのです。この理屈をマスコミの方々も切り崩せなかったのが残念です。

封じ込めは諦めたのであれば、症状のある濃厚接触者は検査するとしても、症状のない人は検査せずグレーとして念のため自己隔離をしてもらうべきではないでしょうか?何故なら新型コロナウイルスのPCR検査は感染者でも陽性率7割程度であり、3割は感染していても陰性(つまり感染していないという誤判定)に出てしまうからです。

確かに検査件数が多くなると患者さんの数が増えて医療崩壊に至るということはかろうじて理解できます。ただし感染の流行初期はできるだけ感染が広まらないように、手当たり次第に検査を行い感染者を見つける手法を行うべきであり、蔓延して手が回らなくなった時点で、検査をする件数を絞ればよいだけのことです。

医療崩壊につながるから検査をしないというのは何か別の目的を隠しているように思えてしまいます。

何のために検査をできるだけしないように絞っていたのか、その目的をたずねる目的論でマスコミの方が質問してもらえれば何か出てきたのかもしれません。医療崩壊させないために検査を絞るというと矛盾がでます。検査をしないと診断が確定できないため、疑わしい人が更に感染を広めるから医療崩壊を導きます。検査をすることで診断が確定されれば、それ以上感染を広めないように入院することになるから感染が広まりません。
検査をしないことが感染者の方を放置してしまうことになり、周囲に新型コロナウイルスをまき散らして感染者が増えるため結果として医療崩壊を招くからです。

感染初期には検査をしないことで新型コロナウイルスの蔓延を助長させ、あたかも自分たちの存在感を高めようとしているではないかと邪推してしまいます。もしくは感染が判明すると感染経路の検索という仕事が増えるので極力検査したくないのかなと思っていました。
(勿論そんなことはないと信じたいですが、それくらい感染流行初期に検査を極力しないことは封じ込めの観点から理解できない行動です)

私が仕組みを作るなら、感染拡大の初期にはPCR検査の一定数は自費診療で1回1万円で希望者に検査するようにしていたと思います。保健所が認めた人は無料で、適応にならない人の中でどうしても気になる人は1万円ていどで受けられるようにするとよかったのではないかと思います。

今回は初めてのことですから仕方がないと思いますが、今後似たような感染症が広まった際に、どう行動すべきだったか知恵を集積してほしいですね。

今時ちょっと信じられないような話。マスクをつけない病院・・・

今時ちょっと信じられないような話。マスクをつけない病院・・・
こんなタイトルで書いてしまいましたが、今はつけるようになっているかもしれませんし、攻撃をしたい訳ではありませんし、そもそも伝聞なので病院名は書かないようにしておきます。

知人二人から聞いたのですが、ある病院では職員さんがマスクを着けずに診療を継続しているようです。
知人の一人は家族がその病院に入院したということ、もう一人の知人は隣人がその病院に勤めているということで二系統から入った話を聞く限り間違いなさそうです。
しかもマスクが手に入らないから仕方なくマスクを着用しないのではなく、ポリシーを持ってマスクを着用していないそうです。
伝聞であり私が直接確認したわけではありませんが、マスクは病人がするものでありマスクを着用しても着用している人に対する感染予防効果はないためマスクの着用をしないそうです。

知人の隣人の方は自分自身はマスクを着用したいものの、周囲の職員から白い目で裏切り者を見るかのような目でみられるそうです。

もし本当にマスクを着用しないとしたらその病院の職員に感染者が出てしまった場合院内感染が広まってしまい、全国ネットでこの病院が話題にならないことを祈るばかりです。

知人の家族が入院していたのは約1か月前の話なので、今は着用しているかもしれませんが・・・。

万が一の可能性を考えて今はマスクを着用してくれていることを祈っています。

北風と太陽みたい コロナへの対応言い方で明暗

中国地方のある県ではパーキングエリアで他県ナンバーの車の方の検温を行うと発表し、来てしまったことを後悔してもらえるとよいなと思うと知事さんが発言してしまいました。
片や別の中国地方のある県では、「会いたいからこそ、今は会わないでおきましょう」というメッセージを発信しました。
(参考:ヤフーニュース、時間が経つとリンクが切れているかもしれません。)

言っていることは同じです。その県には来ないでください。移動しないでくださいです。

北風と太陽みたい

同じことを主張しているのに明暗を分けたのは何でしょうか?
私はこのニュースを見て寓話「北風と太陽」みたいだなと思いました。(参考:ウィキペディア「北風と太陽」

服を脱がせるという話で、強硬に風を吹き付け無理やり脱がそうとした北風と、ジリジリと照り付けることで自分で脱がせるように仕向けた太陽との話です。
人に無理やり強要しようとすると反発(北風の場合は寒いから必死で服をはぎ取られないように抵抗してしまいます)が、人が自分から脱ぐように仕向ける(暑ければ自然と服を脱ぐということ)という仕組みです。

今回の話では、自分の県に来たら後悔させてやる。だから来るな!という北風です。そんなこと言われても嫌だと反発してしまいます。北風のように強要しようとしているからではないでしょうか?
その点他の県では「会いたいからこそ、今は会わないようにしましょう」というように、自分の判断を尊重し今は会わないようにしてもらえませんか?と主張しています。それは感染が落ち着けばいつでも会えるようになるから今は我慢しましょうというメッセージが心に響いたようです。

あくまでも私の想像ですが、来るなと主張した知事さんはこの寓話を知らず(もしくは物事を深く考えるほど余裕を失っているのかもしれません)、今は控えてと主張した知事さんはこの寓話を知っていたのかもしれません。人は強要されると反発するけど、そのように仕向けられると自然と行動するようになるということを。

共感を得られるかどうかの違い

誰のため、誰の視点での「来ないで」だったかだと私は思います。
「後悔」というキーワードを使ってしまった知事さんの視点は、自分であり職員の視点だったように思います。
自分たちが管理上困るから「来ないで」というメッセージに見えてしまいます。だから(自分たちのために)「後悔させる」という強いメッセージに見えてしまいます。
自分たちの都合しか考えていないように見えるので、その県にはいきたくないという発想に繋がり、コロナ後の観光に影響が出ることを心配する声が上がるようです。
その点、「今は来ないで」というメッセージを発信した知事さんの視点は県民であり、来る人です。つまり今来てもらうと感染が広がり、かえって会えない期間が延びてしまいます。だから「今は来ないで」くださいというメッセージです。つまり訪れようとする人たち、そしてその訪れた人と会った県民が困らないようにするために「今は来ないで」くださいというメッセージを発信できたことが素晴らしいと思います。

「急がば回れ」ということわざのイメージを思いつきましたが、「早く会いたいからこそ今は会わない」というメッセージを発信することができているように思います。つまり県民、そして県に訪れてくれる人のために「今は会わない」というメッセージを発信できていることが共感されるのではないかと思います。

自分のための行動は反感を買いやすく、他人のための行動は共感を得やすい

自分のための行動をとっている人の言葉は響きません。何故なら自己都合だからです。勝手にすればと思ってしまいます。ましてや知事や公務員だと極論するとそれが仕事でしょと考えてしまい、楽をしたいから要請しているように受け取られてしまう可能性があるのです(勿論私はそのようには考えてはいませんが、心理的にそのように考えられてしまう恐れがあるという問題定義をしたいということです)。
一方で人のための行動をとっている人の言葉は響きます。何故なら他人への配慮なので、自分も他人への配慮を一緒にしたいと思えるからです。つまり共感できるということです。(あなたとあなたの大切な人のために「今は来ないでください」という言葉)

反感を買うことが多いのは自分のための言動で、共感を得ることが多いのは他人のための言動ではないかと私は思います。
目的を考えてみる。
今回のそれぞれの知事さんの言動が、誰のため・何のための要請だったかと考えてみる。自分のための行動は反感を買いやすく、他人のための行動は共感を得やすい・・・。覚えておいてもよさそうです。
そんな視点で物事を見るようになると、少なくともあまり反感を買わないようにできるのではないか

新型コロナウイルスの対応でみんなが疲れてきているのでしょう。余裕がなくなってしまって自分のことばかり考えるようになる人が増えてくると思います。
非常事態にこそ人の本質が問われると思います。どんな時にでも人への配慮ができるような人間になりたいですね。日々努力はしていますがなかなか難しいです。これからもそうなれるように努力していきたいと思います。