知識不足から病気になる話

知識不足から病気になるといっても今回の話の中心は、糖質の知識不足により2型糖尿病になる話(参考:2型糖尿病が治癒?糖質回避)や塩分の摂り過ぎ、水分不足から病気になるという話ではありません。

古くは毒キノコを食べてしまって命を落とした人もいるでしょうし、毒があることを知らずに河豚を食べて死んでしまった人もいるでしょう。これらも知識不足による病気ですが、今回話の中心にするのはかつて日本軍で実際に起こった、知識不足から何万人もの命が失われた悲劇について書いてみたいと思います。ある1人の男の判断ミス・思い込みにより大勢の命が奪われてしまいました。ただ当時はわからないことではあったため、間違っていたことを責めることは出来ません。そのためあえて名前は書かないことにします。興味があれば調べてみて下さい。多くの方が一度は聞いたことのある名前だと思います。

脚気

明治維新後の日本では脚気に悩まされていました。ビタミンB1が不足した結果発症することがわかっている今では考えられないことですが、年間数千人から一万人をこえる程の大勢の死者が出ていました。(参考:ウィキペディア「日本の脚気史」)

食事で死者が出る。食べる物が無い餓死であれば容易に理解できますが、しっかりと食べているにも関わらず病気になってしまって人によっては死んでしまうことは理解し難いことでした。しかも徴兵検査をクリアした屈強な男たちが原因不明のまま病気になり死んでいくのですから、その当時の恐怖は計り知れないものがあったと思います。

当時はビタミンが発見されておらず、食事はエネルギーが足りていれば、問題ないと考えられていました。ビタミンという知識不足から死者が出ていたのです。

原因が全く不明のため感染症が疑われていた程です。

陸軍と海軍の違い

同じ軍隊でも海軍と陸軍では対応が違いました。海軍ではイギリス由来の疫学の知恵から食事が原因である可能性を突き止めました。そこで船毎に食事を変えてみたのです。一方は白米を中心とした日本食、一方は洋食に。結果日本食の船では脚気が多数見られたのに対して、洋食ではごく軽度の脚気のみでした。このことから少なくとも日本食に問題があると考えられました。麦飯にすると脚気に罹患する人数が激減しました。

残念なのが陸軍です。海軍が食事の変更により脚気を克服したにも関わらず、陸軍は頑なに白米の食事を変更しなかったそうです。ある軍医が白米信奉者で白米にこだわり続けた結果の悲劇のようです。兵士から麦飯の支給の要望があったにも関わらず、その軍医が死ぬまで白米が支給され続けたそうです。結局海軍に遅れること30年を経て、ようやく陸軍でも麦飯が支給されるようになったそうです。これは私の想像の域を出ませんが、陸軍の軍医が白米信奉者といっても過言ではない程白米にこだわったのは、糖質依存だったからなのかもしれません。軍医自身が依存に陥っているため、依存対象に対して冷静で客観的な判断が出来ず、悲劇を生んだのかもしれません。ニコチン依存の人がタバコの是非を語れないことや、アルコール依存の人がアルコールの是非を語れないことと同じです。

海軍のように合理的に考えることが出来れば、知識不足による病気で死者を出さずに済んだと私は思います。少なくとも減らすことは出来たでしょう。海軍はイギリス医学の考え方で病気の病態の解明よりも疫学から病気を避けることに主眼を置いていました。陸軍はドイツ医学の考え方でまず病気の病態の解明が必要だと考える傾向にあったそうです。病態が解明されるまで治療は出来ないし避けることは出来ないという考え方です。合理的なのは病気の病態の解明はさておき、疫学から病気を避ける理屈を探す考え方です。

これらのエピソードから学ぶこと

これらのエピソードから学ぶことで、その後の医学が発展すると私は思います。

海軍と陸軍の大きな違いは実際に試してみたか、頭から否定して試して見なかったかです。つまり陸軍も否定するために食べ比べの実験をしてみれば良かったのではないかと思います。根拠なく主張するのではなく、食事が原因ではないと否定するために実際に実験して確かめれば、良いだけの話だったのです。

物事をどのように思うかはその人の自由です。しかし人に影響を与える判断をする人は、事実に基づいて客観的に判断するべきだったと私は思います。

本当の賢さは間違いを認める勇気を持つことだと私は思います。脚気が細菌感染によるものだと考えていたとしても、簡単に確かめることが出来るのであればまずやってみることです。実は細菌ではなくて食事だという結果が出てしまうことで自分の間違いを認めることが怖くて、実験出来なかったのではないかと思います。もしくは根拠はないものの、食事が原因などありえないと思い込んでいる結果実験を行う発想すらなかったのかもしれません。本来であればリスクを伴わない実験であれば、積極的にやるべきにもかかわらずです。客観的に考えれば、リスクを伴わないにもかかわらず実験を行わない目的は、自分の間違いを認めたくないことではないかと思います。

頭だけで物事を考える人は、頭は良いのかもしれませんが、想像をこえる事実の前では無力です。つまり実際の実験の事実を前には、頭で考えたことなど全く意味がありません。

私が何人かの医者と糖質など食事と病気の関係を話をしても、頭から否定する人が多くて辟易しました。何故ならこちらは実際の事実を元に話をしているにもかかわらず、実際に実験もせずに否定し喧嘩をする勢いで詰め寄ってくる医者がいたからです。今の医者を眺めると、多くの医者が病態が解明されるまで治療は出来ないと考えているように思えます。病気は医者が薬や手術などで治すものと思い込んでいる人もいるでしょう。

陸軍の軍医のように頭だけで考えて、実際に確かめることをしないことが無いようにしたいものです。

現在でも実際に確かめようとはしない医者が多いのは、100年前と大して変わっていないのかもしれません。しかし100年前と大きく違うのは、広く情報を広めることの出来るインターネットがあることです。

21世紀にもなって知識不足から病気になっているなど、患者さん達はもちろん多くの医者も夢にも思ってはいないでしょう。

糖質の食べ方で病気になりますし、ビタミンやミネラル不足でも病気になります。

このサイトが正しい知識を広める一助になることを祈っています。

かつての海軍ゆかりの地である呉から情報発信するのも、何かの縁ではないかと思っています。

臭い匂いに慣れる仕組みとその理由と目的

人間には臭い匂いに慣れる仕組みがあります。その理由と目的を考えてみます。
臭い匂いに慣れる仕組みは、一言でいえば匂いの0点設定をするようなものです。その時点の長く続いている匂いを0とする仕組みのようです。これは自分自身の匂いが臭いか臭くないか判断が出来ないことと似ています。自分自身の匂いを臭いと感じ続けていると、他の匂いを感じることができなくなってしまうからです。仕組みとしては人が物事に飽きる仕組みと同じような仕組みが働いていることが考えられます。同じ刺激が繰り返されると匂いを感じることに飽きてしまうのかもしれません。新しい匂いには比較的反応するものの、強烈であっても同じ匂いが継続されていると匂いを感じにくくなる仕組みのようです。

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臭い匂いに慣れる理由は、自分の匂いを臭いと感じてしまうと他の匂いがマスクされてしまうからです。意味ある臭い匂いなのか、元々の匂いなのかわからなくなってしまうことを避けるために元々の匂いは感じなくするような仕組みが備わっているようです。いわば雑音なのか意味のある音なのかわからなくなるため、元々ある音を雑音としてカットするようなものです。

人間が目的をもってわざわざ匂いを感じ取る感覚を身につけた訳ではないとは思いますが、臭い匂いに慣れる目的は匂いの変化を鋭敏に感じ取るためです。臭い匂いを感じ続けてしまうと他のかすかな匂いの変化を感じ取ることが出来ないのです。臭い匂いに慣れる仕組みがあれば、臭い匂いを感じなくなるためかすかな匂いの変化を感じ取ることができるようになります。

自然淘汰の歴史においては臭い匂いに慣れることのできなかった人類の祖先は、かすかな匂いの変化に気付くことができず淘汰されてしまったのでしょう。

ヒトは争いを避けるために白目を獲得

以前は現代人が近視に陥る理由を書きましたが、今回は人類が白目を獲得した話です。ヒトは争いを避けるために白目を獲得しました。

争う為には白目がない方が有利です。その証拠にゴリラは白目部分も黒っぽく黒目と白目の境界が曖昧です。これは争う際に視線の方向を察知されると不利になったため、白目がはっきりしているゴリラは自然淘汰され子孫が残らなかったためだと考えられています。

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ヒトはゴリラ程争うことをしないため白目がはっきりしていても不利にならなかったようです。そして同じものに興味を持つことで仲間意識を持ち争いを避けるために白目がはっきりしたようです。つまり争いを避け仲良くするために白目がはっきりしているのです。

このことは遺伝的に考えれば人間は仲良く出来ることを運命づけられているといえるのではないでしょうか?
まだその仲良くする方法を見つけることができていないだけであってほしいと思います。白目は近い将来争いのない世界を作ることができることを示唆していると私は信じたいと思います。

1歳の子供でさえ、人の視線の先を見る癖があります。こうして人の興味あるものに自分も興味をもつようにして、争いを避けることを学んでいくのです。

人類は地球に生命が誕生してから何億年もの集大成のような状態だと私は考えています。様々な環境における自然淘汰の結果、人類に白目があるということは、最終的には争いを失くせると進化の歴史が教えてくれていると私は感じています。
私たちが生きている間に争いのない世界が実現するといいですね。

現代人が近視になる理由(仮説)の状況証拠

以前現代人が近視になる理由ということを書きました。
その状況証拠が日経サイエンス2016年8月号のp81『近視が増える』にのっていました。この記事ではデータだけ掲載され理由は仮説すらありません。この記事によると

近視は遺伝ではない。
毎日40分多く屋外で過ごした子供は対照群よりも禁止になりにくかった

この記事では行動の違いにより近視になる確率が変わることから、遺伝ではないことが示されています。そして今は視力矯正が必要な人が約4分の1ですが、このままの推移でいくと近視の人が2050年には約半数の人が視力矯正が必要になるとしています。

私が考えた仮説は近くを見るから近視になるのではなく、眼球を動かさないことで近視になります。その根拠は眼球を取り巻く筋肉の発達が妨げられ筋肉で締め付けられないため眼球が大きくなることで焦点距離が長くなります。結果として近視になってしまうのです。逆に私の仮説によると眼球を動かすことで近視が予防できると予測できます。その予測通りの結果が掲載されていることから、私の仮説が正しい状況証拠と考えられます。

私の仮説によると屋外で過ごすことが近視になりにくい理由ではなく、目を動かすことが眼球を取り巻く筋肉の発達を促し、眼球を締め付けることで眼球の成長を妨げるため焦点距離が伸びないことです。

近視を予防するためには眼球を動かすことで眼球周囲の筋肉を鍛える必要があると思います。何らかの手だてがありそうですね。

現代人が近眼になる理由(仮説)

現代人が近眼になる理由を見つけました。まだ仮説に過ぎませんが、恐らく間違いないと思います。

今でも大自然に住む人たちの中には視力が6.0と驚異的な目の持ち主もいます。いつも遠くを見るからだと解釈されていますが、私は別の合理的な理由を見つけました。その反対の行動を取る現代人の視力が悪くなる理由もわかりました。

理由は眼球を取り囲む筋肉の違いです。大自然で生活する人は眼球を取り囲む筋肉が発達するため、眼球が小さくなり焦点(ピント)が遠くで合うようになります。大自然の中で生活していることで、命の危険を避けるために動物や敵に襲われないように絶えず目を動かして注意を払う必要があったのです。恐らく人類の進化の歴史において、眼球は眼球を取り囲む筋肉に押し潰されないように出来る限り大きくなるように進化したのだと思います。

一方現代人は治安にもよりますが、命を守るために絶えず目を動かすことはほとんどありません。むしろ本やテレビ、スマホなどを注視することも多く、目を動かすことはほとんどありません。眼球を取り囲む筋肉が眼球を締め付けることがないため眼球が膨らんでしまうため、焦点距離が長くなるため近視になってしまうのです。

近視を治すという眼球運動を勧める人もいますが、眼球を取り囲む筋肉を鍛えて眼球を縮めることで近視を治すようです。恐らく眼球が大きく成長する小学生くらいなら、眼球の増大を抑えるために眼球周囲の筋肉を鍛える『意味』があると思います。

テレビや本を読むから目が悪くなると考えるのは、あながち間違ってはいないようです。ただし焦点が近いから近視になる訳ではなく、眼球運動が少ないことで眼球周囲の筋肉が少なく眼球が大きくなることが原因のようです。ご参考まで

進化とは生き残った環境を知る手がかり

進化とは生き残る確率が高まる形質のことで、生き残った結果を進化として認識します。そのため
逆に考えれば何十億年もの進化の結果残っている形質は、様々な環境において生き残るために有利に働いたはずです。不利な形質は淘汰されるからです。
しかしその形質が未来永劫生き残るために、有利に働くとは限りません。何故なら環境は絶えず変化しているからです。その環境では偶々生き残るために有利に働いて生き残ることが出来ても、環境が変われば不利になるかもしれません。

人間の体毛

例えばお猿さんから進化した人類は、暑さ対策に体毛を産毛に変化させました。体毛を産毛にすることが出来た者だけが生き残ることが出来たのでしょう。体毛か産毛になった者は、放熱に適し長時間の連続した移動が可能だったはずです。このことが食料の確保に直結したのではないでしょうか?しかし氷河期に突入すると一転し、体毛が無いことは非常に不利に働きました。衣服を身にまとう知恵が無ければ、暑い時期には有利に働いた体毛がないことで間違いなく人類は淘汰されていたことでしょう。

ちなみに頭髪が伸び続けるのは絶えず刺激を受ける頭を守るために伸びるのではないかと思います。硬いものを噛み続けるげっ歯類の歯が伸び続けるのと同じ理屈です。

進化から生き抜いた環境を見極める

現在持っている形質は何らかの進化(様々な環境において生き残るために有利に働いた形質)の結果なのです。逆に考えると進化の起こりえた環境を逆算することが出来ます。進化とは、ある環境において生存率が変わる形質のことですから、その環境を想像することが出来るのです。例えば副鼻腔の存在理由ですが、頭部に衝撃を受ける機会が多く、脳を守るためのバンパーだったはずです。今では想像がつかない程、頭部に外傷を受ける機会が多く、副鼻腔の有無が生死を分けたのでしょう。今からでは想像しにくくなったのは、剣や銃が発明されたからです。剣や銃では副鼻腔の有無にかかわらず脳にダメージを与えてしまうため、副鼻腔が意味をなさなくなってしまったのです。現代の兵器が強力になり過ぎて、副鼻腔では脳へのダメージを防ぐことが出来なくなってしいました。そのため本来の目的に思い至ることが出来ないのです。副鼻腔は存在するのですから、存在した方が有利な環境を生き抜いたのです。そしてその後副鼻腔が存在しない方が有利な環境は無かったということがわかります。

生き抜いた環境の見極め方

現在の形質から生き抜いた環境の見極め方を考えてみます。現在の形質とは備えている能力のことです。個体差はありますが種として持ち合わせている能力は、何らかの進化の過程で自然淘汰を生き抜いた環境により選ばれたものです。

その生き抜いた環境と形質の考え方は、その形質の有無により生き残る確率が変わる環境を考えてみることです。暑かったのか寒かったのか、敵が多かったのか食料が少なかったのかなど様々な環境を考えてみます。その上で生死を分ける環境や状況があれば、その環境や状況を生き抜いたのでしょう。その形質の有無が生死を分ける環境を想像してみましょう。

例えば黒人と白人の違いは、色素細胞の働き方の違いです。色素細胞は紫外線を遮るために存在します。色素細胞が働く方が生存に有利なのは紫外線が強い地域です。人類はアフリカで生まれたらしいので色素細胞が働くのが基本だったはずです。では白人は色素細胞の働きを抑えていますが、色素細胞が働かない方が生存に有利な環境を考えてみます。紫外線が弱い地域に住むことで紫外線から身を守る必要がなくなったのです。ただしそれだけであれば白くなる必要はありません。日本人のように黄色人種程度の色合いで良いはずです。肌が白い方が生存に有利な環境があるはずです。人は紫外線に当たることでビタミンDを作り出すことが出来ます。紫外線に当たらないことでビタミンDの違いが出たのでしょう。出来るだけ紫外線に当たる方が生存に有利な程紫外線の弱い地域で生活したことを意味します。紫外線により多く当たる方が生存に有利なため、色素細胞を働かないように進化した人だけが子孫を残すことが出来たのです。

腋毛や陰毛も存在するのですから、かつて命に関わった存在理由があるはずです。このことは改めて書いてみたいと思います。良かったら考えてみてください。