人は皆常識の扱い方を間違っているかも知れません。
常識は絶対正しいものであり、疑う余地は無いと思い込んでいます。
常識は文明社会で人々がお互い快適に過ごすためにありますが、無駄なことを考えないように能力を節約する役目もあります。
常識に外れた事はありえないことであり、考える必要がないと速やかに判断するように常識を活用しているのです。
常識は疑う余地のないものとして聖域化し、常識と照らし合わせて受け入れがたければ、あり得ないとして拒絶してしまいます。
あくまでもそれまでの当たり前であって未来永劫正しいことが保証されているわけではありません。保証されてはいませんが、疑う必要のない正しいものという錯覚に陥っているのです。
新しい事実が出てくれば、常識は簡単に覆るのですが、それこそ常識が邪魔をして感覚的に理解しがたいのです。
常識を覆すかも知れない、俄かには信じがたい話の判断にこれまでの常識は通用しません。判断材料になりえないのです。
常識はこれまでの常識であって、これからも常識であり続けるかどうかはわかりません。常識は絶対正しいと扱うことが間違いなのです。
常識だと思っていることが、いつ変わるのかは誰にもわかりません。理解に合う正しいことを思いついて、それが広まれば新しい常識が誕生するのです。
正しいことは多数決では決まるわけではありません。様々な状況にも矛盾しないことで証明されていくのです。