自分の姿の確認手段は鏡です。
鏡が発明されるまでは水面に映った自分の姿を確認するしか方法がありませんでした。鏡が発明されたことで自分の姿形を確認することが容易となりました。
今でもわざわざ自分の背中を鏡に映してまで見た人まで少ないのではないかと思います。
自分の心はどうやって確認すれば良いのでしょうか?
機械などで客観的に調べることのできる時代が将来来るかも知れませんが、今のところ機械で心をうつすのは困難です。
自分の心をうつすことが出来る鏡の役割をしてくれるのは、無垢な子供だと思います。優しく接すれば優しい子供になり、意地悪に接すれば意地悪な子供になります。
子供がワガママだと感じれば自分がワガママなのでは無いでしょうか?
子供は自分の心をうつす鏡。そんな心構えになれば子供を怒るのは自分を怒るのと同じです。怒る必要はありません。自分の心をうつしているだけなのですから。怒らず自分の心の中の改めるところを探すのです。
もしくは何かを子供に伝え忘れているのです。自分では当たり前過ぎて、子供も知っているはずだとして伝え忘れたことを気付かせてくれる自分の心の鏡だと思うと、腹も立たないはずです。
何しろ鏡の中の自分に怒っても意味がないですよね。自分の心をうつしている子供を怒るのも同じです。
子供を怒るのは自分自身を怒るのと同じです。