人は勘違いの生き物である

人は勘違いの生き物です。
そして勘違いは人から指摘されるか失敗しないと気づくことはできません。
勘違いというのは当たり前だと思い込んでいるため、わざわざ勘違いしていないかを確認しないのが特徴です。

身近な勘違いの一例は、方言です。
全国共通の標準語だと思い込んでいると、方言かもしれないという視点に立てないため修正する機会がありません。他の地方の方とお話すると会話が成立しないことで初めて方言だったと気づくことはよくあることです。

周囲から見ると明らかに勘違いしていても、自分に害が及ばない限り周囲の人達もわざわざ指摘したりしません。何故なら指摘すると相手が嫌な思いをして、せっかく教えてあげても逆に攻撃される可能性があるからです。知らぬが仏という諺もありますので、もしかしたら勘違いしたままの方が幸せな場合もあるかもしれません。

人は誰でも勘違いしています。
全てのことを勘違いせず理解している人など存在しないと私は思います。(もしかしたら存在するのかもしれませんが、私は会ったことはありません)

勘違いの厄介なところは、完全に思い込んでいるため勘違いを指摘されてもなかなか理解できないことです。方言であっても、一人から指摘されたところですぐに理解出来る人は少ないと思います。他の人にも聞いて初めてもしかして方言かもしれないと理解し始めます。大して害のない方言ですら、勘違い・思い込みが激しければ激しい程理解しにくいことです。
ましてや仕事や将来にも関わる勘違いであれば、指摘されてもなかなか理解できないのも仕方がないのかもしれません。

勘違いが起こす心理学

他にも勘違いから引き起こされる心理も多くあります。
例えば嫉妬です。
相手と同じはずだという勘違いから、同じはずなのに差がつくことを許しがたいため嫉妬するのです。明らかに努力が異なっているにも関わらず、例えば同級生とかチームメイトなど同じ部分のみに注目して相手と同じはずだという勘違いから嫉妬するのです。異なるということがわかっていれば嫉妬などするはずがありません。空を飛べる鳥がいいなと思うことがあっても、鳥に対して嫉妬する人はまずいません(いるとすればそれは心の病だと思います)
例えば嘘つきです。
嘘をついても大丈夫という勘違いから、平気で嘘をつくのです。嘘をついても誰からも指摘されなければ、嘘が本当だと錯覚してしまうのです(参考文献:自分のついた噓を真実だと思い込む人 (朝日新書))。嘘つきは泥棒の始まりとはよく言ったもので、嘘が平気になると自分の物と人の物との区別が曖昧になってしまいます。嘘つきは人の物を盗ってはいけないという人として当たり前の常識も嘘をついても大丈夫という勘違いで誤魔化してしまうので、人の物を盗るのが平気になってしまうようです。
例えば何でも人のせいにする人です。
自分の責任の訳がないと勘違いしているので、何でも人のせいにしてしまいます。典型的な言い訳人間だと思います。完全に思い込んでいるので、人のせいにしていることを自分自身では理解できません。人から指摘されても人のせいや言い訳を始めます。

大きな勘違い

人類が陥っている大きな勘違いがあります。
それは糖質・炭水化物の扱いです。
人類の歴史において人類の発展に大きく寄与したのは間違いありません。
糖質・炭水化物の代表である穀物のおかげで、人類はこれほど繁栄することができました。
特に日本では江戸時代には給料がお米という穀物で払われるという特殊な歴史があります。そのためか日本人にとってお米に対する思い入れが強く残っているようです。
人類の発展に穀物が寄与した理由は、増殖性・保存性などです。
栄養学も大きな勘違いをおかしてしまいました。栄養学が始まった時点で食べていた糖質が間違っているはずがないという勘違いの元、糖質を食べることが当たり前として栄養学に組み入れられたのです。
勘違いは人から指摘されるか、失敗しない限りわからないのは先述の通りです。
失敗とは糖質による様々な害のことです。害があるのですから闇雲に糖質を食べ続けるのは得策ではありません。得策ではありませんが、糖質である主食を食べるのが当たり前という勘違いを多くの方がしています。勘違いが強ければ強い程、激しければ激しい程糖質を食べないという選択肢を選ぶことが困難になるようです。更に糖質に対する思い入れは糖質依存という心理によって増強している人が大勢います。この糖質依存が糖質に対する勘違いの元凶と言っても過言ではありません。糖質に対する認識を誤らせてしまうのです。

まだ多くの人達は勘違いしたままですが、大半の人達がこの勘違いに気づいた際には糖質革命とでも言うべき大変革が起ると私は予想しています。

勘違いからの脱出法

勘違いから抜けだすのは用意ではありません。何しろ勘違いしている自覚はないのですから。まず何事も勘違いかもしれないという自覚をもつことです。絶対と言い切れないことであれば(場合によっては絶対だと考えていても)、間違いかもしれないという視点を持つことです。
以前書いた常識革命のやり方も有効かもしれません。
とにかく何事も正しいかどうかを疑うことです。この何事も正しいかどうかを疑うことをしていれば、人に嘘をつかれたり騙される確率はぐっと減ります。絶えず疑うために頭を使うことで、正しい知識を身につける確率が上がると思います。
正しいかどうか疑いがあれば、納得できるまで詳しく調べてみることをお勧めします。

このサイトで何度も書いている糖質の害が本当かどうか、ご自身で考えてみるのは勘違いからの脱出法を試す良い一例だと思います。
良かったらお試し下さい。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。