遊ぶと遊ばされるには違いがあります。
人は遊んでいるつもりで遊ばされれています。
遊ぶ
遊ぶとは自分の意思で行動を考えて楽しむことです。遊び本来の目的である頭の使い方、考え方を学び、他人と意思の疎通をはかり関係を築くことが出来ます。工夫次第で無限の遊び方を作り出せますが、遊びを自分で考える必要があります。慣れると簡単なのですが、遊びを自分で考えたことが無いと困ります。実際には0歳の赤ちゃんでも遊びを考えるので、正確な表現ではありません。遊びを考えることは誰でも小さい頃にらやっていたのですが、遊ばされていると遊びを考えることが出来なくなるようです。
人間には物事に飽きる仕組みが備わっているので、自分で考えて遊んでいると飽きてしまいます。飽きてくると自分で楽しめるように、遊び方を工夫して飽きることを避けることが出来ます。工夫しつくすと全く別の遊びを考えるようになります。
遊ぶことで様々なことを学ぶことが出来ます。何を使って遊ぶのか、ルールを考え、何に喜びを見いだすことが出来るか無から考えるのです。正に「0から思考」のトレーニングになるのです。しかも楽しめるように考えるので、遊びを考えるところから楽しむことが出来、大きな満足感が得られます。
遊ばされる
遊ばされるとは人に遊び方を決めてもらい、その遊び方に従って遊ぶことです。他人に遊び方を決めてもらうことを遊ばされると表現しています。他人に遊び方を決めてもらうので自分で考える必要がないので楽です。そしてお金を出してでも遊んでもらえるように、楽しんでもらえる仕組みを作り上げています。決められた遊び方しか許されないので自分で工夫することが出来ず、遊び方に変化がありません。そのため飽きないように(お金を出し続けてもあえるように)前もって飽きない仕組みを考えてあるのです。
遊ばされる具体例は、ゲームであったり、テーマパークであったりします。確かに楽しい仕組みが散りばめられているので、楽しませてもらうことが出来ます。これらの楽しませる目的がお金なので、遊ぶことで得られるものはありません。楽しかったという思い出だけです。お金を払うことで楽しい時間を買う感覚です。もしくは暇な時間をお金を払うことで楽しく埋めてもらう感覚かもしれません。
確かに遊ばされるのも楽しくはありますが、一度立ち止まってその意味を考えてみると良いかもしれません。
遊ぶと遊ばされるの違い
遊ぶとは自分で考えて行動することで、遊ばされるとは人が考えて行動させてもらうことです。つまり考えている人が違います。どちらが楽しいかは人それぞれです。
丁度「制限」と「回避」という言葉の違いに似ています。人に決めてもらう「制限」と自分で決める「回避」です。糖質は制限されらものではなく、自分の意思で回避する糖質回避という考え方が適していると思います。これもどちらを選ぶのか人それぞれです。
私は自分で考えて行動する方が楽しく感じますが、いかがでしょうか?