事あるごとことに次々不安を口にする人がいます。
今日は次々不安を口にする人の心理を考えてみます。人の行動には必ず目的があります(アドラーの心理学、目的論)。不安を口にする人にも目的があるのです。その目的とは不安を理由に人を自分の思い通り動かすことです。あるいは自分の思い通りに人を振り回すことです。本人は不安を訴える目的を意識・自覚していないことが多いことが問題を複雑にします。
多くの人は不安を口にされると、不安だから仕方がないと受け止めてくれます。その相手を思いやる心につけ込むのです。次々不安を口にする人の目的は、相手に不安だから仕方ないと思わせることなのです。更に深い目的があります。その目的を考えてみます。
不安だから私の話を聞いてとか、不安だから私の言うことを聞いてとか、不安だから私は安心させるように行動してと暗に求めているのです。不安を言い訳に直接こうしてと行動を求めることもありますが、多く場合は不安を口にすることで相手を自分の目的に沿った行動を取るように、自然に仕向ける目的があるのです。直接行動を求めない場合、自分は不安を訴えただけで相手が勝手に行動したと都合良く考えています。つまり自分が不安を口にすることで相手を動かしていることを意識してはいないのです。いわば無意識の内に不安を言い訳にして人を振り回しているのです。不安を口にすることで周囲の人達が世話を焼いて不安の元を解決してくれることがあるので、駄目元で不安を口にする癖がついているのです。
不安を言い訳にして直接行動求める人は、ある程度人を振り回している自覚があります。何故なら自分が行動を求めているからです。しかし直接行動求めようとしない人は、これまで不安を口にするだけで周りがその心情を斟酌することで不安を口にした人の思い通りに動いていたのです。不安を口にすることで人を操ることを成功体験として何度も経験したことにより、不安を口にするだけで魔法使いのように周囲の人達を動かす事に慣れてしまっているのです。
普通の人は不安を感じた場合には他人に口にする前に、出来るだけ不安を解消できるように自分で出来る範囲で準備や対策をします。わざわざ他人に不安を口にするのは他人に対策をとってほしい目的があるのです。
不安は誰にでもあります。具体的にはいつ地震が襲ってくるか分かりませんし、いつ交通事故にあうかもわかりません。不安の種をあげればキリがないでしょう。かといって交通事故に遭うことが不安だから外に出ないといったところで誰も共感はしてくれないでしょう。アドラーの心理学によると不安により行動できないのではなく、行動したくないことが先にあり、不安を行動しない言い訳に利用しているに過ぎないそうです。
不安により行動が左右されるのではなく、不安は行動の言い訳として利用しているに過ぎないのです。
逆に何らかの目的があれば人は不満をいくらでも作り出すのです。不安を作り出す目的とは、人に相手にしてもらうことです。不安を口にすると相手にしてもらえる、親身になって話を聞いてもらえることを成功体験として経験していると、仕切りと不安を口にするのです。不安を口にしても相手にしてもらえないと不安を口にしなくなります。人によっては不安を口にしても親身になってもらえないだけで相手に敵意を抱く場合すらあります。これだけ不安で悩んでいるのにわかってくれないなんてひどいと言う具合に相手に敵意を抱いてしまうのです。
不安の解消はその人の問題です。不安の解消の手助けはできたとしても、最終的に不安を解消できるかどうかは、不安を感じる人自身の問題なのです。なぜなら不安はいくらでも生み出せるからです。不安を訴える目的が話を聞いてもらうことであれば、1つの不安を解消したとしても、次の不安を訴えるのです。
次々不安を訴える人は、不安を訴えること自体が目的であって、そもそも不安の解消が目的では無いのだと思います。そして次々不安を訴える人自身が何故不安に感じるのかを理解出来ていないのです。何故なら人はなかなか客観視出来ないからです。
次々不安を訴える人の対策は、課題の分離を提案することです。課題の分離とは誰が困る問題か明確にし、他人の問題には口出ししないことです。そして不安の解消は他人には出来ないことを伝えてあげることです。不安を言い訳に行動を変えないように提案してあげることです。決して不安の解消を請け負わないことをお勧めします。何故なら不安の解消を請け負うと、相手の目的を達成するまで延々と振り回されてしまうからです。