人は自分のことが全てわかった気でいます。何故なら自分のことだからです。自分のことだけに、全てを正確に理解していると誤解・錯覚をしているのです。私を含めすべての人が正確に自分のことを理解することができません。なぜなら自分自身の考え方を切り離して客観的に見る方法がないからです。
自分自身のことがわからないのは、姿かたちのことを考えるとわかります。他人は自分自身のことを直接見ることが出来ますから知っています。しかし自分自身はわかっているようで直接見ることは出来ないのです。鏡を使うことで初めて自分自身を見ることが出来るのです。自分自身のことがわかっているつもりでも、鏡を見なければ自分自身の姿かたちを理解出来ないのです。姿かたちであれば、鏡を使うことで客観的に見ることができます。逆に鏡など道具を使わなければ、自分自身を直接見ることは絶対に出来ないのです。
姿かたちに関しては鏡を使うことで客観的な視点を持つことが出来ます。もし鏡など自分の姿を見ることの出来ない世界であれば、誰か別の人に自分を見てもらい、教えてもらうしかないのです。顔にご飯粒がついていないか、髪の毛が跳ねていないか、髭が残っていないか、お化粧がおかしくないかなどです。
残念ながら人格・人間性に関しては、鏡のような客観的に自分を眺める手段が今の所ありません。あえて客観的に自分自身のことを見ることを試してみるとすれば、自分の行動をビデオに撮って見て見ることぐらいしかできないでしょう。多くの場合鏡のように客観視する適切な方法がないため、他人の主観による評価により行動を修正するしかないのです。教えてくれた人の主観が歪んでいれば、 修正したつもりが更に悪化してしまうことになります。
そして大人になれば、行動が明らかに間違っていたとしても誰も訂正してくれなくなります。間違った行動が法に触れていれば、警察に捕まり罰せられる事はあるかもしれませんが、行動が法に触れていなければ倫理上の問題でモラルの低い人と周囲の人達に評価されるだけなのです。しかも本人が間違っていることを知らず正しいと信じ込んでいれば、間違っていることすら理解できないのです。間違っていると知らないまま一生過ごすことになるのです。
兎に角自分自身が絶対に正しいと思い込んでいる人は、間違いを指摘されても理解出来ません。ちょうど3歳児くらいの思考レベルと同じだと仮定してみると、行動や考え方が理解しやすいと思います。人は誰でも3歳くらいまでは自分が絶対正しく、やりたいことが全て出来る万能感を持っています。多くの人は他人の評価を受け入れ、行動を修正しますが、ごく稀に3歳児の万能感を抱いたまま大人になってしまう人がいるのです。人に間違いを指摘されても、自分は絶対正しいので、相手が間違っていると言い訳して行動を変えないままに大人になってしまうのです。
人は自分では自分のことがわかりません。人に教えてもらわなければ自分のことはわからないのです。一人の人から教えてもらうのでは、その一人の人の考え方・評価が正しいとは限りません。考え方が歪んでいるかもしれないのです。洗脳され突飛な行動を取る人がいるのは、洗脳者を正しいと思い込んでしまい、一人の人に行動が左右されてしまうからです。
自分のことを客観視する適切な方法が発明されるまでは、多くの人の意見を参考にして自分自身の行動を修正するしかないのです。だから友達は多い方が良いのだと思います。
姿かたちを客観的に見せてくれる鏡のように、自分自身を客観的に評価してくれるのは素直な子供の心しかないのかもしれません。だから子育てをすると、自分自身では気付くことの出来なかった自分のことを気付くきっかけが得られるのかもしれません。もしかしたら子供は大人の心をうつし出す鏡なのかもしれません。子供に腹が立ったら、それは自分の行動を子供が自分なりに解釈して真似をしているだけかもしれないのです。