最低賃金を1500円に上がるためのデモ行進が行われたそうです。様々な視点から賛否両論の議論が起こっているようです。私は最低賃金が1500円になったら大変だろうなと思います。経営者も大変ですが、労働者の方が更に大変です。その内容を説明したいと思います。
デモに参加した人は最低賃金が時給1500円になれば、自分も時給1500円になると思ってデモに参加しているのでしょう。万が一最低賃金時給1500円が実現した場合、残念ながら3人でしていた仕事を2人でこなすことになります。下手をすると1人でこなすことになるのです。つまり3人に1人か2人は仕事に就くことが出来なくなる世の中がやってくるのです。当然今のままでは1人でこなすことの出来る仕事量は限りがあるので、機械の助けを借りて生産性を上げることになります。逆に考えれば、時給1500円支払う価値のある生産性の高い人だけが雇われて、時給1000円相当の生産性の人は雇ってもらえない世の中になるだけです。
経営者はお金を支払う側ですから、そのことを今でも当たり前に認識しています。しかし労働者にはお金を支払う側の視点がないため、高い賃金を支払う必要があれば支払わなくて済む方法を模索するという視点が抜け落ちているのです。
時給1500円で1人雇うより、代わりに機械に出来る作業は任せてしまうことを考えます。機械であれば文句も言わずミスもありません。今のところ機械には代わりが出来ない仕事をしているとしても、最低賃金が高くなるのであれば機械化される圧力が高まります。開発費をかけたとしても機械に任せる方がトータルとして安上がりなのです。
自分の賃金を上げる目的であれば、デモなど参加せず雇用者に賃上げ交渉を求めるべきです。雇用主や上司に対して賃上げ交渉が出来ないからと言って最低賃金を上げることで、自分の賃金を上げようと考えるのは世の中の仕組みを捉え違えていると私は思います。暗に自分の能力では賃上げしていないことを理解した上で収入を増やそうと考えているようにも思えますが、残念ながら直接交渉できる程度の能力を持ち合わせていなければ、万が一最低賃金が1500円になった場合には仕事をさせてもらえなくなる可能性が高いと思います。
最低賃金を1500円に上げるように要求するよりも、自分自身の生産性を上げるように知恵を働かせて努力する方が理にかなっているように思います。最低賃金で働くのではなく、それ以上の価値を発揮できるようにする視点を持ち合わせることこそが大切なのではないでしょうか?
デモに参加するのも要求するのも自由ですが、最低賃金しかもらえない生産性しか自分にはありませんと周囲にアピールしていることと同じなので、生き方としてはもったいないと私は思います。マーケット感覚を身に着けると視点が変わるかもしれません。(参考文献:マーケット感覚を身につけよう)