争いの避け方を提案したいと思います。
一言で表現すれば同じ土俵に立たないことです。何故なら同じ土俵にたっても争いの判定をしてくれる審判・行司がいてはくれないからです。第三者がいない状態で争っても「善悪の価値観について 」に書いたように、お互いが主観でしか判断出来ないため、何を言われたところで自分が正しいとしか思えないのです。自分の正当性をいくら主張しても、相手も自分が正しいと信じ込んでいるため、通常言葉での勝敗は決まりません。日常生活においては審判・行司がいないため、勝ち負けの判断を自分でするしかありません。しかし誰しも自分が正しいと信じているため、水掛論になるのです。
自信がなければ勝ち負けがはっきりしない同じ土俵で水掛け論をする方が良いかもしれません。自信があれば同じ土俵に立つのではなく、一段上の視点から議論の余地のない理屈を探すのです。
例えば糖質一度に食べ過ぎ症候群という疾患概念を知らない医者から、糖質による病気が信じられないとかありえないと議論を持ちかけられたら、糖質を食べるかどうかを聞くのです。そしてお腹が空くかどうかたずねてみます。お腹が空くと言われれば糖質依存の禁断症状なのですから、依存患者さんと依存対象に対して客観的に話が出来ないので依存から抜け出してからお話ししましょうと投げかけるのです。ちょうどタバコを吸っている人がタバコは身体に害があるとは限らないないと言い張っている人と同じです。タバコという依存対象を客観視できないニコチン中毒の人と、タバコに害について話をしても議論がかみ合わないことと同じです。
他の場合を例えに出せば、街頭演説で野次を飛ばされた場合についてです。
某首相は『こんな人達に負けない』と発言していました。街頭演説に対する野次の是非はともかく、まともに相手にしてしまったなとで同じ土俵に立ったことを露呈しました。私なら『応援ありがとうございます。えっ!応援ではないんですか?応援でもないのにわざわざこの場に来ていただく程気にして頂いてありがとうございます。暑い中ご苦労さまです。』と受け流すのです。
逆に野次を飛ばす立場なら、同じ土俵に立たないために私なら野次を飛ばしたりはしません。演説の周囲を埋めつくす人を集めフラッシュモブを行い、応援している人はいないと無言でアピールします。その後フラッシュモブの動画と共に主義主張をネットに用意しておけば大声を張り上げるより賛同は得られると私は思います。
他の例えであれば議題の理由を話し合うことが多いのですが、私なら目的を話し合います。何故なら理由は自分に都合の良い言い訳をそれなりにすり替えて議論できるからです。目的であればこれからのことなので通常すり替えることが困難だからです。ついでに書けば、目的を口に出来ない人と話し合ってもどうせ議論はかみ合わないからです。
同じ土俵に立たない理屈を考える。
争いを避けるために同じ土俵に立たなくて済む理屈を考えるようにしましょう。
何故なら同じ土俵に立った時点で泥仕合に突入するからです。