そもそも常識とは皆んなが仲良く暮らす為に備わった人類の知恵です。例えば街中を裸で歩かない、人の物は盗らない、列に並んで順番を守るなど当たり前といえば当たり前の行動です。しかしながらその当たり前のことを身につけていない人達が稀にいます。非常識といわれる人達です。
たまに裸で歩き回る人や人の物を盗る人達がいることで、法律として禁止しています。列に並ぶのは法律にしなくても守るのが当たり前なので今のところ法律にはなっていないようですが、列に並ばない人達が増えれば法律で明文化されるかもしれません。
非常識な人は常識という皆んなが仲良く暮らす為の概念がありません。非常識な人は自分が中心で人に合わせるという感覚もありません。自分のことしか考えることが出来ないため、他人は関係ありません。他人がどのように思うか、他人にどのように思われるかを気にする概念もありません。
常識ある人であれば他人から「あなたは非常識だ!」と言われれば自分のどこが非常識なのだろうと、少なからずショックを受けます。それは皆んなと仲良くする常識を持ち合わせていないと言われていることと同義だからです。僅かでも常識を持ち合わせている人は非常識と言われるとダメージを受けるのです。
常識ある人は非常識だと言われるとダメージを受けることを知っているからこそ非常識な行いをした人を責め立てるために「非常識だ!」と非難するのです。
非常識な人に非常識だと非難しても通じない
しかし非常識だと言って相手を非難することに意味があるのは常識を持ち合わせている人同士の場合です。本当に非常識な人は常識という概念そのものがないため、非常識だと言われても理解できません。増してや非難されていることなど理解出来るはずがありません。そもそも常識がないために非常識という言葉・概念そのものが理解出来ないのです。
相手を非常識という言葉で非難したつもりでも、本当に非常識な相手は非常識という概念そのものがないため意味がないのです。
非常識という言葉・概念が通じないのです。
非常識な人の対策
非常識な人は常識の異なる違う宗教を信じている異教徒人だと思うことです。常識という普通の人にとっては当たり前のお互いの共通認識がないため会話が成立しないのです。違う宗教を信じている異教徒だと思えば、腹も立ちませんし、説得しようとも思わないはずです。自分自身が違う宗教に改宗することが容易ではないように、他人の信じている宗教を改宗させることは非常に困難だからです。
非常識な人とは極力接触を避けることが無難ですが、止むを得ず関わる必要があれば相手を最大限尊重しつつ相手が理解出来る落とし所を探すしかないと思います。