人は常識、当たり前に縛られて生きています。
縛っているのは意識していない無意識の自分自身なので、自分で自分を縛り付けて窮屈に生きているようなものです。実際には常識が当たり前なので窮屈という感覚はないと思います。
常識について
ではなぜ人は『常識』という名の当たり前のことを身につけるのでしょうか?
身につけるのが当たり前だから・・・。
あまりに当たり前すぎて、何故『常識』を身につけるのか考えたこともない人も多いと思います。
自分が当たり前に身につけている『常識』を、相手が身につけていないことを『非常識』だとして非難することもあるでしょう。
そもそも子供は『非常識』の塊ですし、放っておくと何をするかわかりません。
文明とかかわりのない生活をしている人にとっては、人と関わらないこと自体が『常識』です。
常識を身につける意味
では何故『常識』を身につけるのでしょうか?
『目的』は二つ考えられます。
- みんなが快適に不快な思いを抱かずに生活できるようにするため
- 限られた人間の判断力を省力化し、速やかに判断を下すため。
常識の使い方
友人とランチを食べることになりました。
ランチしようよと
世間一般の常識的にはランチといえば1000円以下でしょう。
600円~800円がありがちな値段ではないでしょうか?
ワンコインランチ500円というのも探せばあるかもしれません。
一方ホテルのランチであれば3000円~5000円、場合によっては10000円のランチもありえるのではないでしょうか?
しかし特殊な人や特殊な場合を除き、ホテルのランチが通常のランチの選択肢になる人はまずいないと思います。
人とお昼御飯を相談している時にホテルのランチを提案したら『非常識』と言われるでしょう。
それは通常は選択肢になり得ない、常識の枠からはみ出した高額なランチを探しているからです。
本来なら常識とはお互いが当たり前に共有共通しているはずの認識です。
何もホテルのランチが駄目なのではなく、ランチの値段が常識の枠をはみ出しているのです。逆に600円のホテルのランチがあればお得情報として喜ばれるかも知れません(多分そんなホテルのランチはないと思いますが)
常識の存在する目的
お互いが不快な思いをしないためと、無駄な選択をしないための省力化のためです。共通認識がズレていると不快な思いをしたり、あり得ない選択肢を検討するという無駄なことに時間を費やしてしまいます。
常識の存在する意味を改めて考えてみて下さい。
興味があれば常識革命の起こし方をご覧下さい