東京オリンピックのロゴ問題は以前スーパー心理学で考えてみました。最初の記者会見での不自然さと、その後のバッグのデザイン取り下げの顛末について書きました。
今回は最初問題になった東京オリンピックのロゴが取り下げられたことをスーパー心理学で考えてみます。
公表された文面からは東京オリンピックのロゴには問題はないけれども、疑われているので取り下げます。という内容でした。
ここで論理に矛盾があります。やましいところがなければ取り下げる必要はありません。取り下げる必要ないものをわざわざ取り下げるのであれば、何かしらの目的があるはずです。もしくは取り下げざるをえない事情があるかのいずれかです。
取り下げる目的と取り下げざるをえない事情はほぼ同一だと思います。つまり逃げ場が無い状況に追い詰められて、オリンピック委員会から取り下げられると損害賠償請求をされてしまいます。この損害賠償請求を避ける目的で取り下げたのだと思います。もう一つの目的はこれ以上の追及を避ける目的です。
ここで取り下げなければ追及をかわしきれないと覚悟したのだと思います。今なら盗作を認めず取り下げるだけで、辛うじて有耶無耶で終わらせることができる可能性に賭けたのだと思います。
恐らく前回の東京オリンピックの頃の情報伝達速度であれば、ここまで問題は広まらなかったと思います。そしてこれまで他のデザインを参考にしても指摘されたことが無かったので、全く問題無いと誤解してしまったのでしょう。感覚が麻痺してしまっていたので、大舞台でも同じように問題になるとは想像付かなかったのだと思います。その想像をこえたことが起こってしまったので慌てて記者会見を開いたものの取り繕いきれなかったようです。
偽作曲家、偽科学者がチヤホヤされるのですから、偽デザイナーがいてもおかしくはありません。まさかそんなことをする訳がないという選考委員の常識の枠をこえてしまったので、こんなことになりました。偽作曲家、偽科学者の時と同じです。
まだ問題になっていないだけで、偽りで今の地位についている人は他にも大勢いそうですね。
以前も書きましたが、ウソはお猿さんでもつけるのです。ウソを見抜ける人間になりたいものですね。