ある大臣が失言により辞任することになりました。失言する人は悪意を持って言っている訳ではありません。知らないうちに人を傷つけているだけなのです。ただ相手の立場で物事を考える想像力が足らないだけなのです。相手の立場を考えずに話をする人が大臣に選ばれてしまっていることが問題なのです。
失言する人の心理はこれまでも2回ほど書いています。
・人が失言する理由とその対策
・失言から日頃考えていることがわかる
失言が話題になったため検索で閲覧してもらうことが増えています。
例え話に置き換えてみます。失言は知らない間に誰かの大切な花を踏みつけてしまったことに似ています。本人はただ歩いただけで大切な花を踏みつけてしまった自覚は全くありません。その大切さを前もって教えなかった人が悪いとでも思っています。後で踏むつもりはなかった、あるいはわざとではなかったと言い訳することに似ています。下を見ながら注意して歩けば済むだけだったのに、下を見て歩くという注意を怠ったのです。自分には大切な花には見えなくても、誰かにとっては大切な花かもしれないという視点にたって注意して歩く必要があったということです。
失言している人の謝罪
失言する人は失言だという自覚がないので、失言に対して後で確認しても意味がわかりません。失言した自覚がない中でもひどい場合になると、周囲の人達に諭されて謝罪会見は開いたものの、何が問題で失言とされているか理解しないまま謝罪会見をしています。恐らく周囲も失言の意味を理解させないまま、とりあえず誤るように促したのでしょう。本人も悪いことあるいは失敗したという自覚がないため不本意ながら誤るのですから、体裁を取り繕うための謝罪でしかありません。つまり自分たちの言い訳の為の謝罪でしかないのです。決して失言によって不快な思いをされた方に対して謝るという視点ではないのです。
失言する人の謝罪会見が2度目の失言と言ってもよい程見苦しいのは、とりあえず誤るので許してくださいという真意が透けて見えてしまうからです。
失言して謝罪する人の真意を浮き彫りにするのは簡単な質問がでわかります。
何が問題だったのですか?
という質問の答えでわかります。
理解していれば、相手の立場にたった視点が欠落していました。あるいは相手の立場にたつという想像力が足りませんでした。という発言の何が問題だったのかという内容の返答になります。
理解していなければ、ですから言ったことが不適切だったということです。と発言の何が問題だったのかをこたえられないでしょう。
取材する記者がこのような質問をするようにすると、何が問題か理解しないまま謝罪会見するという失礼なことがなくなると思います。
何が失言だったか理解していないことを必死で隠そうとする失言者に対して追い打ちをかける質問は、何が足らなくて失言したのですか?という質問です。
相手の視点、相手の立場に立って考えるということを理解できているかどうかの質問です。
きちんと答えてもらえなければ、相手の視点に立って考えるという人として当たり前のことが出来ないということで良いですね?という質問をすると理解してくれるでしょう。怒りだしてしまえば、謝罪会見の謝罪会見という前代未聞の出来事につながるでしょう。
失言しない対策
一度失言してしまえばなかったことにはできません。取り消すことはできたとしても残念ながら記憶には残ってしまいます。失言をする人なのだとして覚えられてしまうのです。議員や大臣のように失言で職を失う人は少ないとは思いますが、誰でも言葉によって相手に嫌な思いをさせてしまったり、嫌な思いをさせられてしまったりする可能性があるはずです。後でそんなつもりで言ったわけではないと取り繕っても、気まずい思いをすることは避けられません。一度口から出てしまった言葉が取り返しがつかない状況を引き起こすことは失言が話題になることからもわかります。
世の中には様々な人が人達が存在することに出来るだけ配慮しながら、様々な視点から言葉を選ぶように心がけることだと思います。
少なくとも失言を繰り返す人は配慮の足らない人だということは言えると思います。誰でも失言する可能性はありますが、お互いのためにも失言につながる発言を避けるように心がけましょう。