これまで原爆の日である8月6日を登校日としていた広島市の小学校が、広島市の条例により教職員が休みとなるため登校日を取りやめることになるそうです。教職員の給料の支払いが県から市に移管されることから、教職員にも8月6日が休みという条例が適応されるというような内容の報道でした。
私が登校日を決める立場にいるとして、8月6日を登校日から外す説明の仕方を考えてみました。直接原爆を受けた被爆者が生存されていることもあり、8月6日を登校日から外すことに違和感を感じる人に対して、行きたいと考えている生徒や先生達が8月6日の広島市の平和公園で開かれる記念式典に参列できるように8月6日を休みにします。という説明を私ならします。
行動を変える場合、今回は8月6日の登校日を変更することに対して、様々な考え方が交錯すると思います。少なくとも被爆者が登校する訳ではありません。8月6日から登校日を変更すると平和に対する意識を問われる可能性がありますが、参列したい小学生や教職員が平和記念式典に参列出来るようにする目的で休みにしますと私なら説明します。
当然全員が参列することを望むわけでもありません。休みにすることで記念式典に参列するという選択肢が小学生や教職員に新たに生まれるという視点から、説明すれば違和感を感じる人は少なくなるのではないかと思います。
8月6日が登校日であっても、大して意識していない人達もいるでしょう。逆に8月6日を登校日から外すことで、たった72年前に原爆で焼け野原になった地に平和祈念式典として平和の大切さを改めて実感するために集まることができるようになる人もいるでしょう。
8月6日が登校日から外されるだけで報道されるということは、そのことに違和感を持つ人がいるからでしょう。しかし平和を望む心は皆同じはずです。そして同じ登校日の変更という事実も、視点一つで解釈が変わります。
争いを避ける視点こそこれから世の中を平和にしてくれるのではないかと私は思います。