勉強ができる人が上手に教えるとは限らない理由

勉強ができる人が上手に教えることが出来るとは限りません。
その理由を解説してみたいと思います。

勉強が出来ない人が教えることが出来るはずはありませんが、勉強ができるからといって人に上手に教えることが出来るとは限らないのです。
一言でいえば、自分では答えの出し方はわかっているものの、人に解説出来る程深く理解出来ていないのです。別の表現をすると、客観的に説明できないのです。

物事の理解には解釈の土台となる基礎知識が必要です。その基礎知識が人によって異なるため、人に教える際には相手の基礎知識に合わせて説明の仕方を変える必要があります。勉強ができる人は相手の基礎知識に合わせることが苦手です。誰でも自分と同じ基礎知識があるはずだと思い込んでいるため、自分の解説で理解できないと相手が悪いと勘違いしてしまうのです。理解してもらうためには説明する側が情報を工夫するべきなのですが、その視点がないため理解出来ないのは説明を受ける人が悪いと考えてしまうのです。言い方を変えると優秀過ぎて、基礎知識がないことが想像できないのです。想像できたとしても基礎知識を身につけていないことを怠慢だとして切り捨ててしまうため、上手に教えることが出来ないのです。
自分自身が『一を聞いて十を知る』ことが出来るので、わざわざ間の二、三、四と説明しなければいけないこと自体が理解できないのです。そしてその途中経過である二、三、四は勉強ができる人は無意識に処理しているので、人にわかるように説明できないのです。

勉強ができる人でも教えることが上手な人は、相手の基礎知識を推し量り、説明の仕方を上手に変えていきます。理解のために必要な基礎知識が不足していれば、その基礎知識から説明することが出来るのです。
本当に教えることが上手な人は教えているうちに相手に概念がないことも理解し、概念から説明することが出来るようです。
自分自身は『一を聞いて十を知る』ことが出来ても、『一から十まで』教えてもらわないとわからない人がいることを理解しているのです。そのため相手の理解の程度によって一、二、三、四と解説することが出来るのです。本当に教えることが上手な人は1.1、1.2、1.3、1.4、1.5と更に詳しく説明することが出来ます。相手の基礎知識量に合わせて情報を圧縮したり引き延ばしたりできるのです。

上記の理由によりいくら偏差値が高くても教えることが上手とは限りません。
別の表現をすると勉強ができることと人に教えることは別の能力が必要だからです。勉強ができるとは教科書を暗記し、テストというパズルを上手に解ける人です。暗記力が高く、パズルを解く能力が高い人が勉強ができると言われます。一方人に上手に教えるためには相手の基礎知識の把握と、説明能力が必要です。必要な能力が一致しないため勉強ができる人でも教えることが上手とはいえない人がいるのです。高学歴の親が勉強を教えようとすると子供が混乱することがあるのはこのためです。

偏差値が高くても仕事が出来ない人がいることに似ています。これも求められる能力が異なるからです。
勉強ができるかどうかは仕事が出来るかどうかに相関はなさそうですが、勉強を教えることが上手かどうかは仕事が出来るかどうかに相関がありそうに私は思います。ほとんどの仕事に、教えることと共通する説明能力が求められるからです。

人工知能が人間の仕事を奪うこれからの時代に求められるのは、人に教える能力なのかもしれません。実はこの人に教える能力も相手に合わせて千差万別に変化することのできる人工知能が得意とするところなので、最低限求められる能力のように思います。勉強ができても人に教えるのが苦手であれば、何故教えるのが苦手なのか、何故相手にわかってもらえないのか考えてみるとよいと私は思います。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。