72回目の原爆の日を迎えました。
人類が初めて実験ではなく武器として核兵器を使ってしまった日です。日本としては使われてしまった日です。
人間としてまだ未熟な幼児が、間違って銃を手にして撃ってしまったようなものだと思います。幼児が刀を持って振り回しても、自分が怪我をしても大人を殺してしまうことはないでしょう。しかし銃は違います。幼児でも引き金をひくことさえ出来れば、大人を殺してしまうことがあり得るのです。そもそも幼児が武器を持つことは通常ありませんが、間違って手にしたとしても刀であれば間違いは起こりません。しかし銃であれば間違いが起こり得ます。つまり銃は幼児にとって予測不可能な結果を招く分不相応な武器だと言えると思います。だから銃は間違っても幼児が手にしないように厳重に管理されているはずです。人類がまだ分別がつかないまま手にした武器が核兵器だったのだと思います。
人間が未熟であれば未熟である程、武器は威力があればある程使いたくなってしまうものです。人類が成熟してから手にすべき破滅的な威力を持つ核兵器を未熟なうちに手にしてしまった結果、使ってしまったのです。
その直後に長崎では使われてしまいましたが、その後72年間攻撃に使われることはありませんでした。使われなかったことわ幸いですが、残念なことに人類が成熟した結果使われなかった訳ではありません。銃を突きつけ睨み合うのと同じように、核兵器をお互いが突きつけ牽制した結果使うに使えなかったに過ぎません。過程はともかく、核兵器が使われないで済むことが何より大切です。
広島と長崎の惨状から本来人類が使ってはいけない兵器であることを理解した一面もあるとは思います。核兵器廃絶は絵空事ですが、自分達からは先制核攻撃しないことを全ての核保有国が約束することで結果として誰も核攻撃をしないことになります。
原爆が人に対して使われてしまった事実は変わりません。その事実は変わらないのですから何を学ぶかが大切です。人類が2度と使ってはならないと学んだのであって欲しいと私は思います。
私は核兵器だけでなく武器が必要なくなる世の中を望んでいます。
今後も核兵器が使われることなく、人類が成熟することを望んでいます。私達が生きている間に、争うことがなくなり武器が必要無い世の中になるといいですね。
73回目の原爆の日も平和に迎えられることを心より望んでいます。そして100回目も200回目も平和に包まれた平和祈念式典が開かれるといいですね。
原爆で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。