少し前に民主主義の『意味』についてかきましたが、民主主義は現在最も優れた政治手法の一つです。人類は狩猟採集生活から農耕を始めたことで協力が不可欠になり、大勢が共に暮らすことで政治という概念が生まれました。歴史上は知恵者が独裁をしくことが多かったのですが、問題も多かったため民主主義に至りました。民主主義は競争原理が働くため、政策に不備があると次の選挙では落選することで淘汰されます。自然界の自然淘汰の仕組みと似ているため優れてはいるのです。
しかしその民主主義の限界が近づいています。
民主主義の限界
政治家が政治家であるために選挙で票に繋がることだけ実行します。
本当に必要なことを実行したとしても、選挙に落ちてしまえば政治家ではいられなくなってしまうジレンマに陥っているのです。結果として選挙で不利になることは政治家が政治家でいるために実行しません。
そして一部の政治家は選挙で選ばれたという選民意識が振る舞いを歪めてしまいます。
民主主義の限界を一言で表現すれば、政治家にとって選挙が手段ではなく目的になっているからです。
民主主義が限界なのはいくら将来人々のためになる良い政策でも、人々の支持が得られなければ政治家になれないことです。正しいことをいう人が選挙で選ばれる訳ではなく、市民・国民の望むことを口にする人を選挙で選ぶ傾向があるのです。
正しいことを言った人が選挙に勝つ訳ではなく、人々に受け入れられることを言う人が選挙に勝つのです。
正しいことと人々に受け入れられることの折衷案を提案することが出来る人が民主主義の限界を迎えた今の時代の政治家に向いているのでしょう。
限界を迎えた民主主義の延命策
民主主義の次の画期的な政治手法が生まれるまでの間、民主主義を生きながらえさせることのできるとすれば組織票を禁止することだと思います。
組織票は各団体毎に票を集め、選挙協力をする見返りとして団体に有利な政策をしてもらおうとします。その組織票が政治を歪めていると私は思います。医師会も組織票を集めていますが、私は冷ややかな目で見守っています。医師会は選挙協力の見返りに医療費を上げることを望んでいます。少なくとも削減に反対しています。患者さんのためを思えば、医療費は削減されるに越したことはありません。自分達の生活を守るためとはいえ、組織票により政治家・政策に圧力をかけることはフェアではないと私は考えています。同じようなことが他の業界でもあるのではないかと思います。
1人だけあるいは1つの党だけが組織票を集めなくなれば、正直者が馬鹿をみる形で落選してしまいます。全ての政治家・政党が組織票を撤廃すれば、政策の歪みも少しは減って民主主義ももう少しましになると思うのは私だけでしょうか?
少なくとも仕事がらみの組織票は禁止すべきだと思いますが、残念ながらその仕組みを作るのが組織票により足場を固めている政治家達です。このことも民主主義の限界なんだと私は思います。
1人の天才か人工知能が民主主義の次の政治手法を発明してくれるのを待つしかないですね。