人は無限の可能性を秘めている

人は無限の可能性を秘めています。
大統領になれる可能性は0でも、日本国民であれば誰でも総理大臣になる可能性があります(実際には日本にも大統領制を導入する可能性を考えれば、大統領になる可能性ですら完全に0ではありません)。自己啓発書にあるような内容です。
しかし「人は無限の可能性を秘めている」とは、そんな通常は実現する可能性が限りなく0に近い夢物語ではなく現実に無限の可能性があります。

人は自分の持っている、無限の可能性に気付いていないだけです。例えば今日の夕食に何を食べるのかを考えても無限の可能性があります。食べる物一つとっても無限の可能性があるのです。家で食べる、外で食べるという選択肢から、外で食べるとしても近所で食べるのか遠くで食べるのかを考えても無限の可能性があります。食べないという選択肢すらあるのです。

人は無意識のうちに無限の可能性の中から様々なことを選択しています。いつも無限の可能性の中から選ぶのは大変なので、多くの場合は常識の範囲内から選択します。

例えば先程の夕食の話を考えてみれば、通常は家で食べるか外食するとしても近くで食べることが多いと思います。もしかしたらコンビニ弁当を買って食べるかもしれません。無限の可能性はありますが、無限の可能性の中からお金と時間という制約があるため、なかなか無限の可能性を感じることが出来ません。制約がある時点で無限の可能性ではないと錯覚してしまうのです。時間やお金の制約を受けたとしても、依然自分で選ぶことが出来るのねすから、無限の可能性は無限の可能性のままなのです。ただし無限の可能性と言っても何でも出来るという万能の力を持つ訳ではありません。選択肢の中から選ぶという限られた可能性ではなく、自分で選択肢を見つけるという意味で人は誰でも無限の可能性を秘めているのです。

例えば次の休みは家にいるのか、旅行に行くのかなど何をして過ごすのかを考えても可能性は無限にあります。家でもテレビを見るのかレンタルビデオを借りて見るのか、録画したビデオを見るのか、ゲームをして過ごすのか無限の可能性があります。旅行など行き先だけを考えてみても無限の可能性があります。行く先々で異なる展開や経験が待ち構えているのですから、無限の可能性が秘められています。無限の可能性の中から、自分で選んで行動することで可能性を絞り込んでいるのです。無限の可能性の中から、人に言われて行動したとしても、最後に可能性を絞り込むのは自分です。

視点を変えるだけで、人は誰でも無限の可能性を秘めています。それぞれの人の行動が他人に与える影響を考えると、更に無限の可能性が考えられます。もしかしたらちょっとした一言が人生を変えるような可能性を切り開くことになるのかもしれません。

人は誰でも無限の可能性を秘めている。そんな視点で物事を考えてみて下さい

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。