ふと思いついたことがあります。
素朴な疑問です。
なぜ学校では未だライブで授業をしているんでしょうか?
そしていつまで生身の人間の授業をするのでしょうか?100年後に今のスタイルで授業しているとは思えません。それならばいつまで今のスタイルで授業を行うのでしょうか?すんなことを考えてみました。
先生が授業をする意味
生身の人間ですから教え方が上手な先生、下手な先生など様々です。
説明の上手な先生のビデオを流す方がよほど有意義だと私は思うんですが、生身の人間が説明しなければならない理由が何かあるんでしょうか?
確かに生身の人間が授業をするなら、その場の理解度を読み取り、説明の仕方を変えるということができます。生徒の反応で授業を変えることのできる先生は、恐らく生身の人間の方が子供達の理解度が高いと思います。しかし先生の授業スキルによっては、生徒の反応に関わらず同じような授業をしていることも多いのではないでしょうか?
子供達の反応によって授業内容を変えることのできる先生は、何年経っても残すべきかも知れません。子供達の反応によって授業内容を変更しないのであればビデオと変わらないのかも知れません。
試験導入してみる
これだけ技術が進歩したのですから、まずはお試しで良いので、録画を活用した授業を導入するべきだと私は思います。
小学生ならどの授業でもインターネットを活用し家でも見放題とか。
30分に授業を集約して、残りを個別『質問』時間とすると有意義だと私は思います。
導入しない理由
何故しないのでしょうか?
先生の仕事を奪い、失業が増えることを恐れているからかも知れません。それともただ単に新しいことを取り入れたくないだけで、反対しているのかも知れません。
先生方の仕事を奪うわけではなく、先生達の余裕を生み出すための工夫だと認識してもらえれば前に向いて進めると私は思います。
教育の目的
教育の目的は子供達の学力向上です。知識を身につけさせることで考える癖をつけ、人に騙されない知恵をつけることです。最終的には教育で得た知識と知恵を使って国を維持し、繁栄させることです。
雇用確保はおまけでしかありません。これまで生身の人間が直接教える以外に選択肢が無かったので当たり前に教えてきただけです。
もし子供達への最適な教育方法がタブレットによる自学自習だと判明しても、先生達の雇用確保のために今の授業スタイルを維持するのはおかしな話です。最適な方法ではなく、先生達の雇用確保のために次善の策として授業スタイルを維持し、子供達が犠牲になるのはおかしな話です(実際には最適な教育方法は子供達によっても違いますし、もし判明するとしても何十年も先になると思います)
家でもスマホやタブレットで上手な先生の授業を見ることができれば、塾の必要性もかなり薄らぐと思います。
直接指示されないと勉強出来ないお子さんは、引き続き塾に通うことになりますが、自分でわからない授業を探すことの出来るお子さんには塾が必要なくなります。
学校だけでなく、塾業界も含めた教育革命とも言える大変革になると思います。
学校で見せる動画もYouTubeで掲載し、家でも見ることが出来る体制を整え、広告収入は出演した先生に支払われる仕組みも面白いですね。