付加価値がお金を生み出し、付加価値が新しいことを切り開きます。価値あるものに更に価値を付ける訳ですから価値が高まり、余分なお金がかかるのも当然といえば当然です。新たな価値を付け加えると知恵を出した人が得をする仕組みが、付け加える価値を探す動機付けに役立ちます。資本主義は付加価値を探す動機付けにより発展してきました。
付加価値には様々なものがあります。早いことや大きいことが付加価値となります。通常は早いことが付加価値となりますが、場合によっては遅いことが付加価値となることもあります。大きさに関しても車では大きいことが付加価値となりますし、持ち歩く携帯電話などでは小さいことが付加価値となるでしょう。
状況や環境によって正反対のことが付加価値となることがあります。付加価値は人によって異なります。更に同じ人でも置かれた状況によって付加価値が異なります。例えば宿泊一つとっても少しでも楽をしたいと思えば何もかも揃って便利なことが付加価値ですが、ゆっくりしたいと思えば携帯電話すら届かない何もない不便な宿が付加価値だと感じます。
これは価値観が人によって異なるため、価値を見出すポイントが人によって異なるためです。同じ人でもその時に求めるものが変われば、付加価値だと感じる内容も異なります。求めるものと正反対の付加価値を提案されても、選択することはないでしょう。同じ物事でも置かれた環境や立場、求める事柄によっては付加価値だと感じる内容は異なるということです。
付加価値とは贅沢と言い換えることが出来ます。何に贅沢だと感じるかは人それぞれであり、その贅沢に対して払えるお金も異なります。
逆に付加価値を削ぎ落として、必要なものだけを取り出してみると本当に必要なものだけが残ります。外食で付加価値を削ぎ落としたものは立ち食いになりますし、ホテルで付加価値を削ぎ落としたものはカプセルホテルになります。小売で付加価値を削ぎ落とすと段ボールのまま陳列するスタイルにいきつくと思います。付加価値を極限まで削ぎ落としたものがあると、付加価値を実感しやすくなります。その差を認識出来るようになるからです。段ボールでの陳列が付加価値の無い状態だと認識すれば、陳列棚での陳列で同じ物の値段がいくらになるのかがわかるようになります。陳列棚に陳列してもらって見やすくなるという付加価値に対して幾らの対価を支払うかを認識出来るようになるのです。商品を見やすいという付加価値・贅沢に対して対価を支払うという考え方をするとこれまでとは違う価値観に気付くことが出来るかもしれません。
コンビニは便利という付加価値の塊のようなものです。そう考えるとコンビニでの買い物は贅沢なのかもしれません。