危険を予測して考えるのはもしかしたら人間だけかもしれません。
ふと気づいたことですが、危険をわざわざ予測するのは恐らく人間だけだと思います。何故ならそもそも動物にとっては全てが危険で、安全という概念が無いからです。元々の状態が安全で危険なところに行くとか危険を冒すというように考えるのが人間です。動物は周囲が全て危険なので根本から異なります。動物は安全な行動をとっているわけではなく、危険が比較的少ない行動を選んでいるに過ぎないと思います。
人間と動物では前提条件が異なるのです。
(人間でも混沌とした社会では、動物のように危険が当たり前で少しでも危険が少ない選択をするようです)
安全だという概念は人間だけなのかもしれません(もしかしたら巣を作る動物は巣の中は安全だと考えているかもしれませんが…)。
特に治安の良い日本では安全が当たり前で、殺人事件はもちろん場合によってはひったくりや空き巣などがニュースになる程です。その結果、余りに安全が当たり前過ぎて、危険を察知する能力を失いつつあります。
あまりに安全が当たり前になってしまうと、危険だとわざわざ予測する必要が生まれます。動物にとっては危険が当たり前ですが、人間にとっては危険が特別な状況なのです。そして危険だと予測することの出来る人と出来ない人が存在します。危険だと予測出来ない人にとっては、いくら危険だと言われても理解できません。そして実際に害が及ぶことがなければ、危険であったことが理解できないのです。想像力の欠如なのかもしれません。この危険が予測出来ない人が一定割合で存在することを理解しておく方が良いと私は思います。
この危険を予測出来ない人が車を運転していると危険きわまりない行動を取ります。真っ直ぐ走るだけなら問題ありませんが、様々な状況に対して前もって予測が出来ないので危険を察知する人からすると考えられないくらい危険な行動をとることが出来ます。何故なら危険が予測出来ないので、怖くないのです。俗にいう怖い物知らずという状態です。
危険の予測が出来ない人は子供と同じです。子供は道路が危ないと言っても、どのように危ないのか想像がつかないので道路でボール遊びをすることが出来たり、道路で鬼ごっこが出来るのです。
危険だと指摘しても理解出来ない人も大勢います。危険が理解出来ない人は、これまで大丈夫だったから大丈夫というよくわからない理屈で押し通そうとします。本当にちょっとした違いで結果が大きく異なることが理解出来ないのです。
動物のように危険が当たり前という考え方になるのは難しいかもしれませんが、安全が当たり前で危険に気付くことが出来ないのは問題だと思います。考えつく範囲の危険を察知する、危険を予測することは、出来る限りする方がお得だと思います。自分や家族の命やお金を守るために、様々な危険に気付くことの出来る知恵をつけたいものだと思います。怪我で済めば次に気をつけることが出来ますが、特に命を失ってしまうと取り返しがつきません。
危険を予測出来るかどうかの見分け方
危険を予測出来るかどうかの見分け方は簡単です。ちょっとしたことでも危ないと感じるかどうかです。怖いと思うことが出来ない人は危険の察知能力があまり発達していない可能性があります。
例えば道路を歩いていて車がスレスレで通り過ぎていった場合、怖いから一歩車から離れようと考えるか、当たらなかったから別に気にいないかです。怖いと感じる人は不測の事態(運転手のハンドル操作ミス、自分が車側につまづく等)を想定するので、万が一のことを考えて安全策をとって車から離れるのです。
日常生活でどれだけ危険を見つけることが出来るかにかかっています。
どれだけ危険を見つけて、どのように避けていますか?その危険回避の積み重ねが怪我をするかどうか、命を失うかどうかの違いになると思います。