偏差値の大逆転として予備校や進学塾などが偏差値の急上昇を宣伝したりします。偏差値急上昇が珍しいらしく、小説が映画化されたりもしています。受験における偏差値の本当の姿を知っている人から見ると滑稽な宣伝です。何故なら努力を怠っていた人が心を入れ替えて努力を始めただけのことです。確かに努力の仕方がわからなかった状態から努力の仕方を教えたのかもしれませんが、全員に当てはまる訳ではありません。元々能力があるのに努力を怠り低偏差値だった人が、努力しはじめただけのことです。そういう人がいるから貴方も出来るはずというのは、無理がありますし騙されてはいけません。
偏差値とは?
そもそも偏差値とはテストにおいて集団の中の自分の立ち位置を表すものです。集団の平均点を50としてその平均点からどのくらい離れているのかを表すものです。母集団が優秀な中であれば同じ学力でも偏差値は低くなりますし、それほどでもない母集団であれば偏差値は飛び抜けて高くなることもあります。受験とはその偏差値により志望校を序列化し受験校を決める際に活用されています。ある程度受験における能力を表しているからです。
誤解されているのは、偏差値は人の能力を指し示すと錯覚しています。この錯覚は誰もが目一杯勉強という努力をしてテストに臨んだ結果だと思い込んでいることです。適当にしか勉強してテストに臨んだ人の偏差値は低くなりますし、そもそもデータの信憑性が怪しくなります。
多くの人は目一杯努力していますし、他に最適な指標がないため止むを得ず偏差値を使っているのです。
偏差値の本質
目一杯努力した偏差値が本来の偏差値で、目一杯努力していない偏差値は努力の足らなさを測っているのです。低偏差値から大逆転ではなく、本来なら大逆転した後の偏差値が取れたのにサボってい低偏差値しかとらなかったことを喧伝していることになるのです。だから多くの人は恥ずかしくて偏差値の大逆転を自慢したりしないのです。
目一杯努力した人達だけで比べることで能力をはかることが出来るのであって、手を抜いている人の低い偏差値は参考にもなりません。
またレベルの低い人達だけを集めた母集団の中での偏差値を比べてみても、極端に高い偏差値が出て意味がありません。偏差値100以上という状態もあり得ます。
今の偏差値の問題点
偏差値の問題点は目一杯努力していない人の問題だけではありません。受験勉強の試験自体が暗記力と暗記を基にしたパズルを解く能力をはかっているだけです。暗記は正確性、検索性、汎用性において人間は機械には勝てません。パズルを解く能力は今の所人間の方が有利ですが、近い将来これも機械に負けると思います。機械に置き換えることの出来る能力をはかっても私は意味が無いと思います。増してや方程式で解けるようになる問題をわざわざ遠回りさせるつるかめ算なんて論外です。
かつては記憶し素早く検索することが出来るのは人間の脳だけでした。だから暗記力が必要とされたのです。これだけ機械が発達し、記録や検索が容易になった時点で人間の脳に求められるものは大きく変わってきました。受験業界がまだそのことに気付いていないようです。近い将来、このことに気付いている人達だけが得をして、気付いていない人達は取り残される時代がやってくると私は思います。