座る二宮金次郎氏の銅像に思うと題して以前記事を書きましたが、再びテレビでアンケートまでしていたので改めて書いてみます。
座る銅像が良いと考える人が多いのに驚きました。理由は歩きながら本を読んでいる銅像を見て育つとわスマホを歩きながらするようになるからというものでした。
座らせた方が良いと答える時点で、家の仕事である薪を運びながら本を読んでいる意味を理解していないことを示しています。そもそも何を意味する銅像か理解していないのであれば、歩いても立っても意味が無いと思います。
座って本を読む二宮金次郎氏の銅像が何を意味するのか私は教えて欲しいと思います。わざわざ銅像にして何を後世に伝えたいのか私は知りたいと思います。
銅像の目的と伝えたいことがズレていないか疑問です。
テレビで面白かったのは西郷隆盛氏の銅像は刀を持っているのに良いのか?という話でした。確かに刀を持って歩いても良いのかという議論にはなりません。
誰かが歩きながらスマホをすることを促すと考えついて、確かにと思った人が追随してしまったのでしょう。
しかし歩きながら本を読むということの意味を伝えることの出来ない人達の言い訳でしかありません。
逆に座る二宮金次郎氏の銅像にどんな意味が込められているのか説明して欲しいものです。