他人の物差しや尺度でしか判断出来ない人がいます。誰かが正しいと言ったから信じる。誰かが美味しいお店だと言ったからお店に行ってみる。誰かが楽しい観光地だと言っていたから行ってみる。
他人の物差し・尺度を一つの知恵・情報源として活用するのは良いと思いますが、自分にも当てはまるかという視点が抜け落ちています。
他人の物差し・尺度に左右される一例としてミシュランの星があると思います。一定の基準をもとにして選ばれたお店で、ミシュランに選ばれたのだから美味しいと認識されます。昔で言えば宮内庁御用達といったところでしょうか?他人の選んだ価値観を有難がる風潮があるようです。
他人の物差し・尺度はあくまでもその人にとっての価値観です。自分に当てはまるかどうかはわかりません。自分と似たような好みの人であれば、その人の物差し・尺度は参考にはなるかもしれません。しかしミシュランに選ばれたから美味しいという価値観は、自分で考えることを放棄してしまっています。確かに他人の物差し・尺度に便乗する方が楽ですし、失敗してもその人のせいに出来るので便利です。楽で便利ですが、自分での思考が出来なくなってしまいます。
テレビや新聞も編集部の物差し・尺度を通して物事を伝えています。編集部は自分達の利益のために広告主の不利益は伝えません。その時点で物差し・尺度がお金で歪んでしまっているのです。その歪んだ物差し・尺度で人々が判断することになるのですが、他人の物差し・尺度に慣れてしまっているとそのことに気付くことは出来ません。
もしかしたら自分の物差し・尺度を身につけるために人々は勉強するのかもしれません。少なくとも他人の物差し・尺度で判断するのは極力避ける方が良いのかもしれません。