怒る必要のない子育てを提唱しています。怒らない子育てでは子供の自主性に任せる子育てと、放置プレイのような放任主義の子育てとの区別がつかないため、怒る必要のない子育てを提唱しています。
子供が成長するにつれて物を買って欲しいと言うようになります。小さい子でもお店でお菓子を買って欲しいと言うようになりますし、もう少し大きくなるとゲームなどを買って欲しいと言うようにならます。
物を買う際の落とし穴
買って欲しくて泣き叫ぶようになることがあります。何かを買って欲しくてせがんでも買ってもらえないと悲しくて泣いてしまうことはあるでしょう。初めて泣いたのは偶然だと思います。しかし泣いたことで結局買ってもらえると、成功体験として学習してしまいます。2回目からは泣くと買ってもらえた成功体験から、少し大袈裟に泣くようになってしまいます。回数を重ねるごとに更に大袈裟に泣くようにならます。
親が意識しないうちに何度も成功体験として、子供は泣き叫ぶと買ってもらえると学習してしまいます。子供は難しく考えている訳ではありません。欲しい物が買ってもらえないとわかると悲しくて泣いて、泣いていると買ってもらえると理解しているのです。だから泣き叫ぶ子供を泣かないように怒っても意味がありません。泣くのは買ってもらうための手段でしかないのですから。
子供は何かを差し出すことで物を買う訳ではありません。強いていえば泣いて怒られることを我慢したご褒美に買ってもらえると理解しているかもしれません。
物を買う場合に考えること
通常大人は物を買う際に、対価であるお金を支払います。物の価値とお金の価値が釣り合うか支払うお金よりも物の価値の方が高い、つまりお買い得な場合に購入します。物を買う際に必要なお金、そのお金を稼ぐための労働と釣り合うかどうかを考えて購入するのです(衝動買いは別の思考回路です)。大人は対価という考え方をするので歯止めがかかります。持っているお金に限りがあるので自然と物を買う際に買う物を選ばざるを得ないのです。
しかし子供には物を手に入れるための対価という概念がありません。言わば無限にお金があると錯覚して物を欲しがるのです。だから直感的に欲しいと思えば、欲しくて仕方がなくなるのです。そこに今手に入れたいという衝動買いの心理が子供にも働くので厄介です。
子供が物を買ってと言いだしたら
子供が物を買って欲しいと言いだせば、怒ったところで意味がありません。怒られるという嫌な思いを我慢したご褒美に買ってもらえると誤解してしまうからです。
そこで大人には当たり前の物に対する対価という概念を教えるのです。小さな子供ならその代わりに何を我慢するのか?例えば物を買う代わりにお菓子を我慢する?と聞くのです。ある程度大きくなればお手伝いや宿題以外の勉強を一定量するなら買ってあげるけどどうする?と聞くのです。例えば100マス計算を5枚するなら買ってあげるなどです。5枚は多いから3枚にしてと子供がいえば、そこであらたに相談するのです。
物を買う際に支払うお金の代わりになるものを我慢したり、行動をしたりする仕組みを考えるのです。
最初のうちは口だけで行動しないかもしれません。その場合、次は買わないのです。前回口だけだったからと取り合わないのです。そこで泣き叫ぶようになっても困ってはいけません。子供は親が困るのを見逃しません。もう少し泣けば目的達成と気付くからです。泣いても買わない。と宣言して立ち去るのです。それでも欲しいなら代わりにどうする?と笑顔で話しかけるのです。
買うか買わないかを親が決めると泣いたり頼み込んだりしてきます。子供に選ばせるのです。子供に考えさせるのです。物を買う代わりに何を差し出すのかを。